- Amazon.co.jp ・本 (282ページ)
- / ISBN・EAN: 9784001141580
作品紹介・あらすじ
都会のまんなかに暮らしながらも、心うばわれるのは、季節のおとずれや生きものの気配。大家族を養うため、家と会社のあいだを行き来するマルコヴァルドさんのとっぴな行動とユーモラスな空想の世界が、現代社会のありようを映しだします。小学5・6年以上。
マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫)の感想・レビュー・書評
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子だくさんで、半地階に住み、会社と家との往復で生活に疲れきっているようなマルコヴァルドさん。そんなくたびれた中年男にも自然の四季折々はいくばくかの潤いをもたらしてくれる。真面目な気持ちで読んでいると、ずっこけてしまう。それはないだろうというオチが待っている。しかし・・・これって子どもの読む本かなぁ、首を傾げたくなる。大人の私にはそこそこ楽しめるけれど。
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nyancomaruさん「これって子どもの読む本かなぁ」ですよね。初めて読んだ時、何とも言えない気持ちになりました、大人だからシミジミ思うって感じですねぇ~2012/03/01
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思っていたのと違って、すごく考えさせられる内容だった。
小さい頃読んでいたら、純粋に楽しい話で、裏の世界は見えなかったと思うけど、色々考えてしまうあたり、自分が大人になってしまったんだなーと思って、少し寂しくもあり・・・
でも、いい作家を知れてよかった! -
ファンタジー以外の児童書は滅多に読まないのだけれど、
児童文学作家の先生が描写がすごい本として挙げていて、読んでみた。
裏表紙の解説を読んで、抒情的なもっとウェットな内容を想像していたけれどとんでもない。
都会の中の自然や、季節のうつろいや音・色・香りなどに対する描写は確かに素晴らしい。
でもそれ以上に現代社会への皮肉が壮絶にこめられていて、読んでいて始終にやにやしてしまう。
子供と大人で楽しみ方が全く変わる作品だと思う。
マルコヴァルドさんやその一家が結構悪いことをするので
(それらもコミカルにユーモアたっぷりに描かれていて大変面白いが)
なかなか日本では出せない作品だなあと感じる。
他の方も書かれていたけど、これを少年文庫にいれる岩波はすごいと思った。その内容の普遍性と言い、描写の美しさと言い、実はかなり文学性の高い作品だと思う。
表紙・挿絵もとても合っていて素敵な本。 -
馴染んでいたせいか、前に出されたときの訳者によるものの再版でなくて、少しがっかりしましたが、マルコヴァルドさんを通して見る少し不思議な世界……おすすめです。
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不在の騎士は私にはまだ少し難しかったのだけど、マルコヴァルドさんを読んで、イタロ・カルヴィーノがぐっと好きになった。
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「まっぷたつの子爵」で紹介したイタロ・カルヴィーノを引き続きレビューしてみようと思い、彼が精魂込めた「イタリア民話集」にしようかと迷いつつ、まずはなんとも愛らしい高貴な野蛮人! マルコヴァルドさんということになりました。
50年ほど前に書かれたとは思えない色鮮やかな作品で、タイトルどおりマルコヴァルドさんの四季×5年=20話の短編集。じつは「小学校5~6年生以上」の読み物になっていて、「岩波少年文庫」から出ているのですが、いやいやどうして、どの話も奥深くてちょっぴりほろ苦いオチがついて、人生経験を積んだ「大人」が読んでも(読んでこそ)感動できる作品になっています。
高度産業社会の都会に暮らす中年男とちょっぴり口うるさい妻とわんぱくな4人の子どもたち。低賃金に重労働で社会の歯車のようなマルコヴァルドさんの悲哀と郷愁が漂っています。でも決して暗い作品ではありません。ユーモアがそこかしこに溢れていて、素朴で決して飾りすぎないカルヴィーノの詩情がなんとも素晴らしい。
自然を愛するマルコヴァルドさんは、自然人として、はたまた高貴な野蛮人として日々を過ごしています。まるで都会の中のロビンソン・クルーソー♪ 高級レストランの生けすにそろ~っと糸を垂らして釣り上げた魚をライバルの野良猫と取り合ってみたり、アパートの屋上にしかけたとりもちにかかったハトをゲットしたのも束の間、公共のハトを捕獲しているという通報で警察が押しかけてきたり(^^♪
「マルコヴァルドさんは、あまり都会の暮らしにふさわしくない目をしていました。道路の標識や信号、ショーウィンドーやネオンサイン、ポスターなどは、どんなに人の注意をひくように工夫されたものであっても、決してマルコヴァルドさんの目にとまることはありません。砂漠の砂の上をすべるかのように、とおりすぎてしまうのです。ところが、木の枝で黄色くなった葉っぱや、屋根瓦に引っ掛かっている鳥の羽根といったものは見逃しません……そこからいろんな考えが広がっていき、季節の移りかわりや……自分がどんなにちっぽけな存在かといったことに思いをはせるのでした」
