ティーパーティーの謎 (岩波少年文庫 51)

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  • / ISBN・EAN: 9784001140514

感想・レビュー・書評

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  • カニグスバーグの面白さ、ここに!高校生クイズのような大会に出たジュニアハイスクールチーム、彼らは6年生にして初めて8年生と戦い、勝ち抜いてきた。その謎解きと、4人のメンバーそれぞれの思春期の背景や心理状況を複線に描きながら全体が謎解きとなってストーリーは進んで行く。もしかしたら、訳が違うともうちょっと読みやすいかもと思った。が、話は始めの方から面白い展開になっているので、今の子でも読めると思う。

  • 先輩司書おすすめカニグズバーグ。

    最初は人物関係理解するのにかなり手こずり行ったり来たり。

    真ん中あたりからは、微妙な年頃の子どもたちの気持ちがわかってきました。

    「ほんとうに六年生の子どもたちの変わりようといったらなかった。『それから、どうしたの?』ときかなくなって、『それがどうしたの?』と言うようになっていた。」

    これは、うまく表現されていると思います。

    でも、Indianはインド人でなく、インディアンでいいのでは、とか、そこそこ翻訳の限界も感じながら読みました。

    日本語訳と原書を比較しながら読むのもおすすめです。




  • カニグズバーグの物語は、どれを読んでも好きなのだが、どうして好きなのかを語るのが難しかったりする。
    「等身大の子どもの気持ちが書かれているから」かもしれないし、「現代の子どもの事情・悩みがリアルだから」かもしれない。「生き方の前向きさ」かもしれない。
    ただ、思春期などに読むのと、大人になってから読むのとでは、明らかに読み方が違ってくる。痛快だな、と思うところがある反面、展開がうまくいきすぎるところが気になったりする。この物語は特に、その感が強かった。
    それから、ジョークなどの部分で日本人には理解しにくいところがいくつかあり、そこを補完して訳さずに、子どもたちが理解できるのだろうかと、不安に思った。

  • きのう読み始めてきのう読了。カニグズバーグは三冊目…と思ったけれど、たぶん四冊目。
    どうもわたしはカニグズバーグと相性が悪いらしい。はじめのうちはいままでに読んだのより好きかもと思っていたのだけど、後半になるに従って、やっぱりだめになっていった。子どもたちの話として読めていたのが、だんだんオリンスキー先生の話になっていってしまったからかな。四人の話がオリンスキ―先生の話へ向かって収束していってしまうことで、「子どもの物語」が「大人の物語」に吸収される感じがして、そのいかにもなすっきりまとまった感に教育色を感じてしまう。「クローディアの秘密」でも思ったけれど、子ども視点だけで描き切った方が、書き手の甘えが出なくてよかったのじゃないかしら。疑いなき正義がある感じがするのも、ちょっと気になる。
    タイトルは、個人的には原題の方が好き。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「疑いなき正義がある感じ」
      子ども向けと、大人向けと言う風に分けるのは愚かだし、タテマエかもしれないけど、若い人には「正義」は疑い無いもの...
      「疑いなき正義がある感じ」
      子ども向けと、大人向けと言う風に分けるのは愚かだし、タテマエかもしれないけど、若い人には「正義」は疑い無いものであって欲しいかも(大人になって裏切られる方が酷かも知れませんが?)
      2014/06/20
  • 95点。訳がもっとよければ100点なのに!
    「博学競技会」(これも訳が悪いよね「雑学クイズ大会」とか「クイズ大会」にできなかったのか)で6年生(日本の小学6年生)である四人のチームが8年生(中学2年生)チームを負かすという手に汗握る展開がおもしろくないわけがない。
    だって、いわゆる日本で言う「高校生クイズ」が中学生まで参加OKで、中学生チームが優勝するというストーリーなのだから。
    その「クイズ大会」を主軸にチーム四人のバックグラウンドと彼らが親友になるまでが描かれる。
    四人がそれぞれ個性的・魅力的で(アメリカならでは人種が異なる)、コーチは車椅子の女性なのだけれど、そのコーチもとっても素敵。amazonのレビューでは人物表をつければという意見があったけれど、わたしもその意見に大賛成。
    岩波でなく偕成社あたりで人物表付きの別訳を出してくれればいいのだけど、カニグズバーグの版権はほとんど岩波がもっているから実現は不可能なんだろうね。
    せめてブックトーク等で紹介する際には、人物表を自作しておすすめしたい。

