飛ぶ教室 (岩波少年文庫 141)

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  • / ISBN・EAN: 9784001141412

感想・レビュー・書評

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  •  クリスマスの物語ということで、この時期まで取って置いた、タイトルだけは若い頃から知る本書を読み、改めてケストナーはいつだって子どもたちの味方だということを、強く実感することができ、それは彼に対する紛れもない信頼度の高さを裏付けるには、充分過ぎる程のものを私に残してくれた。

     その根拠の一つに、普段は飄々とした感のある「まえがき」から、既に熱いケストナー節を感じられたことがあり、それは大人も子どもの頃を経て大人になっているはずなのに、時に子どもだからといった見做し方をしてしまう、そんな大人に対する嘆きは言い換えれば、大人と子どもの間に境界線など存在しない平等性なのだと思い、それは本編の登場人物にケストナーが語らせた、『子どものころのことを忘れないでほしい』というメッセージにもよく表れていて、ケストナーの児童書が子どもだけではなく大人が読んでもハッとさせられるのは、そうした忘れかけたものを思い出させてくれるからだと、私は思う。

     また、それを裏付けるものとして、『子どもの涙はおとなの涙よりちいさいなんてことはない』や、『生きることのきびしさは、お金をかせぐようになると始まるのではない』があり、子どもだって何も考えず、ただ日々を楽しく生きているわけではないし、寧ろ、大人以上に繊細で脆い部分も併せ持った複雑な一面もあることを、ケストナーは本書の主要キャラクターである五人の少年たちに投影させているのである。

     例えば、将来はプロボクサー志望の、喧嘩なら誰にも負けない自信のあるマティアスでも、涙を堪えきれないときがあるということ。

     例えば、普段は真っ直ぐな性格のウーリが、時に理解を超えるような行動に出ることだってあるということ。

     例えば、頭の切れる皮肉屋で、どこか他人を見下したような態度を見せるゼバスティアーンにだって、内心は異なる気持ちを持つことだってあるということ。

     例えば、母親に出て行かれた父親に厄介払いされたジョニーにだって、知識欲や将来の夢があるということ。

     例えば、成績が最も良く正義漢も強くて頼りになる、非の打ち所の無さそうなマルティンであっても、決してそうではないということ。

     といったように、子どもというのは、時にどうしようもなくなる瞬間が訪れるときもあって、そんな時に寄り添える人が、もしいてくれればという願いを物語の中で具現化しているのは、単なるケストナーの優しさだけではなく、それがそのまま彼自身が過去に体験した学校での辛い思い出とも重なっているからであり、そうした納得できない過去に対して何とかしたいと人一倍思う、彼の願いがそれだけに留まらないのは、本書を執筆した時代とも大きく関係しているからだと思う。

     その1933年という年が、訳者の池田香代子さんのあとがきによると、ドイツがナチス政権の手に落ちた年であることを知ることで、ケストナーがまえがきに書いた、『勇気ある人びとがかしこく、かしこい人びとが勇気をもつようになってはじめて、人類も進歩したなと実感されるのだろう』という言葉が腑に落ちるようでありながら、おそらくそう思った根拠は、『平和を乱すことがなされたら、それをした者だけではなく、止めなかった者にも責任はある』に表れているようで、そこにはまさに当時の現場で体験した、ケストナー自身の率直でやるせない悲しみや怒りが色濃く滲み出ていながらも、実際に彼の本が燃やされた出来事を物語に反映させていることには、彼のユーモラスで強かな反骨精神が表れているようで、私は心から尊敬の念を覚える。

     そして、その最たるものとして、おそらく他の作品のレビューでも書いたのかもしれないが、そうしたナチス政権化の時代に執筆したとは到底思えない、子どもたちにささやかな幸せを運んでくれるような牧歌的で明るい雰囲気が、彼の作品中には始終漂っていることがあり、この人は作家という仕事に、どこまでも忠実で正直で、そして堂々と絶望的な時代に立ち向かっていたのだということが、ありありと目に浮かぶようで、それは本編でも、自然と私の頬を涙が伝い落ちていく場面を何度も見せてくれたように、子どもたちの心からの叫びを伴った痛みに比べれば、彼のそれなんてと思わせる程の、彼自身の人の良さが何よりも物語っていながら、そうした純粋な気持ちというのは、たとえどれだけ時を隔てようが確実に物語から伝わってくるからこそ、こうして私も何とかして、彼の作品の素晴らしさを伝えたくなるのである。