たしかに住宅街にも自然はいっぱいですね。人さまの家のブロック塀から顔を出した白とピンクのマーブル模様の椿。じっと見つめていると、とても美味しそうです。職人が作りあげた美しいチョコレート菓子のようで。やれやれ自然は芸術を模倣するかな…笑? 雪景色になった小さな公園の地に一羽の若そうなカラス。餌を探している様子もなくひたすらよちよち歩きまわっています。彼(彼女かも)は一体何をしているのかしら? 久しぶりに積もった雪の感触を踏みしめながら遊んでいるのか? 何か大事な考え事をしている? さては彼女にフラれたか? 晴天のとある場所の中空にふと目をやると、ひょろ長い足をした大きなクモが風に揺られて凧のように浮かんでいます。つい先日までなかったのに……そこにはひときわ立派なクモの家が突貫工事の末に完成しています。う~ん、キリがありません(-_-;)
さて話を戻すと、この本の魅力は、マルコヴァルドさんの物語もさることながら、なんといっても「作者による解説」です。大人向けの小説ではなかなかお目にかかれないもので、これを読んでみると、自然や生き物や人間の生を慈しむカルヴィーノの想いや、子どもたちに向けた優しい眼差しを感じることができます。
「……この本に一貫しているのは、けっしてあきらめず、どこまでもねばる姿勢なのです。ここまでみてくれば、わたしたちをとりまく世界と向き合うときのこの本の立ち位置が見えてくるでしょう。……世の中のできごとや状況にたいしては、ものすごく批判的なまなざしを向けながら、人情にあふれた人々や、あらゆる生命のきざしに対しては好意に満ちたまなざしをむける……そんな身の回りの世界をながめるときのマルコヴァルドさんのまなざしこそ、この本の教訓があるといえるのかもしれません」
鬼才カルヴィーノという大きな彼の中には、いつまでも消えることなく息づいている繊細で遊び好きな小さいカルヴィーノ少年が宿っています。子ども心溢れる寓話のような物語を創造しながら、なんとも移り気で気難しい迷宮のような現実世界を大人の目で厳しく見つめます。そこに生きる私たちに物語をとおして様々な想いや思索を投げかけながら、カルヴィーノは決して結論めいたことは言いません。それぞれの読者がそれぞれ気づき感じるままに……そしてふと気づけば、いつのまにか作者の姿は物語の森の中に溶けて見えなくなります。そんな彼の「物語」に託す想いと選び抜かれた美しい言葉の数々。いつもながら見事なものだな~♪
「もしかすると、ごくシンプルな物語の構造を利用して、作者が世の中と自分自身の、とほうにくれるほど不可解なかかわりを描こうとしたのかもしれません。おそらくそうとも言えるでしょう」 -
都会のまんなかに暮らしながらも、心うばわれるのは、季節のおとずれや生きものの気配。大家族を養うため、家と会社のあいだを行き来するマルコヴァルドさんのとっぴな行動とユーモラスな空想の世界が、現代社会のありようを映しだします。
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ごくありきたりな食べ物にも危険や偽装や悪意が潜んでいる・・・という一文を見てもわかるように、何十年前に書かれた作品なのに、現代に通じる話が多くあって考えさせられる。
とぼけたかんじのイラストがかわいい。 -
カルヴィーノの作品は邦訳あるものは殆ど全部読んでたつもりだった。もしかしてカルヴィーノのファンと言っていいかもしれない。幾つかのものは再読すらしているから。「くもの巣の小道」は自分の楽しみのために、「冬の夜一人の旅人が」は若い友人に勧めるために。
しかしこれは未読だった。半世紀以上も馬齢を重ねていれば大概の小説とインド映画の筋は忘れてしまうのだが、児童向小説は比較的記憶から抜け落ちることがない。そしてこの「マルコヴァウドさんの四季」は児童向小説なのである。
子供のために書かれたからと言って、決して楽しい小説ではない。主人公のマルコヴァルドさんはトリーノを思わす工業都市に暮らす労働者だが、かれと4人の家族が惹き起こす騒動に語り手は決して同情的ではない。かれらの愚行に対する冷ややかな距離感が、全篇に独自のペーソスを行き渡らせている。
面白いのは、マルコヴァルド一家の愚行が、ほとんどの場合食べ物に対する欲望によって惹き起こされていることである。飢餓がかれらを愚行に走らせているのではない。かれらはそれなりには満ち足りているのだが、終始美味いものへの欲求があり、それが虚栄心を刺激してやまないのである。
この作品は20の短篇から成っており、5つごとに春夏秋冬に振り分けられているが、それらが厳密に時系列上に並んでいるわけではない。たぶんこの区分は上記のような「美食への渇望」を導入するために設けられたものであろう。
しかしこの小説では美食が事細かに描写されるわけではない。欲望の対象となる「美味いもの」は漠然とフンギのフリッターとかチェルヴェッラとか(チェルヴェッラというのは豚のセルヴェッソから作った腸詰めのこと)ウサギのローストとか書かれているだけである。マルコヴァルド一家がこれらにありつくことは決してないからである。
カルヴィーノには左翼的傾向があるからこの中に資本主義批判を読み取る者があっても無理ないことに違いない。しかし食いしん坊の間では消費への欲求は容易に美食への渇望へと置換される。カルヴィーノもまた自らの(胃の)中に同様の変換装置を共有していたのであろう。だからこそこれらの物語はかほども悲しいのである。同じ胃の持ち主である私にはそれがよく分かる。 -
50年ほど前に書かれたイタリアの姿。でも現在にもいまだよくある光景がそこにある。時代差を感じる部分は、マルコヴァルドさんの貧しさくらいか。職を持っている人がなかなか食べていけないほど今の先進国は深刻ではないのではないかと思うくらいか。都市のなかで視点を変えて暮らすほのぼのとした一面があって良書であった。
イタロ・カルヴィーノの作品




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