北越雪譜 (岩波文庫 黄 226-1)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003022610

感想・レビュー・書評

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  • 昔の豪雪地域の暮らしを知る、貴重な本。
    冬に湯沢に行ったときに購入。

    関東人には想像もつかない雪国の苦労や生活、知識がたくさん、時折「すみません!」と謝りたくなる部分もありました。中には不思議な体験なんかもあります。
    民俗、郷土、気象などがお好きな方には嬉しい一冊かと思います。

  • 18世紀末文化文政時代の越後塩沢の地元民による越後密着型少々自虐気味(笑)記録。雪というのは風流なもので和歌にも良く読まれるものだけど、越後の雪はただただ力仕事であると(笑)。また、雪関係の単語が多いのも興味深い。
     図書館で展示していた和綴じ本で存在を知り、文庫版を即購入。新潟の地元書店ではこちらの『北越雪譜』は必ずといっていいほど並んでいるのに気付いた。現在の新潟地元民とノリが全く変わっていないのに感動した。何度読んでも発見のある非常に素晴らしい書。すばらしい。新潟ビギナーの関西人である私が、すべての新潟ビギナー〜アドバンスドレベルの他地方出身者におすすめする。新潟参考書ベストチョイス。

  • この書籍は、江戸後期における越後魚沼の雪国の生活を活写した書籍。初編3巻、二編4巻の計2編7巻。雪の結晶のスケッチ(雪華図説からの引用)から雪国の風俗・暮らし・方言・産業・奇譚まで雪国の諸相が、豊富な挿絵も交えて多角的かつ詳細に記されており、雪国百科事典ともいうべき資料的価値を持つ。著者は、現在の南魚沼市塩沢で縮仲買商・質屋を営んだ鈴木牧之。1837年(天保8年)に江戸で出版されると当時のベストセラーとなった。

    本書は、初編と二編に大別され、さらに初編は『巻之上』『巻之中』『巻之下』に、二編は『巻一』『巻二』『巻三』『巻四』にそれぞれ分かれている。1837年(天保8年)秋頃に初編各巻が江戸で発行され、1841年(天保12年)11月に二編4巻が発売された。

    初編巻之上はまず、雪の成因・雪の結晶のスケッチ(雪華図説からの引用)など科学的分析から筆を起こし、次いで江戸などの「暖国」と雪国の違いを様々な例を挙げて説明していく。雪中洪水や熊が雪中に人を助けた逸話など、「暖国」の人々の興趣を誘う内容が多い[1]。巻之中は、越後魚沼の名産品であった縮(ちぢみ)に関する話が中心となっている。牧之自身が縮の仲買商人であったため、縮の素材や機織り方法、縮のさらし、縮の流通などが詳述されている。また、信濃国境に近い秋山郷(現津南町)の様子も詳しく記載されている。巻之下は、渋海川の珍蝶や鮭に関する考察、越後に伝わる様々な奇譚、山岳地方の方言、など博物学的な内容となっている。

    二編巻一は、越後各地の案内に始まり、雪国の一年を正月から概説していく。巻二以下、雪国の一年の詳細を多様な逸話・記録・考察によって描いていく。正月の様子から書き起こし、春から夏へ移るところで二編は終わっている。そのため、夏以降の様子を三編・四編として発刊する構想があったと考えられているが、1842年の牧之の死により本作品は二編までで完結した。

    本書は全編を通して、雪国の生活が「暖国」ではまったく想像もつかないものであることを何度も強調している。確かに好事家の目を引く珍しい風習・逸話が数多く載せられているが、この作品のテーマは雪国の奇習・奇譚を記録することにとどまらず、雪国の人々が雪との厳しい闘いに耐えながら生活していること、そして、郷土のそうした生活ぶりを暖国の人々へ知らせたい、という点に求められる。本書に数多く掲載されている挿絵も、雪国の様子を暖国の人々へ伝えたいがために牧之が原画を描いたものである(京山が原画を修正加筆して出版した[2])。以上の点から、本作品は雪国越後の貴重な民俗・方言・地理・産業史料と位置づけられている。

