あらしのあと (岩波少年文庫 151)

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  • Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784001141511

感想・レビュー・書評

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  • 東日本大震災のあと、今読むべき本として佐々木俊尚氏が紹介。その書評を『風立ちぬ』制作中の宮崎駿がデスクに貼っていたとか。
    先日の台風のときにふと思い出して、読んでみました。

    『あらしの前』(原題 THE LEVEL LAND)の出版が1943年。

    オランダの地方の村に住む一家の物語。明日は池が凍ってスケートができるだろうか、シンタクラースはちゃんと来てくれるだろうかといった小さな心配ごと、家族で過ごすクリスマス。そういった穏やかな日常がどんなにすばらしいか、迫りくる戦争の影とともに描かれています。最初の2章を読んだところで感動して、その場で『あらしのあと』の図書館貸し出し予約をしたほど。

    『あらしのあと』(原題 RETURN TO THE LEVEL LAND)の出版は1947年。

    前作の6年後、戦争が終わって1年経った一家のその後の物語。
    『あらしの前』単体でも名作なんですが、『あらしのあと』とセットで読むことで、平和な日常が決定的に失われたあとで、人はどう生きるべきなのかという指針となっています。
    最後の3章を一気読みしたんですが、これもドトールで泣きそうになりました。

    翻訳は『君たちはどう生きるか』の吉野源三郎。今回初めて知りましたが、岩波の編集者でもあったんですね。1950年、岩波少年文庫創設時の「岩波少年文庫発刊に際して」の文章は吉野源三郎によるもので、2000年までこの文章が岩波少年文庫最終ページに掲載されています。

    日本版『あらしの前』の出版は1951年、『あらしのあと』が1952年。創刊当時からの岩波少年文庫ラインナップです。

    解説にあたる「生きる指針となった物語」を書いているのは『冒険者たち』の斎藤惇夫(私にとっては神!)。小学5年生だった惇夫少年が「ルトに恋した」と書いてあって微笑ましいです。

    将来の夢、家族愛、希望、そういったものをストレートに書くのは実はとても難しい。でもそれがまっすぐに書かれていてザッツ岩波少年文庫!という名作です。

    以下、引用。

    見ようによっては、世界は一つの大きな家族です。ただ、その家族の中の人たちが、おたがいに平和にやっていくのに、すこし面倒なことがあるんですね。もしもわたしたちが、他人に対する親切な心というものが家庭にはじまるということを悟ったら、何百万という幸福な家族ができるでしょう。そして、そういう家族が、しまいには、いっしょになって幸福な世界をつくるでしょう。

    そのときヤンはきゅうに、おとうさんのようになりたい、この世の中で、これ以上、じぶんがなりたいと思うものはないんだ、ということがわかったのでした。

    「どれ、よく見なけりゃあ。」とマールテンはいって、自動車をとめましたーー「じゃあ、あそこが君の生まれたところなんだね、ミープ。君が乳母車に乗って、日なたぼっこをしたところなんだね。そして一年たつと、家の人たちが小さな芝生に、君の遊び場のかこいをおいてさ、おとうさんの患者さんたちが、みんなやってきては、家にはいるまえに、やあ、って君に声をかけていったんだねえ。それから、また一年たって、君は輪まわしをしながら、あの家のまわりをグルグル歩いた。それからレンガをしいた道の上で、コマをまわして遊んだり、両側にバラの茂みのある小道で、用心しながら人形の車を走らせたんだね。」

    「もしも、年じゅういつもクリスマスだったら、そうなれさえしたら……」と、ルトは床にはいりながらいいましたーー「そうすれば、人びとはいつもおたがいに親切にして、戦争なんて、もう二度とないのに。」

    「でもね、あなたはあなたの音楽をもってるわ、ヤープ。それをあなたから奪うことは、だれにだってできないんですよ。あなたは、あなたの音楽で、この世界をもっといいところにすることができます。あなたは、戦ったり憎んだりすること以外に、もっとほかのものがあるってことを、人びとに感じさせることができます。それがあなたの仕事よ、ヤープ。同じように、この世界をもっといいところにするのが、どの子どもにとっても、つとめなんです。ひとりひとりの子どもが、それぞれじぶんのやり方で、それをするのね。」

