やかまし村はいつもにぎやか (岩波少年文庫)

制作 : イロン・ヴィークランド  Astrid Lindgren  大塚 勇三 
  • 岩波書店
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レビュー : 18
  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784001141306

感想・レビュー・書評

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  • 時々、語り手が言葉をはさむけど、その部分も徹底的に子どもの目線なのがやかまし村の魅力と思う。(そうでない作品で良いのもあるけど)これは大塚勇三さんの訳のおかげか原文がそうなのかどっちだろう?
     
     ラッセがヒツジを可愛がって学校に連れて行き一騒動あった後に、「じつに、はっきりわかるな。あれはまだ、ガッコウテキレイキじゃないんだよ」という章が好き。ラッセも先生から学校適齢期ではないと言われたけど、それは学校に適応できないことを非難・否定するニュアンスじゃなかった。そのおおらかさがあるから、ラッセも無邪気に大人ぶって、ガッコウテキレイキじゃない、と言える。かわいい。今って現実でも文学でも学校に適応できないことってよく書かれるけど、なかなかこういうおおらかさはないような。

     最後の章で子供たちが森に行く。リーサの体験がいい。ずっと心に残りそうな幼少期の一瞬。←引用欄参照。



    ※梨木香歩 「私の好きな岩波少年文庫」

  • キャンプいいなー

  • 再読。
    スウェーデンの五月祭とザリガニパーティが味わえる旅行に行ってみたいな。

  • 娘と二人、大笑いしながら、やかまし村について色々と話せることが、毎日の楽しみだった数週間。とうとう、最終巻です。「どうしてもうないの?」と娘が、寂しそうに言いました。次は、エーミールとピッピかな・・・と思ったけれど、1年生でないと楽しめない本を読んでから進もうかと思います。

  • やかまし村は、たった3軒の家で構成されている村で、そこで暮らす3人の男の子 & 3人の女の子(その後+1人の赤ちゃん)の日常が描かれています。  その6人の子供達の中の8歳の少女の一人称で語られる「遊びの毎日」は実に生き生きとしていて、少なくとも KiKi ぐらいの年齢の読者には遠く離れた国のお話でありながらも違和感を感じさせない物語なんじゃないかしら?  同じ作者の「ピッピ」のように奇想天外な登場人物が出てくるわけでもなし、「カッレ」のように大きな事件が起こるわけでもない。  でも読んでいて「あった、あった!  こういうこと。  KiKi の子供の時はね・・・・・。」と似たような体験を思い出させる何とも懐かしく、微笑ましい物語の宝庫でした。

    登下校の際に石の上を歩くことを仲間内の決まりとして、万が一何かの拍子で地面に足をつけちゃうようなことがあったら「死んだことにする」な~んていう遊びは KiKi にも覚えがあります。  もっとも KiKi たちの時代は、その遊びには子供なりにちゃんとした(?)本当の理由がありました。  当時は舗装道路と言えば自動車道路限定でした。  そして急増していた「交通事故」から学童自動を守るために通学路は畑の中とか民家の軒先が指定されていて、そこは未舗装だったんですよね。  だから一度雨でも降ろうものならそこかしこに水たまりができちゃって、そこを歩くと靴はドロドロになるし、下手をすると靴下まで泥水が浸み込んで気持ち悪いことこのうえない。  だからどうにかして靴をドロドロにしないために石の上を飛んで歩くというのは必要に迫られていたことでもあったんです。

    でも、それをそのまま口にしちゃったら余りにもつまらないし、まして程よい距離感で都合の良い石があるわけでもなし。  だからそこに遊びの要素を持ち込んで、「石から落ちたら死んじゃうということにしよう!」となったんですよね。  この物語を今回再読するまで、そんなことはすっかり忘れていたんだけど、読み進むにつれて飛び石下校にまつわるアレコレを鮮明に思い出しました。  本来「靴を汚さないため」の飛び石下校だったはずなのに、子供の跳躍力ではとうてい辿りつけない石しか見つけられなかった時に「えいや!」とばかりに飛んでみたら、結局大きな水たまりのど真ん中に落っこちて、挙句そこで足を滑らせて靴はおろか、スカートからブラウスまでドロドロになっちゃって、帰宅するや否や母に叱られたことまで思い出しちゃった・・・・・ ^^;

    さて、このシリーズで描かれる一つ一つの出来事は実際に似たような経験があって懐かしかったり、同じような経験はないものの、そこに流れる子どもらしい「遊びの精神」に共感してノスタルジーに浸ったりすること多し・・・なんですけど、その感覚は必ずしもこの物語に限ったものでもありませんでした。  例えば「小さな牛追い」みたいな物語でもそれに近い感覚は持つことができました。  でも、この物語を読んでいて初めて振り返ることができて、読了後も強く印象に残ったお話がありました。  それは、「乳歯が抜ける」という誰もが体験してきた事件(?)とそれに対しての子供たちの反応の物語でした。

    KiKi 自身は乳歯が抜けきって永久歯にはえ変わって早○十年。  そんな事が自分の人生の中で起こったことさえ忘れていたけれど、今回この物語を読んでいてあの歯のあたりがむずかゆい感じやグラグラし始めた時の頼りなさ。  硬いものを噛んだときにたまたまそれがグラグラしている歯の部分にあたり、「グキッ!」となったような気がしたうえに涙が出そうなほど痛かったこと。  その歯のグラグラが気になって気になって、しょっちゅう口の中に指を入れて弄っていたことなんかをありありと思い出しました。

