- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784001141146
感想・レビュー・書評
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ブックサンタ2023寄付本
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ラララ ラララ ズインゲン ズインゲン
グレイーヌ ヴリンダース
ラララ ズインゲン ヴリンダース
『あらしの前』のクリスマスシーンがすばらしかったので、次の岩波少年文庫はクリスマスシーズンにふさわしい物語にしようと思ったら、これになりました。我ながらひねたセレクトです。
ちなみに私は主題歌をずっと「ラララ ジングルベル〜」だと思っていましたが、今回、調べてみたら全然違う歌詞でした。「Zingen Zingen Kleine Vlinders」は「歌え 小さな 蝶々」という意味だそうです。
作詞は童話作家の岸田衿子(『ジオジオのかんむり』!)、作曲は『巨人の星』、『キャンディキャンディ』など数々のアニメソングを手がけている渡辺岳夫。
さらに併読した『誰がネロとパトラッシュを殺すのか』によると、この部分を歌っているのはアントワープで急きょ結成された子ども合唱団。ドキュメンタリー映画制作陣がラジオで呼びかけて探し出すまで、彼らは自分たちの歌声が日本でヒットしたことを知らなかったそうです。
日本では1975年放映のアニメの印象が強すぎて(そしてそれが傑作だったために)原作をちゃんと読んだことがないという人も多いのでは。
私もアニメはリアルタイムで見てるはずなんですが、さすがにあまり覚えていない。アニメのイメージをベースにした子ども向け絵本がうちにあり、その印象が強いです。
その絵本の中でネロが風車の絵を描いていると、大人がほめてくれる場面があるんですが、子ども心にそうかこういう絵を描けば大人はほめてくれるのかと思い、実物を見たこともない風車の絵を描いていた時期がありました。我ながらひねた子どもです。
あらためて読んでみると、これが本当にひどい話(笑)。原作は岩波少年文庫で100ページという短さ。よくこんな暗い話を一年間のアニメにしようとしたもんだ。
著者のウィーダはイギリスの作家で、3週間ほど旅行したときのイメージをもとにフランダースを描いています。30匹の犬を飼うほど犬好きだった彼女にとって、犬を使役するフランダース人は野蛮で粗野な田舎者なので、その描写には手加減がない。
ネロは根拠なく有名な画家になって貧乏から抜け出すことを夢みてますが、たった一度のコンクールに選ばれなかっただけで挫折します。
原作ではネロは15歳、アロワは12歳。アロワはスペインの血をひく黒い眼をしていると書かれています。アロワの父がふたりの仲を裂こうとするのは、たんにネロが貧乏だからというだけじゃないのです。
放火の疑いをかけられて村で孤立していくネロ。それでも、大金の入った財布を届けたのだから、クリスマスに帰る家もなく、食べるものもない窮状を訴えて助けを求めてもよかったのでは。なぜ彼らは死ななければいけなかったのか。そこには作者の社会批判とともに、ご都合主義的なセンチメンタリズムを感じます。
(そこをキリスト教的受難とか日本的自己犠牲とかまで高めてしまった日本のアニメの最終回の功罪があります。)
そういったいくつかの作品上の欠点からご当地ベルギーでは『フランダースの犬』はまったく読まれておらず、ルーベンスの絵を見ながら涙する日本人観光客によりやっとその存在を知り(オランダ語訳の出版は1985年)、ネロとパトラッシュの像が建てられ、アントワープ大聖堂の前に記念碑が置かれている、というところまでは聞いたことがあります。(『トリビアの泉』でもネタになってましたね。)
そのほかの話は『誰がネロとパトラッシュを殺すのか』に続きます。
以下、引用。
パトラッシュは、何世紀にもわたってフランダースで代々ひどい目にあってきた一族の出身でした。人間にこきつかわれる奴隷、貧しい人たちの犬、かじ棒と引き具につながれた動物でした。荷車があたってできるすり傷に、筋肉を痛めつけられながら生き、心臓をこわしてかたい道で死んでいく生き物でした。
フランダースはすばらしい土地とはいえず、なかでもアントワープのまわりは、おもしろみのないところでした。特徴のない平野に、麦や菜種の畑、牧場が単調にくりかえされるばかりです。
ルーベンスの墓であるこの町は、ルーベンスを通じて、ただその人のおかげで、わたしたちにとって生きつづけているのでした。
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タイトルは知っている、結末も知っている。でも読んだことはない。そんな作品の代表ではないでしょうか。どうしてもミルク色の夜明け〜となってしまうのですが、原作のネロは少し年齢が上でした。そのため芸術に純粋にまっしぐらで、その身を捧げた若者という印象が残りました。それはいっしょに収録されている「ニュンベルクのストーブ」にも言えることで、芸術作品ともいえるストーブに恋い焦がれた若者の一途な想いが描かれています。しかし前者では全てがうまくいかず「もう、おそすぎるよ。」の言葉が示す通りの結果となり、後者はその想いが成就する。同じ作者から産み出された作品で正反対の結果となる物語が併録されている面白さがありました。
しかしこの短い物語を一年がかりのアニメ作品に昇華したのはすごいですね。もちろん原作の簡潔さもよかったのですが。 -
よく知れた物語だが、あらためて読み返してみた。子どもの時は、ネロやパトラッシュ(パトラシエ)の真実な生き方に感動し、世の残酷さや不公平さに心を痛めた。ネロが流す最期の涙は悲しみの涙であり、自分も憂えの涙であった。しかし、少なからず世の中の辛苦を経験した今、この物語は違った迫り方をしてくる。
「ああ、神様、これで十分です!」と流す涙は、悲しみの涙ではなく、願いの成就とともに自らの人生を受け入れ、死をも受け入れた喜びの涙なのかもしれないと。わたしの最期の時も、「これで十分です」といえる人生でありたい。 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/722647 -
2さつあります。
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・この本をどんどん読んでいくと少しずつ中身がわかってきて、悲しくなったり、感動する所がたくさんあっていい本でした。
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ルーベンスの宗教画に心酔する純真なこころを持つ主人公ネロと犬のパトラッシュとおじいさんの人間の生きる道をおしえてくれるお話。
涙なしでは読み切れない。
ウィーダの作品






とchatGPTが申していました(^_^;)
だから、ネロはキリスト教世界では決して敗者ではなく、むしろ勝者(という言い方が正しいかどうかはわかり...
だから、ネロはキリスト教世界では決して敗者ではなく、むしろ勝者(という言い方が正しいかどうかはわかりませんが)なんだということですね。
私は、この当時では女性には与えられない位置だと思うのです。