- Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
- / ISBN・EAN: 9784001140606
感想・レビュー・書評
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物語は、大金持ちの娘「点子ちゃん」と、病気の母を支えながら学校に通う、今で言うヤングケアラーの「アントン」の素敵な友情に加えて、点子ちゃんの家族のあり方を、ユーモラスながら、とても真摯に描いているのが印象的で、これだけでも充分楽しめるところに、本書では、作者「エーリヒ・ケストナー」自身が、各章毎に書いた『立ち止まって考えたこと』が合わさることで、実はフィクションとして存在していた物語が、現実の世界を救うノンフィクションのような存在へと立ち替わる、この作り方には、最初、作者が物語に介入してくるような面白さを演出しているのかと思っていた自分が、思わず恥ずかしくなるくらい、直向きで切実な思いが宿っていたのだった。
池田香代子さんの訳者あとがきによると、この作品が書かれた、1931年、ドイツは大恐慌に見舞われ、物価は上がり、貧しい人々は追い詰められる一方で、革命騒ぎや暴動があり、更には、ナチスが不気味に勢いをのばしていた、そんな時代において、実に多くの人が、こんな社会はなんとかしなければ、公正さを実現しなければと考えていたそうです。
そして、ケストナーはどう考えたのかというと、公正さを実現する為には、まず、
『子どもたちを説得すること』
がいちばんだということで、本書は、その為に書かれたのだということを知ったとき、私の中では、時に厳しく説教臭い雰囲気があった、『立ち止まって考えたこと』は、彼の未来へと向けた、公正な世界を実現するための真剣さの表れだったのではないかと思った。
例えば、点子ちゃんの空想好きに対しては、ときに命に関わるから、素晴らしい性質ではあるけれど、しっかりコントロールしないといけないと述べていたり、点子ちゃんを脅迫していた男に対して、アントンが毅然とした態度で注意を促し、殴りつけた勇気に対しては、それは勇気ではなく蛮勇だと、すっぱり切り捨て、勇気はげんこつだけでは証明されない、頭がなくてはいけないと諭し、それに対して、気球で未到達の成層圏を目指した、スイスの教授の例を出したのは、天候不良で中止にしただけで、彼を嘲笑するネタになったとばかりに新聞は嘲笑ったけれど、教授は、たとえ嘲笑われてもバカなことをするよりはマシだと考えるほどの思慮深さがあり、それは、無鉄砲でも、頭に血が上っていたわけでもなく、ただあったのは、何かを研究したいという気持ちだけで、別に有名になりたいわけでもなかった、そんな点に、ケストナーは勇気を見出していたのである。
また、特に私には身につまされた思いだったのが、「友情について」、私だったら、おそらく、私があなたの為にやったんだよと言いたくなるところを、
『自分がそうしたことが、そのまま自分へのごほうびであり、ひとを幸せにすることが、どんなに幸せかを知る人になってほしい』ことと、
「尊敬について」、子どもは何が正しいか、学ばなければいけなくて、その為には物差しが必要であるはずなのに、その物差しを、友情や好意をよせるあまりに、誤った『ばかやさしい』判定をしてしまうと(叱るべき所を、何故か許してしまう)、子どもは、叱られると思ったのに叱られない、そんなことが何度も続くと、子どもたちはだんだんと、その人への尊敬を失っていくといった言葉に、何でもかんでも優しくしたって、その子の為にはならないんだなということを思い知り、それは私が、その子のことを真剣に考えていないということにもなる。
そして、その中には、「誇りについて」のような、『男の子が料理をすることを、みんなは当たり前と思うだろうか』といった、今で言う、価値観の多様性を問い掛ける内容にも、当時、それが著しく欠けていたというより、そうした見方がまだ少なかった時代では、逆に奇特な存在に思われていたであろう、ケストナーの、ものの見方に対して、彼の、「まえがきは、なるべく手短かに」で書かれた、
『じっさいに起こったかどうかなんて、どうでもいいんです。たいせつなのは、そのお話がほんとうだ、ということです』
に、一瞬「えっ?」と思われた方もいるかもしれませんが、これにはまだ続きがあります。
『じっさいに、お話のとおりのことが起こるかもしれないなら、そのお話はほんとうなのです』
これにどれだけの気持ちや願いが込められているか、分かりますか?