    • たださん
      111108さん♪

      111108さんも帰省されているのですね♪
      途中で買った本も気になりますが、ゆったりできるといいですね。

      私も一人暮...
      111108さん♪

      111108さんも帰省されているのですね♪
      途中で買った本も気になりますが、ゆったりできるといいですね。

      私も一人暮らしとはまた違った気分で、程良く気が抜けてダラダラしながら、初詣に行ったり(地元の混んでないところ)、本を読んだりしております(^^)
      2025/01/02
    • 111108さん
      たださん♪
      帰省から戻ってきました。あまりにも本が重くて宅配便で家に送るハメになりました(^_^;)
      たださん♪
      帰省から戻ってきました。あまりにも本が重くて宅配便で家に送るハメになりました(^_^;)
      2025/01/02
    • たださん
      111108さん♪

      お疲れさまでした(^^)
      私は5日まで休みを頂いたので、もう少し実家におります。

      本って集まると、かなり重くなります...
      111108さん♪

      お疲れさまでした(^^)
      私は5日まで休みを頂いたので、もう少し実家におります。

      本って集まると、かなり重くなりますよね。
      私も過去にやったことあるので、お気持ち分かります(^^;)
      2025/01/02
  • 『終戦日記』からの流れ。ナチスが政権取った年に書かれた。以前なら単なる男の子の友情物語としか読み取れなかっただろう。「平和を乱すことがなされたら、それをした者だけでなく、止めなかった者にも責任はある」ユーモアと祈りが込められた話。

  • 何を今更の、児童文学の名作。
    私が小学生の頃からすでに図書館に何冊も置いてあり、夏休みのたびに、周りの大人たちに何度すすめられたことか。
    それほどまでに名作ならば、いつ読んでも良いのではと思ったのが正しかったのかどうか。
    読みながら何度も考えることになった。
    答えは・・・今読むのが正解だった。でも子供の頃にも読みたかった!
    たぶん本の世界に首っ引きで、読んだ後は周りの何もかもが違って見えるほどだったろう。

    物語は、20世紀初頭のドイツのキルヒベルクあるギムナジウム(全寮制中高等学校)が舞台で、主として5人の少年の学校生活を描いている。そこに、ふたりの大人が加わる。
    ひとりは「正義先生」と呼ばれギムナジウムの教師で、もうひとりはたまたま近所に住んでいた「禁煙先生」と呼ばれるひと。こちらはピアノ弾きを生業としている。

    タイトルの意味するところは、少年たちのひとりである「ヨーニー」が、クリスマスに上演する劇として書いた戯曲のこと。物語の中では、長期休暇前の最後の晩に披露している。

    端的に言えば少年たちの成長物語なのだが、爽やかな事柄ばかりではない。
    暴力まがいの事件もあったり、辛く悲しい現実を見せつけられる場面も多い。
    そういった状況でこそ輝く知恵や友情・勇気の大切さを力強く語っている。
    図書館の本でなかったら、傍線をどれだけ引いたことやら。。

    そしてこのお話の特色のひとつは、作者自身が「ふたつの前書き」と「後書き」とで、物語に参加していること。ナチスの支配下にあった1933年当時、作者がどれほどの願いを込めてこの作品を書いたかが、後書きまで読むとよく分かる。
    お話を読み終えてからもう一度「前書き」と「後書き」とを読んで咀嚼するというお楽しみ付き。

    未読の方には、ぜひともお読みいただきたいのだけれど、後半で泣いてしまうから気を付けてね。
    貧困のためクリスマスに帰宅さえできず、ひとり涙にかきくれるマルチン少年に、正義先生がお金を差し出す場面がある。その前後が、もう涙もので。
    子どもの頃だったら、ひとり寂しく居残りとなったマルチンに心を寄せて泣いたかもしれない。正義先生はなんて親切なんだろうと、その程度だったろう。
    ところが大人になった今は、正義先生の行いの心意気に(特にお金を渡すときのその言葉に)もう涙・涙。
    かつて目指したはずの、博学で機知に富み、寛大で思いやりにあふれた大人の姿がある。
    何よりもこのお話に登場する大人は、子どもの頃を忘れてなどいない。
    何に泣いたか。どんな時に辛かったか。何が嬉しかったか。大人にどうして欲しかったか。
    「子どもの涙はおとなの涙より小さいなんてことはない」という言葉の意味が分かるのは、このような大人だからだ。

