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Amazon.co.jp ・本 (392ページ) / ISBN・EAN: 9784003021118
みんなの感想まとめ
愛と死が交錯する物語は、キャバクラのお姉さんと相思相愛の男女が結婚できないために自ら命を絶つという悲劇を描いています。元となる実話が大阪で噂となり、近松門左衛門の手によって浄瑠璃化され、社会現象を巻き...
感想・レビュー・書評
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「心中」というと、不謹慎かもしれないが思い浮かぶのは太宰治だ。彼の生き方や作品に関しては賛否両論あるだろうが、私はわりと太宰が好きである。とある作家のように神格化する気はまったくなく、むしろ文章が上手いこと以外からきしダメだったからこそ人々に親しまれたんじゃないかとすら思っている。弱くて、女好きで、子供のような陰口を叩く、この絶妙な人間臭さに酒とタバコのかおりを染み込ませ、一抹の矜持をふりかけて生まれたのが太宰文学で、理想的な強さを追い求める文学に対するアンチテーゼとして世間に受け入れられ、認められた、というのが正当な評価だといえるだろう。どうしてすんなり受け入れられたかと言えば、世の中の男性というものが想像以上に「弱い生き物」だからではないかと思う。
近松門左衛門の作品をまとめた本書を読んでいると、男というものは意外と弱くだらしないものなんじゃないかと思えてくる。
『曽根崎心中』の主人公は金を返さない敵役に散々に打ちのめされ、復讐もできず金の工面もできずに心中の道を選ぶ。『卯月紅葉』の主人公は義父の妾に散々虐められ、あげくその妾の弟に殴られ、様々な濡れ衣を着せられたあと、弁明したり身を落として生きていく道を選ぶでもなく心中を決意し、自分一人は生き残ってしまうというなんとも情けない結末。『心中重井筒』に関しては妻がいる身で遊女と心中、自分は死にきれず井戸に落ちて死亡という哀れな最後。『冥途の飛脚』ではそもそも自害へ向かうことすらできず、親に会いに行ってしまった際に捕まり処刑されてしまう。
こう列挙していくと、誰一人として「好漢」と呼べそうな男がいないことがすぐにわかると思う。女好きで喧嘩は弱く、金を工面するだけの知恵もなく、潔さもない。男の容姿への言及もないので、どうして女たちはこの男どもに惚れてしまったんだ?と首を捻ってしまう。しかしなんというか、こういう男の描き方のほうが生々しく感じられるから面白い。子供のような考え方にはなるが、「強い」というのは「弱い」があるからこそ成り立つし、「強い」ことが尊ばれるためには「弱い」が多数派でなければならないのだ。
太宰達「無頼派」の時代になっても同じような男性像が描かれ、多くの読者を獲得していったことを考えると、近松が見出した男の姿は、時代を超えた普遍性があったのだなぁとしみじみ思う。むしろ男の真の姿と言ってよいかもしれない。坂口安吾が「下を向け!」と力強く声をかけ、それを受け入れて肩の荷を下ろした男達の数は計り知れないほどだったであろう。また、そんな男を慕った女の姿も多かったに違いない。弱い者が弱い者を慕う、それが誰もが目を背けつつも、受け入れている社会の真実なのだ。
さて、最後に本書の読みやすさなどに関しても述べていこうと思う。文法や単語的には難しくないのだが、独特の謡のリズムの中で、当時の人なら知っていて当然という調子で大した説明もなく物語が展開していくため恐ろしく読みづらい。ページ下の補注に書いてある簡単なあらすじを読まないと、特に序盤は話を理解するのが困難なほどだ。しかし岩波文庫の御多分に洩れず、本書も補注がとても丁寧なのでしっかり参考にした方が良い。この読みづらさも、我慢して耐えていれば、生々しく香ばしい群像劇を演出する最上の舞台装置として働いてくれる。美味しいものを食べるためには、多少の我慢は必要なのである。