おそらく、ケストナーが『立ち止まって考えたこと』で書いてきたことは、時には、当時の価値観とは異なる、時代を先駆けたものも含まれていたのかもしれないし、いちいち、そんな堅苦しいこと書くなよと思われる内容もあったのかもしれませんが、それは、『生きていくのは、きびしく、むつかしい』という本書の言葉のように、ここでケストナーがいくら書いたところで、本当にその通りの未来が待っていたり、世界になるとは限らない、単なる可能性の話なのかしれない。
しかし、それでも彼は、最後の『立ち止まって考えたこと』でお詫びしているんですよ。
『ぼくたちは、充分にはうまいこといかなかった』って。
それでも、その後に、
『みんなは、ぼくたちおとなのほとんどよりも、きちんとした人になってほしい。正直な人になってほしい。わけへだてのない人になってほしい。かしこい人になってほしい』
と、書いてある、そのケストナーの本気の思いに、私はとても心を打たれて、世の中には平気で、子どものことを軽く見た大人が多いのに、彼は、子どもたちに自分達の至らなさをお詫びした上で、正々堂々と等身大の目線で、子どもたちにお願いしていて、正直な気持ち、こんな人、世の中にいるんだって思った。詩人であり作家である以前に、世界を変えたいと思う、その気持ちの本気さの度合いが、あまりに他者の比では無いことに、目頭には思わず熱いものを感じ、これは、児童書という名を借りた、老若男女が読むべきである、世界に再び天国を取り戻す為の学びの書であることを、ケストナーのその後の文章からも感じさせられた、永遠の名作だと思う。
『この地上は、かつては天国だったこともあるそうだ。なんでも、できないことはないんだ』 -
何十年ぶりかの再読。子供の頃は点子ちゃん(この翻訳名考えた人すごい!)にハラハラさせられてあまり楽しめなかったが、今読むと真面目なアントンやバラバラなポッゲ家にとっては太陽のよう。ケストナーの章の終わりの文章も感慨深い。
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たださん
「点子ちゃん」もそうですが、子どもの本の翻訳は声出して読んだ時の音も重要なんですね。
クリスマス絵本特集、No.10まできましたね...たださん
「点子ちゃん」もそうですが、子どもの本の翻訳は声出して読んだ時の音も重要なんですね。
クリスマス絵本特集、No.10まできましたね!まだまだ続くのでしょうか⁇楽しみ♪2023/12/17 -
111108さん
はい。あと、もうちょいですね。
数までちゃんと気にして下さり、ありがとうございます(^^)
なんとか20日までには、自分...111108さん
はい。あと、もうちょいですね。
数までちゃんと気にして下さり、ありがとうございます(^^)
なんとか20日までには、自分の中で想定している地点に、上手く着地出来るように、頑張ります♪2023/12/17 -
2023/12/17
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いつでも点子ちゃんの
あとをついてまわる、
ちょこまかとカワイイ
ダックス犬のピーフケ。
ぴょこぴょこ跳ね回る
姿が目に浮かびます。
さて、ナチス政権下の
ドイツに生きた作者の
ケストナーさん。
ケストナーさんは言い
ます。
いつでも公平に物事が
運ぶわけではないよと。
隣の人の答案を写した
生徒ではなく、
写させてあげた生徒が
罰せられるようなこと
があっても、
あまり意外に思っては
ならないよと。
でも、だからといって
それでよいというわけ
ではなく、
公平な世になるように
心がけてほしいと、
新しい世を築いていく
子どもたちにやさしく
呼びかけています。 -
「飛ぶ教室」「ふたりのロッテ」と読んできて、これでケストナーは三作目。
読むたびにこれこそ名作!と称えてきたが、今回もまた同じ気持ちだ。
場面ごとに16章に分かれ、各章の終わりに小文字で著者からのメッセージがある。
考察すべき点が示唆に富む文章で語られ、でも決して説教くさくない。
子ども相手でも、ひたすら誠実であろうとする著者の姿勢が見えてとにかく気持ちが良い。
もし読者が子どもだったらこの部分は蛇足に感じたかもしれない。
しかし大人の読者なら深く頷いてしまうところだろう。
ところが本編はいたって明るくユーモラス。
クスクス笑いながら読み進むうちに、こうあるべきという着地点にたどり着く。
それだけでなく、胸がふるえるほど美しい風景描写もある。
まさに、さすがのケストナーだ。
表紙絵の女の子が点子ちゃん。
