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Amazon.co.jp ・本 (240ページ) / ISBN・EAN: 9784002603162
感想・レビュー・書評
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『狂雲集』とは一休さんで有名な臨済宗の禅僧・一休宗純の漢詩。『梁塵秘抄』は後白河法皇が編者となる歌謡集。室町時代と平安時代の書だから、まさに古典である。昨年は宮本武蔵の『五輪書』も読んだが、このような時代に生きた著名人の執筆を読むことができるのも本という記録媒体の魅力だと思う。この二作を「同時代ライブラリー」の一巻とするのは、二つの論文の対象が似ているからではなく、全く対照的に異なるからだ、というのが著者の説明。
『梁塵秘抄』は平安朝の末期、源平の戦いの時代に編まれ、『狂雲集』は応仁の乱の渦中に書かれた。乱世に日本人がどういう対応をしたかしその叙情詩における、殊に和歌以外の形式における代表的な表現がこの二つの詩集。一方の編者も、他方の作者も、政治的抗争と内乱を超越して、詩歌の世界に没頭して絶対的な価値を見出そうとしたという。
この説明だと対照的だという気がしないが、漢詩により世俗を嘲笑う一休に対し、今様で世俗を編んだ後白河、という所だろうか。『狂雲集』における一休宗純の風狂、破戒の筆に触れてみたく読んだため『梁塵秘抄』はオマケみたいな感じだったがこれはこれで。
ー 平安時代末期に独裁的権力を揮ったいわゆる「三代の院政」の主人公、白河・鳥羽・後白河は、いずれも天皇の位を譲って院庁に入ったとき、剃髪して法皇となった。なぜ剃髪したのか。おそらく世俗的国家から距離をおき、体制の束縛から自由になるため…行政機構の外に出ること、その外在性の強調のために、もっとも便利な慣用の手段が剃髪であった、ということになろう。
世俗とは他者、多勢の価値観であり、それとどう向き合うか。斜に構えてマトモに扱わなかったり、大衆の世相として取り扱ったり。解脱するには世俗から離れなければ。古典ならでは、当時の思想を感じる読書。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
後白河法皇の行状の数々、そしてそれに軽やかにツッコミを入れ続ける加藤周一氏の筆致が面白すぎる。今様狂いの帝によるむちゃくちゃな歴史小説とか、誰か書いてないのかな。
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室町時代の臨済宗の僧・一休が記した『狂雲集』を読む。
学校の図書館に、加藤周一さんの一休に関する本はもうない、と諦めていたのに、『狂雲集』で検索するとこの本がヒットして、「!?」と。
しかし、喜び勇んで読み始めてみると、あれ、なんだか内容にデジャ・ヴ・・・?
以前読んだ『日本の禅語録』に収録されていた内容と、瓜二つなのである。
しかし、細部が微妙に違うような気もする。よくわからないまま、まぁいいや、もう一度読んで損はないだろう、と『狂雲集』の部分だけ読了。
やはりわかりやすい。
一休の相反する極端な部分を、きれいにまとめている。しかも矛盾はきちんと矛盾として受け止め、その上で、ではどういう回路を辿ればこのような形に行き着くのか、と考察している。非常に冷静で、効率の高い方法が取ってある。
しかしそれでも、一休の矛盾の数々を解きほぐすのは難しいようだ。最後にはどうしても感情論っぽくなってしまう。
むしろ、矛盾しているがゆえにこの人の潔癖さというのは輝くのだという気がするので、感情でものを考えないと、一休研究はできないだろう。
うーん、私は一休を感情論で考えられるのだろうか。というか、考えていいのだろうか。感情で推し量るには、あまりに勉強が足らなくて、正直怖い。まだやりたくない。
けれど、そろそろそういうことをしなきゃいけない時期なんだよなぁ・・・。
卒論の最終提出期限は12月に迫っている!!
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