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醤油屋(平野屋)の使用人・徳兵衛、売春茶屋の遊女・お初と恋仲にある。徳兵衛の雇い主、醤油屋の主人(久右衛門)は、親戚の娘と徳兵衛を結婚させようとしている。また徳兵衛が金を貸した知り合い(油屋の九平次)が「徳兵衛に金を借りた覚えはない、徳兵衛が借用書を偽造した」と悪評を立てる。さらに遊女のお初も売春客から「仕事を辞めて一緒になれ」と迫られている。二人は死ぬしかないと曽根崎の森へ歩みだす。▼この世にお別れ、夜にもお別れ。死にゆくこの身は墓地の霜(しも)、一足ごとにきえてゆく、夢の夢のようで哀れに思う。夜明けを知らせる七つの鐘が六つ鳴って、残る一つがこの世の鐘の音の聞き納め。寂滅為楽と響いてくる。近松門左衛門『曽根崎心中』1703
※大坂道頓堀・竹本座で初演
※徳兵衛とお初が心中した天神の森は、”お初”天神と呼ばれてる神社の近く。
誠の花は嵐で散り、霜(しも)で枯れる。風や霜で傷まない花は偽りの造花である。近松門左衛門『用明天皇職人鑑』1705 ※大坂道頓堀・竹本座で初演
芸は実と虚の境目にある。近松門左衛門
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『寿ことぶき曽我対面そがのたいめん』1676
ある悪党の男。悪党の前を若い男女が通りかかる。悪党は若い男に対して家来になれ、若い女には俺の女になれと強要。若い男と女が従わないため、首を刎ねろと家来に命じる。そのとき、謎の男(鎌倉景正)が「しばらく待て」と声をかける、「おまえは皇位を狙う悪党」だと責め立てる。悪党の家来たちが謎の男を取り囲むが、謎の男によって斬り殺される。悪は滅びる。『暫しばらく』1697
源氏の宝刀・友切丸が何者かに盗まれた。曾我時致(そがときむね)は助六と偽名を名乗り、盗まれた宝刀を探していた。助六と恋仲にある吉原よしわら(東京日本橋人形町)の遊女・揚巻(あげまき)。この揚巻に言い寄る金持ち・意休(いきゅう)。この意休が持つ刀こそ盗まれた友切丸らしい。助六は意休に刀を抜かせて確認しようとする。『助六由縁ゆかりの江戸桜』1713
※油"揚"げに包まれたいなり寿司と"巻"寿司を詰め合わせたものを助六寿司。
『伽羅先代萩』1713
『平家女護島』1719
藤原時平は政敵である菅原道真を左遷させた後、「道真の息子(菅秀才かんしゅうさい)を殺して、その首をもってこい」と命じる。道真から恩を受けた松王丸は、苦悶の末、わが子の小太郎の首を身代わりとして差し出す。竹田出雲(初代)『菅原伝授手習鑑てならいかがみ』1746 ※大坂道頓堀・竹本座の興行主・浄瑠璃の作家
寿司屋の男。平重盛に恩があり、重盛の息子(維盛これもり)をかくまっている。ある日、源氏の家臣に維盛をかくまっていることがばれてしまい、維盛の首とその妻子を引き渡せと命じられる。そこで名もなき死体の首を切り、代わりに差し出そうと計画。この計画を寿司屋の不良息子が知り、父の計画を助けて親孝行しようと、内緒で偽物の首を維盛そっくりに細工し、さらに自らの妻子を維盛の妻子に扮装させた。そこに源氏の家臣がやってきた。不良息子は維盛そっくりの首を源氏の家臣に渡し、さらに維盛の妻子に扮装させた自らの妻子を引き渡す。源氏の家臣は帰っていく。寿司屋の男は不良息子が維盛を殺し、その妻子を引き渡したと勘違いして大激怒。不良息子を切り殺してしまう。不良息子は死ぬ間際、真相を説明。寿司屋の男は泣いて後悔する。竹田出雲(二代目)『義経千本桜』1747
江戸(元禄)時代の赤穂事件を鎌倉時代に当てはめたもの。鎌倉の鶴岡八幡宮、塩谷(えんや)家の高定(たかさだ)が、高師直(こうのもろなお=悪役)に侮辱され、怒って切り付ける。塩谷家の高定は切腹を命じられ、塩谷家は取り壊されてしまう。高師直への復讐に燃える塩谷家の家臣たち。▼早野(はやの)勘平(かんぺい)。塩谷家の家臣。鶴岡八幡宮での切付け事件が起きたとき、主君の一大事にもかかわらず、現場を離れて女(お軽/おかる)といちゃついていた。そのことを他の家臣から咎められ、主君の仇討ちにも参加させてもらえないことに。勘平は居場所を失い、女(お軽)の故郷の実家で暮らすことに。▼お軽の父は貧しさから、お軽を遊女屋に売り、金を受け取る。