ドイツは脱原発を選んだ (岩波ブックレット)

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  • Amazon.co.jp ・本 (64ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784002708188

作品紹介・あらすじ

冷戦期、東西対立の最前線で核戦争の脅威を肌で感じたドイツの人びとは、スリーマイル島とチャルノブイリの原発事故を経て、緑の党を成長させ、脱原発を選択した。フクシマの危機をきっかけに、脱原発の期日を前倒しにしたドイツの決断と、再生可能エネルギーへの転換のビジョンをコンパクトに解説する。

感想・レビュー・書評

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  • 図書館。原発・エネルギー・電力に関する本を順番に読んでいるその一冊として。

    結局は大量のエネルギーを必要とする現在の社会、そして経済成長を見直す必要がある。
    政治にも倫理を。
    そこに尽きるのではないかと、読んでいてあらためて思った。

    「2011年7月8日に成立した脱原発法では、残りの9基のうち、2015年、2017年、2019年に一つずつ停止され、3つは2021年までに停止、残りの3つは2022年までに停止と定められた。(p44)」
    →2022年、来年だ。ドイツの現状を、知りたい。調べてみよう。

    日本型FITと他国のFITの違い、日本がうまくいっていない部分はどこなのか?調べてみよう。

    スマートグリッド、CCS、FIT、・・・エネルギー問題について関心を持ち始めてから頻繁に聞くようになった単語がそこかしこに出てきた。この本の発行は2011年。当時は正直自分の生活にいっぱいいっぱいで、頭の隅で気になりつつも、自ら調べたり情報収集したりということはしていなかった。そしてこれらの単語も、聞いたことすらなかった。
    本書の中にも「専門的な知識を必要とする難しい問題は専門家に任せた方がよいと考えてきたところがある。(p59)」とあったが、まさに、数年前まで私自身がそう考えてしまっていた。

    「気になるけれど、詳しく知ろうとするとなんだか難しそうだ。素人の自分が感情だけで云々言える問題ではないんじゃないか。云々言うには知らなければならない→知ろうとする→専門家でも意見分かれてるらしい→何が事実?何が可能なことで何が不可能なこと?私は何をどうやって考えたらよいの?わかんない!」で、目の前の自分の仕事や私生活のあれこれを前に、原発やエネルギーについて考えても考えきれないと、素人の自分が入り込める問題ではない、ただ、あれほどの事故があって、今現在その事故が原因で以前の生活ができなくなっている人がいるわけだし、原発がある限り(原発に限ったことではないけれども)自分がいつ当事者になってもおかしくない。何なら今だって当事者だ。即原発ストップが難しくとも、少なくとも将来的なビジョンとして、脱原発に向かっていくことを表明している人、政党に選挙の際は投票しようと、自分にできるのはそれしかないじゃないかと、思っていた。
    一方、今年2021/1月に起きた電力需給逼迫のようなことを考えると、安定的に確保できるエネルギーの必要性も感じる。あの逼迫も、何かひとつの原因があったわけではなく、様々な要因が重なって起きたようだし、その原因追求や今後のビジョンも、またもやコレという正解があるわけではない様子。原発や核に頼らない世界を目指して、それで安定的なエネルギー確保が難しくなるのでは、それはそれで別の問題で次の世代に課題を残すことになる。どこに視点を置けば良いのか、わからなくなる。

    妊娠を機に、読書する本の中に何となくエネルギーや原発関連の本も選ぶようになって、住んでいる地域に配布される原子力関連の冊子にも興味を持って読むようになって。少しずつ、自分の関心が強まっていって。そして脱原発の方向には動いていないこの国の状況を見て焦って、じゃあなぜ脱原発に向かえないのかを知りたくなって、原発立地地域の歴史を追ったノンフィクションを読んだり、立地地域の雇用について考えたりして、さらにはプルトニウムの問題についていえば外交問題もはらむことを知って。再エネの不安定さ、ベースロード電源としての役割、もう一つのベースである火力は二酸化炭素の問題が大きいし、でもCO2排出が抑えられる火力発電所の開発や研究も盛んだということも知って。

