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Amazon.co.jp ・本 (64ページ) / ISBN・EAN: 9784002709284
みんなの感想まとめ
戦争の実相を深く掘り下げるこの作品は、2008年からのガザに対するイスラエル軍の大規模攻撃を詳細に取材しています。第一次から第三次にわたる攻撃の特徴や手法、そしてその影響を受けた子どもたちの視点を通じ...
感想・レビュー・書評
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本書も知之介さんの本棚から。
パレスチナの子どもたちが願う「普通の日常」とは何か?
⇒「世界の他の国のように、普通に学校へ行って、普通に遊べて、普通に家族と暮らしたい。それだけが望みだ」。
この言葉が胸に刺さって抜けない。
本書に登場するパレスチナの子どもたちが、どこへ行っても口にする願いだという。
けれど、その「普通」は、彼らにとっては特別で、遠くて、手に入らない。
古居みずえさんは、2014年夏のイスラエル軍によるガザ侵攻のさなか、そしてその前後に、子どもたちの生活に寄り添い続けたフォトジャーナリスト。
岩波書店の紹介にもあるように、彼女が追ったのは「この六年にみたび戦火を経験した子どもたちの日々」。
2008〜2009年、2012年、そして2014年。
わずか6年の間に三度の大規模攻撃。
その現実を前に、私はページをめくる手が震えた。
読後評価は☆4.5
(´ρ`*)コホン
では、本書の内容を含めた感想を。
■「安全なところはどこにもない」という現実
ガザの子どもたちは、爆撃の音を聞き分ける。
空爆か、砲撃か、どの方向からか。
それを判断しながら生きている。
岩波書店の紹介文には、著者の言葉として「安全なところはどこにもない」と記されている。
その一文だけで、胸がぎゅっと締めつけられる。
本書の中心に描かれるサムニ家の子どもたちは、三度の侵攻を経験した家族だ。
彼らは家を失い、家族を失い、心に深い傷を負いながら、それでも生きようとしている。
古居さんが取材を始めるきっかけとなった少女マリアムの話も、岩波書店のページに詳しく書かれている。
爆撃の瞬間、目の前に人体の一部が飛んできた。
その日から彼女は話せなくなり、夜ひとりでいることも、窓のそばに立つこともできなくなった。
この事実を読んだとき、私は言葉を失った。
「戦争が子どもに与える傷」という言葉では到底足りない。
これは“心の破壊”だ。
■瓦礫の上に立つ子どもたち
2014年の侵攻では、避難民は人口の約4分の1にあたる45万人に達した。
停戦後も11万人が避難生活を続け、瓦礫の撤去すら進まない。
「復興どころか、瓦礫の撤去すらおこなわれていない」と古居さんは書く。
その瓦礫の上に、子どもたちは立っている。
かつて家族と暮らした家の跡地で、壊れた壁を触りながら、
「ここに台所があった」「ここで寝ていた」と語る。
その姿を想像するだけで、胸が痛い。
家が壊れるということは、生活が壊れるということ。
生活が壊れるということは、未来が壊れるということ。
それでも彼らは、学校に戻り、サッカーをし、笑おうとする。
その強さは、強さというより、ただ「生きるために必要な力」なのだと思う。
■「声を聞き、伝えること」
古居さんは言う。
「私たちにできることは、戦争を体験した人たちの声を聞き、伝えていくことだ」。
その言葉を読んだとき、私はハッとした。
“知ること”は、無力ではない。
“聞くこと”は、行動の第一歩だ。
そして“伝えること”は、世界の無関心に抗う行為だ。
本書を読み終えた今、私は感情がぐちゃぐちゃになっている。
怒り、悲しみ、無力感、そして「知ってしまった責任」。
でも同時に、学び続けたいという思いが強く湧き上がっている。
子どもたちが願う「普通の日常」が、普通に手に入る世界を想像するために。
そのために、まずは知り続けること。
声を聞き続けること。
そして、伝え続けること。
本書は、ただの戦争報告ではない。
これは、子どもたちの人生の記録であり、叫びであり、祈りだ。
ページを閉じても、胸の奥でその声が響き続けている。
<あらすじ>
本書は、フォトジャーナリスト古居みずえが、2014年夏のイスラエル軍によるガザ侵攻の最中とその前後に取材した子どもたちの姿を記録したノンフィクションである。著者は1988年からパレスチナに通い続け、特に女性や子どもの日常を追ってきた人物であり、その長年の蓄積が本書の背景にある。