大変なお金持ちのお嬢さんで、陽気で機転が利いて個性的な女の子だ。
手を繋いで歩くのは点子ちゃんの友だちのアントン。
母子家庭で、料理から生活費を担うことまで一手に引き受けている。
このふたりの共通点は、共に悲しみを抱えていること。
裕福でも両親の愛に恵まれない点子ちゃん。
かたや、愛はあっても経済的に貧窮してるアントン。
このふたりのみでなく、点子ちゃんの両親と養育係のアンダハト、そしてアントンの母親など、登場するすべての大人が、それぞれ固有の問題や悩みを抱えている。
子どもには正しいことを教えてあげるのが大人で、大人側の事情や問題は子どもには理解できないものと思いがちだが、ケストナーにはそんな一般論は登場しない。
大人の言うことを鵜呑みにしてはいけない。大人だって間違っていることがある。
良い子でいるよりも、子どもが精一杯大人と渡り合うのは意味があることだ。
点子ちゃんやアントンのように生きていいんだよ・・そんな熱いエールが、お話のあちこちに散りばめられている。
とりわけ胸がすく思いになるのは、点子ちゃんがアントンの教師に職員室でかけあう場面。
かげながら友情を尽くす点子ちゃんの行動には、驚きと言うより尊敬の念さえ抱いてしまう。
点子ちゃんの活躍ですべての物事があるべき方向へ向かうのだが、それがまた何とも胸を打つ結果。「あとがき」まで含めて、ナチス政権下で繰り出されたこの作品に込めたケストナーの意思を読み返してはしっかり受け止めたい。
得たものはまだ語りつくせないほどあるが、父親にこってり絞られた後の点子ちゃんの言葉をひとつ載せておく。 「社長さん、今夜はとてもおもしろかったわね」
・・・このタフさとユーモアセンス。見習いたい。
いいなぁ、児童書って。-
地球っこさん、こんばんは(^^♪
コメントありがとうございます!とても嬉しいです。
このお話を「忘れていた宝物を取り戻しにきたような」と...地球っこさん、こんばんは(^^♪
コメントありがとうございます!とても嬉しいです。
このお話を「忘れていた宝物を取り戻しにきたような」と表現される地球っこさん。
まさにその通りのワクワク感で読み通しました。
最初に読んだものは高橋健二さんの訳で、日本語の表現にやや古さを感じました。
でも確かに古典なのですから、それで構わないのですよね。
ただ、他の訳者さんはどう表現しているか気になって読み比べてみました。
最後の「社長さん・・」のくだりは、高橋さんの訳では「支配人さん、今夜はおもしろうござんしたね」
となっています。 時代を感じますよね。
ところでワタクシ、本はほとんど図書館なのです。
児童書のコーナーではずらりと岩波少年文庫が並んでまして、その中から選びます。
当然古さもあり、あちこち補修のあとが目立ちます。
でもそれがまた味を出しておりまして・笑
色々な子たちが読んだのだろうな。今度は私に読ませてね、と声かけをして開きます。
地球っこさんもぜひ機会をとらえてお読みくださいませ。
そしてお気に入りの一冊に出会いましたら、私にも教えてくださいね!2018/10/16 -
nejidonさん、こんばんは♪
お返事ありがとうございます(*^^*)
nejidonさんの本に対する愛がとっても
伝わってきて感動...nejidonさん、こんばんは♪
お返事ありがとうございます(*^^*)
nejidonさんの本に対する愛がとっても
伝わってきて感動しました♪
図書館の本って、たくさんの子どもたち
が繋ぐリレーのバトンみたいですね。
今度はわたしもそのリレーに参加させて
もらっちゃおう 笑
わたしは長い間、児童書からご無沙汰
してましたが、この間ブク友さんの本棚
に高楼方子さんのお名前をみつけて、昔
とても大好きだった『11月の扉』という
物語を思い出しました。
nejidonさんは、もう知っておられるかも
しれませんが、これからの季節にぴったり
なお話です。
また高楼さんやそして富安陽子さんの本
も読んでみたいと思ってます。2018/10/16 -
地球っこさん、こんにちは(^^♪
再訪してくださり、ありがとうございます!
はい、ぜひともリレーのお仲間にお入りくださいませ・笑
児...地球っこさん、こんにちは(^^♪
再訪してくださり、ありがとうございます!
はい、ぜひともリレーのお仲間にお入りくださいませ・笑
児童書のコーナーには、先人たちが子どもたちに届けようとした思いがあふれています。
眺めているだけで、慎ましい気持ちになります。
読むことしか出来ない私ですが、どこまでその思いを受け取れているかは自信がありません。。
はい、高楼方子さんは大好きな作家さんです!