しかし、家に帰る途中、真夜中、山中で盗賊に殺され、金を奪われてしまう。そこに偶然、狩に来ていた勘平が猪と勘違いし、盗賊を射殺してしまう。勘平が近づいてみると暗闇で姿は見えないが、人であるらしく、ふところをまさぐると金を持っていたので奪う。村に帰ると、お軽の父が行方不明という。その後、お軽の父の死体が見つかる。勘平は暗闇の中で間違って殺したのはお軽の父親だったと勘違いして絶望。塩谷家の家臣から、女の父親を殺して金を奪ったとして、切腹を命じられる。勘平が切腹した直後、冤罪だったことが判明するが、時すでに遅し。竹田出雲(二代目)『仮名手本でほん忠臣蔵』1748 ※大坂道頓堀・竹本座の興行主・浄瑠璃の作家
○定九郎(さだくろう)。盗賊
○与市兵衛(よいちべえ)。お軽の父。
○お軽の母。勘平が与市兵衛(自分の夫)を殺したと責め立てる。
○お軽。遊女屋に身売り、京都の祇園へ。
○一文字屋。遊女屋。
○大星(おおぼし)由良助(ゆらのすけ)。塩谷家の家臣。お軽に密談を聞かれたので、お軽を殺そうとする。
○斧九太夫(おのくだゆう)。塩谷家の家臣だが、高師直に寝返る。
○寺岡平右衛門(てらおかへいえもん)。お軽の兄。塩谷家の家来
✳︎山崎(京都)。お軽の故郷。
『京鹿子娘道成寺』1753
鎌倉時代、源頼家と北条時政が戦をしていた。源頼家方の軍師(佐々木高綱たかつな)は、味方の若武者(義村)が敵方の将(北条時政)の娘(時姫)と恋仲にあると知る。佐々木高綱「義村よ、時姫に父時政を討つように言え」。時姫は義村に懇願され、父時政を討つことと決心。いざ出陣。近松半二はんじ『鎌倉三代記』1770 ※竹田出雲の弟子
※佐々木高綱=真田幸村
※義村=木村重成(源頼家方、敵方の将の娘時姫と恋仲) ※尾上松緑 (4代目)
※時姫=千姫(敵方の将の娘、義村と恋仲・義村の母を世話)
※源頼家=豊臣秀頼
※北条時政=徳川家康
※源vs北条=大坂夏の陣
ある若い男(久我之助)と若い女(雛鳥)がいた。しかし、和歌山に住む男の父(清澄)と、奈良に住む女の父(定高)は領地争いで対立していた。蘇我入鹿は、男の父に対して息子久我之助を入鹿に家臣として差し出すこと、女の父に対して娘の雛鳥を入鹿の妻とすることを命じた。男の父は命令に従う気はなく、息子に切腹させ、その首を刎ねた。一方、女の父も娘に嫁入り支度をさせた上で、娘の首を刎ねた。娘の首は吉野川に流され、その首を男の父は手厚く拾い上げる。これ以後、両家の争いはなくなった。『妹背山いもせやま女庭訓ていきん』 1771 近松半二 ※竹田出雲の弟子
『積恋雪関扉』1784
飛脚屋の忠兵衛、遊女の梅川と恋仲。遊女の梅川は、売春客から「仕事を辞めて一緒になれ」と迫られていた。飛脚屋の忠兵衛は金を工面して自分が梅川を身請けしようと試みる。そこに恋敵・八右衛門が「自分が身請けする」と言い出す。焦った飛脚屋の忠兵衛は武家屋敷に届ける配達物である預かり金を着服し、梅川の身請け金にあてようとする。『恋飛脚こいのたより大和往来』1796
※近松門左衛門『冥途の飛脚』が元。
東海道四谷怪談
番町皿屋敷
春興鏡獅子
鳴神
『桜姫東文章』1817
兄頼朝に謀反の疑いをかけられ追われる身の義経と家来たち。加賀の安宅(あたか)の関所に差し掛かる。家来たちは山伏に変装、義経は従者に変装して通ろうとする。家来の弁慶「消失した東大寺を再建するための募金活動(勧進)をしています」。関所の責任者(富樫)から趣意書(勧進帳)を読んでみろと言われた弁慶は、別の巻物を開き、趣意書を即興で暗唱。さらに従者が義経ではないかと疑われたため、弁慶は従者に扮した義経を杖で打って見せる。義経たちは関所を通ることを許可される。三世並木五瓶『勧進かんじん帳』1840 ※大坂道頓堀角座の作家
※能「安宅」が元。
※安宅住吉神社(石川)。難関突破のお守。
赤穂事件。江戸城松之大廊下で、赤穂藩主(浅野長矩ながのり)が、旗本(吉良)に斬りつけた。当時、江戸城では朝廷の使者を接待中で、綱吉は大激怒。浅野は即日切腹、赤穂の領地は没収、赤穂城も明け渡し。▼討ち入りを取り止めるという偽の血判書をまわし、血判を拒否して仇討ちをすべきと主張した者だけを討ち入りの成員に加えた。
