《原爆の図》のある美術館 丸木位里、丸木俊の世界を伝える (岩波ブックレット 964)
- 岩波書店 (2017年4月7日発売)
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感想 : 4件
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Amazon.co.jp ・本 (72ページ) / ISBN・EAN: 9784002709642
作品紹介・あらすじ
原発と原爆を一体のものとして批判していた丸木位里・丸木俊夫妻の先見性が、3・11以後、改めて注目されている。二人の共同制作《原爆の図》はいかに描かれ、それがもたらした衝撃とはどのようなものだったか。二人の生い立ちと遍歴、そして美術史的にも再評価が進む《原爆の図》について、丸木美術館の学芸員が語る。カラー図版多数。
みんなの感想まとめ
作品は、原爆の図を描いた丸木位里・丸木俊夫妻の生涯とその制作過程を通じて、戦争の悲劇や人間の尊厳について深く考えさせる内容です。夫妻の作品は、日本国内外での展示を通じて、特に3・11以降の現代において...
感想・レビュー・書評
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漫画『隙間』(高妍ガオ・イェン、KADOKAWA)の第4巻に、画家の丸木位里と丸木俊にまつわるエピソードが描かれていた。
丸木夫妻について知ろうと思い、とっかかりとしてこのブックレットを手に取った。
著者は「原爆の図 丸木美術館」の学芸員の岡村幸宣。美術館は埼玉県東松山市にある。絵の題名が冠についている美術館は珍しい。
ここには『原爆の図』全15作品のうち、最後の第15部《長崎》を除く14作品が常設展示してある。
このブックレットにもその14作品がカラー写真で掲載されていて、個々の作品の解説もある。
ただ、実物はいずれも巨大な屏風絵なので、本のサイズだと細部は見えない。やはり美術館に足を運んで実物を見たいと思った。
自分は埼玉に住んでいるが、恥ずかしながら地元にこの美術館があることを知らなかった。
1967年に東松山市に美術館兼アトリエとして建てられたあと、丸木夫妻の活動拠点になったようだ。
2025年9月下旬から改修工事に入ってしまうらしいので、それまでには訪れたいと思う(再開予定は2027年5月)。
ちなみに改修工事の期間は、『原爆の図』は国内外をまわって巡回展示するようなので、逆に美術館から離れた場所に住んでいる人にとっては、近くで観られるチャンスがあるかもしれない。
漫画『隙間』にも書かれていたように、『原爆の図』は多くの人たちの証言や協力に支えられて作られた。また、ふたりは厳しい批判からも目をそらさず、作品に取り込んだ。
丸木夫妻は戦時中は埼玉に疎開していたため、原爆の被爆者ではない。投下直後の様子については見ていない。
8月6日に「新型爆弾」が投下されたという知らせを聞き、丸木位里は列車に乗って9日夜に故郷・広島に着く。妻の俊もあとから向かい、ふたりは広島でひと月ほど過ごした。
丸木夫妻は、自らの目で見た焼け野原と家族から聞いた話をもとにデッサンを重ね、絵の構想を練った。
作品の創作手法は独特だ。水墨画の位里と油絵の俊が、交互に筆を重ねてひとつの作品を完成させる。
最初の『原爆の図』(のちの第1部《幽霊》)を発表したあとも、ふたりはさまざまな人たちの証言を集めて絵に取り込んでいく。
夫妻のもとに非合法の写真が送られてきたこともある。その多くは陸軍省西部報道部の山端庸介が長崎の被爆翌日に撮影したものだったが、当時は撮影地も撮影者も不明だった。
そのころの日本は米国の占領下で、占領軍の検閲もあった時代だ。
1954年には静岡県焼津市のマグロ漁船・第五福竜丸が米国の水爆実験で被爆する事件もあった。それを受けて、原水爆反対の署名活動が全国に広まった。
丸木夫妻は、第9部《焼津》と第10部《署名》を完成させる。作品のテーマとして広島を離れた初めての作品となった。
