- Amazon.co.jp ・本 (435ページ)
- / ISBN・EAN: 9784001145113
感想・レビュー・書評
-
梨木香歩さんのエッセイに登場していて、とても気になって読み始めたうちの1冊。
アリソン・アトリー自身と思われる主人公は、イギリスのダービシャー地方で1884年に生まれている。労働者や使用人を抱えた大きな農家だったことが窺える。
今では考えられないくらい、多くの人や、馬、牛などが農耕を行っていた時代だ。
これより17年前の1867年に、アメリカでローラ・インガルス・ワイルダーが生まれている。時代はだいたい重なるが、アメリカで開拓者の娘だったローラと、イギリスで豪農の娘だったアトリーとは生活がまるで違う。「大きな森の小さな家」では農家の一年が語られるが、その後は一家が落ち着くまで旅が続くからだ。ローラが結婚したのち、ミズーリ州で大きな農場の主人になってからの物語は綴られていない。生活が近いのはアルマンゾの少年時代の物語「農場の少年」だろうか。
さて、スーザンに戻って、物語は古風で、今の子供たちが理解するにはハードルが高いだろう。ローラの物語が受け入れられたのは、テレビドラマになって、その時代を映像で見ることができたからだ。(かなり美化されていたが)
読み始めは冗長に感じられ、特に人物紹介がないため、誰がスーザンの父親なのか、母親なのかが分かりにくかった。(読み進むにつれ理解できる)一家は信心深く、スーザンは宗教色が強い思考を持っている。迷信と言ってしまえばそれまでだが、ここではもっと現実的に考えられていたことがわかる。
スーザンは自然に対する感性も豊かで、たくましい想像力で自然を受け止める。美しさも、恐ろしさも身についていく。アイルランドから出稼ぎにやってくる労働者や、ワクワクするサーカス巡業、定期的に訪れる物売りなどが、外の世界を教えてくれる。
読み進むうち、だんだんと自分がスーザンの世界に引き込まれていくのがわかり、最後は名残惜しかった。
様々なエピソードが、他の創作にたくさん表れる。貴重な作品。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
何とも素朴でおちついた風情のある、あたたかな作品。
原題は「カントリー・チャイルド“The Country Child”」。イギリスの丘陵地帯にある農場で少女時代を過ごしたスーザンのお話は、作者アトリーの自伝的要素が強いといわれている。
代表作として名高い「時の旅人」の背景も感じとれる一方、そうした綿密に構成された作品とは趣が異なり、かつての暮らしと密やかな思い出を採り出しては、ひとつひとつ丹精に綴っていったような味わいがある。
4マイルもある道のりを、一人で深い森を抜けて、学校まで通わなければならなかったり、厳しい自然と生活に伴う仕事に日々向き合う昔の農場暮らし。
質実ながら愛情にあふれた家族に囲まれ、しかし、心密かに古い家屋や置物、周りの木々や草花、石や動物たち、空や風、月とも語らい、友としていたスーザンのかけがいのない豊かさが、畏怖と共に淡々と細やかに伝わってくる。
イギリスの田舎の自然と風物が四季おりおり、食事や草花の描写などと、丹念に描かれており、大仰なドラマはなくとも、ほほえましいエピソード(母親に友達を呼んできてもいいと言われ、学校中の女の子を50人も連れてきててんやわんやになったり…)なども織り込まれた、実に英国的で魅力的な佳品だと思う。
-
『時の旅人』のカントリー・ライフが素晴らしすぎたアリソン・アトリーの自伝的作品。少女スーザンを主人公に農場の四季を描く。
(原題は『カントリー・チャイルド』。こっちのほうが絶対いいのになー。)
『時の旅人』からドラマ部分を抜き取った感じで、リンゴ部屋やバター部屋、キッチンガーデンのある農場は、そのまま『時の旅人』の舞台でもあるだろうし、仮装芝居の人たちがやってきて一緒に祝うクリスマス場面もよく似てる。