  • 小川哲の『君のクイズ』を読んで、読みたくなって再読。
    それぞれにゆかりのある問題が出たにしても、応用編で難しい問題ばかりでは!?読者としては「答えはあれね!」とわかりたい気もする。「酸素」くらいしかわからなかった……。
    思っていたより博学大会の部分は少なかったが、ジュリアンが毅然とした態度で「他の資料をあたっていただきたい」と言うところが、とてもかっこよかった。「アニー」のリハーサルのトラブルでは、それまで達観しているように見えたジュリアンの葛藤と落としどころにぐっときて、オリンスキー先生がハムを叱った時に、4人が同時にパッと手足を出してリアクションするところ(いいね!というところか)が、どきっとするほどよかった。
    ところで、オリンスキー先生がなぜこの4人を選んだか?の疑問の前に、ジュリアンはなぜあの3人に招待状を出したんだろう?

  • ニューヨークの中学校に通う4人の6年生がチームとなり博学大会に出場する。学校予選を勝ち抜き、州の決勝戦に出場することになる。彼らが、どのようにして不思議な縁で結びついてチームになったのか。原題はThe view from Saturday。偶然でできた物語で興醒めすることも多いが、この話は偶然ばかりでできている。ここまで多いと、読む方も、どこで結びつくのだろうと期待してしまう。そしてティーパーティへの招待状のなんと魅力的なこと。おすすめです。

  • 四人の子供たちがお互いに信頼しあう友達になり、先生からクイズ大会に参加するチームとして認められる。それぞれの子供と先生の視点で、出来事やそこでの感情が細かく描かれていて、全体に流れるユーモアもあって面白かった。

  • カニングズバーグの『ティーパーティーの謎』。前から気になっていたこともありますが、これを選んだのはたまたま図書館に並んでいたから。

    『クローディアの秘密』もめちゃくちゃおもしろかったけど、え、なにこれ、すごいおもしろいんですけど。
    クイズ大会(正確には「博学大会」)にひとつひとつ解答していくたびに回想シーンが挟み込まれ、正解とその子の経験がリンクしているという『スラムドッグ$ミリオネア』的な構成(原作の『ぼくと1ルピーの神様』が『ティーパーティーの謎』の構成を踏襲したんじゃないかと思います)。
    この構成と時系列に最初はちょっと混乱しますが、慣れてくると大会を勝ち上がっていく勢いにのって後半は一気読み。

    1996年の作品なので岩波少年文庫のなかでは現代的。児童文学の主人公って元気で陽キャラで友達多かったりしがちですが、無口なイーサン、イギリス英語でていねいにしゃべるジュリアン、出てくる子どもたちが知性派で内気なのも良き。差別によるいじめや両親の離婚など、それぞれ悩みを抱えているんだけど、それを乗り越えていった先にクイズの答えがあるという。ナディアとカメの話はこれだけでひとつの物語ができそう。

    と、私は大絶賛だったんですが、ネットの感想をチェックしたら訳文に対して苦言を呈している人の多いこと。たしかに「あわれ」とか言葉の選び方がちょっとと思うところはあったし、意味がわかりにくい部分はあったんですが、ストーリーのおもしろさにそこまで気にしませんでした。私の日本語感性なんてそんなもの。

    で、調べたら2000年に小島希里訳版が出版されたあと、2005年に金原瑞人/小島希里共訳による改版が出ているんですね。5年で改版ってすごいなと思ったら、読者が岩波に希望を伝えても改正されなかったので、直接カニングズバーグに手紙を出し、それを読んだカニングズバーグ本人が岩波に対応を求めたという経緯らしいです。すごいな。
    詳しくは「カニングズバーグをめぐる冒険」に掲載されています。

    私が読んだのは小島希里版だったので、改版をあらためて借りてみました。図書館ってこういうとき便利。といっても共訳なので、あきらかに誤訳とか言葉が変とかでなければ、元の訳を基本的に残すという形みたいでした。
    「カニングズバーグをめぐる冒険」で指摘されているところはほぼ指摘されているとおりに修正されているような。

    わかりやすいところでは「実はね」というくりかえしが、ノアの口癖だとわかるように「事実─」となっていたり、「青緑色」がターコイズであることがわかるように「トルコ石のような青緑」となっていたり。