    エネルギー、電力、環境、政治、外交、地方経済、送配電、制度、…。関係する問題が多すぎて、知れば知るほど複雑で、全体像なんて見渡せなくて。知りたいのに、知れない。つかめない。誰かと話し合いたいけど、身内ですら、考えすぎ、考えたってしょうがないと返される。そりゃそうだよね、とも自分でも思う。それでも考え続けたいし、考えて何か行動しなければ、次の世代にその難しい問題をそのまま渡すだけになってしまうじゃないか、とも思う。

    事故の際の現場の様子をYouTubeで見たとき、こんなきつい状況に誰かを立たせることを傍観しているなんて自分、どういうことや。二度とここに誰かを立たせることが無いよう、自分はどうすればいいんだ?と強く思った。

    他のエネルギーも再エネも、問題はある。メリットばかりではない。でも原子力の何が他と違うって、専門家でさえ制御できない「核」を扱っているがゆえに、「差別」を招きやすいということが違う。放射線、放射能の知識が一般に浸透しているわけではないし、浸透以前に「正しい知識って何なの?」という話もある。お医者さんや原子力の専門家の間でも、意見が分かれている。そして311のときもしかり、その後もしかり、情報を速やかに集めてそれを速やかに国民に開示し、メディアもそれを速やかに伝える…という体制には、なっていないんじゃないか!?と、素人ながらに思ってしまう。だからこそ疑心暗鬼になって、何を信じれば良いかわからなくて、じゃあとりあえず、「避けよう」とする気持ちが芽生える。それがもう、「差別」。悲しむ人、苦しむ人がいる。誰も差別してやる!なんて強い気持ちで差別しているわけではないと思う。私含めそれぞれの人に大切な人がいて、自分やその大切な人をまず第一に守るため、安心するために、とりあえず避ける。そんな気持ちが大なり小なり芽生えてしまう。不安が生まれる。その原因になる「核」。じゃあどうしたらその差別を取り除けるか?って、知識を各々がつけること。でもその「正しい知識」って何なの?何を信じれば良い?どこに基準を置けばいい?ってのが揺らいでいるから、結局ループする。

    人には生活がある。それぞれ問題や悩みを抱えているし、娯楽もある。全員が全員、エネルギー問題について学び、思考する時間をもて、というのは乱暴だ。個人の問題でなく社会の問題としても、エネルギー問題以外にたくさんの問題があるわけで。それぞれがそれぞれの立場で、それぞれの問題に取り組んだり、学んだりしているわけで。

    原発を動かし続ける限り、核廃棄物が出続ける。地層処分が最も有効だと世界的にも何年も前に結論付けられているとのことだけれど、日本でそれを行うとき、すべては確率の問題で、可能性で進められるわけで。それは何事もそうなのだけれど、でも、事故が起きてしまえばたとえ小さな確率でも起きてしまえばそれは100%になってしまうわけで。今ある廃棄物は、「ある」のだからどうにかしなければならない。でも、これから出るものについては?どういう予測でどういうビジョンを日本が持っているのか、まだ私は知らない。要勉強。
    先日火星探査機が火星に着陸した。火星でも、エネルギーとしていずれ原子力も使うらしい。火星での核廃棄物処理についてどうなっているのか興味があってググってみたけれど、該当する情報を見つけることはできなかった。英語で検索すればまた違うのかな?これも要勉強。
    というか、新たな移住地候補の火星でも原子力を使うという計画なのなら、やはり原子力は辞められないものなのか?という、焦り、不安、悲しみ、なんともいえない感情がわいてきた。原子力も、どんどん研究が進められて、安全性も高められるものが出てきているらしい。どの程度の安全なのか?安全とは??もう、知らなくてはならないことが次々にわいてきて、追いつけない。素人のただの主婦が知ろうとするのは大それたことなのだろうか?

