LSD―兄ケビンのこと 新装版 (世界の青春ノベルズ)

  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784001156102

作品紹介・あらすじ

ぼくの兄さんはスーパーヒーローだ。カッコはいいし、成績優秀、テニスのうでも抜群だ。ところが大学に入って一年ぶりに帰省した兄さんは別人のように変わっていた。いったい、大学で何があったのか?…若者の不安な内面を鋭くとらえる。中学生以上。

感想・レビュー・書評

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  • 心理学者の河合隼雄さんの著作の中でよく参照されている児童文学なので読んでみた。
    なので「たましいの文学」とか「若者の困難な生」とかという視点で読んだのだが、1967年のアメリカという設定が身近でなかったし、しっくりこなかった。
    河合さんは自身の著作「日本人とアイデンティティ」(創元社or講談社)のなかで、「LSD兄ケビンのこと」などの児童文学について以下のように述べている。

    『児童文学を「子どもの目」から見た世界を描くものとして捉えるとき、そこには、たましいについて実に多くのことが語られているという事実に気づかされるであろう。児童文学作者の今江祥智は、このことをある神父さまの言葉として、次のように語ることによってうまく表現している。「人間とは何か、生きるとは何かということを、それを昔は神学という学問でやった。それが、神学だけでは駄目だとわかったときに、文学が生まれた。文学だけではどうしても律しきれない幅広さと壁が出てきたときに、心理学というものが生まれ、それが20世紀の後半になって複雑多岐になって、それでは律しきれないものを一挙に原点にかえす形で児童文学というものが今人間をわかろうとしているって」(雑誌『飛ぶ教室』1983年)。この言葉を、「たましいということについて」と置きかえると、筆者の考えとまったく同一となる。たましいの文学としての児童文学に寄せる期待は大きいものがある。』

    しかし、大人が児童文学から「たましいの理解」を導きだすのは、逆に、なにか不純なものを私は感じる。大の大人が、なんの先入観もなしに児童文学を読めるものだろうか?なんらかな高貴な甘い匂いが漂っていないか?

    やはり「朝に悟りを開かば、夕に死すとも可なり」で、泥臭い中に居ながらでも、私は単刀直入な答えが欲しい。

  • 『闘牛の影』のほうは今に通じるYAとして読めたけど、同じヴォイチェホフスカでもこちらはさすがにちょっと古いかなと感じた。訳も少し古びているし、ケビンの堕ち方も立ち直り方も両方とも唐突なような。
    そういえば、最近もYAにはすごくいろいろな問題を抱えた若者が描かれているけど、ドラッグの話はそんなにないような気がする。気づいてないだけかな。(原書をざっとあさっていても、さほど目につかない。)80年代に『ブライトライツ・ビッグシティ』なんかがはやったとき、ヤッピー(死語)のインテリがみんなヤク中として描かれたりしていたけど、今はどうなんだろうね。(いや、でもヘイト・ユー・ギヴにも出てきたか。ディーラーがらみのやばい世界に足を突っ込んでいる子だけど。)

  • きょう読み始めてきょう読了。タイトル通りにドラッグの話。
    ここ数日でほかにも2冊ドラッグ系の作品を読んだのだけど、それらよりは描写がきつくなかったので、それほど酔わずにすんだ。ドラッグと社会構造との関係を描くより、ドラッグによって明らかになってゆくある家族内のきしみを描くことが主。訳者あとがきにもある「はぐらかされた」感を私も感じたのだけど、それを風俗小説への期待が裏切られた、とするのはちょっと違う気がする。社会構造との関係を描く場合、ドラッグと性の結びつきが前面に出て、ドラッグの話ときいてそういうものを無意識に予想した、という意味ではそうなのだけど。タイトルに原題のTUNED OUTが生かされていたら、もう少し違う心持で読んだかも。
    訳の微妙なかたさが、読んでいてちょっと気になった。一人称が「僕」で、それほど大人びたかたちに描かれていないのに、両親を「おやじ」「おふくろ」と呼んでいたり、「…なのだが」という妙にかたい表現を頻繁に使っていたり。出版年を考えれば、そういうものなのかしら。

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