相模原事件とヘイトクライム (岩波ブックレット)

著者 :
  • 岩波書店
3.89
  • (13)
  • (12)
  • (10)
  • (2)
  • (1)
本棚登録 : 173
感想 : 21
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (64ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784002709598

作品紹介・あらすじ

2016年7月26日に起こった相模原事件は、重度の知的障害者19人が亡くなり、27人が負傷するという戦後最悪の被害を出した。怒りと悲しみが渦巻くなかで、加害者の障害者抹殺論に共感する声も聞かれている。ナチス・ドイツによる障害者「安楽死」計画の歴史を振り返るとともに、未来に向かって、障害者に対するヘイトクライムの根を断つ方途を考える。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • この事件についてマジで1回心から向きあってみたいと思って読みました。今思ってることは確実に言語化して整理しておきたいのでこれを書きます。結論を言うと、少しでも生産性を上げるために日々何かしらを頑張っている僕たちと、生産性がない人間は生きる価値がないという理由で犯行に及んだ植松との間に本質的な違いはないんじゃないか、あるとしたらそれは一体何なのか、ということです。

    時間がある人は↓の動画も見てください。少し長いけど何回も見返せる素晴らしい動画です
    NPO法人「抱樸」理事長の奥田知志さんのインタビュー
    https://www.youtube.com/watch?v=KzhXPukmyhQ

    まず、植松の主張は首尾一貫していて、障害者=生産性がない、役に立たない(迷惑をかける)=生きる意味がない=抹殺されるべき という考えを持っていました。
    この考えは間違っています。なぜなら人はみんな生まれた瞬間に生きる権利があって、その権利は誰からも奪われることはないし、同時に人の命を奪える権利のある人もいないからですね。これがいわゆる基本的人権で、日本国民なら全員理解していると思います。

    では次に、僕らの普段の生活について考えてみます。
    僕らは大体毎日仕事したり、学校に通ったり、子供を育てたりして生産的な活動を行っていますよね
    生産的とは何かというと、何か価値のあるものを生み出したり、昨日できなかったことを今日できるように頑張ったり、資格をとって能力を開発したりそういうことです
    もっと言うと、みんな年収の高い仕事に就きたいと思っていたり、医者とか弁護士みたいな能力の高い人が社会的に高い地位や信頼を得ていたり、短い時間でたくさんの仕事を効率的にこなそうと自己啓発本を読んだり、これらも全部僕らみんなが生産性を高めたいと思っていることの現れですよね。

    つまり何が言いたいかと言うと、今僕らが生きている資本主義社会の中においては、生産性が高いこと=良いことなわけです
    短い時間でたくさんのお金を稼いだり、たくさんの仕事や趣味を効率的にこなしたり、質の高い製品を大量に生産することができるようにみんな毎日何かしらを頑張っているわけで、僕らが日々やっていることはこのどれかに当てはまっているわけですね

    社会全体が生産性というものさしで動いていて、僕らもそのシステムの恩恵を享受して生活をしているという現状を踏まえたうえで、植松の主張に戻ります
    つまり、障害者に生きる意味はあるのか、という問いです
    例えば周囲の人と意思疎通ができなくて、自分で食事や排泄ができなくて介護士や保護者の助けを得ないと生きることができない人がいるとして、その人達に対して、あなた達にも生きる意味はありますよ、命の価値はみんな同じですよ、って日々生産性を追い求めてる僕らの口から言えるのか?って思ってしまうわけです 自分たちが毎日していることと矛盾しないか?ということです

    もちろん植松のように積極的に障害者の命を奪うこととは明らかに違うけれど、生産性が高い=良いこととみなしてる僕らは間接的に生産性が低いこと=意味のないこと・価値のないこと を認めていることにならないか?という疑問がずっと自分の中にあるんですよね つまり、僕らの中にも植松はいるんじゃないかということです

    ここで、考えられる反論として障害者にだって家族がいて、その人たちは障害者がいることで救われてる・役に立っているという考えがあるかもしれないんですが、この考えも危険なんじゃないかと思っています
    結局誰かの役に立っているから生きている意味があるという「価値を生み出しているベース」で考えている時点で植松と一緒なんです 家族も親戚も誰もいない天涯孤独な障害者の人がいて、誰もその人から救われてないとしたら、その人は生きる価値がないということにつながってしまうからです