    たとえ運が悪くても、元気を出せ。打たれ強くあれ。賢さと勇気とを身につけろ。
    作者のあたたかいメッセージが、クリスマスの鐘のようにいつまでも胸で鳴り響く。
    何度も何度も読み返したい名作。
    ああ、この一冊を読む夏休みがあって、本当に良かった。

  • 愛しい友へ | 一般財団法人 高田郁文化財団(2023/09/08)
    https://dokusho-culture.or.jp/book/25/

    『飛ぶ教室』のまえがき | 私の人生を決めた本 | 文藝春秋(2023/04/09)
    https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h5959

    飛ぶ教室 - 岩波書店
    https://www.iwanami.co.jp/book/b269616.html

    --------------------
    若松宣子(偕成社文庫2005年)、丘沢静也(光文社古典新訳文庫2006年)、那須田淳+木本栄(角川つばさ文庫2012年)を読み比べようと思って寝かしてある。

  • 中学生の頃、実家に置いてあった。あの頃にこの本を手に取ったが、魅力をあまり感じること無く、20~30ページ読んで、退屈になり諦めた記憶がある。単なるやんちゃな男の子達の学校生活を描いたものとしか受け止めていなかった。

    今回はしっかり読んで、ようやくこの本の魅力を堪能することができた。
    確かに冒頭は場面が変わり、状況がつかめず、どこから教室が飛ぶのか、予想できなかった。他学校とのトラブルにケリをつけていくあたりから、「そうか、これは教室が飛ぶ話ではなくて、ギムナジウムに通う少年たちの成長の物語なのか」と、遅ればせながら理解した。ページを重ねて海外文学特有の訳文に慣れてきたこともあり、読むスピードが上がった。

    表裏が無くて純粋な少年たち(5人組)が、体を張った無謀なチャレンジを繰り返しながら大人になっていく過程を思い出した。主人公マルティンの両親や、ギムナジウムの友人、先生達など、決して物質的に豊かではないが愛にあふれている環境だと思う。私自身も、酸っぱい、そして恥ずかしい思い出のある中高時代の学校行事を思い出した。終盤、先生からの次の言葉が印象的だった。「若い時の思い出を忘れてはいけない」とのこと。かっこ悪くても泥臭く全力で過ごした少年時代の思い出は、大人になった今を精一杯明るく生きるためのエネルギーになる。

    本書が出版された当時のドイツは、第一次大戦の敗戦後の混乱からナチスの政権掌握、そして第二次大戦へと向かう、歴史上最も過酷な時代であった。その中で「平和で明るい未来」を次世代の児童達に訴えた、90年前の筆者の「勇気」に思いを馳せてみると、ボケーっと無難に生きていて良いのかと考えさせられる。例えば、マルティンの描いた「10年後の家族の絵」に関する描写があるが、この絵の発想は称賛すべきものだと思う。大人たちが政治的判断を誤っている一方で、これだけ聡明な10代前半の少年が沢山いることを、筆者は訴えたかったのかも知れない。まさにこの本は「90年前から飛んできた教室」なんだと思う。

  • 宮部みゆき先生の「ソロモンの偽証」のエピグラフに「飛ぶ教室」の文章が出てきます。
    解説にも「飛ぶ教室」へのオマージュ的なことが書かれていたので、読んでみようと思いました。
    児童書の「飛ぶ教室」は読みやすいかと思いきや…すんなりと私の頭に入ってこず手強かったです。

    思春期の男の子たちの寄宿学校生活。
    親元を離れてドタバタな団体生活を送るなか、子供達は成長していきます。
    友情、愛情、成長、幸福、希望、親子愛。
    最後の方でうるっと来ました。

    訳者のあとがきで、ケストナーの執筆当時の時代背景が絡んでいることを知りました。
    そして、確かに「ソロモンの偽証」を思い起こさせる場面や雰囲気がありましたが、強くはないかな。

  • ドイツの寄宿学校にやってくるクリスマス!そのイベントを前にした少年たちの悩みや友情をユーモアたっぷりに描いた児童文学小説。学校同士の対決でハラハラし、先生との対話で癒される。