函館を舞台にした「時計坂の家」が特に好きで、この本棚にも入っているはずです。
あとは「ねこが見た話」かな。「11月の扉」は惜しいかな入っていません。
再読してから登録しますね。
秋になると、読みたくなるお話ですよね。
あと、女の子の多いお話会ではよく「まあちゃんのながいかみ」を読んでいます。
富安陽子さんも好きな作家さんですとも!
本棚には「盆まねき」が入っています。
「まゆとおに」「まゆとりゅう」などを、よく子どもたちに読みます。
富安さんの本にも読みたいものがたくさんあります。
外国の骨太な作品と比べて日本のものは繊細さと優しさがあり、そこが魅力ですよね。
こちらで児童書のお話を地球っこさんとできるなんて、とても嬉しいです(^^♪2018/10/17
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お金持ちの娘・点子ちゃんと、貧しいけれどしっかり者の少年・アントンの友情物語。
貧しいアントンは病気のお母さんを助けて、家の手伝いや食べていくための仕事をしています。一方、独創的なユーモアの持ち主の点子ちゃんは、両親にないしょでなにやら夜中にしているようで…。養育係のアンダハトさんや、ふとっちょのメイド・ベルタさんを交え、やがてある事件が起こります。続きはぜひ、ご覧あれ。
〈思ったこと〉
☆大人の理解力は、子どものそれに劣るか?
☆「おうちに着くまでが遠足です。」?
実を言うと、読んでいる最中は、物語にさほどのめりこめなかった。点子ちゃんのキャラがいまいち掴めず、途中のユーモアのセンスもいまいち読み取れなかったからだ。点子ちゃんとアントンの距離感もよくわからず、点子ちゃんと父親のポッゲさんとの言葉の応酬にも、???となってしまう場面が度々あった。訳文の影響なのか、あるいは自分の理解力のなさなのか。
そんな中で私を導いたのは、ケストナーが各章の後ろに付けた「立ち止まって考えたこと」の存在だった。たとえ物語に起こる出来事の面白みが理解できなくとも、ケストナーが言わんとすることを読むことは単純に面白い。私はだんだんと、この「立ち止まって考えたこと」を読むことが楽しみになっていった。
ケストナー自身もまえがきで言っている通り、物語部分を純粋に楽しんで早く次に進みたいのならば、この部分は飛ばして読んでもいい。本当の本当を言えば、そんなふうにして読むのが一番楽しくて嬉しい読み方なのだろうと思うと、妙に理屈っぽく考えてしまうことに、私が大人だから?感受性の問題?と、少し悲しくも感じた。
さて、ケストナーの「立ち止まって考えたこと」だが、1章から順番に、「義務について」「誇りについて」「空想について」「勇気について」「知りたがりについて」「貧乏について」「生きることのきびしさについて」「友情について」「自制する心について」「家庭のしあわせについて」「うそについて」「ろくでなしについて」「偶然について」「尊敬について」「感謝の気持ちについて」「ハッピーエンドについて」が書かれている。
最初、物語の理解への補完として読んでいたそれは、段々と、ケストナーという人物を読み解く手がかりへとなっていく。彼がどんな物語を紡いでいくのかということとは別に、彼がどんな言葉を紡いでいるのかということに興味が出てきた。それは、私が段々とケストナーと言う人を大好きになっていったからに他ならない。そしてそれは、おそらく彼の紡ぐ文章が、全面的に安心できるものだったからに他ならないだろう。この大人は信用できる。そう思うからこそ、彼の言葉を聞きたくなるのだ。
もちろん、中には趣旨がいまいち掴めないものや、必ずしも自分と意見が一致するわけではないものもあるが(勇気と蛮勇についての話は、どっちがどっちなのかいまいちわからなかった)。
物語の中で好きなところは、点子ちゃんたちの行動に疑問を持ったポッゲさんが、点子ちゃんたちの後をつけるところだ。点子ちゃんのお父さんであるポッゲさんは、大企業の社長ではあるが、家庭では割とおおらかで、妻に弱い人物として描かれている。仕事で忙しくはしているが、点子ちゃんのことは愛しているということが、じんわりと伝わってくる。だからこのシーンが好き。
ケストナーもポッゲ氏のような人物だっただろうか。なんとなく面影があるのではないかと想像した。
