阿部一族―他二編 岩波文庫 (岩波文庫 緑 5-6)

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  • Amazon.co.jp ・本 (119ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003100561

感想・レビュー・書評

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  • 正直、題材になった歴史を知らないので、どこまでが創作でどこまでが歴史事実なのかわからない。一応、どの作品にも中心人物がいて、その人はおそらく森鴎外の好みの人なんだと思うが、時代が違えば価値基準も異なり、また森鴎外の生まれたのが1862年で、明治天皇の即位が1867年だから、森鴎外自身ももとは江戸末期に生まれた士族なので、正直いまの時代の人間の一人としては、理解できない話もあった。

    『興津彌五右衛門の遺書』
    解説によれば、日露戦争でロシア軍を陸戦に破った乃木希典の殉死に着想を得た作品らしい。そういってしまえば美談。ただ、ここで腹を切った人がどうしてそもそも主君にとりたてられたかという経緯が個人的に共感できない。
    珍品を献上せよと言われ、安南から送られた香木の「本」と「末」をめぐって、本木をとるべく大枚をはたこうとしたところ、同役のものに「そんなことに金をつかうのはおかしい」と正論を言われた。主君の命は絶対なのだから全力を尽くして何が悪いと言い返して嘲笑されたため、それで斬り捨てたところ、主君からはお咎めなし、却って取り立てられた、とゆう話。結局は、頭がしっかりしているとか、能力があるとかではなく、従順かどうかで物事おしはかっているとしかとれない。
    腹を切ることにしたのは、その時に有能な人を斬って主君の手足となるはずだった人を減らしてしまったのに、却って主君にとりたてられた自分は主君に恩があると、それで死なぬは恥だと腹をきったらしい。そんな主君って、革命の対象でしかないと思うが。自らの本分を守って、余計なことは考えず、主君に尽くす、聞こえはいいが、結局頭働かせていないのと同じでは。

    『阿部一族』
    柄本又七郎の「情は情、義は義」という言葉が深い。情けのためには妻を見舞にいかせ、妻も妻で発覚すれば自分が罪を負って死ぬという覚悟をしながら籠城を決め込んだ阿部家を見舞い、一方で義のために又七郎は昵懇にしてきた阿部家に槍をもって討ち入った。そこでは槍の名手同士で腕比べをしようという名目で鉾先を交え、ついに阿部氏弥五兵衛の胸をついた。人としての道に背かず情けをかけ、かたや自らの武士としての生き様に悖らず主君のために討ち入りに参加し、しかも阿部氏弥五兵衛には武士として本懐を遂げさせる。天晴れとしか言いようがない立ち廻り。それでも、何か虚しさを感じる。誰のための何のための殺し合いなのか。美しいといえば美しいかも知らんが、日本人特有の本末転倒が強く出ていて、何とも言えない。

    『佐橋甚五郎』
    徳川家につかえる身の甚五郎は武芸に秀で、しかもよく人の意を汲み取ることにたけていたが、ちょっとしたことがきっかけで同じ立場のものを殺めてしまい、姿をくらました。家康の赦しを得て復帰したが、家康の心には甚五郎に対する警戒心があったのか、側近くにおいておけないなら心やすくは使えない、と別の者にいったのを、隣の間に待機していた甚五郎がきいた。甚五郎はそれをきくや身内の家にも立ち寄らずまたも消息を絶ち、久しく時を隔てて朝鮮国(李朝)からの使者に扮して家康の目の前に姿を再び表した……というのが大枠の筋。
    斎藤茂吉の解説には「家康のごとき異常ともいふべき用意周到な人も要心せずに發した一語から、甚五郎を逐電せしめ……」とあるが、本文に「近習の甚五郎がお居間の次で聞いてゐると……」とあるから、家康はわざと聞こえるように、言葉を選んで、言い放ったのではないかと思う。
    合戦で手柄を立てた甚五郎だけには褒美の言葉もなかったとあるから、家康が甚五郎に何かしら考えをもっていたのはそうなんだろう。個人的には、その前のページに、甚五郎に殺められた侍の実家である蜂谷家が甚五郎を快く思っていなかったとあるから、家康なりの配慮で甚五郎を遠くへゆかせて、危険を回避させようとしたのではないかと思う。序盤に「とにかくあの者どもはここを立たせるが好い。土地のものと文通などを致させぬやうにせい」とあるのも、やはりその意図からだと思う。
    「あえて誰か心の利いた若いものを連れてまゐれ」と命じ、甚五郎の名があがったところで、隣の間に待機していることを知りながら、あえて言葉をきって、それで吐き出したのが「あれは手放しては使いたう無い」なのだから、斎藤茂吉の解説はやっぱり当たらないし、朝鮮からの使者が本当に甚五郎かどうかもわからない、みたいに解説しているのも、ちょっとズレていると思う。(斎藤茂吉は俳句には優れていたのかもしらんが、解説むきの人ではない。岩波新書『万葉集』でも全く理解できない解説ばかりならべていて、うんざりした記憶がある。)