暗い森に潜む〈ものたち〉を恐れながら、恐れていることを気がつかれないように通り抜ける場面は『グレイ・ラビットのおはなし』にもたしか出てくる。
そういう意味ではアリソン・アトリーの原点みたいな物語。初期の頃に書かれた作品なので、文章が冗長でこなれていなかったり、情報量が多すぎることもあり、ガツガツ読むような話ではないので、一日に一章くらいののんびりペースで読みました。
部屋中の置物にヒイラギを飾るクリスマス、扉を開けて新しい年を迎え入れる新年、カウスリップをつんでワインをつくる春、敬意を保ちながら家族のように暮らす使用人たちとの関係などなど、農場の暮らしが細部まで丁寧に描かれていて、彼女の農場に対する強い愛が伝わってきます。
夢見がちな少女スーザンには仲の良い木と意地悪な木があったり、家の中でいちばん話を聞いてくれるのが柱時計だったり、その後のアトリーの幻想的なタッチが未完成ながら全編に発揮されてるのもよいです。
「スーザンはベッドに横になって、数をかぞえました。何百も何百も。毎晩、もっと何百も、眠ってしまうまでかぞえました。毎日、かぞえつづけました。何百も、また何百も。けれども、数には終わりがありませんでした。数は星よりもたくさんありました。こうしてスーザンは、はじめて、無限を垣間見たのでした。」
「その時はじめて、スーザンの恐怖は消え、もう、それは豚ではなくてベーコンとハムなのだ、とやっと納得するのでした。」
「ラッズラブの小枝が、オークの衣装箪笥の衣服のあいだに置いてありました。子どもたちは、この季節特有の湿った靄から健康を守るために、その小枝の束を身につけて学校へ行くのです。」
「今朝、お父さんがスーザンに、今夜は月が出るからランタンはいらないだろうといいました。
星を見上げたり、ほのかな光が川むこうの大きな三角形の丘の後ろからそっと近づいてくるのを見つめたりしながら、スーザンは待ちました。月との待ち合わせ場所に来たのはスーザンが先で、月はおくれていました。」
「また、サンタクロースをつかまえそこねました。スーザンは、もちろん、サンタクロースが実在しないことは知っていました。でも、実在することも、知っていました。それはなににでもいえることでした。人々はいろんな物のことを生きていないといいますけれど、でも、心の中では、生きていることを知っています。」
「スーザン自身、もうちょっとで、なにかが起こるのを目撃できたことがあります。そのなにかは、スーザンが行ってしまうのを待っているだけなのがわかりました。窓越しに、誰もいない部屋をのぞきこむと、そこにはいつも、やましそうなようすというか、驚きのざわめきのようなものがありました。」
「わたしに気のある者なんか、ぜったい、おらんよ。けんど、そのうちに、わたしのぴったりさんが来るさね」
「やれやれ、とジョシュアは喜んでいました。もう、長い命ではない。たぶん、これが自分の最後の取り入れになるだろう。そして、そのあとは、神さまの取り入れだ、と。」
「雨は降りませんでした。取り入れは無事に終わりました。でも、この先どんなことが起ころうとしているのか、だれにもわかりませんでした。トムはいつも良いこと悪いことに備えて暮らしてきました。与えられたものを受け取り、今日は失っても、また明日手に入れ、快活さを失わずにすべてを受け入れました。」
-
想像を超えた、農場の暮らしが、非常に細やかに描かれている。例えば、料理をすること、が、飼っているブタを殺すところから始まる、そういったリアル。
神聖で、美しくて、無限で、読み終えた時に都会が息苦しくなることは請け合いです。 -
農場、牧草地での生活、体験してみたかったわ
-
英国、たぶんダービシャーの、歴史ある自立農の家を舞台に、農場の四季を幼い娘の視点から書く。
大きな森の小さな家を、もっとファンタジックかつ冗長にした感じ。
ターシャ・テューダーの頭の中もこんなんなんだろうかなぁ。
江戸後期とか、昭和初期までくらいで、日本を舞台にこんなふうな話がないかなぁ。夢中で読むのに。