    「人びとが自分自身の中で変わってこない間は、世界は変わらないんだ。それは、ひとりの人間からはじまることだね。隣人に対する友愛の心がなくっちゃあ。」

    人びとは顔を見あわせて、こんなことが……と思いました。こんなことがあったのちに、わたしたちは、どうやって愛と友情とにかえる道を見つけるでしょうか。

    「でもね、あたしたちは、もう一度立ちなおるために、何かを信じなければならないわ。あたしたちの支えになるものは、なんにものこっていません。ただ生きぬこうというあたしたち自身の意志のほかには、なんにもありません。もしもあたしたちが、いま疑っていたら、あたしたちは、なんにもできないでしょう。だからあたしたちは信仰をもちましょう、人類と正義とに対する信仰を!」

    たのしい気分などというものは、内から湧いてこなければ、外にはちっともないのですし、そのためには心の中にみんなが小さい太陽をもって歩かなければなりませんでした。

    「戦争は、人の心や気もちに病気をもってくる。みんなの考えや、やることが変わってしまう。だから、あたりまえの時代ならとうてい許されそうもないいろんなことが、とやかくいわれないですむのだ。」

    「おまえさん、よくアメリカの人に話しておくんなさい。」と、お百姓さんは繰り返し繰り返しいいました。「オランダがどうなってるか、それを話してやっておくんなさい。そうすりゃアメリカ人も、戦争ってもんがじっさいどんなもんだかってことが、ようくわかりまさあ。だいじに平和を守るようにって、いってやってください。あんたの国は大きい。いちばん金持ちだ。世界のできごとに大きく口出しのできる国なんだ。アメリカなら平和を守ろうとすれば守れるんですぜ。」

    「ルト、きみたちオランダ人が、どんな事件がおこっても花を忘れないのにはおどろくね。めちゃめちゃにこわされ、がらくただらけになっても、きみたちはあんなきれいな花壇を作るんだからなあ。」

    「ルト、ぼくにもよくわからないけど、なんだかじぶんがとても小さな、力の無いものに感じられてくるんだ。だけど、とにかく、こういうことをしたのは、人間なんだ。ぼくみたいな人間なんだ。人間が空中の高いところでボタンを押して、こんな事がおきたんだ。」

    これからは何もかもいままでとちがってしまうんだわ、と、彼女は思いました。すっかりやりなおしだわ。これからは『何か』が、目的が、あるんだわ。もう、悲しんだりなんかしない。

    「ルト、これは、わたしたちの、いろいろななやみに対するこたえじゃないだろうか。わたしたちがわからずにいることや、とても手におえないと考えたことを、解決してくれたようなものじゃないかね? これで、はじめからやりなおせるね。」

    「あなたがたは、すばらしい一家ですね。」とクラウスがいいました。
    「わたしはすばらしい子どもたちにめぐまれたんだ。」と、ルトの肩に腕をまわしながらおとうさんはこたえました。

    「ただ、じぶんの国のよさをみとめるのには、べつに、よそより上等だと思う必要はないじゃないか、と思うんですよ。」

    「金持ちだとか、国が大きいということは、かならずしもよそよりいいということにはならないね。」と、おとうさんが口をはさみました。「ヴェルナー君のいっているのはだね、人間というものは、じぶんやじぶんの国について、それから、世界じゅうのほかの国に対して、ある程度はけんそんでなくてはならないということなのだよ。そうすれば、多くの国の人たちとの間にはもっと深い理解がうまれるのだ。」

  • 【あらしの前、あらしのあと】
    ドラ・ド・ヨング著、吉野源三郎訳、岩波書店、1951年、1952年

    宮崎駿が紹介していた二冊。

    1943年にアメリカで出版された「あらしの前」は、オランダの田舎町に住む幸せな家族の生活が豊かに描かれる明るい日常が、ある日突然に、ナチスドイツによる侵攻が始まったところで終わる。

    100年の間、戦争を経験してこなかったオランダの普通の人たちが、ナチスの宣戦布告なしのノルウェー侵攻を「対岸の火事」と見ていたり、永世中立を唱える自国の政府と軍隊を信じていたり、「まさか、ヒットラーもオランダを攻めてくることはないだろう」という希望的観測の基、日々を過ごしている。

    それは、のどかで幸せで温かな生活を望む、人としての極めて当然な本能からくるのだと思う。

    しかし、それでも、あぁ、こうやって戦争に市民は巻き込まれていくのだ、と感じざる得ない。

    オランダ生まれで、ナチス侵攻前にアメリカに渡った著者の元には、「あらしの前」刊行後、子供達からたくさんの手紙が届いたという。

    お話の主人公である「ファン・オールト家」のその後はどうなのか?無事なのか?