※あら楽し。思いは晴るる、身は捨つる。浮世の月に、かかる雲なし。大石内蔵助
※浅野家の菩提寺。花岳寺(兵庫県赤穂市)
赤穂浪士たちが吉良邸に討ち入る前日。俳人(宝井其角)が赤穂浪士の一人(大高源吾・笹売り)に会う。俳人「この男は主君の仇を討つこともせず、商売ばかりしてして困ったものだ」。▼翌日、俳人と松浦鎮信しげのぶ(長崎・平戸藩主)は句会をしていた。松浦鎮信は赤穂浪士を密かに応援していた。松浦鎮信「いつになったら大石内蔵助や大高源吾は吉良を討つのだ」。俳人「昨日、赤穂浪士の大高源吾に会ったのですが、こちらが"年の瀬や水の流れと人の身は"と発句を詠んだところ、"明日またるるその宝船"と脇句が返ってきました」。それを聞いた松浦鎮信は今日が討ち入りの決行日だと知り大いに喜んだ。3世瀬川如皐『松浦の太鼓』 1856
※お縫(源吾の妹・松浦鎮信の屋敷に奉公)
※忠臣蔵外伝
盗賊。『白波五人男』1862
『河庄かわしょう三人吉三廓初買』1860
『青砥稿あおとぞうし花紅彩画はなのにしきえ』1862 (河竹黙阿弥)
『梅雨小袖昔八丈』1873
二人の僧が山道で出会い意気投合して世間話。しかし互いの宗派が法華宗(日蓮宗)と浄土宗だと分かると、「自分の宗派の方が優れている」と言い争いに。さらに太鼓や鐘をたたいて、法華宗の僧は題目を浄土宗の僧は念仏を唱える。しかし何度も唱えているうちに、間違えて法華宗の僧が念仏を、浄土宗の僧が題目を唱えてしまう。▼白と赤の獅子の精が長い毛を豪快に振る「狂い」という演技。『連獅子れんじし』1874
『紅葉狩もみじがり』1887
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◯出雲阿国。出雲大社の神前巫女。京都北野天満宮でかぶき踊を始める(1603)。
◯竹本 義太夫ぎだゆう(1651-)。大坂道頓堀に芝居小屋(竹本座)を創設。
◯近松門左衛門(1653-)。浄瑠璃の作家。作品が竹本座で上演される。
◯金毘羅大芝居(1835-)。現存最古の芝居小屋。香川。
※名跡みょうせき。代々継承される家名。
※歌舞伎舞踊。演劇と踊りを様式化した美。
※一枚目(思慮分別・貫禄)。二枚目(美男)。三枚目(道化)。
※にらみ。市川團十郎のみ。明王像。
※隈取(くまどり)。歌舞伎の化粧。
※松竹。大歌舞伎(ベテラン)・花形歌舞伎(若手)。
※松竹。南座(四条)・大阪松竹座(道頓堀)・歌舞伎座(東銀座)。
○中村歌六。五代目(1950-)。播磨屋はりまや
○中村時蔵ときぞう。五代目(1955-)。萬屋よろずや
○中村芝翫しかん。八代目(1965-)。成駒屋なりこまや
○中村勘九郎。六代目(1981-)。中村屋
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義経。船頭や漕ぎ手など非戦闘員は殺さないという不文律を破り、平氏の船頭や漕ぎ手を弓で射殺。 -
キャバクラのお姉さん(遊女)と相思相愛になったが結婚するほどお金がないので一緒に自殺するという話。
・元ネタの実話が大阪にあって噂話になってた
・それをたまたま近松門左衛門プロデューサーが「これアニメ化(浄瑠璃化)したらおもしろくね?」と思って脚本書いてみたら空前のヒットになった
・それは社会現象となり、江戸の世にリアル心中ブームを巻き起こし、幕府が禁止することになった
「我とそなたは夫婦星」
とか
「恋の手本になりにけり」
とか、ここぞというとこの語感がすごくて、この言い回しって→浄瑠璃→歌舞伎→時代劇→特撮やアニメの「見得」にも繋がっているように思えます。
小説ばっかり読んでいると声に出した時の「語感」みたいの忘れがちなんですが、戯曲脚本は聞いた時の心地よさを前提に書かれているので発見でした。 -
『曾根崎心中』は、近松世話浄瑠璃の初作。その後の24篇に及ぶこの分野の原型となっている。主人公の徳兵衛、お初は晩年の最高傑作『心中天網島』の治兵衛、小春の造形にほぼそのまま直結するし、心中へと収斂してゆく劇構成もそうだ。また「天満屋の段」における、お初⇔九兵次(横軸・虚構)、お初⇔徳兵衛(縦軸・真実)は実に見事な立体構造を成している。なお、現在の文楽では二人はあっけなくも美しく死んで行くが、原作では「断末魔の四苦八苦」と凄惨な苦しみの末に死ぬのである。けだし、近松は死を描くことで生の重みを逆照射したのだ。