    牧之が最初に本書の出版を期したのは、文化年間ごろ(1800年代、牧之30代の頃)とされている。縮みの仲買商人である牧之は江戸へ行く機会も多く、何人かの文化人と面識があった。田舎住人の自分では出版不可能と考えた牧之は、知己の関係にあった在江戸の文人山東京伝の協力の下に出版する計画を立てた。京伝も協力的であったが、前例のない著作であるため、費用の問題で出版を引き受ける版元が現れず、計画は沙汰やみとなった。そこで牧之は曲亭馬琴に相談し、馬琴も出版計画に乗り気であったが、京伝との関係悪化を懸念して、出版には至らなかった。

    出版をあきらめきれない牧之は、1807年(文化4年)、大坂での出版を目論み、話は順調に進んでいたが、仲介者の死によって振り出しに戻った。さらに1812年(文化9年)、江戸での出版を計画したが、同じく仲介者の死によって計画断念に追い込まれた。京伝が1813年に没すると、牧之は再び馬琴に協力を依頼した。馬琴は出版に前向きであったが、自身が大著『南総里見八犬伝』に取りかかっており、何年経過しても牧之の出版計画は全く進まなかった。そのうち、京伝の弟山東京山が牧之へ協力を申し入れたが、馬琴が原稿を返却しないため、牧之は再度執筆する羽目になった。

    1836年(天保7年)、出版準備のため、京山が越後塩沢の牧之の元へ訪れた。そして翌1837年(天保8年)、最初の構想から30余年にしてついに『北越雪譜』が出版された。売上げ700部を超える当時の大ベストセラーとなり、世の読者・書店の要望を受けて1841年(天保12年)に第二編が出版された。牧之は以後の続刊を期していたとされるが、翌1842年(天保13年)5月に牧之が没し、二編で完結することとなった。

    牧之の著作ではあるが、出版時に京山が加筆修正しており、そのため「鈴木牧之編撰・京山人百樹刪定」として出版されている。中には牧之の記述について、雪国を知らない京山が「大袈裟だ」として書き改めた箇所もあるが、今では牧之の記述の正しいことが明らかとなっている[3]。ともあれ、この書の版元は幾度か変わったが、木版本は明治末年まで出版され、活字本は1936年岩波文庫から出版されている。

  •  鈴木牧之 (1770-1842) の『北越雪譜』は、雪国の様々な自然、風俗、奇譚、逸話を絵入りの読み物として記しており、非常に興味深い。
     次の話は、自然発火現象の記録である。原因は不明だが、発光生物、或いは地表に染み出た原油の発火によるもの等であろう。
     「筑紫のしらぬ火といふは古哥にもあまたよみて、むかしよりその名たかくあまねく人のしる所なり。その然(もゆ)るさまは春暉(しゅんき)が西遊記にしらぬ火を視(み)たりとて、詳(つまびらか)にしるせり。其しらぬ火といふも世にいふ竜燈(りうとう)のたぐひなるべし。我国蒲原郡(かんはらこほり)に鎧潟(よろひかた)とて東西一里半、南北へ一里の湖水あり、毎年二月の中の午(うま)の日の夜、酉(とり)の下刻より丑(うし)の刻頃まで水上に火然(もゆ)るを、里人は鎧潟(よろひがた)の万燈とて群(あつま)り観る人多し。

  • 2016-8-17

  • 冬が近づくと毎年読みたくなる本。何回読んだのかわからない。雪と暮らす姿が伝わってくる。

  • 新書文庫

  • 某天気サイトのコラムで紹介されていたのを読んで興味が沸き、どうしても読んでみたくなったので購入。
    まだ出だしですが、文語調のリズムが読んでいて心地よく、内容も解りやすいので、最後まで楽しんで読めそうです。

  • 音読すると遠い昔にスリップしそう。

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