古語拾遺 (岩波文庫 黄 35-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (231ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003003510

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  • 古語拾遺は、平城天皇の下問に応じて大同二(806)年に斎部広成が上呈した文書である。大化の改新以来、朝廷祭祀は中臣氏が主導権を握り、斎部(忌部)氏はその下風に立たされていた。そのため、広成はここぞとばかりに忌部氏が祭祀を司る正当性を訴えたのである。その心情は、序の「蓄憤(積もり積もった憤懣)をのべまく欲す」という言葉に如実に現れている。日本書紀を下敷きにした短い文書であるが、古語についての独自の語源解釈を展開したり、天岩戸の場面で忌部氏の遠祖太玉命が活躍するなど異説も散見され、興味深い資料となっている。

  • 古代より宮中の祭具作り、そして祭祀をつかさどってきた氏族の1人、斎部広成が、平安時代のはじめに、平城天皇の下問に応えるという形で書いたものです。
    「古語の遺りたるを拾ふ」と題された本書は、日本書紀をベースにして古代神話を振り返り、祭祀体系の「あるべきすがた」を切々と説いていきます。しかしその本文は、文庫版でたったの44ページ。なんとも、拍子抜けするくらい短い文章です。少し古文や漢文をかじったことのある人なら、それほど苦労せず読むことのできる分量でしょう。しかし、短い分だけ、その内容は凝縮された、極めて緊張度の高いものになっています。
    「蓋(けだ)し聞けらく、上古の世、未だ文字有らざる時、貴賎老少、口々に相伝へ、前言往行、存して忘れずと」で始まり、「願わくば斯(こ)の文の高く達(とほ)りて、天鑑の曲照を被(かがふ)らむ」と結ばれる。最初と最後のこれらの文は、いままで目にしたなかで1、2を争うほどの名文だと私は思っています。その格調の高さは本文のはしばしから感じられるのみならず、序文・本論・跋文というように整然と構成された文体は、まるで現代の学術論文のようで、半端な気持ちで読む者を寄せ付けない鋭さを纏っているかのようです。
    それも、撰者である広成の、並々ならぬ覚悟の上にあったものなのでしょう。宮中で藤原氏が権勢を振るうようになり、こと祭祀にあっても、藤原氏を輩出した中臣氏、そしてその子孫である大中臣氏が勢力を伸ばした時代です。老齢の広成が成したことは、かつては中臣と並んで祭祀を担当してきた氏族の運命をかけ、起死回生を目指しての行動だったのでしょう。この機会のおかげで「恨」を黄泉へと持っていかずにすんだ、と跋文のなかで本懐を語る老臣の心境はいかばかりだったか。それを思うとき、本論となる神話や祭祀の次第が斎部の氏神である「太玉命」の活躍中心に描かれていることに対しても、もはや手前味噌と短絡的に片付けることが、どうしてできるでしょうか。
    校註者の西宮氏による解説は実に本書の3分の1という分量。注釈を合わせると、実に全体の半分に及びます。解説も注釈も、国文学と文献考証に特化していて難しいものですが、内容はすこぶる豊富で、理解を助けてくれるでしょう。

    (再読)

  • ガッツリ読むには集中力が足りなかった

    内容は簡潔でいいけど、熟読は辛かったので、軽く流し読んだ

  • 571夜

  • やまとことばのオンパレード!
    神様!
    古事記、日本書紀を、別の語り口から語ったような本。
    斎部氏が中臣氏に対抗して書かれたそうです。
    宮廷で古より祭事を執り行っていたプライドをかけて。
    巫女ものを書くときに読み返したいかも。

    松岡正剛の千夜千冊
    http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0571.html

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