ミオよわたしのミオ (岩波少年文庫 80)

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  • Amazon.co.jp ・本 (275ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784001140804

感想・レビュー・書評

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  • 僕を呼ぶお父さんの声さえ信じていれば何も怖くない。

    孤児だったボッセは引き取られた家でも愛されず、辛い思いをしていた。ある夜、別の世界に引き込まれたボッセは、その「はるかな国」の王子ミオであった。そこには優しいお父さん、親友ユムユム、美しい白い馬ミラミスがいた。美しいバラ園や遠乗り、何より愛する父王との日々を楽しんでいたボッセだが、自分が残酷な騎士カトーと戦う運命であることを知る。

    「ミオよ、わたしのミオ」と呼びかける父の声がピンチに陥り弱気になったミオを奮い立たせる。親友ユムユムとの絆も美しいが、何より素晴らしいのはボッセが父王の愛情を疑わないこと。父は自分が嫌いだからこんな戦いに向かわせるのかと疑う瞬間は一度もない。反対に、父も離れるのは悲しかっただろうけれど、信じて送り出してくれたと考えられるボッセ。恐ろしい試練に対して、自分がやり遂げることを父王が信じているから、悲しくても辛くても立ち向かう。かけられた愛情は勇気や自信になる。それをこの物語は力強く語りかけてくる。

  • 2冊あります。

  • 素晴らしかった。
    リンドグレーンの文も、大塚勇三さんの日本語も、ぐいぐいと読ませてくれる。
    主人公は、現実世界には二度と戻れない寂しさを持っているまま、はるかな国で幸せに暮らしていくのがら、なんとも言えない。

    登場する名前が、ミオ、ユムユム、ミラミス、など響きが愛らしい。

  • 切なくて悲しくて... 救われてほしい

  • リンドグレーンの美しいファンタジー。
    幸せな国の隣にある死の国。それを支配する恐ろしい圧制者。昔から語り伝えられてきた救いの騎士と魔法の剣……と、よくあるアイテムが集まってはいるのだけど、それでもこんなにハラハラと引き込まれるのは、ミオが、家でも学校でもいじめられていたふつうの子で、はるかな国にやってきて王子になっても(そういう意味で、貴種流離譚でもある)、小さくてこわがりで、ぶるぶる震えている弱さをずっとかかえているからなんだと思う。
    それにしても風景の描写や、馬のミラミスがミオに鼻先を寄せてずっと頭をもたせかけている様のいとおしいこと。美しい場面がそこここにちりばめられた物語でした。

  • 美しい叙事詩。言葉が重なり、リズムが作られ、まるでお話がそこに織られていくよう。オペラ。波が打ち寄せ引くように繰り返され、語られていく。
    そして最後は、また元の現実の世界を回想して、円が閉じられる。
    現実の世界との繋がりを幾分かは保ったまま話が進んでいくことを、どう捉えたらいいのだろう。
    彼の夢想、現実逃避の世界と捉えることも、また、死と結びつけることも出来るのだろうが、まだこれという解釈に落ち着かない。

  • 最後の方で、なげき鳥が飛んでいました。
    もう、子供達は元に戻ったのにです。
    私はなげき鳥は、騎士カトーのためにいたんだと思いました。騎士カトーは、自分を一番にくんでいるようだとありました。そんな騎士カトーを、可哀想に思った鳥が、騎士カトーのために歌を歌っていたんではないでしょうか?