    それでも相変わらず、こうして本を読んだりしている。向き合いたいけど、私が向き合ったところで何になるんやろう、自己満足なだけではないか、とも思う。そうこうしているうちにも、新しい原発の建設は進んでいる。焦る。原発、本当に作るしかないの?ほかに方法は無いの?私にできることは何だ?誰かと話したい。学びたい。

    【引用】
    (本書は2011/9/7第1刷発行。現在は2020/2/21。)

    ・p42...「ドイツはいま、新しいエネルギーシステムをつくる計画を立てている。(中略)ドイツ全国に高圧送電線を張りめぐらせ、再生可能エネルギーのネットワークをつくり、電力の80%を再生可能エネルギーからつくりだそうというものだ。また、エネルギー効率を高めて、エネルギーの需要量自体を小さくし、再生可能エネルギーによる発電を増やしていく、という計画もある(図11)。(中略)他にも、次世代の電力システムとして、スマートグリッドという構想がある。(中略)ただし、スマートグリッドには家庭内の電力使用状況が公開されてしまうという問題もあることを念頭に置く必要がある。」

    ・p44...原発問題倫理委員会には、原子力に関与している人が一人も入っていない。メンバーには原子力の専門家はおらず、カトリックの枢機卿とプロテスタントの牧師が一人ずつと、また、消費者問題を研究している教授などから構成されている。どのようなエネルギーが提供されるべきかは、電力会社ではなく、社会が決めるべきだと考えられたからだ。(中略)2011年7月8日に成立した脱原発法では、残りの9基のうち、2015年、2017年、2019年に一つずつ停止され、3つは2021年までに停止、残りの3つは2022年までに停止と定められた。

    //以下は筆者による「おわりに」//
    ・p47...まず電力をめぐるさまざまな制度を変えるところから始めなければならないと考えた。電力をめぐる制度を変えるとすれば、どこをどう変えればいいのか。一つは需要であり(これが一番影響が大きい)、需要を削減しさえすれば、発電も抑制することができる。原子力発電についても、私たちは当時から反対していた。原子力はコストが高すぎるので、やめた方がいい。倫理的な面ではなくコストの面で、私たちは、原子力は将来のエネルギー制度に入れない方がいいと主張していた。
     もう一つは石炭である。石炭による火力発電は地球温暖化を悪化させる。将来のエネルギー制度に石炭による発電を入れるのか否か、入れるとしても、カーボン・キャプチャー・ストレージ(carbon capture storage;CCS)――石炭の二酸化炭素をキャプチャーして(捕まえて)、どこかに埋めるというもの――が可能になったときのみとするべきではないか(中略)将来的にはこのCCSが可能になるかもしれないけれども、現時点ではその可能性は見えないため、私たちは再生可能エネルギーに力を入れた。
    ・p50...アメリカ人の立場からドイツを見ると、やはり持続可能な発展を追求していると思う。理想というものが、ドイツの文化にはある。自然を守ることが倫理となっている。
     日本には理想がないとは思わないが、企業が利益を追求する力が非常に強く、理想の力を弱めているのではないだろうか。まるで、政治を動かしているのは企業であるかのようだ。東日本大震災後のいまこそ、政治に倫理を導入することが求められているのではないだろうか。

