小説神髄 (岩波文庫)

著者 :
  • 岩波書店
3.50
  • (3)
  • (3)
  • (9)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 127
レビュー : 11
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003100417

作品紹介・あらすじ

「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ」小説を書くために、まず小説とは何かを知らなければならなかった時代。江戸戯作に親しみ西洋文学を渉猟した若き文学士逍遥(1859‐1935)が明治の世に問うた、日本近代文学史の黎明に名を刻む最初の体系的文学論。他に、初期評論5篇を収録。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 2014/1/25読了。
    近世の戯作文芸のあり方を否定し、近代の新しい文芸として人間を描く「小説」の概念を日本文学に導入した、歴史的な文芸評論とされる。『八犬伝』の主人公たちを「仁義八行の化物」などと評しているくだりが有名だ。
    学生時代に初読したときにはこの世評を真に受けて読んだものだが、そんなマニフェストのような単純な本でもないと今回気づいた。自分を育てた愛する江戸戯作を踏み台にしないと新時代が開けないという、著者の潔い覚悟が感じられる。儒教を否定した福澤諭吉にも通じる、明治の知識人の姿勢だ。

    今回読んで一番感じたのは、なんと若さ溢れる本だろう、ということだ。物事を主観たっぷりに単純化する気味があって、旧弊な権威に対して挑戦的、かつ上から目線の断定口調。でもそんなこと気にしないでひたすら「これからの小説とは!」を高らかに論じる。元気があってよろしい(笑)。この辺が近代文学マニフェストっぽく見える所以だろう。
    逍遥先生23歳の時に着手された著と知って納得した。著者も、また日本も若かったのだ。この若さを味わうところに今回の再読の楽しみがあった。

    以下は余談。
    学生時代の初読時には江戸戯作の関連資料として読んだのだが、いまそこから離れ、最近気になっている「ラノベとは何か」というテーマに引きつけて読むと、割と有用な気付きが得られた。ラノベは逍遥先生いうところの「小説」よりは、むしろそれ以前の江戸の戯作に近い。
    登場人物は人間のリアルな描写の結果ではなく、属性の権化であるキャラクターとして造形される。しばしば先行作品世界を二次創作的に焼き直しながら書かれる。文章だけでなく絵も内容の表現に不可欠である。SFやファンタジーなど非現実の世界観(奇異譚)と親和性が高い。婦幼の玩物もしくは通人の楽屋オチ的な商用娯楽フィクションである、等々。本書で近代的な小説と対置される前近代的な戯作文芸の要素は、ラノベに当てはまることが割と多いような気がする。逍遥先生いま在れば何と評するだろうか。

  • 馬琴好き過ぎ!

    改めて読んで、馬琴の勧善懲悪を否定、とは全く言えんことが分かりました。

  • それまでの荒唐無稽な「戯作」から脱却し「小説(ノベル)」を書くべし!と謳う上巻。では実際にその「小説」を書くにはどうすれば良いかという細かい考えを述べる下巻という構成。

    上巻の「総論」、「変遷」と読んでてひしひしと感じるのは、坪内逍遙、近世の戯作が大好きだし、演劇・芝居・浄瑠璃その他エンタメ大好きでしょう(笑)と。
    八犬伝などをダメな例の引き合いに出してはいますが、「このままではこの国の文学はダメなんだ」的な使命感溢れた結果からの引き合いなので、作品や作者に対する悪意や軽蔑は全くない。
    そして、逍遙の読書範囲と読書量の多さに驚き。主に英語圏の文学作品になりますが、メジャー作品を押さえており、一方で国内は源氏物語(もちろん本居宣長の研究本も含めてね)にはじまり、西鶴、一九、馬琴、草双紙の数々と挙げていくときりが無いですが、この海外の文学作品群と、国内の(それまでの流行である、戯作的な)文学作品とを比較して、両方に触れた逍遙だからこそ、あふれ出た想いなんだろうなぁというのが凄く伝わってくる。
    今の時代に読むと、主張している内容には視野が狭い部分もありますが、あの時代のこの若さ(26、7歳ぐらいか)の逍遙だと考えるとその気概がすごい。なにはともあれ、あれだけたくさんの文学・芝居・演劇含めた知識のバックグラウンドがあったからこそ書けた本だと。

    これ読むまでは、坪内逍遙というと演劇好きの私の中ではシェークスピアを全作翻訳した人のイメージが強かったですが、これがベースにあっての活動なんだな、というのが判りました。

