誇り高き王妃 ジョコンダ夫人の肖像 (カニグズバーグ作品集 4)

  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (391ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784001155945

感想・レビュー・書評

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  • 去年(2019年)がダ・ヴィンチ没後500年だったせいで、記念企画ラッシュだったらしく、ここ半年、再放送も含めてやたらダ・ヴィンチ関連の番組を見ている。
    あまりにたくさん見過ぎたせいで、どの番組だったかもはや特定が困難なんだけど、当時の有力者の一人、イザベラ・デステという女性が、ダ・ヴィンチに肖像画を描いてほしくてたまらず、何度も手紙で頼んで、下手に出て、なんとか下描きだけは描いてもらったけど、結局願いが叶うことがなかった、という話を聞いて、この女性に興味を持った。
    私はダ・ヴィンチの絵の中では「白貂を抱く貴婦人」が一番好きなんだけれど、イザベラ・デステはその絵をわざわざ所有者に頼んで借り出し(今みたいに宅急便も保険もない時代によ~!とんでもない大騒ぎです)、こういうの描いてほしいのよー!と言ってたと聞いて、なんだか笑ってしまった。
    いいねえ。お金持ちな人って。自分の欲望に極めて忠実で。

    で、歴史に疎い私も、「イザベラ・デステって、なんか聞き覚えあるなぁ・・・・」といろいろ記憶を遡り、某有名スピリチュアル・ブログ(「なにが見えてる?」)を経て、この本にたどり着いた。

    すごくおもしろかった。
    この本を児童書に分類するのは、大いなる過ちなんじゃないかと言いたい。本来楽しめるべき年齢の人の手に届くのを阻んでしまうんじゃないか?と余計なお世話なことを考えてしまった。

    実は、小学生のころ、一度読んだことがあったのだけれど、その時は「同じ作者の『クローディアの秘密』はおもしろいけど、これはつまんないー!」と思ってました。アホな子供です。この本の真価が当時は全然わからなかった。

    久しぶりに歴史ものを読んだけれど、このカニグズバーグさんには「アメリカの司馬遼太郎」との称号を贈りたい。おもしろすぎて途中でやめられなかったよ。曲者たちを実に魅力的に描いている。
    「ジョコンダ婦人の肖像」はより文学的な味付けで、まぎれもない傑作だけど、同時収録の「誇り高き王妃」も実におもしろい。
    語り手を次々と変えていく物語、私は元々大好きなんだけど、歴史上の人物でその手法を使ったのは初めて読んだ。なかなか興味深い。この王妃、確か「英語の冒険」でも印象的に登場してたなぁ、と思う。

    「ジョコンダ婦人~」は導入部でハートをわし掴みにされてしまった。コソ泥としてダ・ヴィンチの手記に登場した少年が、最後の遺書では、感謝の言葉とともに特別に遺産相続人の一人となっている。何があったのか?どういう関係だったのか?って、気になるに決まっている。

    クライマックスで、「最後の晩餐」の前でサライとベアトリチェがダ・ヴィンチについて話すシーンは息をのんだ。孤独な二つの魂の別れの場面。不真面目なサライと、心に鎧をまとったベアトリチェの二人がともに素顔を見せる瞬間で、静かな緊張感が圧巻だった。

    最後の方のページにイザベラ・デステの肖像画の下描きがあったが、この絵はこの絵でいいなぁ、と思う。私は好きだなぁ。
    目と二重顎がなんか良い。
    本には載せられていないけど、別の絵「ミラノの貴婦人の肖像」は、ミラノ公のもう一人の若い愛人ともベアトリチェだともいわれている絵だけれど、これも好きです。なんともいえない表情。ダ・ヴィンチはやっぱり肖像画がいいな、と私は思う。

  • 『誇り高き王妃』
    12世紀フランスとイギリスを舞台にした歴史物語。主人公は両国の王であるルイ7世とヘンリー2世の二人に嫁いだアキテーヌのエレアノール。12世紀ルネサンスの華とも、娼婦の王妃とも呼ばれる女性だ。稀代の美女であったが贅沢好きで奔放、男勝り。五台の荷馬車に衣裳を積んで十字軍遠征に出かけたという。あの時代、荒くれ男に混じってコンスタンティノープルまで出かける王妃は他にいない。時代の枠に収まらない女性であった。悪評もまた評価のうちである。