  • 他の家来、皆殉死が許されてるのに自分だけ許されない。理由はホントにしょーもない。なぜかいけ好かないから。殉死できない。自分だけ生き延びることで周りから命惜しい奴と思われる。そして、自害。残された子供たちも、父の無念を晴らそうとするけど、、、どうしてこうなった。

    死ぬ事も美学。そんな印象だった。
    明日死ぬと言われる妻や子供の気持ちを想像してしまうのは、私が女だからだろうか。
    何が殉死だろう。狂ってる。
    その死生観が、つい100年前の日本で蔓延っていたのだからやるせない。
    淡々と人が死ぬ。鷹も死ぬ。犬も殺される。
    死ぬこと自体意味は無い。死までの期間に意味があるのだと思った。どう、自分で意味をつけるか。

    色んな意味で心をえぐられる小説。鴎外、すごい。

  • 初の森鴎外です。

    阿部一族については、死生観や命の捉え方が今とは違う中での、淡々とした語り口で驚くような事実を描いている歴史もの。
    殉死が身近にありすぎる! しかしどこかで今の価値観の中にもこういう空気がゼロではない…我々の中にも脈々とありそう…というところも。

    他の作品も読みたい。

  • 久方ぶりの鴎外。但し舞姫は除く。
    月並みだけど、やっぱり鴎外面白い。
    特に阿部一族。殉死にまつわる心理描写をこんな精緻に書けるのって、鴎外か漱石くらいなのでは。
    あと、鴎外の文章って暗示的なのに、まわりくどくなく簡潔なのが凄いと思った。
    個人的には物騒だけど佐橋甚五郎での甘利の最期の描写がすき。

  • 著者:森鷗外(1862-1922、島根県津和野町、小説家)

  • 森鷗外の歴史小説三作品「興津弥五右衛門の遺書」、「阿部一族」、「佐橋甚五郎」が収録されています。
    目的は「阿部一族」でしたが、この三作は鷗外の初期の歴史小説として代表的な作品で、三作まとめて単行本『意地』に収録されていたものとなります。
    いわゆる「鷗外歴史もの」として書かれた三作であり、セットで語られることも多いため、鷗外を知るには丁度いい文庫だと思います。

    ・興津弥五右衛門の遺書 …
    興津弥五右衛門という老人が細川三斎公の十三回忌にて、切腹をします。
    その切腹は殉死であり、本作は殉死した興津弥五右衛門の遺書という体となっています。
    文章は口語ではなく当時の文体で書かれているため、不慣れであれば非常に読みにくいです。
    ただ、展開はわかりやすく、舞姫や青年に比較すると読みやすい作品だと思います。

    「興津弥五右衛門の遺書」は鷗外が歴史小説を書くきっかけとなった作品です。
    1912年乃木大将が明治天皇に殉死するという出来事があったのですが、乃木大将と親交のあった鷗外はこれに衝撃を受けて、本作を執筆したと言われています。
    本作では殉死とその経緯が述べられたものとなっており、殉死に対する信念、殉死は武士にとって当然あるべき行為であることを、鷗外流に示したものと感じました。

