阿部一族―他二編 岩波文庫

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  • Amazon.co.jp ・本 (98ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003100561

感想・レビュー・書評

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  • 著者:森鷗外(1862-1922、島根県津和野町、小説家)

  • 森鷗外の歴史小説三作品「興津弥五右衛門の遺書」、「阿部一族」、「佐橋甚五郎」が収録されています。
    目的は「阿部一族」でしたが、この三作は鷗外の初期の歴史小説として代表的な作品で、三作まとめて単行本『意地』に収録されていたものとなります。
    いわゆる「鷗外歴史もの」として書かれた三作であり、セットで語られることも多いため、鷗外を知るには丁度いい文庫だと思います。

    ・興津弥五右衛門の遺書 …
    興津弥五右衛門という老人が細川三斎公の十三回忌にて、切腹をします。
    その切腹は殉死であり、本作は殉死した興津弥五右衛門の遺書という体となっています。
    文章は口語ではなく当時の文体で書かれているため、不慣れであれば非常に読みにくいです。
    ただ、展開はわかりやすく、舞姫や青年に比較すると読みやすい作品だと思います。

    「興津弥五右衛門の遺書」は鷗外が歴史小説を書くきっかけとなった作品です。
    1912年乃木大将が明治天皇に殉死するという出来事があったのですが、乃木大将と親交のあった鷗外はこれに衝撃を受けて、本作を執筆したと言われています。
    本作では殉死とその経緯が述べられたものとなっており、殉死に対する信念、殉死は武士にとって当然あるべき行為であることを、鷗外流に示したものと感じました。

    ・阿部一族 …
    こちらは口語で読みやすい作品。
    江戸時代初期、現熊本県の肥後藩の藩主・細川忠利の危篤に際して、老臣だった阿部弥一右衛門の殉死が許されなかったことに端を発して起きた阿部一族の討死の顛末を題材とした書物「阿部茶事談」を、鷗外が若干の脚色を加えて現代語訳した小説です。
    歴史小説であり、鷗外のオリジナルではないといえども読みやすく、一作の読み物として面白い作品になっています。
    「興津弥五右衛門の遺書」同様、殉死を扱った歴史ものですが事情が異なっていて、「興津弥五右衛門の遺書」の殉死には晴れ晴れしさのようなものを感じますが、「阿部一族」で描かれる殉死は、主君の後を追う立派な殉死ではありますが、どこか自棄の念が含まれているように感じます。
    同じ作者の歴史ものとはいえ、書かれている情景、感情は異なるもので、本作終盤の阿部一族の女性が自害するシーンや討手と死闘をするシーンなどは情景豊かに迫力がある場面が展開されます。
    個人的には、雁や舞姫よりも、森鷗外は本作から入った方が良いのではと思います。

    ・佐橋甚五郎 …
    徳川家康と元家臣の佐橋甚五郎との因縁、甚五郎の半生を描いた短編です。
    12ページほどの短い作品ですが、三作の中では本作が一番読みづらかったです。
    朝鮮から来た使者の説明と歴史的背景の説明から入るのですが、ここが長くなかなか佐橋甚五郎にたどり着きません。
    気がつけば家康の 「あれは佐橋甚五郎じゃぞ」 というセリフが入るのですが、そこに至る2ページ強を繰り返し読むも頭に入らず、ただ見返すとこの序文は場面説明であり、それほど重要なところではないことに後で気づきました。

    内容は不思議な物語という感じを受けました。
    佐橋甚五郎は仲間との賭けに勝って、約束の品として武士の大小を要求したのですが相手がそれに応じず、諍いとなり相手を斬り殺してしまいます。
    家康は甚五郎に手柄を立てさせ、甚五郎を助命するのですが、家康が甚五郎を警戒していることを知り逐電します。
    物語の開始はその20数年後となっており、家康が朝鮮人の使者の一人を甚五郎ではないかと疑うというストーリーとなっています。
    誰何した旨のくだりはないので実際どうだったのかは本作中では語られず、佐橋甚五郎も実在したらしいのですが、同名異人が多くいたそうです。
    佐橋甚五郎に関する研究書などがあれば読んでみたいです。

  • 20190419

  • 「意地」三篇。引き込まれる。

  • 歴史小説で、殉死をテーマにしている。
    おそらく乃木大将の殉死が時代背景にあったからであろうか?なかなか重い内容でしたね。

  • 正直言って、私にはこの本は重すぎた。
    字が小さいとはいえかなり薄いのに、久々に読み終えて頭が痛くなるほど考えた一冊になった。

    あえて『阿部一族』だけについて書きたい。
    細川忠利の死に伴い、十八人が殉死した。
    彼らはすなわち、忠利公の了解あるいは暗黙の了解によって許しを得て、彼の死後自ら命を絶った者達である。許しを得ずに死ぬのは、犬死であり、武士が最も嫌うものに入る。
    一方、阿部弥一右衛門通信は、忠利公からその許しを得ることができなかった。
    よく仕えてくれているのだが、性が合わないというか、忠利公は彼の言うことはなんだか聞かない性質を持っていたためである。
    世間は勝手なもので、弥一右衛門が死ななかったのは命を惜しんだためだと噂し、それを知った彼はすぐさま自死を選ぶ。

    と、まあここまではまだ納得できたのだが、ここからが問題だ。かなり感情的に記すのをお許しいただきたい(一応本文を確認しながら書いているが、私見が多分に入っているので、ぜひ原作をお読みいただきたい)。