    才気煥発にして機知横溢、芸術を愛し、しかも美しいエレアノールは父の死により若くしてアキテーヌの領主となり、フランスの王子ルイに嫁ぐ。ルイは敬虔な信者であった。城内の僧院同様の暮らしに飽き足らない王妃は気晴らしに十字軍遠征を思い立つ。しかし、勝手な行動が敗戦を呼び、二人の仲は険悪となる。エレアノールは二人がいとこ同士であるという理由で離婚を申し立て、僅か半年後にイギリス王ヘンリーのもとに嫁ぐ。

    美丈夫のヘンリー2世は、エレアノールとはまさにお似合いの二人であった。統治能力に優れた王妃は、豪華な祝宴や行列を演出して民衆を惹きつけ、詩人に伝説のアーサー王の物語を創作させることで、騎士道精神を涵養し、地味な商人の国であるイングランドに宮廷風の文化を根づかせることに成功する。この二人の間に生まれたのが、長男のヘンリー、次男で後に獅子心王と呼ばれることになるリチャード、ジェフリー、それに失地王と呼ばれたジョンである。

    王に愛人ができたことやトマス・ベケットの起用に対する見解の相違から二人の中は冷え、王妃は息子たちとともに王に謀反を試みる。その結果が十五年にわたる幽閉生活であった。男たちの対立は国を疲弊させ、やがて、プランタジネット朝は潰える。婚姻による同盟関係とその破棄による戦乱が繰り返される激動の時代を、国と国とのかけひきの道具として扱われた女性の視点で内側から描いた歴史物語である。

    語り手が自分の目にした出来事を語るのが物語本来の姿。この作品はその様式を忠実に伝えている。本人の他にそれぞれの時代のエレアノールをよく知るシュジェール大修道院長、マティルダ皇后、最高軍事顧問ウィリアムの三人を語り手に加え、幕間には天国で語らう王妃と三人の合いの手を挿んだ巧みな演劇的構成は、エリザベス朝演劇をグローブ座で見ているようで、歴史を生き生きした人間のドラマに変え、聴衆を飽きさせない。

    12世紀。吟遊詩人が旅で見聞きした物珍しい話を歌い上げ、着飾った騎士たちが鎧兜に身を固め、馬上槍試合を繰り広げる。詩人は恋の詩を書き、楽人は竪琴を掻き鳴らす。贅を極めた衣裳で身を飾った美女たちと誉れの武勲を競う騎士たちとの華麗な恋愛遊戯が幕を開けるアーサー王と円卓の騎士の世界。しかし、現実は王子が馬に乗ったまま食事の席に駆けつけ、馬上で物を食べるような狼藉ぶりが許されていた。

    詩や音楽を武器にそれらを改め、騎士道精神を現実の世界に行き渡らせたのが誰あろうエレアノールであった。女性が部屋に入ってきたら男性が立ち上がるのも、女性のために男性がドアを開けるのもここから始まったのだ。カニグズバーグの筆は、王妃を少し魅力的に見せ過ぎる嫌いがないでもないが、歴史の陰に埋もれていた女性を生き生きと現代に甦らせた功績は大きい。児童文学の範疇を超えて読まれていい佳作である。

    『ジョコンダ夫人の肖像』

    一枚の絵に秘められた謎が、数百年もたった後になって現代の作家に物語を書かせる気を起こさせるのだから、『モナリザ』という絵もたいしたものだ。その微笑みについて、モデルの女性について、書かれた文献の数を挙げれば枚挙に暇がない。その上さらに一編を加えるのは屋上屋を架す試みともいえよう。しかし、小品ながらここには、レオナルドの芸術の特徴、そして、天才科学者であり優れた芸術家であったレオナルドという人間についての鋭い分析がある。また、人の美しさというものについての滋味あふれる解釈がある。

    もう、何年も前になるが、NHKがイタリア国営放送制作の『レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯』という番組を放送したことがあった。『黄金の七人』で教授役で知られるフィリップ・ルロワがレオナルドを演じていたが、衣裳や大道具に金のかかった丁寧な作りで、愉しみに見ていたものだ。その中にレオナルドの身の回りの世話をするサライという少年が登場する。この作品で狂言回しを務めるのがそのサライである。

