- Amazon.co.jp ・本 (100ページ)
- / ISBN・EAN: 9784001106251
感想・レビュー・書評
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本書は、先に岩波少年文庫として発売された、1929~32年作の、記念すべき「グレイ・ラビット」シリーズ(出版社により、「グレー・ラビット」と表記される場合もあり)、初期の四作品を愛蔵版絵本として新たに発売したもので、少年文庫版の訳者あとがきに、石井桃子さんが書かれていた通り、本当に実現したことが、私にはとても嬉しく、ファンの方なら間違いなくおすすめ出来る絵本(1995年)です。
その愛蔵版の最大の見どころは、何と言っても、シリーズの絵をずっと描かれていた、マーガレット・テンペストの絵で紡がれることにより、新たに生まれ変わったような素敵なお話たちであり、それは、版権の問題とはいえ、少年文庫版のフェイス・ジェイクスの絵が悪かったというのではなく、その写実的で品のある感じに白黒ならではの良さがあったのも確かではあるのだが、本来のテンペストになったことで、その後のストーリーへと、ようやく自然な繋がりを実感出来たことに加えて、テンペスト独特の素朴で柔らかく可愛らしい雰囲気が、アトリーの楽しかった想い出と見事に溶け合う様に、このシリーズの美しさや素晴らしさを実感させられたのが、何よりも嬉しかったのです。
また、絵本の素晴らしさとして、テンペストの絵が、ほぼ毎ページに掲載されていることから、読み聞かせにもおすすめ出来る点と、四話もあるボリューム感に加え、絵本版の編集として、原文を少しカットしている点には、少年文庫版ならではの楽しみもちゃんと残っていることを教えてくれることから、絵本が良かったなと思えれば、少年文庫版で、更に物語の細かい感情の機微を味わおうといった、楽しみ方もあるし、勿論、それを逆に辿る楽しみ方もありです。
というわけで、物語の内容は知っているものの、本書ならではの、新たに抱いた印象や感じたことを書いていきたいと思います。
「第一話 スキレルとヘアとグレイ・ラビット」
記念すべき一作目を久しぶりに読んだら、思いのほか意外だったのが、スキレルとヘアのイメージの悪さであり、後の三人で仲良く協力し合いながら暮らしているのが、当たり前の光景と認識している私からすれば、ここでの二人のグレイ・ラビットに対する扱いは、まるで、シンデレラに対する継母たちのそれのようにも感じられた陰湿さで、それはテンペストの絵の、二人の目つきの悪さにもよく表れていると思う。
しかし、更に意外だったのが、それでも今と全く変わることの無い、グレイ・ラビットの清らかな精神であり、それは、たとえ牛乳が配達されなくてもハリネズミの無事が最も大切だと言う姿や、ヘアとスキレルが攫われた時に、涙を流しながら叫ぶ姿にも感じられたが、最も印象的だったのは、カシコイ・フクロウ(ふくろうはかせ)に尻尾を渡し、それを二人に恥ずかしいと言われた時に見せた涙が、二人の言葉に傷ついたのではなく、カシコイ・フクロウを責めるのでもなく、ただ、尻尾が無いことが悲しかったということであり、あくまでも彼女の中では、『自分のことは自分でけりをつける』といった、優しさの中にも実は自分自身をとても大切にしている、その気高さに最も惹かれるのだということを、改めて実感させてくれて、それは、二人を助けるのに何の迷いも見せなかった毅然とした厳しさと、二人に楽することを勧められた時に言った、『あたし、ベッドでねてなんかいたくないわ。はたらくの、すきだもの』の中にも感じられた、自分らしく生きることの素晴らしさである。
「第二話 どのようにして、グレイ・ラビットは、しっぽをとりもどしたか」
ここから、本来の三人の生活が始まろうとする中でも、やはり忘れてはならないのが、グレイ・ラビットにとっての夜明け前の楽しみ、プリムローズの花摘み(実はヘアの為)の最中に起こった、もぐらのモルディ(モールディ)との初めての出会いであり、その二人が並んで座りながら日の出を眺める、テンペストの絵に漂う優しい色合いに、何とも言えないほのぼのとした温かさがあったのは、そこでのモルディの頼もしい言葉もきっと絵の中に添えられたのであろうと思われた、素敵なひとときであった。
また、ヘアとスキレルも、ここから本来の良さ(?)を発揮しており、風邪を引いたヘアがテーブルクロスにくるまろうとするのを、剥ぎ取ろうとするスキレルとの楽しい絵や、スキレルがグレイ・ラビットの為に、村のよろず屋のベルを盗ってくる、その優しさの中には、それをよそゆきの服に着替えてから実行するといった、彼女自身のプライドの高さも相まった面白さがあり、とても印象深かった。
「第三話 ヘアの大冒険」
