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Amazon.co.jp ・本 (384ページ) / ISBN・EAN: 9784001145939
みんなの感想まとめ
テーマは人間の欲望とその影響であり、物語はファンタジーの枠を超えて深い哲学的な問いを投げかけます。登場人物たちがそれぞれの目的を持って集結し、崩れた均衡を修復していく過程は、感動的でありながらも、時に...
感想・レビュー・書評
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“長く、白い帆を白鳥の翼のように膨らませて、その船、天翔丸はよろい岩を抜け、静かな夏の湾を滑るように、ゴンド港目指してやってきた。”
清水真砂子さんによる美しい翻訳にいざなわれて、冒頭から懐かしいアースシーの世界に浸ることができる。
しかし、帰還 -ゲド戦記最後の書-」から10年経って著された「ドラゴンフライ」と「アースシーの風」では、これまでの正義や秩序、そして世界のありように疑念の目が向けられていく。
真の魔法使いは世俗を断って学問を修め、世界の均衡を壊さないように必要なときにだけ魔法の力を用いる。では“魔法の力”とはなんなのか?
人は死ぬと黄泉の国に赴くのに、何故、鳥は山羊はそこにはいないのか?
この問いを巡る思考がスリリングだ。
“死んだのに、あのヤギは向こうにいない。あれはあれのいるべきところに、土の中にいるのだ。土の中に。光の中に。風の中に。岩をかけくだる滝水の中に。太陽のオレンジ色の目の中に。ならば、なぜ?ならば、なぜ?”
そして死生観についてと共に、自由と善悪の意味も問い直される。
“動物は善もなさなければ悪もなさない。なさなければならないようになす。それだけのこと。私たちは動物のすることを見て、有害だとか有益だとか言うが、良い悪いは、何をするか選ぶことを選んだ我々人間の側の問題なんじゃないだろうか。”
“動物たちには命こそ見えていても死は見えていないのだから”
ル=グウィンの思考は、自然や自由を礼賛して、欲に縛られて自由に生きれない人間を断罪したりするのではなく、その先へと向かう。
“竜は自由に生き、残された私たちは自らの選択を引き受けていく、それしかないのではないでしょうか。”
「ものをつくり形にしていく喜びも、所有していく欲の深さも」抱えて人は生きていく。自由に憧れながらも「善と悪に線を引くことを選び」自らをくびきにつなぐ決意も秘めて生きていく。
そして「死んだら、生かしてきてくれたすべてを、したかったのにしなかったこと、なりえたかもしれないのに実際にはなれなかったもの、選べるのに選ばなかったもの、なくしたり、使ってしまったり、無駄にしたものを、まだ生きている途中の生命にお返しする。それが、せめてものこの世界へのお礼なのではないか」と、まだ年端もいかない少女に語らせる。
生と死を分つ扉を閉めることで世界の均衡を守ったゲドをして、“わたしたちは世界を全きものにしようとして、こわしてしまったんだ”と言わしめる作者の覚悟と至った境地には感嘆しかない。
ゲド戦記(原題: Earthsea Cycle)は本巻で終わりではなく、未邦訳の“Firelight”がある。いつの日か訳されるのだろうか。読みたいなぁ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
最後まで読んでようやく面白さがわかったのと、やっと解放される喜びと。
ゲド戦記は、ファンタジーだからといって特別ワクワクするわけでもないし、魔法使いが出てくるからといって勇敢で立派なわけでもない。
でもこれは現実社会にも通ずるところであって、人間は愚かなんだということを痛烈に伝えているように感じた。そしてそれでも生きていくんだということも。
多くの人が哲学書のようだというのも納得です。
最終巻はいままでの登場人物たちがロークへ集結していくまでの過程が面白かったものの、これも毎度のことだが、肝心の盛りあがるべきところでは妙にあっさりした展開に不完全燃焼。
でもいつもこんな感じだったから、きっとこういうものなんだと諦め半分で読み終えました。
時間はかかったけど読んでよかった...たぶん。 -
もとは一つだった、竜と人。それぞれが欲するものを得て、東と西に別れたのに、人間は、欲してはならないものを欲するようになり…それが諸悪の根源だったのでしょうか。欲望って本当に厄介ですね。そうして崩れかけた均衡を、お馴染みのテナー、レバンネン王、カルガド王女セセラク、実は竜だったテハヌー、カレシンの言葉を持って飛んで来てくれたアイリアン、ロークの長たち、石垣の向こうの夢に悩むハンノキ、みんなの力で修復できた、という理解でいいのかな。
セセラクはレバンネンの妃になってアースシーの国々を統治し、ゲドとテナーは今度こそ安らかに暮らすのでしょう。 -
大円団!
