- Amazon.co.jp ・本 (64ページ)
- / ISBN・EAN: 9784002708621
作品紹介・あらすじ
津々浦々の駅前や道路沿いに燦然とかがやき、一歩ふみいればアップテンポの音楽と賑やかな場内アナウンスが人を興奮に引き入れる。日本独特の娯楽であるパチンコは、景品の現金化というシステムを持つギャンブルである。競馬・競輪・競艇・オートレース、宝くじにサッカーくじ…。賭け事まみれの日本で、いまギャンブル依存症が増えている。ギャンブル大国の姿を追う。
感想・レビュー・書評
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タイトルと中身に齟齬がある。内容の過半は東日本大震災の被災地におけるパチンコ依存の話であり、残りも「復興カジノ構想」をめぐる話なのだから。
タイトルはともかく、中身は素晴らしい。関係各方面に丹念な取材を行った良質なルポルタージュになっている。
東北の被災地でパチンコ依存が広がりつつある現状の報告は、衝撃的だ。
津波ですべてを失い、絶望にとらわれた被災者が、ふさぐ気分をまぎらすためにパチンコに行き、ハマってしまう。あるいは、狭い仮設住宅に居場所のない男たちが、「パチンコにでも行くしかない」と通いつめるようになり、ハマッてしまう。そんなケースが多く見られるというのだ。
被災者たちに支払われる補償金・義援金・亡くなった家族の生命保険金・東電からの賠償金などが、パチンコに使われてしまう。そのことを一概に非難するわけにはいかないにせよ、なんとも悲しい話ではある。
仮設住宅のすぐ近くに、複数のパチンコ店が建つ地区もある。中には仮設住宅がパチンコ店に隣接し、まるで一体の施設であるかのように見えるケースもあるという。
「これが深刻な依存症問題として社会的に表に出てくるのは、お金が尽きて問題が出始める頃、おそらくこれから何年か後のことになるでしょう」と、地元で依存症を専門に扱う病院の職員はコメントしている。
前に読んだ帚木蓬生の『やめられない――ギャンブル地獄からの生還』で知ったことだが、日本のギャンブル依存は大半が「パチンコ依存」だから、本書がおもにパチンコ問題を扱っているのは当然である。帚木は、本書にも取材相手の一人として登場している。
最後の章で扱われる「復興カジノ構想」とは、石原慎太郎や橋下徹などが熱心に推進してきた「日本にカジノを作ろう」という構想を、震災からの復興にからめて実現しようとするもの。
津波をかぶって価値を失った東北沿岸部の広大な農地にカジノを作り、収益を復興財源に回そうという、一見もっともらしい構想である。
本書で紹介されている橋下徹の発言がなんともアレなので、メモ代わりに引用。
《「日本はギャンブルを遠ざけるゆえ、坊ちゃんの国になった。小さい頃からギャンブルをしっかり積み重ね、全国民を勝負師にするためにも、カジノ法案を通してください」(2010年10月、「ギャンブリング*ゲーミング学会」総会でのあいさつから)》
先進諸国のうちで飛び抜けてギャンブル依存症が多く(※)、すでに「ギャンブル大国」である日本に、さらにカジノを持ち込んでどうしようというのか。
ましてや、すでにパチンコ依存が増加傾向にある東北の被災地にカジノなど作ったら、ギャンブル依存の種が増えるだけではないか。
※厚労省が2010年に行った研究調査によれば、日本の病的賭博の推定有病率は、成人男性9・6%、女性が1・6%。病的賭博の有病率は、ほかの先進諸国では1・5~2・5%とされており、9・6%は飛び抜けて高い。
本書の終盤にある次の一節に、強い印象を受けた。
《何もかも失った被災者が、仮設住宅に隣接するパチンコ店に通いつめ、のめり込む。まっとうな復旧を待つ被災者が、地元目線ではない「復興カジノ」に振り回される。
取材していて何度も、ギャンブルと原発問題はどこか似ていると感じた。
誰もが内心その危険性を認めながらも、積極的な対策を打たないできた。産業の膨大な利権を政治家や警察が守る。多くの学者や専門家は現実から目をそらす。スポンサーにおもねたマスコミは真実を伝えない。そして最終的に、人の命や暮らしよりも、常に経済効果が優先されるということも。》
ブックレットだから文章量は少ないが、ヘタな単行本より充実した読後感を味わえる好著。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ギャンブル依存症の視点から、日本のパチンコ産業やこれから導入されようとしているカジノの問題点を論じている。カジノの是非を議論する際、様々な論点が挙がるわけだが、その際にも、常にこの視点に立ち返ってみることが必要なのではないか。
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パチンコはギャンブルである
また、ギャンブル依存は治療しないと治らない病だが、たんなる甘えだ、と思われたり、家族が借金をかぶったりして、発見されにくい
