フロイト全集 1886-94年 (フロイト全集)

  • 岩波書店 (2009年2月26日発売)
4.80
  • (4)
  • (1)
  • (0)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 41
感想 : 2
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (624ページ) / ISBN・EAN: 9784000926614

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ── フロイト《全集〈01〉20090226 岩波書店》
    /兼本 浩祐・中村 靖子・芝伸 太郎・立木 康介・渡邉 俊・訳
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4000926616
     
    /1886-1894
     
    http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19390923
     
    (20220315)
     

  • 予定としては2年かけて読もうと思っています。時間系列の構成なのでそれに従うことにします。

    これはなかなか良いという感触を得ました。じっくりと吟味を必要とするものには読み易いということが絶対条件です。だれでもわからなければならない。

    それでもその人が理解しないならそいつがアホか根性が腐っているのだ。そいつが犬のゲロより劣るものだからだ。

    僕はフロイトは真理の在り方を示していると考えています。そしてそういったものは人間の反省に依っていると考えています。反省とは自己省察でありそれは悟性能力の錬磨でありそして悟性の使用からの倫理というものが悟性(反省)からの秩序としての理性としてあります。倫理と理性が反省からあるということが僕が至った理念であります。

    そこにフロイトの自己省察が結びつき、それは帰納としてある。フロイトの運動が帰納としてあるということが倫理と理性と結びついている。そういった反省(自己省察)がカントと結びつき、そして反省からの悟性からある秩序が理性という倫理へ至りそれは遊侠と結びつく。マルクスの批判がプロレタリアへの遊侠へ結びつくのもそういった理性と倫理からあると言える。

    僕はこういった考えを柄谷行人を吟味することで得ました。僕のような反省と悟性からの秩序である理性が倫理、遊侠としてありそのように考える変な奴が柄谷の影響で存在するということはきっと面白いことであると思いますが柄谷本人はどう思っているのか僕には知る由もありません。

    こういった真理の在り方をこの全集を読んで考えてみたいと思い時系列に読んでみようと思いました。

    なかなか読みやすく印象がいいです。

全2件中 1 - 2件を表示

著者プロフィール

兼本 浩祐(かねもと・こうすけ):1957年生まれ。すずかけクリニック医師。中部PNESリサーチセンター所長。愛知医科大学名教授。京都大学医学部卒業。専門は精神病理学、臨床てんかん学。著書に『脳を通って私が生まれるとき』(日本評論社)、『心はどこまで脳なのだろうか』『てんかん学ハンドブック』(医学書院)、『専門外の医師のための大人のてんかん入門』(中外医学社)、『なぜ私は一続きの私であるのか』(講談社選書メチエ)、『普通という異常』(講談社現代新書)。詩集に『世界はもう終わるときが来たというので』『深海魚のように心気症を病みたい』『ママちゃりで僕はウルムチに』(東京図書出版)など。

「2026年 『「わたし」が死ぬということの哲学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

兼本浩祐の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×