- 岩波書店 (2024年6月17日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (376ページ) / ISBN・EAN: 9784000616416
作品紹介・あらすじ
いまだ継続する不正義と差別に抗して、アイヌの人々は何を問い、行動してきたのか。五人の当事者へのインタビューから現代アイヌの〈まなざし〉を辿ると共に、アイヌの声を奪い、語りを占有し続ける日本人のあり方を問う。
感想・レビュー・書評
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出自と「痛み」が私を彩る -どちらでも「ない」から、どちらでも「ある」私へ - 東京都人権啓発センター
https://www.tokyo-jinken.or.jp/site/tokyojinken/tj-98-interview.html
石原 真衣 – 北海道大学 大学院文学研究院・大学院文学院・文学部
https://www.let.hokudai.ac.jp/staff/ishihara-mai
研究者総覧 - 大阪大学
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/c90cb74c84771b0f.html
アイヌがまなざす - 岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b646699.html -
自分が何も知らなかったことを思い知った。
遺骨の盗掘や研究者たちの謝罪について、ぼんやりと聞いたことがあること、大学生の時に、親が北海道旅行で撮ってきた踊るアイヌの写真を無邪気に見せる様子に感じた、苛立ちと悲しい気持ちが、ずっと引っかかっていて、もっと知らなければ思っていたけれど、この本に出会えて本当に良かった。
私にはマイノリティの属性もあるけど、アイヌの人達が経験してきた歴史や苦しみを全くといっていいほど知らなかったし、思いを馳せることもなかった。
日本の教育を受け、日本の主流の文化的コンテンツを消費してきた私は、マイノリティ要素の有無をとわず、著者がいう白人性を持つ日本人だ。特権性に無自覚のマジョリティだ。
自分のマイノリティ性を足がかりに想像するアイヌの人達の苦しみは、とても複雑で、大きすぎて理解が及ばないが、言葉にできないほどグロテスクな扱いを受け続けていることを知った。
研究が、アイヌにとっては最も汚い言葉のひとつである、という指摘は鋭く、重い。これは本を読んで知識を得ようとする読み手にも、知った上でどうするのか次第で、突きつけられる指摘だと思う。
中身はアイヌの人達のライフヒストリーのインタビューとその内容に対する繊細な分析で、言葉の使い方や、言い淀み、繰り返しやためらいなども含めて細やかに内容を読み解いていく。アイヌの経験がとても多様であることが分かるし、ウポポイやゴールデンカムイではない、生活の中の経験が見えてくる。研究者の見たアイヌ、ではなく、生活するアイヌの言葉で問題に触れることは大切なことだと感じた。自分の知っている少し似た疎外の経験に引き付けて、生々しく理解できるからだ。
著者の1人、石原麻衣氏の考察とその表明の声色は、今まで読んだどの日本の研究者より知的ラディカルさに富む。あとがき、謝辞を読んで、石原さんが研究者として舐めてきた辛酸を思い、辛くなったが、同時に石原さんの知性の強さになんだかスカッとする部分もある。ともかくあとがき、謝辞にも強く感情が揺さぶられた。希望もあるんだ、かすかでも、と感じた。
ここ数年で読んだ日本の人文系の本で、ダントツで1番良かった。 -
【痛みの声があぶり出す欺瞞】
なんて孤独なんだろう。生活と歴史がいやが応でも切り結ばれてしまう人びとの、救いのない、絶望的な孤独の片鱗をイメージしただけで胸がいっぱいになった。
本書はアイヌに出自を持つ文化人類学者の石原真衣氏と哲学者の村上彰彦氏による共著で、5人の当事者へのインタビューと論考により構成されている。
登場するインタビュー対象者たちの孤独に和人はいかに関わってきたのか。特に知識人である研究者たちは、「知的好奇心」で彼彼女らを消費し、自らの業績とし、時にはアイヌを批判し上から目線でアドバイスをして、自分たちがイメージするマイノリティ像に近づくようけしかける。そしてそれ以外の生き方やアイデンティティの置き所を選んだアイヌは視界から外し、時には自死にまで追いやる。
醜悪だ、と思った。同時に、研究者の末席にいるひとりとして、そうではないやり方がいかに可能かという重い課題も渡されることになった。主流派に必読の書。(さとちん@本土に沖縄の米軍基地を引き取る福岡の会) -
あらすじ(岩波書店より)いまだ続く差別と不正義に抗して、アイヌは何を問い、行動してきたのか。当事者へのインタビューからその〈まなざし〉をたどる。(https://www.iwanami.co.jp/book/b646699.html)
本当に自分が知らなすぎる。もうちょっと初歩的な歴史から知るべきやったかなとも思いつつ、ここで書かれているような視点は本当に慎重にならないと抜け落ちてしまうから、蔑ろにされてしまうから、最初に読んでおくのも良かったのかもしれない。
そしていわゆる「知識人」に対しても批判的なところが厳しく見えるけども、自戒の意味でもすごく重要なメッセージやなと思った。己の特権性と、当事者の痛みに敏感に語りに耳を傾けなければ。
以下、引用
アイヌへの侵略はその後の植民地政策のモデルになる、と木村さんは語る。一九世紀末の日本は、アイヌ支配のためにアメリカにおける先住民政策を学んでいむ。さらに日本政府がアイヌ支配から継承したのは、「アイヌから植民地政策を学んで、朝鮮半島、中国、台湾、アジアへ行って、中国なんかでは殺し尽くす、焼き尽くす、奪い尽くす」という植民地化と収奪の方法だ。日本はアイヌを収奪し、その経験をもとにアジア諸国を侵略したことになる。(p.22)