  • 今日からみれば見方が狭い。

  • 9784003100417 276p 2010・6・16 改版1刷

  • ※メモ。
    「小説神髄」坪内逍遥

    -----
    「小説総論」二葉亭四迷

    人の善悪⇔小説の是非
    観念的⇔定義的

    基本のキを解くことに不粋?を感じるけれども、ベースとなるものだから、「御辛抱を願うになん。」

    -----
    意は形に依って見われ形は意に依って存す
    意は内に在ればこそ外に形われもするなれば、形なくとも尚在りなん。

    批評家としてのベリンスキーは、ヘーゲル哲学の影響を受けた、ドイツ・ロマン派の弟子として、「詩はそれを越える目的を持たない。それ自体が目的である」と言い、芸術の機能に関する〈教訓的・功利主義的〉見解をとらなかった。偉大な古典作品は、それが自立して自発的に生み出されたものならば、世界そのものの真の諸関係をあらわし、その読者の道徳・政治への見方を変化させることによって、あらゆる諸問題を解決するであろう、と考えていた。

    四迷も、あながちこれもいいすぎではあるまい、という立場。
    ※うがった読をせずとも、小説から受けるそのものがまさに小説の存在義で、

    形←物→事 = 形⇔事
    物に意が出ている、これを物の持ち前という。つまり…?
    アフォーダンスとは関係ある?
    同じく、事の持ち前もある。

    若し此の如く我感ずる所を以て之を物に負わすれば、豈に天下に意なきの事物あらんや。
    我々が感ずる所を物に投影しているがゆえ、だからこそ意なきの事物がありえることはない。
    人間の眼(意識)を通した、世界の在り方。

    んで、何某の事物にその意が全て出てるとは思っちゃあいけない。
    して見れば張三も李四も人は人に相違なけれど、是れ人の一種にして真の人にあらず。
    イデアを思う。

    易らざる者は以て当にすべし、常ならざる者豈当にならんや。
    意はそうそう変わるものではない、かわらざるものは意在りと信じて当てにすべし。

    清元は意気で常磐津は身がある
    清元節、常磐津節。それぞれ三味線音楽の流行した流派で、浄瑠璃の一種。歌舞伎の伴奏として広く聞かれていたらしい。

    富婁那…釈迦十大弟子の一。弁舌巧妙。

    是れ物の意保合の中に見われしものというべき乎。※保合=もちあい。継続安定。
    結局百聞は一見に如かずとあり、
    知識から云々するより手っ取り早く感ずる方が解る。インスピレーションを得る。

    意は遍く宇宙に存在し、混淆し、容易に顕現せず。だから芸術は凄いんだ。解るように形をつける。
    インスピレーションの連鎖。
    宇宙→芸術家→尋常の人
    故曰、美術は感情を以て意を穿鑿するものなり。

    小説もそう。宇宙のインスピレーションを伝え解らせるためには、リアリズムによって感得できる形になっていなきゃならない。嘘くさい作りものは、小説の名を借りた説教である、と。

    摸写といえることは実相を仮りて虚相を写し出すということなり。
    これが小説の神髄だ!
    つまり、世界の有様、宇宙の模様を模写しながら、そこに文体言いまわし表現からの穿鑿を与えることで、意を顕にする。仏像みたいなもんだな。
    んで、そのためには活き活きとした文章が必要です。かたっ苦しい言いまわしと、情動を端折った物語りで、意を汲み取ることはできないでしょう、と。

    浮世の形のみを写して其意を写さざるものは下手の作なり。写して意形を全備するものは上手の作なり。意形を全備して活たる如きものは名人の作なり。

  • 古文難しい。分類分析はおもしろかったけど、結局西洋かぶれっつーか和魂洋才文明開化の時代の本だなぁ。という感じ。
    ただ自分の好きな八犬伝をボロボロにいうあたりにはさすがに気概を感じた。

  • 岩波文庫(緑) 080/I
    資料ID 20102004362

  • 下のみ。逍遙先生は、とかくリアリズムなのである。

全11件中 1 - 10件を表示

小説神髄 (岩波文庫)のその他の作品

小説神髄の詳細を見る 小説神髄 坪内逍遥
小説神髄 小説神髄 坪内逍遥
小説神髄の詳細を見る 小説神髄 坪内逍遥

坪内逍遥の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
遠藤 周作
谷崎 潤一郎
ヘミングウェイ
二葉亭 四迷
三島 由紀夫
安部 公房
フランツ・カフカ
安部 公房
三島 由紀夫
有効な右矢印 無効な右矢印

小説神髄 (岩波文庫)を本棚に登録しているひと

ツイートする