    手癖の悪い嘘つきの少年の何が気に入ったのか、レオナルドはサライをいつも自分の傍に置いた。ベアトリチェの口を借りて作家はこう語る。レオナルドにはサライの「粗野なところと、無責任さが、必要なの」だと。すべて偉大な芸術には荒々しい要素が必要だが、自意識の過剰なレオナルドにはそれができない。「重要なお客から、重要な主題で、重要な仕事を授けられたりすると、せっかくの素質が金縛りになっちゃうの。自分を出すことより、作品を完璧にしようと必至になっちゃうの」だそうだ。サライはレオナルドが自意識の鎧を脱いで話せる唯一の相手だった。

    少年時代にヴェロッキオの工房に徒弟奉公に出されたレオナルドは正式に学んだことがない。才能に恵まれてはいても、ミラノやマントヴァの諸侯の中では、自尊心の高い分だけ佶屈な思いをしていたことだろう。レオナルドの皮膚は薄いのだ。針で突かれるとすぐにぺしゃんこになってしまう。完璧な作品を求めるのはその裏返しに過ぎない。家柄に恵まれながら才気煥発な姉の陰で目立つことなく育ったベアトリチェにはかえってそれがよく理解できた。

    当時レオナルドが仕えていたミラノ大公ロドヴィコ・イル・モロは美貌と才気の聞こえ高いイザベラ・デステを妻に欲しがったが、イザベラはマントヴァ公との婚約が決まった後だった。彼がその代わりに得たのは二女のベアトリチェ。姉とはちがい色黒の器量のよくない娘だった。しかし、そのこげ茶色の包み紙の下には「虹のすべての色の細やかな濃淡を見分ける目と、リュートのすべての四分音を聞き分ける耳が」あった。

    サライもレオナルドも、正直で快活な性質を持ち、人を愉しくさせる会話のできるベアトリチェが好きになった。レオナルドが足繁く通い詰めるので、人々はそれまで無視していたベアトリチェの部屋を訪れるようになった。誰もがそこでは愉快な時を過ごせたのだ。こらえ性がなく、見栄っ張りではあったが、ミラノ大公は美しい物を見抜く目を持っていた。妻の持つ美質にもやがて気づいた。ベアトリチェは22歳の若さで産褥で死んだが、ミラノ大公は死者を悼み、頭を剃り、立って食事をとったそうだ。

    白貂を抱いたチェチリア・ガレラーニの肖像は昨年日本にも紹介されたが、イル・モロも愛した美女を描いたのはレオナルドだった。イザベラは何度も自分の肖像を描くことを求めるが、レオナルドは描こうとはしなかった。マントヴァ公妃の依頼を蹴りながら名もない商人の妻であるジョコンダ夫人の肖像をレオナルドはなぜ描いたのか。終章、夫に連れられて工房を訪れたリザ夫人を見たサライの言葉を引こう。

    「この人は自分が美しくないことを知っていて、それをわきまえながら生きて行くことを知っている人だ。自分自身を受け入れて、そのために、人知れず深く、美しくなった人だ。その人の前に立つと、頭の中にだけあるその人だけの物指しで測られているような気のする、そんな目を持った人だ。人に喜びもあたえられれば、苦しみもあたえられる女性。耐えることができる女性。幾層もの積み重ねを持った女性だ。」

    サライがそこに見たのはなつかしいベアトリチェが生きていたら、なったであろう人だった。原題は「The Second Mrs.Giaconda」。自分の容貌が気になりはじめる若い人はもちろんだが、自分の顔に責任を持たねばならなくなった世代にも読んでほしい一編。

  • 前半の『誇り高き王妃』は、なんと天国でヘンリー2世を待つ、アリエノール・ダキテーヌと義母の皇后マティルダとウィリアム・マーシャルの回想という設定。
    後半の『ジョコンダ夫人の肖像』は、レオナルド・ダ・ヴィンチと徒弟のサライの話。ミラノ公イル・モーロがパトロンだった時期、フェラーラ公の次女・ベアトリーチェとの交流がメインかな。最後にちょろっとフィレンツェに帰郷、ミケランジェロと対面し、モナリザのモデルが訪ねてくる場面で終わる。

  • レディーファーストの始まりやアーサー王伝説の書き換えなど興味深い出来事もあったが、英仏史の通史しか学んでいないわたしにとって、その多面性の紹介は混乱するばかりだった。