他に心に留まったのは、病後の母のために健気に働くアントンの存在である。それ故、誕生日を忘れられたというだけでキレまくるアントンの母親には疑問しか浮かばなかったが、それについてはあとがきで池田香代子さんが言及してくれていて、少し疑問が解けた。ケストナーは文中で、点子ちゃんの母親やポッゲ氏やアンダハトさんについては批判を加えているが、アントンの母親については直接批判をしていない。それは、ケストナー自身の母親への思いが根本にあるのではないか、という話だ。とても納得だった。そんなことも踏まえて、
遠足の日の校長先生のセリフの定番:「おうちに着くまでが遠足です。」
いきなり何を言い出したかと思われるだろうが、私は声を大にして言いたい。
「池田香代子さんのあとがきまでが、ケストナーの作品です。」と。
これは『ふたりのロッテ』の時に大いに思ったことであるが、ケストナーの作品の魅力を倍増させる池田香代子さんの素敵なあとがきと解説の魅力が、この作品でも遺憾なく発揮されている。
点子ちゃんがどういうところに住んでいたのかということ。
作品が発表された1931年のドイツがどういう状況だったかということ。
これからドイツがどういう歴史を辿っていったかということ。
思い巡らすと、ケストナーの言葉が持つ重みはますます増していく。
そうか、これはドイツの物語だったなと思うと同時に、私はその切実さに思わず涙ぐんだ。
ケストナーはあとがきで言う。
「それよりも、みんなが大きくなったとき、世界がましになっているように、がんばってほしい。ぼくたちは、充分にはうまいこといかなかった。みんなは、ぼくたちおとなのほとんどよりも、きちんとした人になってほしい。正直な人になってほしい。わけへだてのない人になってほしい。かしこい人になってほしい。
この地上は、かつては天国だったこともあるそうだ。なんでも、できないことはないんだ。
この地上は、もう一度、天国になれるはずだ。できないことなんて、ないんだ。」
さて、あの悲惨な時代を経て、地上は、かつてよりも少しでも天国に近づいただろうか?
首肯するには余りある現場である。
今でも、いや、今だからこそ、ケストナーを子どもたちに手渡したいと思った。
点子ちゃんとアントンを取り巻く人々と、出来事。
そこから導かれるのは…。
読み終えてしばらく経った今、私はこの作品を好きになっていることに気づいた。 -
児童文学の翻訳の勉強をしたいと思い、久しぶりに手に取った。高橋健二訳のケストナーで若い頃読んだ身としては、池田香代子訳はより子どもの視点に立った、時代に沿った読みやすい訳だったと思う。ただ、ところどころに20年経った今はもう使わないと思われる言葉もあった。
それはさておき、貧富の差を越えた子どもらしい友情、親思いのアントナーという子どもを描きながらも、ケアをされる親の身勝手さまで描くケストナーには、時代を超えて脱帽させられる。何よりも時に入る温かい注釈にほっとする。
子どもの本作りには大人の温かい気持ち、真剣な思いがいかに必要か、改めて学ぶことができた一冊だった。
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児童向けだけれど、大人が読んでも十分楽しめる。
童心に戻れるって、なんて幸せなんだろう。
おちゃめな点子ちゃんと、心優しいアントンの友情物語。
点子ちゃんのお家にいるお手伝いさんたちが、とてもいい味出してます。
各章の終りに小さな字で書いてある「立ち止まって考えたこと」は、読んでみて身につまされる思いがします。
粋で機知に富んだケストナーの発想は素晴らしいです。
物語に登場する主役の男の子は、ケストナーの分身なのかもしれませんね。 -
子どもの頃読んで、点子ちゃんの名前の由来が印象に残っただけで内容は覚えていなかった。恐慌が起き、ナチスが台頭しつつあったベルリンが背景になっていたことを知って再読。
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いきいきとして楽しそうなこどもらしい姿が描かれる点子ちゃんとアントンだけど、二人をとりまく大人たちはややこしくて、二人もけっこう過酷な幼少期を送っている。
章末にいちいち作者本人の言葉が直接出てくるのはなんだかなぁ。あと、アントンのお母さんいくら色々つらいからって、誕生日のあの態度はあかんやろ、しかもそこは作者つっこまないの?ともやついていたけど、訳者あとがきでちょっとすっきり。
こどもってたくましいし、勝手に育つ。でも導いたり支えたりする大人が必要だよねってケストナー作品は読むと思う。
子どもが読むとどう思うのかな、説教くさいのかな?
エーリッヒ・ケストナーの作品





