日本の原発地帯 (同時代ライブラリー (286))

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (323ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784002602868

感想・レビュー・書評

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  • 80年代の初め、日本各地の「原発地帯」をまわったルポ。この本のことは、椿崎和生さんからの便りでおしえてもらった。

    日本の原発地帯とは、原発立地のために目をつけられた場所である。「低人口地帯で被害が少なく、補償金も安くてすむ」と値踏みされた場所である。のちに原発ができた地も多いが、建設計画が頓挫した地も少なからずある。ついには原発ができてしまったものの、長く反対運動が続けられた地もある。

    とくに、四国の伊方と、新潟の柏崎刈羽の反対運動のつくり方、つづけ方は、いまも変わらず大切なことだと思える。たとえば、伊方原発反対運動の原則はこうだった。

    (1)いかなる政党にも属さない
    (2)いかなる支援も敵視しない
    (3)各自共闘の自主性を尊重する
    (4)経費は自前とする

    原発地帯の多くは過疎地で、反対運動の中心は高齢者であることが多い。柏崎刈羽では、「地元で産まれ、地元で生活してきた青年たちが、運動を政党や労働組合などの団体にまかせるのではなく、自力で考え、自力でつくりだしてきた」運動が続いていた。これは、上関原発反対の運動を30年続けている祝島につうじるものだと思う。

    原発地帯に対して、当初はにこやかに「安全性」が説かれ、それが通らなくなると「メリット論」が説かれた。心配ではあろうけれど国が安全だと言っていると「安全性」の判断は国に預け、地元にはこんな利益があるとくりかえされてきた。「カネと権力を示せば、人はなびく」という人間観がそこにはあるのだろう。

    だが、あまりに多額のカネが動くことに、不信を感じる人もある。
    柏崎で原発の話がでてきて、買収の話がでてきて、"先進地"見学のタダ旅行があり、その旅行の帰りのバスで東電の社員が口にした補償金の額があまりに大きかったのにびっくりして眠気が吹っ飛んでしまった、という広川けいさん。「そんなカネを払うということはなにかまずいことがあるにちがいない」と思う。それが庶民の英知だと鎌田は書く。

    しかし、カネによって、地元は分断され、自治が破壊されてゆく。「村はたいがい村びとたちの共同作業によって成りたっている。道普請などの土木工事、水かけ、病虫害駆除などの農作業がそれである。それができなくなることは、村の自治が破壊されたことである。」

    カネの力は全国紙はもとより地元メディアにも及ぶ。
    青森の地元紙であるデーリー東北や東奥日報の新聞広告について、青森出身の鎌田は、地元に帰るたびに「あたかも、原子力広告の豪雨である」というほどに感じるという。さまざまな形での「広告費」や「協力費」が、電力会社やその周辺から新聞社につっこまれている。

    1988年、核廃棄物のサイクル基地を建設するプロジェクトが進められようとしていた頃、デーリーが電事連からカネをもらっていたと大騒ぎになっているという話をきいて、鎌田は青森へ飛ぶ。電事連は、「カネを出しているのに、デーリーはいうことをきかない」と文句を言っているという噂もあった

    「いわれのないカネをもらっていると、次第にボディブローがきいてきて、なにも書けなくなってしまう」と、デーリー東北の中堅記者たちは危機感を強め、事実関係究明のために、整理部長、三人の次長、報道部次長、文化部長、地方部次長はクビを覚悟で「七人委員会」を結成した。

    ▼原発の恐怖とは、自然を汚染し、人間や生物の組織を破壊するばかりではなく、品性をいやしくさせ、人間のつながりを裁ち切り、権力に迎合させ、自治体を秘密主義と非民主的にすることにある。電力の原発依存とは、人間生活が危険物に依存し、他人と未来がどうなっても、自分の現在だけがよくなればいい、という思想を蔓延させる。建設過程の強引さが、そのすべてを物語っている。(改題版、p.197)

    このルポは、1982年に潮出版社から出たあと、88年に河出文庫、96年にこの岩波DL、2006年に新風舎文庫、そして2011年の4月に『日本の原発危険地帯』と改題・加筆(まえがき、あとがき)されて出ている。

    岩波DLで読んだあと、昨年の改題刊行版も借りてきて、まえがきとあとがきを読んだ。
    「いま東電の社員とそれよりも圧倒的に多い下請け、孫請け、日雇いのひとたちの自己犠牲的な努力によって、原子炉の暴発が辛うじて押し止められている」(p.336)、その事態のあとにくるであろうことを鎌田は書く。

    ▼この事態が収まると、「もっと安全な原発を」との声が大きくなりそうだ。わたしが問題にしてきたのは、「国が安全だといったから」「あとのことはあとの首長が考えます」と答えていた、原発誘致自治体の判断停止状況だった。原発と引き換えにお金だけを追及[ママ]していたのだ。(p.337、改題刊行版)

    (5/11了)

  • 企画コーナー「今、原発を考える時」(2Fカウンター前)にて展示中です。どうぞご覧下さい。
    貸出利用は本学在学生および教職員に限られます。【展示期間:2011/5/23-7/31】

    湘南OPAC : http://sopac.lib.bunkyo.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=1241910

  • 原発とカネの歴史を丹念に書いている。電力会社や国を汚いと罵ることは容易いが、出す側と受ける側の両方がいるから「生き金」になる。翻弄されるのはいつも弱者だが、弱者は何故、永遠に弱者なのか。危ないから、怖いから、失うものが多いから。反対の理由が何時も何処でもそれに終始していないか。社会が常に将来に回してきたツケに、いよいよ行く手を遮られている今だから、読んでおいて良かったと思う。

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著者プロフィール

ルポライター。『残夢――大逆事件を生き抜いた坂本清馬の生涯』(金曜日)、『大杉栄――自由への疾走』(岩波現代文庫)など、明治大正期の社会主義者、無政府主義者を描いた作品も多い。「さようなら原発」運動、「戦争をさせない」運動などの呼びかけ人。

「2017年 『軟骨的抵抗者』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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