    先生は、ニコっとなんかするつもりはなかったし、ハム・ナップもこんなふうに「ごめんなさい。」と言うつもりはなかったのに。
    (旧版)

    先生は心からニコっとしたわけではなかったし、ハムも心から「すみません。」と言ったわけではなかった。
    (改版)

    個人的にあれ?と思ったのはいじめっ子ハムに対するジョークのところ。

    「豚小屋と六年生の違いは何?」
    ジュリアンは、「わかりません。違いはなんなのですか?」ときいた。
    「豚小屋では、ハムはただのケツの肉。」
    (旧版)

    「ハミルトンが肉屋に入るとなんになる?」
    ジュリアンは、「わかりません。何になるのですか?」ときいた。
    「ハムになる。」
    (改版)

    旧版の「豚小屋」とか「ケツの肉」もなんですが、改版になるとジョークとしても成り立たないので。

    原文とあわせて読むとまた印象が違うと思いますが、だったら『ハリー・ポッター』のほうが改訳してほしいんだよな〜。

    訳とは関係ないですが、ネットの感想に、「学校の宿題で明後日まで提出しなければいけないんですが「感謝祭はいつか」と「オリンスキー先生が、博学大会のメンバーを決めるまでにどのぐらいの時間を要したか」教えてくれませんか」というコメントがあって笑いました。二つめの問題はたしかにちょっとわかりにくいのですが、そもそも自分の知恵で問題を解決していく子どもたちの物語なのに、お前なにも読んでいないだろう。

    旧版のほうになぜか『不思議の国のアリス』の栞がはさまっていました。これ意図的だったらなかなか素敵。


    以下、引用。
    (最初が旧版、後ろが改版)

    8
    もちろん、たいていのことはそんなものだ。わかるまで、わかるその瞬間までわかってない。

    もちろん、たいていのことはそんなものだ。わかるまで、わかるその瞬間までわからない。

    9
    先生が連れてきた四人の六年生は、思春期ということばを書いて定義づけすることはできても、自分で経験するのはこれからのことだった。

    先生が連れてきた四人の六年生にとっては、「思春期」は綴りも知っているし、意味を説明することもできるけれど、まだ経験してはいないことだった。

    12
    あんたたちの世代の人間はあらさがしはできるけど、礼状の書き方も知らないんだから。西洋文明がすたりかけてるのはそのせいなのよ。

    西洋文明も、もうおしまいね、あんたたちの世代ときたら、あらさがしはできるけど、礼状の書き方も知らないんだから。

    14
    「ボールペンは、西洋文明衰退の最大かつ唯一の要因だわ。ボールペンを使って書いた字は、安っぽくてお手軽、まるきり個性がない。」

    「ボールペンは、西洋文明衰退の唯一最大の要因よ。ボールペンで書いた字は、安っぽくてお手軽、まるっきり個性がないんだもの。」

    31
    実は、介添人なんてたいしたことじゃないんだよ、これが。

    事実──介添人はむずかしい仕事ではない。

    42
    うんざりだ。みんな、カタワということばにわたしが傷つくだろうって、思いこんでるんだから。ことばそのものが傷つけるのではなくて、ことばの使い方が傷つけるのに。

    うんざり。オリンスキー先生は思った。みんな、カタワという言葉にわたしが傷つくだろうって、思いこんでいるんだから。人を傷つけるのは言葉じゃなくて、その使い方なのに。


    カタワの人たちも多様な文化を構成する人々なんだし、冗談を言う人だっているんだ、とは。

    カタワの人たちも多様な文化を構成しているんだし、冗談だって言うんだ、ってことは。

    51
    多くの場合、友情が生まれ維持されるのは純粋に地理的要因によるものであると、わたしは結論を出した。

    多くの場合、友情が生まれ維持されるのは純粋に地理的な理由であると、わたしは結論を出した。

    63
    「ジンジャーのことは、のってないはず。雑種だから。わたしといっしょ。」
    「何と何が混ざってるの。」
    「ユダヤ教半分にプロテスタント半分。」
    「そりゃいいな。トウモロコシもそうなんだ。雑種の生長力っていうのは、すごいからね。」