    植松の考えと真っ向から対峙するには、「生産性があろうがなかろうが、たとえ誰かの役に立ってなかったとしても、すべての命には平等に価値がある」という考えを持つ必要があります。でもこれはとてもむずかしい。
    なぜなら僕らは生産性という呪縛にとらわれているからです 小さい頃から短い時間で高い点数を取れるように学校で教育を受けて、誰かの役に立つためだけに一生懸命頑張ってきた僕らにとって、誰の役にも立ってない人の存在を心の底から認めてあげることが果たして本当にできるんだろうかって思うのです。例えば自分に子どもができたとして、出生前診断を受けたら重度の障害があると判明したとき、僕らは堕胎手術を受けずにその子を生んであげることができるか?という問いに対してどれだけの人が胸をはってYESと答えられるでしょうか

    この本で綴られているブラウネ牧師の考えに、生産性のない人間を無価値とするならば、高齢者や病気にかかった人など、いずれ自分も無価値になる可能性がある、というのがあります
    本当は価値があろうがなかろうが命の価値は平等という、「積極的な」平等意識を持つべきだと思いますが、今の成熟していない社会(自分も含めて)では、あなたもいつ生産性のない側の人間になるかわからないんだから、生産性と命の価値をわけて考えようよ、そうしないと自分がそうなった時に辛いよ っていう「消極的な」平等意識にならざるを得ないのかな、というのが今の結論です

    最後に本書の中で一生心に刻んでおきたい言葉で終わります
    「生産性や労働能力に基づく人間の価値の序列化、人の存在意義を軽視・否定する論理・メカニズムは徐々に拡大し最終的に大多数の人を覆い尽くすに違いない。つまり、ごく一握りの「勝者」「強者」だけが報われる社会だ。すでに、日本も世界も事実上その傾向にあるのではないか」

  • 相模原障害者施設殺傷事件から既に3年が経過しました。衝撃的な事件ではありましたが、これほどの大事件でも風化するのはとても速いです。
    元介護職員の植松聖が知的障碍者福祉施設「津久井やまゆり園」に侵入し19人を刺殺した大量殺人事件です。
    まだ色々な情報が出揃っていない時に出た本であります。これは事件に対するジャーナリズムではなく、センセーショナルな報道によって犯人に同調する人が出るなどの事が考えられる為、社会的な風潮や健常者側の理論ではなく、過去に歴史上に点在する障碍者を排除しようとする優生思想への警鐘としての本です。
    本書で最も引き合いに出されたのはナチスドイツによる障碍者への断種、安楽死です。これはヒットラーの思想によるものかと思っていましたが、どうも医学界側から持ち込まれた事らしいです。これをヒットラーはユダヤ人へのホロコーストへの実験として考えていました。すなわち一人の狂人が行った事ではなく、劣った人間は排除していいと考える人が一定数いるという事になります。
    これは時代的なものでは無く、一般の人々の中にも根強く残っているという事になるのではないでしょうか。日本もハンセン病患者に断種をしていた事実もあり決して無関係ではないです。
    そしてこの相模原事件を起こした植松聖は正しい事をしたという事に疑いを持っていません。日本の為、世界の為、そして障碍者の為と信じて犯行に及んでいます。
    これが、この一人の心にあった特異な例と誰が断言できるでしょうか。マイノリティーを迫害する事によって心の安定を図る人が沢山いる事を我々は知っています。色々な場所で起こっているいじめという名の犯罪行為もそこにつながっていると思います。
    僕は音楽をやっているのですが、ダウン症の女の子がファンになってくれました。とてもかわいらしい子で、先日手紙を貰いました。お母さんに見せないで一生懸命書いた手紙でした。それはそれは心が籠った手紙で胸が詰まって涙が出ました。
    それまで障碍が有る人と触れ合っていなかったので、ある意味障碍のある人を遠巻きにしていた気がしました。それから障害を持つ人々が身近に感じる事が出来たので、僕にとっては恩人のような女の子です。

    自分よりも劣っているものは排除してもいい。足並みを揃える事が出来ず生産性の無い人は排除してもいい。そういう社会にならないようにはどうしたらいいんでしょうか。綺麗ごとでは何も変わらないんでしょう。綺麗ごとで終わるならこんな悲惨な事件は起こらなかったはずです。