マジョリティの「立場」を意識できていないときには、マイノリティの人に対して「平等」であるという「幻想」が生じる。そして(ほとんどが和人であり、かつ経済的にも文化資本的にも恵まれた背景を持つ)研究者と、貧困や健康問題を継承し続けるアイヌ当事者の非対称性は、お互いに異なる継承を持つという格差でもあり、言葉を持つ人と沈黙を強いられている人との格差である。(p.81)
アイヌは「作物を作って売る」活動においても貧しい土地を強制されることでハンディキャップを背負わされてきた。さらに、寒さの厳しい北海道の中での日本人によって持ちこまれた結核などの感染症に苦しみながら植民地化の政策のもとで五〇年にわたって繰り返された強制移住によって、さらに貧しい土地に追いやられている。何重にも強いられた困難の中での生活の歴史がある。「平等な生活」は、そもそもはじめから存在せず、その後も存在したことがない。研究者が持つ平等幻想に続いて、ここでも幻想としての社会状況の平等が話題となっている。マジョリティ側が平等を主張するときには、実は劣悪な条件を強いられて環境から排除された人が存在するということなのだろう。(p.86)
そして日本で生きる市民のほとんどが、生涯のうちに一度も、「和人」という言葉を使わないだろう。のちほど詳述するように、多数派日本人の人種的特権性の自覚のなさ、およびその透明性は極めて深刻である。例えば北米では、人種的マイノリティを示す言葉として「黒人」や「先住民」「有色の人びと(people of color あるいは colored)」がある一方で、多数派を指し示す言葉として「自人」や「入植者」が存在する。日本では「白人」や「入植者」といった言葉が使用されないし、そもそもそれに該当する発想すらない。私がこれまで「アイヌとは誰か」ではなく「和人とは誰か」と問うたのは、そのことこそが日本の先住民問題そして人種的状況の核心であるからだ。(p.101)
アイヌへの侮蔑的・暴力的発言そのものではなく、それを傍観した社会学会員のエピソードを紹介しながらの知識人への釘刺しを行ったのに他ならない。目の前で起こり、誰もそれが暴力であると気がつかないような空間のなかで、アイヌはまなざす。その繊細で鋭いまなざしこそが先住民的批評性だ。(p.104)
私は排外主義者やヘイター、レイシストをモンスター扱いするあらゆる人びとに絶望してきた。犯罪や黒力が起こった場合、「犯人は自分だったかもしれない」という想像力のみが、その暴力の根源へとたどり着き、安全な場所を確保していく道なのではなかろうか。私がヘイトに遭ったときほとんど全ての人が、「ああいうやつらはおかしいから」「そういうものは見なければいい」と言った。被害に遭う私の傷や恐怖は軽視された。そしてそのことによってこそ今日そのトラウマは増長され続けている。「自分はレイシストではない」という多数派の「フラジリティ(心の脆さ)」は、まさに暴力をめぐる思考停止であり、レイシズムを可能とさせる最大の力学である。(p.182)
人間が平等であるというのは理念であって実態ではない。沖縄の基地問題や、北海道の Unceded
Territory の課題は、先住民や被植民者も「同じ人間」あるいは「平等であるはずの人間」だという建前が幻想であることを示している。実態からかけ離れた平等概念に依拠した現状把握は、権利から疎外されている人びとが今日この瞬間に行使されている暴力を不可視化すらするだろう。(p.187)
祖母や母、私のあいだには明確な違いがある。多くの疎外された人びとが特権を持つ人びとに自ら追随や同化をしようとするのは、さまざまな資本の欠如によりそうした非対称的な力学に気づくことができず、気づいたとしても抗する術がないためだ。祖母や母はそうした状況を生きてきたのだと思う。しかし、マイノリティ自らが被る疎外について認識し、それを言語化する術を得たときには、「同じである」としてマジョリティ規範に包摂されることにひそむ暴力性を発見することが可能になる。たとえば女性の受ける抑圧が訴えられるとき、女性としての抑圧を経験しない「男性」が、したり顔で「女性の経験」について語るとすればそれは歪な行為であるし、当事者性の境界への一方的な侵犯となる。特権性の本質とは、それを有する人が気づけないことだろう。(p.)
世界中を席巻した黒人に対する人権侵害および殺害への異議をとなえるブラックライブズマター運動は、運動として極めて革新的なものだった。その一方で、むしろだからこそ、先住民への入植者
植民地主義やレイシズムが不可視化されている構造を、石山は可視化する。さまざまな統計を根気強く紐解けば、先住民へのレイシズムや人権侵害は明白であるにもかかわらず、黒人への人権侵害に比して、先住民が被る暴力について市民が認識することは極めて困難である。石山はその構造のひとつとして、入植者植民地主義における先住民の忘却を指摘している。(p.192) -
現代を生きる生身のアイヌの人たちの声を知ることができる。
いまだに結婚差別があるなんて、どうすれば差別解消できるのか、考えさせられる。 -
選書番号:262
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東2法経図・6F開架:316.8A/I74a//K
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【本学OPACへのリンク☟】
https://opac123.tsuda.ac.jp/opac/volume/717228
著者プロフィール
石原真衣の作品

https://www.tokyo-np.co.jp/article/330052
<本の海 澤田展人>「アイヌがまなざす」石原真衣、村上靖彦著:北海道新聞デジタル 会員限定記事2025年4月27...
<本の海 澤田展人>「アイヌがまなざす」石原真衣、村上靖彦著:北海道新聞デジタル 会員限定記事2025年4月27日
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1152888/