    1947年に出版された「あらしのあと」は、あれから6年後の世界が描かれている。幸せな生活を営んでいた一家は戦争を経て、何を失って、何を得るのか。

    70年前の日本だけではなく、世界中で今でも多くの地域でこの経験をしている人たちがいるのだと思い知る。

    特に1冊目で、校長先生に叱られた勉強嫌いの次男ヤンが目標を定めて頑張る姿とその後など児童文学を読んで初めてグッときた。

    文末に、「グリックの冒険(ガンバの冒険シリーズ)」「哲夫の夏休み」で有名な斎藤惇夫が「生きる指針となった物語」として解説を書いている。敗戦を新潟県長岡市で迎えた小5の惇夫少年にとって「大切な人生の1冊」となったことがかかれている。ここでも泣けた。

    子供が読むだけではもったいない。
    よいうより、戦争を始めることができる立場にいる大人が読まないといけない。

    翻訳は、岩波少年文庫を創刊した吉野源三郎。
    著書の「君たちはどう生きるか」の漫画版が昨年大ヒットし、宮崎駿が映画化すると発表している。「君たちは・・・」も昭和12年、盧溝橋事件が起きて日中戦争が始まった時に反戦の表現をギリギリにいれて刊行した本だ。

    #優読書

  • 「『あらしの前』から6年がたち,戦争は終わりました.ドイツ軍がオランダを占領している間,オールト家の子どもたちもつらい毎日をすごしましたが,深い心の傷を乗り越え,新たな出発をするために,とまどいながらも前に進みはじめます.すると,少しずつ希望の光がさし,道がひらかれていくのでした。」

  • ナチス軍がオランダに侵攻してくるまでの、温かな家族の日常を描いた『あらしの前』。そして、戦争を経験し、日常を失った一家の再生を描く『あらしのあと』。戦争という大きな悲しみを味わいながらも、変わらない強さを持つこと、誰のせいにもしないで生きること。戦争が心にもたらした影を持て余す子どもたちに、父母は静かに忍耐強く光の道へと導きます。その姿勢は、私たち読書にも平和への在り方を示してくれます。

    戦争前も戦争後も一家の日常は変わらずそこにある。まったく変わらないように見える登場人物の姿に、強さを感じずにはいられません。この一家の前向きな姿勢に勇気をもらう人は沢山居るでしょう。生きることの強さを感じる一冊です。

  • 赤羽の青猫書房の店長さんにすすめられて読みました。オランダにドイツ軍が攻めて来たことを、この本で初めて知りました。

  • 戦争が終わった後の家族の再出発を描く。前進する勇気と希望の光。

  • あらしの前の続編。第二次世界大戦が終了して1年のオランダ。医者一家の様子。

  • よかったー
    オランダの戦後
    どう、悲しみや無力感を乗り越えていったか
    復興には文化が必要なのかもしれない

  • 戦争というものが若い世代に残した爪痕がとてもリアルに書かれてると思った。
    子どもながら命懸けで国の為に闘ったのに、戦争が終わったらあのドキドキした毎日はなく、逆に平凡な日々。
    ひもじいのが当たり前のこどもたちのくらし。
    死んでしまったヤンの事を口に出せないでいる家族。
    再読でしたが、前より心に残った気がする。
    やはり今の社会情勢が私に不安を与えているせいかな。

  • あらしの前を読んだので。
    児童小説らしく綺麗におちていて、読後感は温かで希望に満ちて爽やか。
    だけどヤンが亡くなっていたり、ピムは戦争中に色々な経験をしすぎて平和な少年の生活を退屈に感じていたり、様々な戦争の傷が影を落としている。そこからどう抜けるか、という指南書のような。
    希望を積み重ねていくこと、気高さを保ち忘れないこと、かな。
    ルトは描けなくなっていた絵を、ヴェルナーに再会し、その友人クラウスに観てもらうことで才能を発見され、希望を取り戻す。ピムも、ヤープの成功を受けてヴァイオリンを始めようと目標がたてられる。
    ルトとヴェルナーが、児童書ながらいい感じになっていく描き方、微笑ましかった。

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