    //以下は市民エネルギー研究所による「解説」//
    ・p56...日本ではnucleareを訳すとき、電力には「平和利用」の名のもとに「原子力」とし、兵器には「核兵器」と使い分け、ヒロシマ・ナガサキの原爆と原発は同じ核の技術であることを曖昧にしてきた。そして、推進派は人びとの核アレルギーをなくそうと「安全」を強調し、政権とリンクして原爆問題と原発問題を切り離そうとしてきた。
    ・p57...一方、反核運動は核兵器反対・原爆実験反対を掲げたが、原発問題も同じ核の問題だという認識はそれほど広がらず、なかなか原発推進反対運動とは結びつかなかった。同じくヒバクをもたらすものであるにもかかわらず……。
    ・p59...一方、市民の側では、原発現地の住民運動や日常生活に関わる共同購入活動などのさまざまな草の根運動は活発だったが、それらの運動どうしを有機的に結びつけて理論化し、政治や制度に反映させていくパイプが乏しかった。また、専門的な知識を必要とする難しい問題は専門家に任せた方がよいと考えてきたところがある。
    ・p59...「日本は資源に乏しい国である」から、電力の安定供給のためには、自前のエネルギー源としての原発が必要である。しかも日本の経済発展のためには、なんとしてもその安定供給が担保されなければならない――これが原発推進の錦の御旗であった。
    ・p60...省エネに励み、太陽光・風力・水力等の再生可能エネルギーを導入しても、エネルギーを大量に消費する産業構造や、私たちの生活様式が変わらなければ、エネルギー消費は増大し続け、大量の電気を必要とする社会である続ける。
    ・p60...再生可能エネルギー普及促進策として固定価格買取制度(FIT)は有効であることが、ドイツ等の例で実証されている。

  • 螟ァ蟄ヲ縺ァ陦後o繧後◆隰帶シ比シ壹?謗。骭イ髮??ゅラ繧、繝??豁エ蜿イ??帆豐サ逧?レ譎ッ縺九i閼ア蜴溽匱驕ク謚槭↓閾ウ繧九∪縺ァ縺ョ驕守ィ九r縺薙l縺九i縺ョ隱イ鬘檎ュ峨?

  • フクシマの衝撃はもちろんだが、ドイツは以前から冷戦による核戦争の危機や、スリーマイル、チェルノブイリ事故を受けて、原発を停止する方向に向かっていた。その中で注目すべきは「緑の党」という政党であり、それが成長しているという。
    ドイツは大陸であるから、エネルギーを輸入できる、という発想があるのには日本人からしてみればびっくりである。

    ドイツは倫理的問題や持続可能なエネルギー、あるいは次世代のためにという理由から、脱原発を選び、再生可能なエネルギーづくりの世界最先端を走っていることになるという。

    ドイツが、経済だけでなく、環境倫理にも真摯に取り組んでいることに感銘をうけた。

    アメリカ人でドイツ在住の著者は、被爆国である日本がなぜ多くの原発を持つことを不可解に感じているそうであるが、
    日本とドイツの違いも踏まえて、日本がどれくらい企業やマスコミに踊らされてきたかということが分かる。
    政治にも倫理を導入すべきであるという筆者の主張にも私は賛成する。

  • ドイツ国内には元々再生可能エネルギーの利用と脱原発志向が強かったものの政権交代によって風向きは変わっていた。
    そこに3.11と福島原発の惨事があり、ドイツ政府は専門家集団からなる委員会と原発専門家ではない集団からなる倫理委員会を諮問機関として設け、その答申を受け脱原発に舵を切った。
    一見順調に見えるが、日本に先んじて始まった固定価格買取制度において太陽光の発電の割合に比して買い取り予算に占める割合が大きく制度への批判が高まっている等の問題も指摘されている。

    確かに日本での即時の脱原発は難しいが98%まで来ている六ヶ所村の最終処分施設の容量、現在原発内にある燃料棒等の処理の問題、発電時のCO2排出は少なくても発電後冷却に使われた水を海に流した際海の温度が上がり生態系に影響を及ぼす点等を解決することなしに原発を動かすこと、福島の放射性物質垂れ流しのような惨状を見ると本書の最後にあるように日本は原子力の「被害国」から「加害国」になったという指摘は正しい。