    子どもにもオススメだし、大人になった読者にも手に取ってほしい。憧れの先生・正義さん、頼りになる大人・禁煙さんから見た少年たちの瑞々しい葛藤が眩しい。心の奥に降り積もった雪が、涙となって溶けだしていく。少年時代の純粋さ。その尊さを見つめることは、心の中で生き続ける少年の自分を大事にすることなのだ。きっとその少年は、自分が人生を通して大事にしたいものを持っている。

    ボクサー志望のマティアス、貧しさを表に出さない秀才のマルティン、臆病な自分を乗り越えようとするウーリ、背負った境遇の重さにも倒れない詩人のジョニーなどなど、個性的なキャラがたくさん!敵ながらあっぱれなエーガーラントもカッコいい。正義さんや禁煙さんみたいな大人がいたら人生変わってただろうなあ。そんな先生を物語の中で実現したケストナーはすごい!

    以下、好きな文章を引用しておきます。

    p.19,20
    人生、なにを悲しむかではなく、どれくらい深く悲しむかが重要なのだ。誓ってもいいが、子どもの涙はおとなの涙よりちいさいなんてことはない。おとなの涙よりも重いことだって、いくらでもある。誤解しないでくれ、みんな。なにも、むやみに泣けばいいと言っているのではないんだ。ただ、正直であることがどんなにつらくても、正直であるべきだ、と思うのだ。骨の髄まで正直であるべきだ、と。

    p.125
    「教師ってものにはな、変化する能力を維持するすごく重い義務と責任があるんだ。さもなきゃ、生徒は朝はベッドに寝ころがってて、授業はレコードにやらせればいいってことになるじゃないか。ちがうよ、ぼくらに必要なのは、教師っていう人間だ。歩くカンヅメじゃないんだ。ぼくらを成長させたいんなら、自分も成長しないではいられない教師が必要なんだよ」

    p.167,168
    「いまからぼくが言うことは、もともとみんなにはまるで関係ないんだけどさ。ねえ、ぼくに勇気があるかなんて、考えたことがある? ぼくが不安がってるなんて、気がついたことがある? 思いもよらなかっただろ? ここだけの話、ぼくはすごく気がちいさいんだ。でも、ぼくは要領がいいんでね、気づかれないようにしてるんだ。自分がいくじなしだってことは、そんなに気にしてない。いくじなしだってことを、恥ずかしいとも思ってない。それもやっぱり、ぼくが要領がいいからだ。欠点や弱みは、だれにだってあると思うよ。問題は、それをごまかすかどうかってことだ」

    p.180
    「とにかく、世間にはぼくみたいな生き方の人間がすくなすぎるんだよ。もちろん、みんながいかがわしい酒場のピアノ弾きになれと言ってるんじゃない。ぼくが願っているのは、なにがたいせつかということに思いをめぐらす時間をもつ人間が、もっとふえるといいということだ。金も地位も名声も、しょせん子どもじみたことだ。おもちゃだ。それ以上じゃない。ほんもののおとななら、そんなことは意に介さないはずだ」

  • 先生が人間であるという事、生徒も人間であるという事。この時代にこういう先生や生徒が沢山いたとは思えませんが、だからこそ物語にして理想郷ともいえる世界観を作り出したことに意義があるのかなと。今は先生も生徒も人間である以前にルールを順守する事を厳重に求められる組織人としての素養を求められます。なので分かりやすいドロップアウト風味は今は流行らない。でもいじめやパワハラは形を変えて水面下へ。そのような世界に生きているとこの生き生きした物語が、胸にしみますね。

  • 不朽の名作
    小学生の冬休みの読書感想文で読んで以来、ずっと心に残ってる作品。

    ナチス政権下で出版を禁じられても子供達のために小説を書き続けたケストナー。

    子供達にどんなメッセージを伝えたくてこの物語を書いたのか、

    大人になってあらためて買って読んでみると、胸に込み上げてくるものがある。

    誰か映画化してください。
    (ケストナーの)