    最近の子供は抜けちゃった乳歯をどうしているのか知らないけれど、KiKi の子供時代は上の歯が抜けたら縁の下へ、下の歯が抜けたら屋根の上に向かって投げ

    「早く立派な歯がはえますように」

    と唱えるのが決まり事のようになっていました。(← これは地域的な風習だったのかしら?  そのあたりはよく知りません。)  我が家ではこれを子供1人でするのではなく、両親と一緒にするのが「家庭内ルール」だったため、父が帰宅している時で、母の手が空いている時間で、さらに明るい時間帯(つまり夜はありえない)にしなくちゃいけなかったので、歯が抜けてからこの行事が執り行われるまでにはそれなりの時間が空いてねぇ・・・・。  その間はその大切な「抜けた歯」をこの物語の子供達同様、小さな箱(それがどんな箱だったかは覚えていないけど)に入れて、暇さえあれば眺めていました。

    決して眺めていて気持ちの良いものではなかったはずなんだけど、それでも何だか宝物のような気がしていたんですよね~。  あの抜けた歯というヤツは子供時代から大人へ向かうイニシエーションの賜物であり、人生の中で大人への階段の第一歩を示す象徴でもありました。  そんな大切な一大イベントだったはずなのに、人は生きていく中でそんなことがあったことさえ忘れ去っちゃうものなんだと思うと、何気にショックを受けたような気分になりました。

    さて、この物語の中で1つだけ KiKi なんかの子供時代とは大きく違うところがありました。  それはやかまし村の子どもたちが学齢に達しているにも関わらず、学校の同学年のお友達とはほとんど交流していないように感じられることです。  一巻目の「やかまし村の子どもたち」だけならいざ知らず、2巻目に進んでも3巻目に進んでも、ず~っと向こう3軒両隣という狭い社会の中だけで遊んでいるんですよね~。  

    もっとも彼らが通う学校は本当に小さな学校で、クラスだって学年別ではなくて日本でいうところの1年生から6年生までが1つの教室に集っちゃうという状態だから、実は同学年の子供が1人もいない・・・・ということがあったのかもしれません。  さらに言えば、やかまし村から学校まではかなり遠いので KiKi の子供時代のように「一旦うちに帰って、ランドセルを置いたら公園に集合!」とはいかなかっただろうこともわかります。  しかもこの通学路を集団登下校よろしく、常に6人で行き来しているので、「放課後に運動場でかけっこしてから帰ろう!」というのも難しかったのはわかります。  恐らくイマドキの(これは KiKi の子供時代も含め)子供と比較して、家庭内での労働もあったことでしょう。

    でもね、KiKi なんかの感覚では学齢に達するとそれまでは年下の子とも楽しそうに遊んでいた子供であってさえも、知力も体力も自分には及ばない年下の子と遊ぶより同年代の子供と遊ぶことを優先するようになっていくのが普通だと思うんですけど、この「やかまし村の子どもたち」は相変わらず6人の小さなコミュニティの中だけで遊び続けているんですよね~。  だからと言って社会性が育っていないのか?と言えば、そうでもないのがこれまた不思議でねぇ・・・・・(苦笑)  



    さて、最後にこの本(「やかまし村の子どもたち」)の宮崎駿さんの推薦文をご紹介しておきましょう。



    この世界に楽園があるとするならば、やかまし村がそれです。  読んだ子供達は、みんなこの本が好きになり、自分たちもやかまし村に生まれたら良かったのにと思います。  こんな風な楽しさは子供の時にしかありません。
    それなのに、このような村でくらすチャンスはめったにないのです。  それで、「ああ~おもしろかった」と読み終えてから、ちょっぴり残念が気持ちがするのです。

  • 世代を越えて読み継がれるべき児童文学のスタンダード。
    こんな風に生活の根っこがとてもしっかりしている世界観を今の子どもたちにも味あわせてあげたい。
    出会うべき時に出会えたらとても幸せな1冊。

    映画化もされていて、原作にかなり忠実だった記憶があります。
    リサとアンナが買い物に行くシーンの後、我が家ではしばらく「ソーセージの歌」が流行りました。(小説では別の巻かも)

  • スウェーデンの小さな村・やかまし村に住むたった3家族の6人の子どものはなし。

    これ、シリーズのなかで一番好きだった!
    さくらんぼを売る話とザリガニ捕りの話が特に。
    そして大人になってもその2作が一番面白い。
    人の趣向は意外と変わらないものなのかも。

  • 再読。夏至祭にザリガニ

  • 「こども」たちは
    いつの時代でも
    どんな国でも
    どんな処でも
    ちゃんと
    「こども」である
    ことを
    約束されて
    「こども」であることを
    保障されているのだ

  • にぎやか、という事で、やかまし村でやっている
    色々な行事? について??
    他の2つとどう違うのかと言われると…少々大人の出番が多い?
    概ね、みんなで遊んでいるので、変わりないと思われますw

    しかし語り手の少女、結婚してこのままの世界でいる事を望んでいますが
    ここに住むために、と勝手に結婚まで決められるのも
    それはそれで男の子達不幸な気もします。
    他から連れてきて、もう少し村を大きくするとか…そういう発想がないのが
    子供らしい、というのでしょうか?

    もしかしたら生まれたての妹が、ひょっこり別の所から
    結婚相手を連れてくる、かも知れない、と考えるのも
    ちょっと楽しかったです。

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著者プロフィール

1907~2002年。スウェーデンの国民的児童文学作家。「長くつ下のピッピ」「やかまし村のこどもたち」「ちいさいロッタちゃん」など数々の名作を生み、「子どもの本の女王」と呼ばれた。国際アンデルセン賞受賞。

「2015年 『こんにちは、いたずらっ子エーミル』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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