    ・阿部一族 …
    こちらは口語で読みやすい作品。
    江戸時代初期、現熊本県の肥後藩の藩主・細川忠利の危篤に際して、老臣だった阿部弥一右衛門の殉死が許されなかったことに端を発して起きた阿部一族の討死の顛末を題材とした書物「阿部茶事談」を、鷗外が若干の脚色を加えて現代語訳した小説です。
    歴史小説であり、鷗外のオリジナルではないといえども読みやすく、一作の読み物として面白い作品になっています。
    「興津弥五右衛門の遺書」同様、殉死を扱った歴史ものですが事情が異なっていて、「興津弥五右衛門の遺書」の殉死には晴れ晴れしさのようなものを感じますが、「阿部一族」で描かれる殉死は、主君の後を追う立派な殉死ではありますが、どこか自棄の念が含まれているように感じます。
    同じ作者の歴史ものとはいえ、書かれている情景、感情は異なるもので、本作終盤の阿部一族の女性が自害するシーンや討手と死闘をするシーンなどは情景豊かに迫力がある場面が展開されます。
    個人的には、雁や舞姫よりも、森鷗外は本作から入った方が良いのではと思います。

    ・佐橋甚五郎 …
    徳川家康と元家臣の佐橋甚五郎との因縁、甚五郎の半生を描いた短編です。
    12ページほどの短い作品ですが、三作の中では本作が一番読みづらかったです。
    朝鮮から来た使者の説明と歴史的背景の説明から入るのですが、ここが長くなかなか佐橋甚五郎にたどり着きません。
    気がつけば家康の 「あれは佐橋甚五郎じゃぞ」 というセリフが入るのですが、そこに至る2ページ強を繰り返し読むも頭に入らず、ただ見返すとこの序文は場面説明であり、それほど重要なところではないことに後で気づきました。

    内容は不思議な物語という感じを受けました。
    佐橋甚五郎は仲間との賭けに勝って、約束の品として武士の大小を要求したのですが相手がそれに応じず、諍いとなり相手を斬り殺してしまいます。
    家康は甚五郎に手柄を立てさせ、甚五郎を助命するのですが、家康が甚五郎を警戒していることを知り逐電します。
    物語の開始はその20数年後となっており、家康が朝鮮人の使者の一人を甚五郎ではないかと疑うというストーリーとなっています。
    誰何した旨のくだりはないので実際どうだったのかは本作中では語られず、佐橋甚五郎も実在したらしいのですが、同名異人が多くいたそうです。
    佐橋甚五郎に関する研究書などがあれば読んでみたいです。

  • 20190419

  • 「意地」三篇。引き込まれる。

  • 歴史小説で、殉死をテーマにしている。
    おそらく乃木大将の殉死が時代背景にあったからであろうか?なかなか重い内容でしたね。

  • 正直言って、私にはこの本は重すぎた。
    字が小さいとはいえかなり薄いのに、久々に読み終えて頭が痛くなるほど考えた一冊になった。

    あえて『阿部一族』だけについて書きたい。
    細川忠利の死に伴い、十八人が殉死した。
    彼らはすなわち、忠利公の了解あるいは暗黙の了解によって許しを得て、彼の死後自ら命を絶った者達である。許しを得ずに死ぬのは、犬死であり、武士が最も嫌うものに入る。
    一方、阿部弥一右衛門通信は、忠利公からその許しを得ることができなかった。
    よく仕えてくれているのだが、性が合わないというか、忠利公は彼の言うことはなんだか聞かない性質を持っていたためである。
    世間は勝手なもので、弥一右衛門が死ななかったのは命を惜しんだためだと噂し、それを知った彼はすぐさま自死を選ぶ。