しかし、この2作品については「怒りを描かねば抵抗を描かねば、と思ったのですが、思いの方が先に立って筆がついていかなかった」と後悔し、周囲からも類型的すぎるとの批判を受けた。
1967年発売の画集ではこの2作品を外した。
当初、《焼津》に描かれていた富士山はナショナリズムが強すぎるとの判断から加筆され、第五福竜丸の船影に変えられた。
《署名》にも画面全体を覆い尽くすように白い鳩や梅の花が描き加えられた。
米国の巡回展では「真珠湾攻撃や南京大虐殺があったから原爆が落とされたのだ」「中国人が南京の絵を描いて日本に持っていったら、あなたはどうしますか」という反応にも直面し、丸木夫妻は戦争の被害だけでなく、加害や性暴力も重ねて描きたいという思いを強くする。
原爆の報復として殺された捕虜がいたという話を聞き、第13部《米国捕虜の死》では、怯える捕虜に向かって怒りに満ちた民衆が迫る光景を描いた。
原爆投下のあと「一番最後まで死骸が残ったのは朝鮮人だったとよ」「一番最後まで残った朝鮮人たちの死骸のあたまの目ン玉ばカラスがきて食うとよ」という話も聞く。
石牟礼道子が『朝日ジャーナル』に発表した「菊とナガサキ 被爆朝鮮人の遺骨は黙したまま」を読んで、第14部《からす》では、カラスを中心に描いた。
1982年に第15部《長崎》が描かれ、結果的にこれが『原爆の図』最後の作品となった。
1950年に第1部《幽霊》が描かれて以降、さまざまな証言や協力、時事問題の影響を受けて『原爆の図』全15作品は作られた。
ふたりは自己の反省や周囲からの批判もしっかりと受け止めて、一度完成した作品を作り変えることもいとわなかった。
丸木夫妻の他にも原爆を描いた画家はいたが、その多くはキノコ雲や焼け跡などの風景画だったという。夫妻は「それより人が死んだことが辛い」と人間に焦点を絞った。
『原爆の図』の初期作品のころ、占領軍の検閲は新聞や雑誌、映画が中心だった。そこで丸木夫妻は各地で展覧会を開き、直接観てもらうことに決めた。
移動しやすく、万一の際には絵を巻いて逃げられるように、当初パネル張りだった作品は、掛軸に仕立て直された。
やがて、展覧会は「占領目的阻害行為処罰令」違反の対象として狙われるようになる。
1951年の札幌展では会場責任者が逮捕されるが、その直後の函館展では、主催の百貨店が「われわれ商人から見ますと、これで儲かるのです」と喜び、入場を規制するほどの超満員となった。
忖度や自主規制に逃げない、たくましい主催者にも支えられたようだ。
丸木夫妻は、原爆以外にもテーマを広げ、『沖縄戦の図』や『南京大虐殺の図』『アウシュヴィッツの図』『水俣の図』『水俣・原発・三里塚』なども描いた。
『隙間』にも出てくる『沖縄戦の図』は、普天間基地(沖縄県宜野湾市)に隣接した佐喜眞美術館に常設展示されている。凄い立地だ。
このブックレットは64ページと薄く、カラー写真もふんだんに使われているので、あっという間に読める。
丸木位里・俊夫妻や『原爆の図』に関する入門書としても、また美術館の予習資料としても最適だと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
埼玉県東松山市にある「原爆の図丸木美術館」を訪問したきっかけでこの本を読んだ。原爆の図を描いた丸木位里・俊夫妻の生い立ちや制作過程、原爆の図について、日本のみならず海外での展示などについて書かれる。原爆の図もそうなのですが、南京大虐殺の絵から受けた衝撃も大きかった。「中国人が南京の絵を描いて日本に持って行ったら、あなたはどうしますか」(p 43)この言葉を目にしたときの衝撃は忘れてはならないと思った。
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丸木夫妻の辿った人生が大まかに把握できた。絵が細部まで見えないのは、仕方ないものの残念。丸木美術館で実際の大きな絵を前に、岡村さんのお話を聞けるのが楽しみ。お
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