ヘアがまさかと思われた方もいるかもしれないが、その理由は、スキレルに「こわくて、いけないにきまってる」と笑われて、「ぼくが いけないってか! いけないか、どうか、見てるがいい!」と、そのプライドを傷つけられたことにあり(こういうところ、二人はよく似てる)、果たして自惚れやの彼に、それが出来るのかと心配になるが、これがまさに大冒険となる展開には、その道中で出会った動物たちとの楽しいやり取りや、急行列車を竜と思い込む彼の妄想に、ドキドキさせられる恐怖の対面といった、波乱万丈の末に、最後は彼らしい語り口で締めてくれる、素敵なお話となった。
「第四話 ハリネズミのファジー坊やのおはなし」
牛乳配達のハリネズミの息子、ファジー坊やを中心としたお話は、ハリネズミが配達先に行く度に贈られる、ファジー坊やへのプレゼント(それが全て同じ種類なのがまた面白い)と、途中の彼のアクシデントにより、皆が一致団結して取り組む姿に感じられた、動物たちの優しさに、それぞれの個性はあっても、いざという時は確かな繋がりを見せる温かさがあり、それはシリーズにも共通した、かけがえのない信頼を築き続ける大切さとも思えたのであった。 -
主人公のグレイ・ラビットは、働き者で勇気も知恵もあり、できすぎたよい子。
それに比べて、同居しているうさぎとりすは性格悪すぎ。
なんで、グレイ・ラビットは一緒に住んで、面倒みているのか、大きな疑問です。
擬人化されたうさぎの絵本といえば、「ピーターラビット」があまりにも有名。ついつい、比べてしまい、「ピータだったら・・・」と考えてしまう。
同時代、同じような絵本が、しかも同じイギリスで、なぜ「偽物」とか「まねっこ」とされずに、受け入れらたのでしょう。 -
グレイ・ラビット、ピーター・ラビット イギリスはラビットが好きなのね
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児童青少年の読書資料 80
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グレイラビットは、働き者だなぁ!そして、勇敢!
挿絵は、かわいいけど結構冒険ものです
イタチの所だけ読んでいただいた
どうやって、しっぽ取り戻すんだろう? -
グレイ・ラビットが月の光の下で踊る場面が素敵。
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グレイラビットのお話は昭和50年代に評論社から河野純三やくで出版のものが最初でしょうか?
本の小ささや、原作のマーガレット・テンペストの絵であることも良いのに、私にはなんとなくなじみのないシリーズでした。ピーターラビットにも引っかからなかった私は、もっと幼い、納得出来る話が好きなのかな?
チム・ラビットがとても好きなので、グレイラビットも読まねば!と思い、図書館で捜して出て来たこの本は、お値段も立派な大型本ですが、石井桃子さんの訳が私はやっぱり好きと思いました。
始めからこの本を手にしていたら?今となってはわかりませんが、小学校高学年で、気に入る子がいそうだと感じました。 -
同タイトルの文庫版をちょっとカットして絵本仕立てにした本。<br>
個人的にマーガレット・テンペストの絵が可愛くて大好きなので。<br>
もうほぼ絶版になってしまってほとんど見かけないですが、グレイ・ラビットのミニ絵本の挿絵もマーガレット・テンペストです。
グレー・ラビットの逆立ちの絵は見た覚えないですね(記憶力に自信ないですけど笑)テンペストがどんな風に描いたのかとっても見たいで...
グレー・ラビットの逆立ちの絵は見た覚えないですね(記憶力に自信ないですけど笑)テンペストがどんな風に描いたのかとっても見たいです!
第一話はグレー・ラビットがなぜあんなわがままなひとたちと暮らしてるのかと疑問に思いながら読んでいたので、逆立ちの描かれてる意味は重要ですね♪
そういえば、最初にあの三人で一緒に暮らそうと思ったエピソード、知りたいですよね。
どのようにして出会ったのか? とか、...
そういえば、最初にあの三人で一緒に暮らそうと思ったエピソード、知りたいですよね。
どのようにして出会ったのか? とか、最初の内は仲良くやっていたのが、彼女の人の良さに甘えすぎて、ああなったのか? とか気になります♪
逆立ちって、冷静に考えると、中々やろうとは思わないと、私は思うのですが(笑)、それをやってしまう彼女の感受性豊かなところと、それとこれとは別といった、割と切り替えの仕方が上手いのかもしれませんね。
三人で暮らすことになったエピソード、いつか思い出話的にお話で出てくるといいですね!
逆立ち、私は運痴なのでできないんですけど...
三人で暮らすことになったエピソード、いつか思い出話的にお話で出てくるといいですね!
逆立ち、私は運痴なのでできないんですけど、うさぎにとっては手を叩くとかスキップするとかみたいに嬉しさを表現する簡単で普通のことなんでしょうか⁇ますます絵を見たくなります(^^)