  • 出来過ぎたうつくしい物語に感じたもやもやが、読み進めるうちにかなしみのもやもやに変化した。

  • 子供時代にこの本と「はるかな国の兄弟」を読んだ順番は、今回とは逆でこちらの作品が先で「はるかな国~」が後でした。  こちらの「ミオよ わたしのミオ」はあからさまに死については語っておらず子供心に安心して読むことができたように記憶しているのですが、今回の読書では「はるかな国」という言葉そのものに「あの世」のイメージが強烈に染みついているということも手伝って、どうしてもそういうニュアンスから離れることができないまま読み進みました。

    そのせいもあったのか、子供時代には「美しさ」として捉えていた一つ一つの描写が切なさや儚さを伴い、読んでいて胸が痛みました。  子供時代にもこの物語を辛い日々を送っていたみなしごボッセの現実逃避の物語として読んでいたようなところがあったのですが、今回はボッセがどれだけ愛情に飢えていたのか、現実世界の唯一の友達ベンカをどれだけ羨ましく思っていたのか、それらの孤独に苛まれた心が夢見ざるをえなかったのが残酷な騎士カトーとの戦いに赴く冒険の物語だったのだということが子供時代よりもはるかに切実に胸に迫ってきました。

    どこかもや~っとした淡い光を思わせるものに包まれている美しい「はるかな国」の描写にはこれがある種の夢であることが暗示されています。  そして、あまりに優しい父王の姿やこの世界で得ることができた親友ユムユムや父王からプレゼントされた美しい白馬ミラミスにボッセが現実世界のウップランド通りに残してきてボッセが好きだった人々(馬も含む)の面影があります。

    なぜ王様は大好きだったベンカのお父さんによく似ているけどもっと美しく、もっと優しいのか?  なぜ美しい白馬ミラミスは大好きだったビール工場の老馬と同じ目つきをしているのか?  なぜユムユムはベンカに似ているのか?  なぜ「はるかな国」にある家はどの家もおとぎ話に出てくるような家なのか?  壮絶なカトーとの対決に打ち勝ち、カトーに囚われて鳥に姿を変えられていた子供達が皆無事に戻ったのに、なぜ囚われた子供達のために啼いていたなげき鳥が啼きやまないのか?  それらの全てがボッセの孤独の深さを物語り、同時にボッセの絶望が生み出した幻影であることを感じさせます。



    そして本書の題名にもなっている「ミオよ わたしのミオ」という父王の言葉。  ここにボッセが心の底から求めているものの本質が全て含まれていることに否応なく気がつかされるのです。  何らかの苦難に陥り絶望しそうになるたびにミオには父王の「ミオよ わたしのミオ」と呼びかける声が聞こえます。  これは少年の心が生み出し、その寂しい心の空洞の中でこだまのように響く切ない呼び声です。  原語では "Mio, Min Mio"。  全ての音に "M" が含まれリズム感もあるこの言葉に込められているのは自分を無条件で信頼し、必要としてくれている親の心であることがひしひしと伝わってきます。  子供にとって常に親が味方でいてくれて自分の身を案じてくれていると信じられる安心感に勝るものはないのだと思わずにはいられません。

    懐かしいおとぎ話のようなストーリー展開(特にユムユムが冒険の途中で窮地に陥るたびに似たようなフレーズを繰り返し、その結果何らかの次の展開が自動的に繰り広げられるなど)と、まるで詩のように美しい情景描写が相俟ってさらっと読み流しても「いい物語を読んだなぁ」という感慨を得られる作品になっているように思うのですが、大人が読むともっとずっしりと心に響いてくる作品であるように感じました。  ひょっとするとこの物語、子供のみならず子供と一緒に子を持つ親に読んでもらいたいと念じながら書かれた物語なのかもしれません。

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著者プロフィール

1907年‐2002年。スウェーデンに生まれる。1944年『ブリット‐マリはただいま幸せ』(徳間書店)で、出版社主催の少女小説コンテストの二等賞を得て、デビュー。以後、児童書の編集者として働きながら数多くの作品を発表しつづけた。1958年には国際アンデルセン賞を受賞。「長くつ下のピッピ」「やかまし村の子どもたち」「名探偵カッレくん」のシリーズや、『ミオよ わたしのミオ』(岩波書店)など、世界中で今も愛されている数々の物語を生み出し、「子どもの本の女王」と呼ばれた。

「2018年 『長くつ下のピッピの本 決定版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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