    弥一右衛門は忠利公の許しを得られなかったとはいえ、本来であれば「殉死」として差支えの無い状態だった。
    だが、光尚公は大目附役の進言を聞き入れて、阿部一族の処遇を他家より一段下げたものにしてしまった。
    その結果、阿部家の次期当主である権兵衛は「弥一右衛門にも一族にも申し訳が立たない」として忠利公の一周忌の焼香で、己の番が回ってきた時に髻を切ってしまうのである。
    それを自分の処遇への当てつけととり不快に思った光尚公は、権兵衛を縛り首にした挙句、一族を討った。

    私には、光尚公のしたことを批判しきることはできない。
    いくら殿さまとはいえまだ若いときの話だし、いくら事情が事情と言えど、権兵衛がやったことは不敬だ。
    縛り首はおかしい、せめて切腹だろうとは思うが、誰だって間違いはある。
    大体にして彼は殿さまだから、そこはまあ、そういうことをしても当時としてはそう不思議はない。殿さまの言うこと絶対だからね、基本。

    でも、「分かるよ」と言えてしまうのは、阿部一族の方も同じなのだ。
    いくら殿さまの下知だとしても、納得のいかない処遇なのは確かだもの。
    事の発端は忠利公の意固地と世間の勝手な噂であって、阿部一族そのものが悪い訳ではないもの。
    弥一右衛門、せめて権兵衛で終わっておくべき話なのだ。
    一族討手は、いくら何でも、どう考えたって行き過ぎだ。いや、当時としては不思議じゃないのは分かってるんだけど。

    何より私が打ちのめされたのは、この話において、光尚公が自分の決定的な過ちに気付いていないところだ。
    かなり勝手な言い分なのは承知の上だが、光尚公には、公言しなくていいから「しまった」くらいは思っていてほしかったのだ、私は。
    当時としては不思議なことではなかったのだとしても、自分の若さと甘さと浅慮が招いた結果ではあるんだから。
    たとえ馬を鹿と言っても許される立場だったとしても、馬は馬、鹿は鹿だと分かっていてほしかった。
    なのに、「今討ち入ったな」は、そんなのってない。

    私は、武家社会では殿のすることは絶対とされるべきだと思っている。
    失敗は許されるべきではないし、たとえ失敗したとしても、それは失敗と認めるべきではない。認めざるを得ない失敗は、臣下が代わりに責を負うものだと思っている。
    そうでなければ国の治世はたちまち立ち行かなくなっただろう。
    だが、殿に後悔はしてほしいし、公言しないとしても、世間ではどう語られていようと、責を負った臣下と殿の間に「言わないけど、分かってるよ」というものが、どうしても、あってほしい。
    むしろ、そうでないなら「貴人の軽挙は配下が負う習わし」自体、存在してはいけないとさえ思っている。
    だって、そうでなければ、臣下という立場があまりに虚しすぎる。
    本当に、これは私の勝手な我がままなのだけれど。

    もちろん、これがあくまで創作であることは重々承知している。
    森鴎外が描かなかっただけで、実際には光尚公は後悔したかもしれない。随分後になってからでも、悔やんだのかもしれない。
    今更、そうだったからといって何が変わる訳でもないけれど、『阿部一族』に事実と異なる部分があってほしいと、心から願わずにはいられない。

  • 再読。鴎外の歴史もの3作。「阿部一族」と「興津弥五右衛門の遺書」は殉死がテーマだけど、鴎外自身は淡々と出来事を述べるだけで、それを美談とも、悪習とも論じてはいない。「阿部一族」はしかしひたすら気の毒。「佐橋甚五郎」は、なんだか独特のユーモアがあって楽しかったな。佐橋甚五郎という人物が、何をしでかすかわからない面白さがあって好きだった。

    ※収録作品
    「阿部一族」「興津弥五右衛門の遺書」「佐橋甚五郎」

  • 本棚で眠っていたので。
    鴎外の初期の歴史小説三篇を収録。
    「殉死」がある意味では当たり前だった頃の人物を取り上げ、殉死・一族滅亡を描く。描き方もとても淡白で逃げ場のない感じを常に与えてくれる。
    恩からの殉死というものが建前としてあるが、なによりも殉死として彼らを掻き立てたものは、恩を受けといて殉死しないとは部下としての義に悖り、傍輩に顔向けできないという圧力を自ら作り上げてしまうことだ。
    死ぬことは美しく、死ぬことであらゆことは清算できるということが強く信じられていて、本質を見ようとしない、宗教に近い何かであるように思われる。
    死は救いでも終わりでもない。ただの言葉だ。腹を潔く切ろうがなんだろうが、死は死以外の何ものでもない。自殺か他殺、事故死か病死、死に方だってこれしかない。美しいかどうかなんて、あとから人がとってつけた一面的な価値に過ぎない。
    『佐橋甚五郎』は短いながらも、スリリングでミステリアス。徳川家康という人物の使い方がこの作品の味を出している。

  • 殉死・切腹とは。
    阿部一族はともかく、他の二編は読んでいて面白みに欠けた。

  • 文章のうまさに唸った。

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著者プロフィール

1862-1922年。小説家、評論家、翻訳家。本名は森林太郎。陸軍軍医として最高位を極める一方で、旺盛な文筆活動を展開し、晩年は歴史小説、さらに史伝に転じた。1917年から没するまで帝室博物館総長兼宮内省図書頭を務め、歴代天皇の諡号(おくりな)の出典を考証した『帝謚考』(1921年)を刊行。主な著作に『舞姫』(1890年)、『高瀬舟』(1916年)など。

「2019年 『元号通覧』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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