    と、まあここまではまだ納得できたのだが、ここからが問題だ。かなり感情的に記すのをお許しいただきたい(一応本文を確認しながら書いているが、私見が多分に入っているので、ぜひ原作をお読みいただきたい)。

    弥一右衛門は忠利公の許しを得られなかったとはいえ、本来であれば「殉死」として差支えの無い状態だった。
    だが、光尚公は大目附役の進言を聞き入れて、阿部一族の処遇を他家より一段下げたものにしてしまった。
    その結果、阿部家の次期当主である権兵衛は「弥一右衛門にも一族にも申し訳が立たない」として忠利公の一周忌の焼香で、己の番が回ってきた時に髻を切ってしまうのである。
    それを自分の処遇への当てつけととり不快に思った光尚公は、権兵衛を縛り首にした挙句、一族を討った。

    私には、光尚公のしたことを批判しきることはできない。
    いくら殿さまとはいえまだ若いときの話だし、いくら事情が事情と言えど、権兵衛がやったことは不敬だ。
    縛り首はおかしい、せめて切腹だろうとは思うが、誰だって間違いはある。
    大体にして彼は殿さまだから、そこはまあ、そういうことをしても当時としてはそう不思議はない。殿さまの言うこと絶対だからね、基本。

    でも、「分かるよ」と言えてしまうのは、阿部一族の方も同じなのだ。
    いくら殿さまの下知だとしても、納得のいかない処遇なのは確かだもの。
    事の発端は忠利公の意固地と世間の勝手な噂であって、阿部一族そのものが悪い訳ではないもの。
    弥一右衛門、せめて権兵衛で終わっておくべき話なのだ。
    一族討手は、いくら何でも、どう考えたって行き過ぎだ。いや、当時としては不思議じゃないのは分かってるんだけど。

    何より私が打ちのめされたのは、この話において、光尚公が自分の決定的な過ちに気付いていないところだ。
    かなり勝手な言い分なのは承知の上だが、光尚公には、公言しなくていいから「しまった」くらいは思っていてほしかったのだ、私は。
    当時としては不思議なことではなかったのだとしても、自分の若さと甘さと浅慮が招いた結果ではあるんだから。
    たとえ馬を鹿と言っても許される立場だったとしても、馬は馬、鹿は鹿だと分かっていてほしかった。
    なのに、「今討ち入ったな」は、そんなのってない。

    私は、武家社会では殿のすることは絶対とされるべきだと思っている。
    失敗は許されるべきではないし、たとえ失敗したとしても、それは失敗と認めるべきではない。認めざるを得ない失敗は、臣下が代わりに責を負うものだと思っている。
    そうでなければ国の治世はたちまち立ち行かなくなっただろう。
    だが、殿に後悔はしてほしいし、公言しないとしても、世間ではどう語られていようと、責を負った臣下と殿の間に「言わないけど、分かってるよ」というものが、どうしても、あってほしい。
    むしろ、そうでないなら「貴人の軽挙は配下が負う習わし」自体、存在してはいけないとさえ思っている。
    だって、そうでなければ、臣下という立場があまりに虚しすぎる。
    本当に、これは私の勝手な我がままなのだけれど。

    もちろん、これがあくまで創作であることは重々承知している。
    森鴎外が描かなかっただけで、実際には光尚公は後悔したかもしれない。随分後になってからでも、悔やんだのかもしれない。
    今更、そうだったからといって何が変わる訳でもないけれど、『阿部一族』に事実と異なる部分があってほしいと、心から願わずにはいられない。

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著者プロフィール

森鷗外(1862~1922)
小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医。本名は森林太郎。明治中期から大正期にかけて活躍し、近代日本文学において、夏目漱石とともに双璧を成す。代表作は『舞姫』『雁』『阿部一族』など。『高瀬舟』は今も教科書で親しまれている後期の傑作で、そのテーマ性は現在に通じている。『最後の一句』『山椒大夫』も歴史に取材しながら、近代小説の相貌を持つ。

「2022年 『大活字本 高瀬舟』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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