  • ベツレヘムの星

  • ジョコンダ夫人の肖像のみ。大人が読んでも楽しめる児童文学。

  • 「誇り高き王妃」は、「ヨーロッパの祖母」とも呼ばれる12世紀の女性「アキテーヌのエレアノール」の生涯を描いた物語。今は天国にいる彼女と彼女を取り巻く人々が、かつての日々を回想するという形式で語られる、ファンタジックでコミカルな要素を取り入れた、一風変わった伝記。
    フランスの王妃で、後にはイギリスの王妃となった彼女は、中世ヨーロッパの歴史を知る上で重要な人物ですが、その複雑な生涯を、楽しく、読みやすく紹介してくれている一冊。

    「ジョコンダ夫人の肖像」は、ダ・ヴィンチの「モナリザ」製作秘話とでも言うべき作品。
    ダ・ヴィンチとその若き弟子サライ、ミラノ公ルドヴィゴ・スフォルツァの妻ベアトリチェの三人の交流を軸に描かれている。
    静かな筆致で、鋭く心を抉ってくるような作品。胸を打たれた。

  • 「誇り高き王妃」を読んだことなかったので借りたけど、再読の「ジョコンダ」のほうが断然面白かったです。
    年取ってから読むとまた全然違った感想を持ちました。若いサライの一途さに対比して描かれる初老のレオナルドの人間臭さがとても切なかった。

  • カニグズバーグは、頭が良くて辛辣な女性たちをとっても魅力的に描く作家だと思う。どちらも歴史上の妃たちを題材にとりながら、規範にしたがわず、満たされない思いをかかえながらも自らの才気によって道を切りひらこうとした女性たちの姿を描き出している。
    特に「ジョコンダ夫人の肖像」は傑作。天才レオナルドを裏切りながら同時に献身的に支えつづけたサライとの間の関係、そして彼らが愛した、孤独で賢い公妃。互いへの深い理解にもとづきながらも、けっして直接的に交わることのなかった愛情が、時間を超えてひとつの作品に結実する瞬間を示す鮮やかな幕切れが、深い余韻を残す。
    「誇り高き王妃」は日本の読者にはなじみの薄い人物を主人公にしているだけに、もうすこしちゃんとした解説をつけてほしかったよ、今江さん!

  • 「誇り高き王妃」は図書館で立ち読みしていてあまりにも面白いので借りてしまった。
    作者は、子供の頃に読んだ「クローディアの秘密」や「魔女ジェニファーと私」の作者だった。正直、子供の頃読んだこの2冊はちっとも面白いと思わなかった。
    でも、この「誇り高き王妃」は違う。アキテーヌのエレアノール女公爵の物語なのだ。生まれたときから富と権力を約束され、知性があり、冒険心もあった女性の物語だ。実際のエレアノールがどのような女性だったかは知らないが、現代の私から見てとても魅力的な女性がこの本にはいる。
    15歳で地味なフランス王子と結婚するのだが、王子がアキテーヌに会いに来たとき、彼女は城門まで迎えに出る。そして「どの人が王子ですか?」と尋ねるのだ。
    このシーンは彼女と王子のすべてを表していて好きなシーンだ。王子かどうかわからないような存在感のない王子と、誰が見ても光り輝く女公爵のエレアノール。つりあうはずもない。
    昔読んだクレオパトラの物語の中で、シーザーやアントニウスを篭絡した彼女が次女と一緒に、オクタビアヌスにあったときに、オクタビアヌスは「だれがクレオパトラだ?」と聞くシーンがある。戦いに敗れた彼女を貶める言葉としての誰何だ。
    エレアノールには王子をバカにするつもりはないのだろうが、作者は言外に無邪気なエレアノールの無意識な王子への低い評価をあらわしているのだと思う。
    後に彼女はフランス王とわかれ、イギリス王と結婚し、多くの子供を生み、多くの子孫を残した。政争に敗れることもあったが、長寿をまっとうしている。
    後で調べてみたが日本にはエレアノールが主人公だったりエレアノールのことを取り上げた本は少なそうだ。彼女が生きた欧州ではどうなのだろう。今ならヒロインとしてドラマや小説の主人公に多く登場していてもよさそうだ。

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