    またスマートグリッド(蓄電)技術の向上も一つの鍵になりそうな印象

  • 本書は、2011年6月に日本で行われたドイツ政府原発問題倫理委員会委員ミランダ・A.シュラーズの講演会の内容をもとに編集されたものである。
    一度は脱原発を決めながら、政権交代により原子力推進路線に転換したドイツが、なぜ再び脱原発に、それも全原発停止を前倒しにするという積極的な取り組みに変わったのか。そのいきさつが簡潔にまとめられている。チェルノブイリの事故により、実際に放射能の影響を体験したドイツにとって、福島第一原発の事故は、日本よりもはるかに大きなインパクトを持って受け止められている。また、地球温暖化問題においても同様で、日本と取り組み姿勢に大きな差があることがわかる。ドイツにも環境省はあるが、その立ち位置、権限の違いは非常に大きい。機能の仕方が根本的に違うのだ。
    巻末に解説として付けられている「なぜ日本でこれだけ多くの原発がつくられてきたのか」は、原爆の被害を世界で唯一受けている国でありながら、また世界有数の地震国でありながら、なぜ原発に対する危機感を持たないのかと不思議に思うドイツ人やアメリカ人に対し、うってつけの説明だ。
    海外の目から見れば、日本は被爆国ではなく、今や世界に対して日々放射性物質を垂れ流し続けている汚染源になっていることを改めて認識しなくてはならない。

  • ドイツでは原発と核兵器を密接に関連づけて考えられていて、脱原発を進める背景には平和への思いがあるというのは、意外だった。意外だったという感想を抱くこと自体、日本人だけなんだろうな、と思い至った。
    あれだけの事故を起こしながら結局いまだに日本が脱原発に舵を切れないのは、「原発をやめられるのか、やめられないのか」ばかり議論しているからなんだろう。本当に脱原発に舵を切ろうと思ったら、「原発無しでやっていく覚悟をきめらるか、どうか」なんだろうなぁ。

  • 講演を訳したものなので同時通訳的な無味乾燥な文章。
    ドイツがどのように脱原発の道を辿っていったのかがとてもコンパクトにまとまっている。

    ドイツは自然を大事にする、環境を守るという基本的な精神的土壌がある。日本は経済がまず先に来ると。
    ドイツ人にとって、原爆を投下された日本が原発を推進し52基も作ってしまったことは到底理解しがたいことなのだという。

    「アメリカ人である私は、かつて日本に留学し、現在はドイツに住んでいるが、ドイツも日本も外から相対化して見ている。ドイツ人が日本についてまず疑問に思うのは、広島と長崎に原爆を落とされたにもかかわらず、どうしてこれほどたくさんの原発を持っているのか、ということである。これはドイツ人にはとうてい理解できない。二つめは、日本は地震の多い国であるにもかかわらず、なぜ原発をつくったのか、ということだ。
    一方、アメリカ人の立場からドイツを見ると、やはり持続可能な発展を追求していると思う。理想というものが、ドイツの文化にはある。自然を守ることが倫理となっている。
    日本には理想がないとは思わないが、企業が利益を追求する力が非常に強く、理想の力を弱めているのではないだろうか。まるで、政治を動かしているのは企業であるかのようだ。東日本大震災後のいまこそ、政治に倫理を導入することが求められているのではないだろうか。」(p50-51)

    最後の数ページで日本がなぜ原発を推進したかがコンパクトにまとめられていて、これだけでも読む価値があると思う。

  • 請求記号・539.091/Sc 資料ID・310006009

  • 約50頁の短い本だが、日本とドイツの原発政策の違いが分かりやすく書かれていて勉強になった。特に、日本でエネルギー政策を行うのは経済産業省(=企業の利益を優先する)であるのに対し、ドイツでは環境省がエネルギー政策を行う(=放射線の問題や地球温暖化等に敏感)という点が、それぞれの原発政策に大きく影響していると感じた。この本をきっかけに、ドイツのエネルギー政策についてもう少し勉強してみたいと思った。

  • 読みたい。

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