震災後にパチンコギャンブルにはまる人も多い
単純にお金を与えればよいのではなく、やりがい、が感じられるもの、仕事が欲しいのだ
沖縄は戦後、歌や踊りを広めて乗り越えてきた
ギャンブルは必要なかった -
パチンコの害悪がこの一冊でわかる。
ページ数も少ないので簡単に読めるのもいい。
日本国民必読の書。 -
つねづね、パチンコ店の多さに???だったので、読んでスッキリ。
カジノがなくても、日本はギャンブル大国です。
ギャンブルを、政治をまきこんだ利権が守っているということですね。 -
震災と依存症。およびその背景である日本のギャンブル事情。
東日本大震災の後、被災地でパチンコ屋が繁盛しているらしい。
どこの国でも災害の後の被災地では依存症が増える。
色々なものを失って、未来は不安で希望が見えなくて、気力を使い果たし、孤独な上にすること(できること)も行く場所もない。
トラウマと依存症にも親和性がある。
そういう状況に依存しやすいもの(アルコールなり薬なりギャンブルなり)があると、依存症になる人が増えるのも当然のことだ。
支えあえる人がいるとか、することがあるとか、少しでも希望がみえらばまだ良いけれど、なにもないなら痛みを忘れ虚無を埋めるための何かが必要だ。
今の日本の被災地では、そこを埋める役割をパチンコが果たしてしまっている。
『復興の本屋』で「みんなで助け合って耐え忍ばなきゃいけない空気のなかで、本を選んだり読んだりする時間は自分のためだけにつかえる貴重な時間だった。だから本屋が必要だったんじゃないか」と言っている人がいた。
難民キャンプの図書館でも、外に出られず仕事もなく倦んでいた人たちが、図書館というコミュニティセンターに価値を見出す姿があった。
私は本が好きだから本関係のところに目がいくけれど、老眼だったり読書への敷居が高かったりする人もいる。
スポーツでも本でもなんでもいいから、自分が役立たずだと思わなくていいような「なにか」が必要なんだと思う。
本書によると
世界のゲーミングマシン(パチンコやスロットの類)の6割が日本にある。
手近にギャンブルがあるから、ギャンブル依存が多い。
その背後には警察とのなれ合いや政治との癒着、広告収入に依存するマスコミの沈黙がある。
らしい。著者自身が書いているように原発に似ている。
復興をお題目にしてゴリ押ししようとするところはオリンピック招致のやりくちにも似ている。
これがあんまり公にならないのは、差別につながりやすいからっていうのもあるんじゃないかと思う。
支援する人(自分も被災者)は、あんまり仮設住宅とパチンコ問題を結び付けないでほしい、この狭くて何もないストレスだらけの場所で息抜きだって必要だけど「義捐金で遊んでいる」と叩かれる、と言っていた。
震災後にネットでパチンコ批判が出たと著者はいうけれど、あれは大部分ただのヘイトスピーチだ。
批判ではなく叩きやすい相手をたたくだけの生活保護叩きと変わらない。
イメージだけで悪そうなものを痛めつけようとする人の矛先は、常に弱者に向かう。
だけどたとえば女性のアルコール依存や家庭内の性的虐待が「日本にはないもの」として無視されてきたように、ないものとされたままでは助けの手も得られない。
それはそれとして、やっぱり取り上げる際には勘違いされないように最大限の配慮が必要な問題だと思う。
この本の問題提起は必要なことだし、著者が悪い書き方をしているわけではないけれど、叩きたい人が利用しやすいようなわきの甘さがあってちょっと心配。
統計の使い方もうまくない。
全部平均で考えちゃったら信憑性だってうすまる。
『復興の書店』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4093798346
パチンコの代わりに本を用いることができた人たち。
『図書館は国境をこえる』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4876525137
難民キャンプなど大変な状況にあえて図書館をつくる。
『ホロコースト後のユダヤ人』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4790715752
連合国は強制収容所から解放されたユダヤ人が気力を失って動けずにいるのを「怠け者」と評した。
『星の王子様』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4001156768
酒飲みは酒を飲む自分が恥ずかしいから酒を飲む。
『アディクションとしての自傷』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4791107586
自傷は苦痛を紛らわせる、いわば生き延びるための方便。だけどその方便は長期的に見れば破滅を招く。
ギャンブル依存にも通じる依存症の仕組み。