- Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
- / ISBN・EAN: 9784001141085
感想・レビュー・書評
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『かるいお姫さま』に続いてジョージ・マクドナルド作品。1872年の出版なので約150年前の作品です。
ファンタジーの古典らしからぬ表紙は竹宮恵子によるもの。妹は「『お姫さまとゴブリンの物語』なのに表紙にゴブリンいない」と言ってましたが、表紙の2人はアイリーン姫と鉱夫の少年カーディ。この2人が8歳と12歳なのに、賢くて勇気があってとやや出来過ぎの少年少女。対するゴブリンは「ぞっとするほどいやらしい」とか「こっけい」「みっともない」と表現されてます。地上から追い出され洞窟に住んでいるゴブリンたちは、地上の人間を憎んでおり、ゴブリンと人間たちの戦いがストーリーの中心です。
桃太郎の鬼は異人のメタファーではないかという説がありますが、このゴブリンにもそれと似たような人種差別的なものを感じてしまって私はあまり素直に読めませんでした。
(何らかの悪を象徴するものが必要だったんだろうとは思いますし、150年前という時代も考慮すべきではありますが。)
お姫さまの大きいおばあさまがお姫さまよりずっと年をとっているはずなのに若く美しい外見であるとか、ほかの人には見えないらしいとか、彼女の台詞がいろいろ哲学的だったりとかして、決して簡単に読める物語ではなかったりもします。
お姫さまの母親である女王さまは亡くなっているらしいけれど、おばあさまの正体についても詳しくは語られず。
お姫さまはお姫さまらしい行動をするからこそ本当のお姫さまなのだとか、正しい行いをするカーディは鉱夫であると同時に王子さまでもあるとか、ここらへんもなかなか。
作者のジョージ・マクドナルドは、ルイス・キャロルの友人であり、『ナルニア国ものがたり』のC.S.ルイスや『指輪物語』のトールキンにも影響を与えたと解説に書かれています。ゴブリンはもともとヨーロッパの伝承のようですが、この物語がなかったら『指輪物語』にドアーフは登場していなかったのかもしれません。
以下、引用。
さて、ここでいよいよ、お姫さまがほんとのお姫さまだということが、みなさんにもはっきりとおわかりになるはずです。なぜなら、お姫さまは、よばれても動こうとせずにドアのとってにしがみついて、目をまるくしてただ見ているだけではなかったからです。私の知っている女の子たちのうちには、そんなことをする子が何人かいますが、その子たちだって、そうでなければ、つまらない小さな女の子でいるかわりに、ちゃんとお姫さまになれるはずなんですけどね。
実際、何もかもがそっくり昨日のままで、こんなことなら、今日なんかあってもなくてもたいしたちがいはなさそうです。
本当に、どこを見ても雨のおかげできれいになったものばかりで、そうでないのは、山を流れ下っているいくつもの小川くらいのものでした。
冬が近づくにつれて、お姫さまは、何もかもがどんどんさびしい感じになってくるのに、気がつかないわけにはいきませんでした。
ほかに何ひとつない部屋ではちらかる心配はありませんから、わざわざ片づけたりしなくてもいいのです。
もっとも、カーディにしてもお母さんにしても、おたがいがどんなに一生懸命自分のために働いてくれているかに、気がついていたわけではありません。そんなことがわかったりしたら、何もかもがだいなしになってしまいます。
動物というものは、たとえ魚であっても、はるか遠い未来に人間へと進化する芽のようなものを、どこかに隠し持っているもので、それがわからない人は、動物を理解したとはいえません。
恐怖は決まって、私たちが恐がっている相手のほうの味方をするのです。
年を取るってことは、そういうこととはなんの関係もないのよ。ちゃんと年を取れば、強くなって、きれいになって、陽気になって、勇敢になって、目がよくきくようになるし、手足も丈夫になって、傷んだりはしないものなの。
あの嬢ちゃんはいい子にちがいないと母さんは思っているけど、それはお姫さまだっていう以上のことだよ。
たしかに、一たす一はしばしば三になるもんだよ。
カーディは鉱夫であると同時に、王子さまでもあると言っても、そう見当はずれではないわけです。こうした例は、世界の歴史をふりかえってみれば、ほかにもたくさん見つかります。
カーディはぱっとはね起き、服を着はじめた、と自分では思ったのですが、気がついてみると、おどろいたことにまだふとんの中にいました。
「山の上のこんなおうちにずっと住んでられたら、とってもすてきにちがいないわ!」
「それは心の中にどんなおうちを持ってるかによりますよ」と、お母さんが言いました。
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