    「ジンジャーのことは、のってないはず。雑種だから。わたしといっしょ。」
    「何と何が混ざってるの。」
    「ユダヤ教半分に、プロテスタント半分。」
    「いいな。トウモロコシみたいだ。雑種強勢っていうんだよ。」

    102
    封筒の名前がきれいな字で正確に書けていなければ、バレンタインデーのプレゼント交換だって許可しなかった。

    封筒の名前がきれいな字で正確に書けていなければ、バレンタインデーのプレゼント交換も許可しなかった。

    110
    高い木も低い木も、みんな園芸デザイナーに並べてもらったような場所に住みたいんなら、テーマパークに住めばいいのよ。

    「あの人たち」にとっては、地球は尊ばなくてはならないもの、守らなければならないものなのに、泥はちっとも尊ばれていない。百姓は、泥が好きだ。新興住宅地の人たちは、泥をとりのぞこうとする。

    「あの人たち」は、地球は尊ばなくてはならないもの、守らなければならないものと思っているのに、土をちっとも尊んでいない。農家の人は、土が好きだ。新興住宅街の人たちは、なくそうとする。

    118
    「オリンスキーといいます。ショッピングセンターの駐車場のなかの便利な場所を、どこでも使ってよいことになっている人間のうちの1人です。」

    先生は、ニコっとなんかするつもりはなかったし、ハム・ナップもこんなふうに「ごめんなさい。」と言うつもりはなかったのに。

    先生は心からニコっとしたわけではなかったし、ハムも心から「すみません。」と言ったわけではなかった。

    147
    「アップルパイみたいにアメリカ生まれ。」とぼく。
    「そこまではいきませんね。ピザパイあたりじゃないでしょうか。もともとアメリカで生まれたわけじゃないけれど、今は、アメリカに住んでいるんだから。」

    「アップルパイみたいにアメリカ生まれ。」とぼく。
    ジュリアンはにこっとした。「そこまではいきませんね。ピザパイあたりでしょうか。アメリカで生まれたわけではないけれど、今は、アメリカに住んでいるんですから。」

    149
    「豚小屋と六年生の違いは何?」
    ジュリアンは、「わかりません。違いはなんなのですか?」ときいた。
    「豚小屋では、ハムはただのケツの肉。」

    「ハミルトンが肉屋に入るとなんになる?」
    ジュリアンは、「わかりません。何になるのですか?」ときいた。
    「ハムになる。」

    204
    「成績優秀の人たちは、六年生になってしまうと間違いを犯そうとしないものですが、でも勝ち残っていくには、間違いを犯す勇気が必要なこともあるんです。」
    「そのうえ、ですね、物笑いの種になるようなことをする勇気だって必要なんですからね。」

    「成績の優秀な子たちは、六年生になるころにはまちがいをおかさなくなるものですが、勝ち残っていくには、まちがいをおかす勇気が必要なこともあるのです。」
    「そのうえ、物笑いの種になるようなことをする勇気も必要なのです。」

    213
    たぶん、西洋文明がすたれたのは、ゆっくり時間をかけてお茶を飲むことをしなくなったから。たぶんそう。

    たぶん、西洋文明がすたれてきたのは、ゆっくり時間をかけて四時のお茶を飲むことをしなくなったから。たぶんそう。

    255
    「途中港に立ちよっても、それはあくまでも旅のつづきであって目的地ではないということも、知りました。旅は、準備のときにもう始まってるんです。」

    「途中で港に立ちよっても、それはあくまでも旅のつづきであって目的地ではないということも、知りました。旅は、出発したとき、すでに始まっているのです。」

    273
    モーツァルトの交響曲四十番ト短調の第一楽章を聴いたあとで、いつの日かこの曲をモデルにして本を書いてみよう、と思ったのですから。この楽章と同じように、短い導入部分や主題のくり返しがある本を書いてみたいわ、それぞれ別のメロディーなのにからみあっていて、それがくり返しながらつながっていくのよ、と。その結果生まれたのが、『ティーパーティーの謎』です。

    274
    E.L.カニングズバーグの創作作品十四作はどれも、自分が何者であるかを探し、見出し、そして最後にはそれを楽しく味わう子どもの姿を描いています。

  • うわぁーーーん。。。
    これとってもいい話。
    4人の友情と彼らを選べた先生。
    周りを囲む魅力的なおとなたち。ときにプライドをかなぐり捨ててくれるおとな。

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