物語の中心となるのは、サムニ家の子どもたちである。彼らは
- 2008〜2009年の侵攻
- 2012年の攻撃
- 2014年の大規模侵攻
という、わずか6年間で三度の戦火を経験した。著者は、2009年のガザ攻撃の際、瓦礫のそばを歩く少女マリアムと出会ったことが取材の原点だったと語る。爆撃の瞬間、彼女の目の前に人体の一部が飛んできたという体験は、彼女の心を深く傷つけ、言葉を失わせた。著者はその出来事を通じて、「子どもたちの心の中で何が起きているのか」を知りたいと思うようになった。
2014年のガザ侵攻では、ガザ全域で住宅・学校・病院が破壊され、避難民は人口の約4分の1にあたる45万人に達した。停戦後も11万人が避難生活を続け、瓦礫の撤去すら進まない状況が続く。サムニ家の子どもたちも、破壊された家の跡地に立ち尽くし、かつての生活を思い出しながら、未来への不安を語る。
第1章では、三度の侵攻を経験したサムニ家の子どもたちが、どのように恐怖を抱え、どのように日々を生きようとしているのかが描かれる。爆撃の記憶は、彼らの遊び、学び、眠り、家族との時間すべてに影を落とす。しかし同時に、彼らは日常を取り戻そうとする。破壊された学校に戻り、授業を再開し、サッカーをし、笑顔を見せる。著者は、彼らの「生きようとする力」を丁寧に追う。
第2章では、2014年の侵攻をより広い視点から描く。攻撃現場を歩き、破壊された住宅や農地、特に緑豊かな農業地帯だったフザア村で起きた悲劇を記録する。戦時下で支援活動を行う人々にも取材し、医療物資の不足、避難所の過密、封鎖による物資不足など、ガザが抱える構造的な困難を明らかにする。
本書は、戦争の「事実」を伝えるだけでなく、戦火の中で生きる子どもたちの心の奥にある痛みと、それでも前を向こうとする姿を描いた記録である。著者は「安全なところはどこにもない」と語り、封鎖されたガザで逃げ場を失った人々の現実を、写真と証言を通して読者に突きつける。
本の概要
世界の注視を集めた2014年夏のイスラエル軍のガザ侵攻時、何が起こっていたのか。この6年にみたび戦火を経験した子どもたちは、日々をどう生きているのか。事態は悪化し、「安全なところはどこにもない」(著者)――。悲劇が繰り返される土地・パレスチナに20年以上通うジャーナリストが伝える現地の声。写真多数。
著者について
古居みずえ(ふるい・みずえ)
1948年島根県生まれ。フォトジャーナリスト。
アジアプレス・インターナショナル所属。JVJA(ビジュアル・ジャーナリスト協会)会員。1988年にパレスチナのイスラエル占領地に入る。以降、パレスチナのほか、ウガンダやインドネシア、アフガニスタンなど各地の現状、特に女性や子どもたちの日常を精力的に取材している。
著書に『インティファーダの女たち――パレスチナ被占領地を行く』(1990=96増補版)、『ぼくたちは見た――ガザ・サムニ家の子どもたち』(2011)(ともに彩流社)、『パレスチナ 瓦礫の中の女たち』(2004)、『ガーダ 女たちのパレスチナ』(2006)(ともに岩波書店)、映画監督作に『ガーダ パレスチナの詩』(2006)、『ぼくたちは見た――ガザ・サムニ家の子どもたち』(2011)など。3.11以降、福島の飯舘村に通い、映画『飯舘村の母ちゃんたち』を制作中。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2008年からのガザに対するイスラエル軍の、3次にわたる大規模攻撃の実相を取材したもの。
第一次(2008–09)は、イスラエルの「先制的攻撃→地上侵攻」型でガザ全域を対象にした破壊力の大きな作戦だった。
第二次(2012)は比較的短期・限定的で、主に空爆中心の攻撃だった。
第三次(2014)は複合型で、空爆と大規模地上侵攻を伴った長期戦だった。
イスラエル軍は誰を、どのように、何人殺したのか。これらははたして「戦争」と呼ぶに値するのか?
「どっちもどっち」論の人にこそ、このブックレットを読んで欲しいものだ。そんなに時間はかからない。 -
イスラエル軍にひどいことをされているパレスチナ。イスラエルはユダヤ人がつくった国家で、彼らは欧州で差別をされていたのに、さらにひどいことをパレスチナ人にしている。どうしたものだろうか。
著者プロフィール
古居みずえの作品
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