阿部一族―他二編 岩波文庫

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  • Amazon.co.jp ・本 (98ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003100561

感想・レビュー・書評

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  • 「意地」三篇。引き込まれる。

  • 歴史小説で、殉死をテーマにしている。
    おそらく乃木大将の殉死が時代背景にあったからであろうか?なかなか重い内容でしたね。

  • 正直言って、私にはこの本は重すぎた。
    字が小さいとはいえかなり薄いのに、久々に読み終えて頭が痛くなるほど考えた一冊になった。

    あえて『阿部一族』だけについて書きたい。
    細川忠利の死に伴い、十八人が殉死した。
    彼らはすなわち、忠利公の了解あるいは暗黙の了解によって許しを得て、彼の死後自ら命を絶った者達である。許しを得ずに死ぬのは、犬死であり、武士が最も嫌うものに入る。
    一方、阿部弥一右衛門通信は、忠利公からその許しを得ることができなかった。
    よく仕えてくれているのだが、性が合わないというか、忠利公は彼の言うことはなんだか聞かない性質を持っていたためである。
    世間は勝手なもので、弥一右衛門が死ななかったのは命を惜しんだためだと噂し、それを知った彼はすぐさま自死を選ぶ。

    と、まあここまではまだ納得できたのだが、ここからが問題だ。かなり感情的に記すのをお許しいただきたい(一応本文を確認しながら書いているが、私見が多分に入っているので、ぜひ原作をお読みいただきたい)。

    弥一右衛門は忠利公の許しを得られなかったとはいえ、本来であれば「殉死」として差支えの無い状態だった。
    だが、光尚公は大目附役の進言を聞き入れて、阿部一族の処遇を他家より一段下げたものにしてしまった。
    その結果、阿部家の次期当主である権兵衛は「弥一右衛門にも一族にも申し訳が立たない」として忠利公の一周忌の焼香で、己の番が回ってきた時に髻を切ってしまうのである。
    それを自分の処遇への当てつけととり不快に思った光尚公は、権兵衛を縛り首にした挙句、一族を討った。

    私には、光尚公のしたことを批判しきることはできない。
    いくら殿さまとはいえまだ若いときの話だし、いくら事情が事情と言えど、権兵衛がやったことは不敬だ。
    縛り首はおかしい、せめて切腹だろうとは思うが、誰だって間違いはある。
    大体にして彼は殿さまだから、そこはまあ、そういうことをしても当時としてはそう不思議はない。殿さまの言うこと絶対だからね、基本。

    でも、「分かるよ」と言えてしまうのは、阿部一族の方も同じなのだ。
    いくら殿さまの下知だとしても、納得のいかない処遇なのは確かだもの。
    事の発端は忠利公の意固地と世間の勝手な噂であって、阿部一族そのものが悪い訳ではないもの。
    弥一右衛門、せめて権兵衛で終わっておくべき話なのだ。
    一族討手は、いくら何でも、どう考えたって行き過ぎだ。いや、当時としては不思議じゃないのは分かってるんだけど。

    何より私が打ちのめされたのは、この話において、光尚公が自分の決定的な過ちに気付いていないところだ。
    かなり勝手な言い分なのは承知の上だが、光尚公には、公言しなくていいから「しまった」くらいは思っていてほしかったのだ、私は。
    当時としては不思議なことではなかったのだとしても、自分の若さと甘さと浅慮が招いた結果ではあるんだから。
    たとえ馬を鹿と言っても許される立場だったとしても、馬は馬、鹿は鹿だと分かっていてほしかった。
    なのに、「今討ち入ったな」は、そんなのってない。

    私は、武家社会では殿のすることは絶対とされるべきだと思っている。
    失敗は許されるべきではないし、たとえ失敗したとしても、それは失敗と認めるべきではない。認めざるを得ない失敗は、臣下が代わりに責を負うものだと思っている。
    そうでなければ国の治世はたちまち立ち行かなくなっただろう。
    だが、殿に後悔はしてほしいし、公言しないとしても、世間ではどう語られていようと、責を負った臣下と殿の間に「言わないけど、分かってるよ」というものが、どうしても、あってほしい。
    むしろ、そうでないなら「貴人の軽挙は配下が負う習わし」自体、存在してはいけないとさえ思っている。
    だって、そうでなければ、臣下という立場があまりに虚しすぎる。
    本当に、これは私の勝手な我がままなのだけれど。

    もちろん、これがあくまで創作であることは重々承知している。
    森鴎外が描かなかっただけで、実際には光尚公は後悔したかもしれない。随分後になってからでも、悔やんだのかもしれない。
    今更、そうだったからといって何が変わる訳でもないけれど、『阿部一族』に事実と異なる部分があってほしいと、心から願わずにはいられない。

  • 再読。鴎外の歴史もの3作。「阿部一族」と「興津弥五右衛門の遺書」は殉死がテーマだけど、鴎外自身は淡々と出来事を述べるだけで、それを美談とも、悪習とも論じてはいない。「阿部一族」はしかしひたすら気の毒。「佐橋甚五郎」は、なんだか独特のユーモアがあって楽しかったな。佐橋甚五郎という人物が、何をしでかすかわからない面白さがあって好きだった。

    ※収録作品
    「阿部一族」「興津弥五右衛門の遺書」「佐橋甚五郎」

  • 本棚で眠っていたので。
    鴎外の初期の歴史小説三篇を収録。
    「殉死」がある意味では当たり前だった頃の人物を取り上げ、殉死・一族滅亡を描く。描き方もとても淡白で逃げ場のない感じを常に与えてくれる。
    恩からの殉死というものが建前としてあるが、なによりも殉死として彼らを掻き立てたものは、恩を受けといて殉死しないとは部下としての義に悖り、傍輩に顔向けできないという圧力を自ら作り上げてしまうことだ。
    死ぬことは美しく、死ぬことであらゆことは清算できるということが強く信じられていて、本質を見ようとしない、宗教に近い何かであるように思われる。
    死は救いでも終わりでもない。ただの言葉だ。腹を潔く切ろうがなんだろうが、死は死以外の何ものでもない。自殺か他殺、事故死か病死、死に方だってこれしかない。美しいかどうかなんて、あとから人がとってつけた一面的な価値に過ぎない。
    『佐橋甚五郎』は短いながらも、スリリングでミステリアス。徳川家康という人物の使い方がこの作品の味を出している。

  • 殉死・切腹とは。
    阿部一族はともかく、他の二編は読んでいて面白みに欠けた。

  • 文章のうまさに唸った。

  • 殉死をするにも許しを乞うなどきちんとしたしきたりがあるんだなあ…武家社会の考え方が、淡々と書かれているぶんリアルに伝わってきた。うーん。読めてよかった。

  • 『興津弥五右衛門の遺書』

    『阿部一族』

    『佐橋甚五郎』

  • 何より気になったのが描かれている死生観で、命と忠義の軽重が怖かった

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