テハヌーとの別れはうるっときた。
テナーが愛おしすぎて、、。
ゲドは山で待っている。
テナーはテハヌーのためにロークへむかう。
テハヌーは自分自身のために。
王は国のために。
ハンノキは愛する人のために。
世界の中心はロークの山だった。
壊していたのは誰か。
壊されたものをなおすのは誰か。
竜がかっこよかったなあ、最後まで。
最後まで通してよんだけど
やっぱり小学生にはすすめにくい話だよなあ、
これは児童書じゃないよなあ、とおもいます。 -
ゲド戦記シリーズの6巻。
4巻の『帰還』と5巻の1作『ドラゴンフライ』と接続する物語。
7巻の『火明かり』がアーシュラ・K・ル・グィンが没後に出版されたが、実質この『アースシーの風』がゲド戦記シリーズの最終巻を飾る作品であると言える。
ゴント島で暮らすゲドの元に一人の魔法使いが訪ねてくる。
彼はハンノキと名乗り、ローク島の様式の長からゲドの元を訪ねることを勧められて来たのだと言う。
ハンノキはある夢に悩まされていた。それは死者の世界の夢で、寝る度に死者の世界の夢を見て、そこで亡くした妻が何かを訴えてきているのだと言う。
ゲドはかつて死者の世界に行き、戻ってきた。ハンノキの夢がアースシー世界全土に関わるものかもしれない、と感じたゲドは共に死者の世界に行き戻ってきたレバンネン王の元に行くようにとハンノキをハブナーへと送り出す。
時を同じくしてハブナーでは、カルガド帝国との緊張が高まっていた。戦争にも発展するかもしれないという状況で、カルガド帝国からレバンネン王の王妃にとセセラクが送り込まれる。カルガド帝国の思惑がわからないレバンネンは、話も通じないセセラクとの通訳にとテナーを呼び寄せる。
更に、アースシー全土で竜が暴れ、人間たちへの攻撃が始まろうとしていた。レバンネン王は竜の子であるテハヌーとドラゴンフライの力を借りようとする。
図らずもハブナーに集まった人々は、アースシー世界の異変を救うために世界の中心であるまぼろしの森へと向かう。
5巻の『ドラゴンフライ』で感じた世界の複雑さが、やはりこの巻でも現れてるなあ、と感じた。
ゲド戦記シリーズは1巻から3巻までは1968年、1971年、1972年と短いスパンで出版されている。だが4巻は1990年、5巻と6巻は2001年と10年以上の時間が空いている。
6巻が発売されたのは同時多発テロの2日後らしく、同時多発テロが作品に反映されてるとは思わない。だが冷戦の終結から湾岸戦争なんかは、ゲド戦記世界への影響も僅かながらにもあるのかもしれない、と読んでいて感じる。
そういったものも反映されてか、いろんな地域から、言語が違い肌の色も違い、何なら人間と竜のハーフだったりする人々が、世界を救うために同じ船で旅立つという展開が良い。
中にはコミュニケーションが取れないことが原因して諍いや衝突が発生するキャラクターもいるのだが、ちゃんと向き合い歩み寄れば理解が出来るということが描かれている。
わからない、怖いのは頭のなかで仮想敵を作って、それと戦っているからで、その人とちゃんと向き合って接してみたら、相手がどんな人間なのか理解できる。レバンネンとセセラクのやり取りなんかはまさにそうだった。
レバンネンも久々に会ったらこんなダメな奴に……なんて思っていたが、内省して行動に移してるんだからやっぱ信じられる王なんだよな、なんて思ったりした。
ちゃんと反省出来る人間がトップなのは羨ましいね笑
2025年に読んでも古臭さは一切感じないどころか、今の時代にこそという部分もあった。
4巻以降は20年以上経っているのに、未だここに描かれている世界と現実は大して変わらなかったりして、うんざりすることもあるのだが……。