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『曾根崎心中』を読んでみたくて買いました。
非常に難しかったです。
解説を読み読み辿っていくようなものです。
相思い草が煙草のことだったり、簡潔にして技巧的な文章が、シェイクスピアを想起させて浮き浮きしてしまう一方、心中ものとして、死を決意した男女の口の端々に浮かぶ“死”のイメージがもの哀しいです。
舞台は大阪。
主人公の徳兵衛は手代、お初は遊女です。
非常に読みにくいもので、あらすじを把握するのが難しいのですが、飛田などの大阪の刑場が登場したり、闇夜をちらちらと飛ぶ蛍が登場したり、美しいけれども悲壮感漂う物語。
江戸期には心中事件が多くあったようですが、
どうしてこうしたものが評判を博したのかなとも思います。
人形のお初が足を投げ出すシーンが艶めかしく、
是非とも文楽の舞台をみてみたいものだなぁと思いました -
金大生のための読書案内で展示していた図書です。
▼先生の推薦文はこちら
https://library.kanazawa-u.ac.jp/?page_id=18412
▼金沢大学附属図書館の所蔵情報
http://www1.lib.kanazawa-u.ac.jp/recordID/catalog.bib/BN00235043 -
『ぼくらの頭脳の鍛え方』
書斎の本棚から百冊(立花隆選)91
日本文学
日本語の持つパワーと美しさと日本人の情念世界を知るために。
※作品の指定はなし。私の判断でこちらを登録しました。 -
近世とは、庶民が文学をたしなみそれを発展させた時代です。わけても「世話物」と言われる分野は当時の現代劇であり、純粋であかぬけない、素朴な感動があります。本来は上映される人形浄瑠璃の脚本であるだけに、リアルな表現がありありと目に浮かんできます。
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曽根崎心中だけ読む。原文でも思ってた以上にスラスラ理解できて面白い。
「道行」の章以降の文章は本当に幻想的で美しいだけに、最後の最後、心中の場面の生々しい描写がショッキングだ。「断末魔の四苦八苦 あはれといふもあまりあり」の一文が実に悲惨に映る。それだけに、ラストの一文「恋の手本となりにけり」が救いになっているように感じた。ああ、浄瑠璃で見たい。 -
著名な人形浄瑠璃の世話物。大阪の曽根崎にある露天神(お初天神)には記念の像もありましたね。
短いストーリーですが、ともに生きていく事の儚さ、死んでいく事の切なさが心に静かに沁みこんできます。 -
曽根崎心中読みたさに借りてきました。――いつまで言うて栓もなし、はや、/\、殺して/\~が印象深い。文章だけでも想像を掻き立てられますが、できることならぜひ舞台で観てみたい。
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『心中への招待状』からこの本へ。翻刻も勉強することだし、楽しんで読めるように頑張ります(変な表現)
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曾根崎と天網島しか読んだことがなかったけど『冥途の飛脚』も面白かった。
文庫で虚実皮膜(ひにく)論が収録されてるのがあったら買いたい。 -
古典の知識なくても読めます。上演あっての文楽かもしれませんが、実は近松の脚本どおりには演じていない箇所も多いので、原典に触れるのも鑑賞の参考になるでしょう。あえて原典通りにやってくれないだろうか。あるいは、ストローブ=ユイレ風に原典通りの実写映画をつくるとか。
近松門左衛門の作品
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