紙の中の戦争 (同時代ライブラリー (278))

著者 : 開高健
  • 岩波書店 (1996年8月12日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784002602783

紙の中の戦争 (同時代ライブラリー (278))の感想・レビュー・書評

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  •  原著は文藝春秋社、1972年刊行。著者が1969-71年にかけて連載した近代日本の戦争文学作品をめぐるエッセイをまとめたもの。
     戦争を生きることと戦争を書くこと、それを読み論じることとの間には眩暈がするほどの深い深い溝がうがたれてしまっている以上、そして、もはや最後の戦争が遠い過去となりかけてしまっている以上、戦争はいまや書物の中にしかないのではないか、というコンセプトから、石川達三の暴力性、安岡章太郎のでたらめさ、井伏鱒二の常識と平凡とを三つの極として、「紙の中の戦争」と軍隊について論じていく。日本語の戦争文学というテーマの持つ広がりと文学的な深みとを、改めて突きつけられたような気持ちになる。このテーマは、そんなに簡単に全貌を見渡せるような主題ではないのである。

     たしか蓮實重彦だったかと思うが、開高健は筆が立ちすぎる、という一節を読んだ記憶がある。確かに、本書の中には、思わず唸ってしまうような鮮烈なイメージに貫かれた卓抜な比喩や、箴言めいた心地良い断言がそこここに散りばめられていて、ほとんど説得されそうになる。だが、論の後半になるほど露出してくる開高の問題提起はあきれるほど単純だ。戦争/戦場には、当事者でなければ書けないことがある。しかし、いざ書き出そうとすれば、その当事者も書けないことの前に立ち尽くすことになる。だから、戦争と戦争文学とは、本質的に別物たらざるを得ない――。要するに、当事者性の問題である。

     もちろん、ここに筆者のベトナム取材経験を読み込むのはたやすい。戦闘の当事者ではない立場で戦場を経験した筆者の感じたもどかしさ、手探り感は、原爆表現を論じながら、まるで取り憑かれたかのように、静かに死んで行くベトナムの人々の表情の方を想起してしまうことからもうかがえる。開高は、石川達三と火野葦平を論じる章の冒頭に、「塹壕のなかのことは語らない」という井伏鱒二が引いた言葉を紹介しているが、それは、彼が考えるように、「語れない」=表象不可能だから「語らない」ということなのだろうか。その「語れない」という判断には、むしろ語り手自身の内省の不徹底や、語り手を囲繞する市民社会のまなざしや、より端的には検閲やらが、ごく世俗的なことがらとして雑じってはいないのだろうか。
     戦場を書くことは、生々しい言葉を書きつけることができる官能と技術の持ち主であればできる、ということではない。ヒロシマを描く作品について著者が書いてしまった一節は、その意味で示唆的である。原爆は、文学的には書けない。読むに耐えない下手くそな文章で断片的に書く以外にない。だから原爆を描く文学は、傑作や名作にはなりえない――。ここには、戦争と文学を深いところで切り離し、文学から戦争を放逐しようとしている筆者の姿勢があらわれてしまっている、と読むのは、深読みに過ぎるだろうか。

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