《自粛社会》をのりこえる――「慰安婦」写真展中止事件と「表現の自由」 (岩波ブックレット)

  • 岩波書店
4.00
  • (1)
  • (1)
  • (1)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 24
感想 : 2
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (80ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784002709734

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • p10〜
    この部分だけ卒論に使えそう

    それ以降は執筆者のご意見を述べる文章だった。

  • 「抗議行動があり混乱が予想される」ことで集会を中止にしてしまうと,集会の反対者・妨害者に事実上の集会中止権限を与えてしまうことになる.
    自身の決定が表現者の表現の場を奪う行為であることや,世界的なカメラメーカーが抗議行動に屈することの社会的意味に想像力を及ぼすのではなく,組織の論理や,個人的利益を優先する思想が,そこには現れている.
    「表現の自由は他者への伝達を前提とするのであって,読み,聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となる」
    日本人は空気を読むことが得意であって,論争や批判を呼び起こしそうな表現を思いとどまることがある.
    ーそうした「表現の自由」を守る闘いに対し,写真家や表現者,メデイアの反応はどうでしたか?
    海外と日本のメディアとでは大きな温度差がありました.早くから欧米と韓国のメディアが大きく取り上げた一方で,日本のメディアは朝日新聞が継続して報道する以外は毎日新聞と東京新聞が少し取り上げた程度.テレビは反応が薄かったです.(P.30)
    読み進めれば読み進めるほどに,日本の情けなさが際立つ.
    ニコンの担当役員がトップに「怒られる」事だけを再三尋問で口にしていたのがなんとも情けない,「表現の自由を守る」立場には全く立ってないのだ,それでよくカメラという正に「自由」を表現するものを製作しているものだとあきれ返る.
    戦後日本では,幾人かの戦犯が責任を負わされた以外,多くの戦争に協力したものたちが戦後も何食わぬ顔で同じ地位に,又は高い地位についており,その反省は一体何処へやら.
    そう「慰安婦問題」とは決して過去の問題ではなく,現在進行形で続く女性蔑視の人権問題なのだ.
    女性法廷の原告となった女性たちは,旧日本軍に「慰安婦」にされ,性暴力を受けた.多くの性暴力被害者がそうであるように,彼女たちも初めは沈黙するしかなかったと思う.暴力の主体が,国や親といった絶対的な支配力を持つ者の場合,暴力を受けた者は,自分が悪かったと思って諦めるしかない.「慰安婦」に対する差別も根強く,助けを求めることすらできなかっただろう.帰国線が港に着く前に船から身を投げた人もいたという.その女性たちが,長い時間をかけて粘り強い支援を受け,「自分は悪くない」「恥ずかしくない」と言えるようになり,責任者を裁いてほしいという訴えにたどり着いた.(P.46)
    ここは重要で,1990年代になってから「慰安婦」を騒ぎ出したというのは,それまではそのことを口に出すのが憚られるような社会であったからに他ならない.「日本軍慰安婦の事は放ったらかしで!」とか言うのもいるが,こんな日本社会だ,日本人慰安婦ならば余計の事公言できないことだろう.
    表現の自由の侵害とは,表現者の自由だけでなく,芸術を鑑賞する者たちの知る・感じる自由もまた侵害する=思考する機会を奪う,ということ.(P.48)
    「知る権利」と言われるように表現の自由も表現者だけの自由ではない.知らされなければその表現せんとすることを知ることも理解することもできない.そして考えて物事にあたることもできなくなってしまう.
    「タブーを避ける」「妨害予告におびえる」「組織の論理に縛られる」ホントこれは「表現の自由」にとって敵でしかない.両論併記や中立ではなく明らかな一方的な権利への侵害なのだ.
    2017年4月時点での「世界の報道自由度ランキング」では72位でG7中最下位となった,第2次安倍内閣発足後下降を続けている.
    抗議行動を見ていると,韓国は日本よりは民主主義国家なのだなと感じる,さすがは勝ち取った民主主義.
    「朴槿恵大統領を弾劾できても,官僚主義の安全装置としての公務員は弾劾対象にされないことは深刻な問題だ」
    「“人の弱さ”を描き共感するのでは,結果的に加害の立場に立ってしまい,最も傷ついた人たちをさらに傷つけることになる」
    「検閲とは無意識的に内面化されるときこそ完成する」私たちは「自粛」で検閲を完成させてはならない.
    ー日本では,児童買春について「援助交際」との言葉で「遊ぶ金ほしさに」「気軽に足を踏み入れる少女たち」という文脈で語られ続けてきた.そこにあるのは「援助」や「交際」ではなく,暴力と支配の関係だが,買う側の存在や性暴力,子どもの傷つきやトラウマについて目を向ける人は少ない.(P.59)
    そうして売る側の少女がその想像力も働かせず叩かれる姿が日本には日常的に存在する.買う側が悪い,大人は子供を守らなければならない,という常識すら蔑ろにされている.
    「私たちは「買われた」展」に対する誹謗中傷の数々が酷すぎる,いや日常的にSNSで見かけるそれがそのまま展のその向こうにいる生身の女性たちに投げかけられるのはなおのことひどい.
    男性の性欲を抑えられない本能的なものだ説と,風俗の性暴力抑止説の根は深いな……自分の意思で始めたのだから(だから性暴力に遭うのは仕方がない)説も.
    「売春婦」と「淑女」として女性を二分化する考え方や,慰安婦や売春婦が性暴力の防波堤になるという思想は日本軍い慰安婦」を生み出し,敗戦後に米軍兵士による強姦を防ぐためとして設立された特殊慰安婦施設協会(RAA)を生んだ.
    「そもそもAV業界が「女の自己決定」を限りなく搾取した上でしか成立しない業界ではないだろうか.」
    ーだが,その「悲劇」(※筆者註:明治以来の国家建設が侵略戦争に行きついて破綻したこと)の帰結から何の教訓も汲まず,そこから生まれた「戦後レジーム」を廃棄して「世界の中心で輝く国」を目指すというのでは,行きつく先は「二度目の茶番」でしかない.

全2件中 1 - 2件を表示

著者プロフィール

1971年、韓国江原道生まれ。写真家。1991~94年社会写真研究所で活動。「ナヌムの家」、韓国挺身隊研究所などに関わる。2001年より中国に残された朝鮮人元「慰安婦」女性の調査を開始。2003年にソウルで初めて「重重」写真展を開催。2012年、新宿ニコンサロンで予定されていた展覧会が直前に中止を通告され、東京地裁に仮処分を申請、開催に至る。その後も日韓の市民や研究者、ジャーナリストの支援のもと各地で写真展や講演会を実施。「重重」プロジェクト http://juju-project.net/

「2013年 『安世鴻写真集 重重』 で使われていた紹介文から引用しています。」

安世鴻の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×