吾輩は猫である (定本 漱石全集 第1巻)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (760ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000928212

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  • 「吾輩は御馳走も食はないから別段肥りもしないが先々健康で跛にもならずに其日其日を暮らしている。鼠は決して取らない。おさんは未だに嫌いである。名前はまだつけて呉れないがよくをいっても再現がないから生涯此教師の家で無名の猫で終る積りだ」
     諦念の気持ちを静かに伝えてくる、良い文章だと思う。

    「天秤棒は避けざる可からざるが故に、忍ばざるべからず。人の邸内へは入り込んで差し支へなき故込まざるを得ず。此故に吾輩は金田邸へ忍び込むのである」
     格調高い言い方だけど、ダジャレじゃないか!

    「鈴木くんは是は迷惑だという顔つきをして頻りに主人に目配せをするが、主人は不導体の如く一向電気に感染しない」
     面白い比喩だ。

    「無事是貴人とか称えて、懐手をして座布団から腐れかかった尻を話さざるを以って旦那の名誉と脂下がって暮らしたのは覚えて居る筈だ」
     随分と辛辣な物言いだ。

     第十一回目で、寒月がヴァイオリンを弾こうとした話を披露するシーンがある。彼は話をなかなか進行しようとせず、自分の逡巡の思いを、聞き手の苦沙味先生たちに体感させようとして、なんども同じ状況の話を繰り返す。寒月がなかなか話を進行させない場面は、滑稽なように聞こえるが、当人の当時の苦しみを伝えるには、説明を端折るわけにはいかなかったのだろうし、恐らくこの説明をいくらしても十分ではなかったのだろうなぁと感じてしまった。
     寒月が話をするこの一連のシーンにおいては、苦沙味先生や迷亭、独仙、東風それぞれの反応が截然と異なっており、面白い。
     
     詳しい注解を一々参照しながら読み進めるのは、少し大変だったが、中学生のときに挫折したときには感じなかった面白さを、今回は味わうことができた。第十一回には、現代人が抱える自己意識の高さに関する、漱石の意見が書かれており、漱石の思想の萌芽が見られて興味深かった。彼の作品を一通り読んでからもう一度読むと、また違った感想を得られるだろう。其時を楽しみにしたい。

著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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