    クリスマスが近づくとまた今年も読みたくなる。

  • ドイツのギムナジウム(寄宿学校)で学ぶ5人の生徒の生活を中心に、クリスマスまでの出来事を描いた物語。
    敵対する学校との闘争あり、信頼する大人との交流あり、自分自身への葛藤あり。日常の中で、二度とは訪れない掛け替えのない日々の経験が描かれていく。
    『飛ぶ教室』は、彼らがクリスマス集会で演じようとしている劇のタイトル。


    やっと読めたし、正味感動できた自分にホッとした。

    「クリスマス特集」で先陣を切って紹介するような定番の本だが、実は読んだことがなかった。何度も手に取り、その度一遍も読まずに返却してきたのだ。今回も、かわいい牛が出てくるまでのところを一体何度往復したか。(読み返すと、まだ「まえがき1」な上に、たった5pほどしかない。)
    そんな外国文学アレルギーの私も、ジョニーの生い立ちが出てきたところで、ぐっと物語に引き込まれて行った。
    とはいえ、読解力が低いことに変わりはなく、主人公たち5人の「ギムナジウム5年生」というのが、日本の小学5年生に当たるのか、あるいは中学3年生にあたるのか、きちんと分かるまでにかなりのページ数と要したし(中学3年生でした)、『ボクサー志望のマッツ、貧しくも秀才のマルティン、おくびょうなウーリ、詩人ジョニー、クールなゼバスティアーン(裏表紙より)』を識別するために、何度もページを行き来しなければならなかった。
    ギムナジウム5年生については言い訳させてほしいのだが、今の日本の中学3年生や小学5年生を見ている私には、登場する彼らの言動は幼く感じ、小学5年生くらいかもしれないと思う部分が何度もあったのだ。そして、最高学年である9年生の振る舞いも、大学1年生の年齢と言うよりは、中学3年生位の振る舞いに感じたのだ。これは訳文の影響なのかもしれないし、描かれた時代と現代の子どもの言動の違いなのかもしれない。そしてギムナジウム5年生というのがまた、小学5年生をギムナジウム1年生として計算するのか、あるいは小学5年生をそのままギムナジウム5年生とするのか少しややこしく感じた。(言い訳終わり)
    登場人物の識別で言えば、自分の読解力と想像力の低さを認識した上で、だから「角川つばさ文庫」が必要なんだろうなぁなどということを考えていた。実際私は「角川つばさ文庫」の本を読んだことはないのだが、漫画キャラで描かれた『飛ぶ教室』の表紙や宮沢賢治作品などがあったのを記憶しているので、想像力の欠如を補足するのにはいいのではないかなと思った。そしてなぜか私の中のウーリは、漫画キャラで再現されていた。
    「子どもに読んでほしいけれど入りにくい」という問題を解消するには、そういった工夫も必要なのかなと思う。


    好きな場面や気になったところをいくつか。

    一番好きなところは、禁煙さんと正義さんが出会うところだ。ここの場面に至るまでの高揚感と、邂逅の場面の満たされ具合ったらない。それを成し遂げたのが、生徒であるマルティンとジョニーというのもよい。ジョニーは事の次第によく気づいたなぁ。創作というのは、イマジネーションが豊かで観察眼が鋭い人間に適しているということだろう。
    ベク先生が語る、病気の母親を見舞うために規則を破る男の子とその身代わりになる友人の話でもうすでに泣きそうになってしまった。
    「あの人のためなら、おれ、首をくくられてもいい」というマティアスの言葉も素敵だ。
    ベク先生を見ていると、果たして自分は子どもにとって、正しく信頼に足る大人でありえるかということを考えてしまう。そして、決してそうではないだろうと思うがゆえに、歯痒く心許ない気持ちになってしまうのだ。
    正しく人を導くこととは、どうしてこうも難しいのだろうか。

    クロイツカム先生の授業で、ウーリが紙くずかごに入れられて教室に吊り下げられる場面は印象深い。この場面はイラストがあるので、余計に滑稽で笑えてしまう。
    堅物のクロイツカム先生が、息子であるルーディ・クロイツカムに、攫われたのに気づかないルーディの両親をこき下ろすところも傑作だ。けれどここで気に留めるべきは、「平和を乱すことがなされたら、それをした者だけでなく、止めなかった者にも責任はある」というクロイツカム先生の言葉だ。
    読んでいる時は、この場面ではマティアスもマルティンも止めようがなかったのに共同の罰を課せられるのはどうかと思ったのだが、池田香代子さんのあとがきを読んでものすごく納得してしまった。ケストナーがこの作品を書いたのは1933年で、この年のはじめ、ドイツはナチス政権の手に落ちた。
    『ナチスに協力した人だけでなく、なにもしないで黙っていた多くの人びとも責任があるのではないか』
    日本人にとっても耳に痛い忠告であるし、あるいは小中学校の教室においても、未だにこの手の問題は日常レベルで起きている。簡単なことではないけれど、心に留めておきたい言葉だ。