  • 世田谷区長の保坂氏の著述。岩波ブックレットは初めて
    読みました。
    去年の相模原事件の破門や、報道のされ方。ナチスのT4
    作戦など。心が震えるような話もありました。
    被害者の家族のうち、匿名を希望される家族も少なくなかったとか。
    いろいろな事情があるのであろうから、一概には当然
    言えないし、言ってはいけないことだと思います。
    優生思想が復活してきそうな風潮のなか、本当に奪っていい
    命など存在しない。
    何をいうべきかわかりませんが。みんなに考えてほしい。
    自分ももっと考えるべきだと思います。
    障害者(あえてそう書きますが)の方々は社会のセンサー
    だと思っています。彼らが暮らしにくいということは、
    社会がおかしくなっているということ。
    手帳はとっていませんが、非常に軽度な高機能広汎性発達障害と
    言われている私の息子は、本当に宝物です。
    自分自身ももしかしたらADHD系ではないかと思うところもありますし、
    彼の友達や、自閉傾向のある仲間のみんなは、
    私たちにとっても、かわいい仲間なのに、家族にとっては
    本当に宝物のはず。
    もしこの子達が、優生思想のもとで、だれかに非難される
    ことがもしあれば、頭がおかしくなりそうです。

  • 相模原事件、優勢思想についてはどんなに文献を読んでも、これについて問題提起する作品や文章を読んでも答えが出ない。

    本書は相模原事件を「恐ろしい事件」「あってはならない事件」と思考停止ともとれる評価の先を見据えた、人々の意識下・無意識下にある障害者雇差別思想に踏み込もうとしていたのが良かった。
    あとナチスドイツの「T4作戦」については私も深く知らなかったので知れて良かったと思う。

    でも、やはり何か物足りなさも感じてしまう…。

    障害当事者の意見や聞き取りが取り入れられていたのは良かったのだけど、障害者のケアをする家族の負荷とか複雑な想い等については触れられておらず、ケアを引き受ける現場(=実際はケアをする者(金銭面という意味では社会)が心身を削って成り立っている現実)という視点が抜けている気がするのだ。

    言い方は悪いけど、誰かの犠牲の上に成り立つものであるという視点がどうしても私は引っかかってしまう…。

    相模原事件について、優勢思想の完全な否定をするための答えは私の中でまだ出ない。
    考え続けたいと思う。

  • 2022年11-12月期展示本です。
    最新の所在はOPACを確認してください。

    TEA-OPACへのリンクはこちら↓
    https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/opac_details/?bibid=BB00527570

  • SDGs|目標10 人や国の不平等をなくそう|

    【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/712053

  • p.13─「許されない犯罪」、「ありえない犯罪」という表層の言葉では決定的に弱いのです。

    「公益」と「優生思想」の共鳴について、これからも考え続けたい。

  • 自分の中にまだ落とし込めていないので、ルポを読んで後日改めてまとめたいと思う。ひとまずブックレットは2時間弱でチャチャっと読めたので所感を簡単に。

    「重度障害者は周囲を不幸にする不要な存在」。そう植松死刑囚は言い放った。「インクルーシブ社会」「分かち合う社会」福祉国家として掲げられるキラキラと光るビジョン。一方で、ひとつ障害を取り除こうとすれば、他の者が我慢を強いられる現実もある。これを植松死刑囚は「自業自得で税金の無駄遣い」と表現した。彼は、特異で、残虐で、そして確固たる優生思想のもと、計画を実行した。そこに迷いはなく、そしてこれからも考えを改める気はないような言動を繰り返している。

    彼の考えは、決して相模原事件だけに、彼の中だけに留まるものではないように思える。止まないヘイトクライム、事実に基づかず広がっていく差別的な噂たち。この問題から目を背け続ける人々の心の中にも、小さな優生思想が潜んではいないか。問われているような気がした。

  • 政治家でありながらしっかりとジャーナリズムを保つことをこなしていることに敬服。その上で政策として地域共存とヘイト思想根絶が現在では矛盾しているという事への言及が抜けている点を指摘したい。施設そのものを排除する段階ではないはず。当事者に寄り添えばそれだけこの矛盾が明確化してくる。政治ではどうにもならないほどに。

全21件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1955年、宮城県仙台市生まれ。世田谷区長。高校進学時の内申書をめぐり16年間の内申書裁判をたたかう。新宿高校定時制中退後、数十種類の仕事を経て教育問題を中心に追うジャーナリストに。子どもたちの間で広がった「元気印」は流行語に。1980〜90年代、世田谷区を拠点に教育問題に取り組むプロジェクトを展開。1996年衆議院初当選。衆議院議員を3期11年務め、総務省顧問を経て、2011年、世田谷区長となる。著書多数。

「2018年 『親子が幸せになる 子どもの学び大革命』 で使われていた紹介文から引用しています。」

保坂展人の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×