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Amazon.co.jp ・本 (320ページ) / ISBN・EAN: 9784000923958
感想・レビュー・書評
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著者の東大退官時の講演を含む論文集。
転移感情に関して考えさせられた。精神科医は、著者がリュムケという学者の言葉を引いたように(「大抵の医師は躁病者に対して躁的に反応し、精神病質者には精神病質的に、神経症者には神経症的に反応してしまう。」)言葉に出されない患者が医師に対して持つ感情の影響を受ける。それが好意、好感である場合陽性転移と呼ばれ、怒りや苛立ち、失望などの場合陰性転移と呼ばれる。
その感情についての説明として、東大で開校以来初めて盲人の入学生を受け入れた際のエピソードが出てくる。責任者が「学生は文字通り暗中模索なのでしょうが、われわれも受け入れ体制で暗中模索しています。」もちろん、発言としてはダークなのだがとても示唆的だ。
著者曰く、
「これは盲人に対してはわれわれもまた盲人であることを示唆する点で、まことに穿った言葉である。なぜかというと、盲人に対してはわれわれも視覚に訴えて意思の疎通をはかることができないからである。同じことが聾唖者についてもいえるであろう。われわれは彼に対しては聴覚を用いることができない。であるからわれわれも彼とともにいる限り同じく聾唖なのである。すなわちわれわれは助けようとする相手と必然的に同一化するということができる。私はこの原則は、およそ何らかの困難を持っている人を助けようとする場合には常にあてはまることであると思う。」
しかし、それが分かっていても、精神に関する限り事は難しいのだ。全く別の個所で、著者がある若い男性が治療に訪れた時にそれを適切に扱うことができなかった例を告白している。
その若者は著者の本を読み、尊敬の念を表しながら相談に来た。著者はそれに好感を持った。しかしその若者はの相談には、皆経験することだと説明して治療せずに返してしまう。後からそれは、彼が幼い時から自身に持っていた誇大的妄想の現れではなかったかと気づくのだが、その彼の著者への尊敬と理想化を著者は半ば軽蔑し、半ば満更でも無いと感じ、それをまともに扱わなかったのである。
著者は最初の面接の際に、本当は、なぜ私の所に来たのか、どのように助けてもらいたいのか、私の助けで将来の方針がきまるとでも思うのか、という肝腎の問いを発せなかったと述べている。
これは、普段われわれも直面する問題なのだろうと思う。卑近な例かも知れないが、普通の恋人同士が、「私のどこが好きなの?どうして?」と問うところ共依存的な(ダメ男や暴力男を好きになるような)関係だと、この人には私がいないとダメと思い込んで、だから離れられないので、「私のどこが好き?」と問うことをしないような。
ああ、だから人間関係では、自分が苦手だと思う人の場合、相手もそう思っているだろうと想像して優しい気持ちになれるのとも似ているかも知れない。感性、神経の回路が噛み合わない時には東大の盲人生徒の例じゃあないけれど、当然相手も自分の思考回路が通じなくて、こちらの事を苦手に感じるだろうから。
・精神療法はこれを構造と過程の二つの面から考察することが最もわかりやすい。この考え方を使って精神療法における諸問題を初めて説明したのはエクスタインであるが、彼自身この考え方は次に引用するフロイドの言葉の中にすでに含まれていると述べている。
「高級な将棋の技術を書物から習得しようとする者は、やがて知るであろう。書物にはただ序盤と終盤についてだけ、あますところなく組織的な説明が加えられているが、序盤につづいて展開される戦闘の―もし説明されたとしてもとても読み切れないほどの―複雑多様な駒の進め方については、少しも言及されていないことを。大家が互いに戦いを支えた対局を熱心に研究することだけが、このような指導上の欠陥を補うのである。おそらく、これに類した制約が、精神分析療法を実施する上に与えられる規則にもあてはまると言えよう。」
・治療者患者の間が馴れあいになってはいけないというのは、両者の間に感情の距離をおくということではなく、むしろ精神的距離を維持せねばならぬということである。今ここに「精神的距離」という言葉を使ったが、この言葉はかつてエドワード・バロウが芸術の心理を説明する際に使ったものである。そして彼がそれについてのべていることは、今ここで問題にしている治療者患者間の精神的距離にもあてはまると考えられるので、以下に引用してみよう。
「距離は、対象とその魅力を自分自身から隔絶し、実際的要求や目的の考慮外におくことによって得られる。しかし距離は非人間的で純粋に知的な関心に出づる関係を意味してはいない。かえってそれは人間的な関係であり、しばしば高度に感情的であるが、ただその性質が特殊なのである。その特殊性はその関係の人間的性質がいわば濾過されていることに存するのである。」
・自分の心を伝えることは自然(Natur)である。伝えられたものを、伝えられたままに受け取ることは教養(Bildung)である。」
―ゲーテ
・小説においては日常生活で秘密として伏せられる人間の内面の動きまでがすべて知り尽くされたものとして描き出される(フォースター)。
・a:分かって欲しいという願望がある
→神経症
b:分かって欲しいという願望が無い
①自分のことが、自分の意図とは無関係に、あるいは自分の意図に反してすでに分かられていると信じ込んでいる場合。
→分裂病(統合失調)
②ふつうは分かるはずのないことを、実際に調べたわけでもなく確たる証拠もないのに、自分ではわかっていると信じ込んでいる場合。
→パラノイア(妄想)
③自分のことは誰にも分かりっこないときめてしまっている場合。
→躁鬱
④自分のことを誰にも分かられたくないと思っている場合。
→精神病質
・この患者に対して上述したごとき処置を取っただけで治療を引き受けなかったことに対し、異論を唱えることは可能である。現に彼は神経症の症状に並んでいたし、ピアノ教師の圧力によって精神的葛藤が誘発されたことは間違いないとしても、もともと彼にある種の弱さがあったということも確かな事実である(コンクールで手が震えてうまく弾けない。演奏家ではなく音楽教師になりたかった)。そしてその弱さはおそらく彼が幼くして母から離され、もっぱら叔母の手で特殊教育を施されて来たことと関係があったろう。とすれば彼に精神分析療法を行ってその点についての洞察を獲得させ、精神的葛藤に屈しないよう自我を強化することこそ治療者の取るべき道であったといえるのではなかろうか。しかしこのことを実現することはきわめて困難であったろうと思われる。というのはこの時点で彼に治療を施すことは、彼を発病においやったピアノ教師の圧力をさしあたり強める結果となり、精神的葛藤をかえって激化することになったに違いないと考えられるからである。だいたい、精神分析療法は患者にも治療者にも非常な労力と時間の消費を課すものである。したがって患者の側によほどの動機があるのでなければ、これを行うことは不適である。もし動機の不足にもかかわらず敢えてこれを行えば、おびただしい労力と時間の消費にもかかわらず、いやむしろそうすればするほど、かえって治療の目的から逸脱する危険なしとしないのである。
・大学時代、一つ残念なことがありました。それはだれ一人として”よい医者になれ”といってくれた教授がいなかったことです。だから私はきょうあえて言いたいんです。皆さん、いい医者になりなさい。それは最も大事なことだと思います。
・「時には治療に至らせ、しばしば苦痛を和らげ、そして常に元気づける。」詳細をみるコメント0件をすべて表示
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