    ウーリの大ジャンプ事件について。
    心の成長の中には、超えなければならない壁がある。それが他人にとってどれほど馬鹿らしいことに見えても、とても大事なことだ。この時ウーリが振り絞った勇気は、彼にとっては一生モノの経験になったことだろう。

    ゼバスティアーンの孤独について。
    いつもお腹を空かせていて、友人に借金をしてまで食べ物を食べているボクサー志望のマティアスは、体が小さく、臆病なことを気にしているウーリと仲がいい。
    家は貧乏だけれど誰にも負けないくらい賢く、絵もうまいマルティンは、不幸な生い立ちを持つ、詩人のジョニーと仲がいい。
    5人を中心とした物語であるが、ふと語られるゼバスティアーンの孤独が胸に染みる。
    マティアスとウーリのように、マルティンとジョニーのように、親友と呼べる友人が見つかることは、どんなに幸運なことだろう。
    けれど、ゼバスティアーンのように、それがうまくいかないケースだってあるのだ。そしてそれが本人の性格や物言いのせいであったりすると、それはより悲しい。
    悲しいとは思うけれど、ゼバスティアーンはゼバスティアーンであることに絶望しているわけではない。
    しんみりしていたところに、『ゼバスティアーンはそういうやつだった! せっかくみんなが同情しかけたのに、すぐに冷や水をあびせるようなことを言う。』で笑ってしまった。

    マルティンについて。
    マルティンが母親から手紙をもらってからの顛末は、涙なしでは読めない。悲しみに健気に耐えようとする彼の姿は胸を打つ。そして、自分の苦しみを親友のジョニーに打ち明けられない理由もまた悲しい。
    『マルティンはこらえきれずに泣いた。ほんとうは泣いてはいけなかったのに。』
    とても好きな一文。

    最後の顛末については、ぜひ読んでほしいと思う。
    そして、幸福なため息を吐いてほしい。
    私は、物語はどうしても幸福に包まれて終わってほしいと思う。そればかりが正解ではないことも、それが真実ではないこともわかってはいるが、それでもやはり、そうであってほしいと思う。

    『誓ってもいいが、子どもの涙はおとなの涙よりちいさいなんてことはない。』

    だからこそ、大人は子どもの涙を減らすように努力するべきだし、せめて物語の終焉くらいは、幸福で仕方がないと思って終わってほしいと思う。

    …すごくとりとめのない感想になってしまった。
    どうやら本質には程遠いようだ。
    遠からず、もう一度読み返してみたい。

    • nejidonさん
      はなはなさん、こんにちは(^^♪
      しっかり感動が伝わってきますよ!とても素敵なレビューです。
      私も少し「思い出し泣き」をしました。
      「...
      はなはなさん、こんにちは(^^♪
      しっかり感動が伝わってきますよ!とても素敵なレビューです。
      私も少し「思い出し泣き」をしました。
      「点子ちゃんとアントン」も良かったです。
      ケストナーはいいですね。大好きです。
      こうして他の方のレビューを見ることによって、何度でも読み返した気持ちになれます。
      ありがとうございました!
      2020/05/03
    • はなはなさん
      nejidonさん、こんにちは。
      コメントありがとうございます!
      コロナで仕事がなくなったので、最近読書を頑張っていたのですが、感動すれ...
      nejidonさん、こんにちは。
      コメントありがとうございます!
      コロナで仕事がなくなったので、最近読書を頑張っていたのですが、感動すればするほど、感想が書けなくて困っていました。感じたことを言葉にするって難しい。
      そんな時だったので、nejidonさんに伝わったと言っていただけて、とても嬉しかったです。
      ケストナー、私も好きになりました。
      次は『エーミール』を読んでみたいです!
      こちらこそ、いつもありがとうございます^^
      これからもどうぞよろしくお願いいたします。
      2020/05/03
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