また、この巻は訳者である清水真砂子さんの解説も素晴らしかった。
アーシュラ・K・ル・グィン夫妻を訪れてのやり取りは読んでいるこちらが涙ぐんでしまうようだった。 -
読む力が落ちてきていて、物語の情景をありありと描けなくなっているのを感じる。
ちょっと無理をしながら、時にこの人誰だっけと諦めながら読み進めた。
失うことは得ること。
裏と表の存在。世界は均衡。
愛おしい日常。そばにいる大切な人。
そんなメッセージを受け取った。読めてよかった。 -
ゲド戦記は他のファンタジーとは違い、テンポが軽くなく読むのは少し大変だが、その分「性別」や「正義」、「生と死」という深く、実際の生活や社会の通じる内容もありとても面白かった。
最終的に全員がいい形で終わったことによんでいる自分まで満足したような気持ちになった。 -
ゲド戦記、いよいよ最終巻。
この作品を通して思ったのは
『大人のファンタジー』。
『ハリーポッター』や
『ロード・オブ・ザ・リング』、
『ナルニア国ものがたり』といった
数々の名作ファンタジー作品は
児童文学にカテゴライズされることが多いのですが、
この『ゲド戦記』だけは
大人向けの骨太な作品、という印象を持ちました。
それも巻ごとに
『死とは何か?』
『勇気を持つこと』
『正義とは何か?』
といった大きなテーマを持っており
読み進めるごとに読者を
成長させてくれる作品でした。
これで終わり、というのが名残惜しい作品です。 -
難しい
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「難しい 」
チョッとね。
多分zuikaku50さんがテナーと同じ年頃になったら判るようになるかも。。。「難しい 」
チョッとね。
多分zuikaku50さんがテナーと同じ年頃になったら判るようになるかも。。。2012/08/28
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第5巻の『外伝』を除いて、これが最終巻とのことだが、やはり蛇足のような印象は否めない。第3巻までで物語を閉じたほうが自然であったろう。
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子どもの頃から読み続けて
遂に大団円。感慨深い。
読む度に発見があり、
最終感はローク的な価値観も相対化されている。
著者が常に現代を意識しながら
書き続けてきたからか?
著者も、鬼籍に入り
もう本当に続きが書かれないのが残念 -
今までの作品に比べて退屈になっている。
途中まで読んでしんどくなってやめた。
3巻まで書いて、長い間沈黙したあとで、まだ書くことがあると気づいたというが、そうでもなかった模様。
いろいろな登場人物を、それぞれ立てているというか、この人のこれがすごいみたいな描写が多く、あいつもすごいこいつもすごいみたいな状態になっている。
初期のように、誰かが旅をして、成長するというシンプルな構成にすべきだった。
ゲド戦記は3巻までがおもしろい。 -
テハヌーの独り立ち。
いつもテナーの陰に隠れていたテハヌーが、王やロークの魔法使い、カルカドの王女と関わりを持っていく。彼女の生い立ちを思うと、彼女を育てたのが、二人の子供を育て終わった熟練のテナーとゲドで良かったと思う。また彼女自身も彼らを父母と認められて良かった。
レバンネンは恐らく30歳前後になるのに、まだ結婚していないのには驚いた。 -
「ゲド戦記」の原作、シリーズ第6巻(最終巻)
アレンとテルーが中心となる
著者プロフィール
清水真砂子の作品
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