渋江抽斎 (岩波文庫)

  • 岩波書店
3.64
  • (17)
  • (19)
  • (42)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 397
感想 : 28
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003100585

作品紹介・あらすじ

渋江抽斎(1805‐58)は弘前の医官で考証学者であった。「武鑑」収集の途上で抽斎の名に遭遇し、心を惹かれた鴎外は、その事跡から交友関係、趣味、性格、家庭生活、子孫、親戚にいたるまでを克明に調べ、生きいきと描きだす。抽斎への熱い思いを淡々と記す鴎外の文章は見事というほかない。鴎外史伝ものの代表作。改版。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 鴎外忌。大正11年〈1922年〉7月9日、森鴎外死す。日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、教育者、陸軍軍医(軍医総監=陸軍中将相当)、官僚、帝室博物館総長や図書頭、帝国美術院初代院長。

    1862年2月17日、鷗外こと森林太郎は代々津和野藩の典医を務める森家跡継ぎとして生まれた。時の政権官僚として生まれ育ち亡くなった。それは則ち津軽弘前藩侍医たる渋江抽斎の人生と重なっている。

    鴎外は多趣味であり、趣味のひとつに本の蒐集などがあるが、幕府の職員録である「武鑑」を集めていくうちに、渋江の蔵書印が多く捺されており、興味を持つ。趣味として墓を探訪し子孫や交友の人々を調べて遂には1916年、日本文学史に記念的な『史伝』「渋江抽斎」を連載する。鴎外54歳、抽斎の歿した歳である。鴎外もっとも脂の乗った時期だった。抽斎も54歳、妻に「あと20年は生きるから今隠居して好きにやる」と宣言した直後に亡くなっている。

    史伝の前半1/3は、抽斎を調べるキッカケと、抽斎の父母や師匠などの周りの環境をじっくりしっかり調べて記しているのみ。抽斎の伝記になかなか入らない。

    1/2の段階で、やっと簡潔な伝記部分に入ったと思いきや、安政5年、全国に蔓延したコレラに罹り抽斎は急死する。そしてここから、所謂抽斎評伝が始まるのではあるが、それは直ぐに終わり、そのあとは、3人目の妻五百(いお)と子孫たち、親戚などの史実を追ってゆくのに終始する。

    私は、20年ほど「渋江抽斎」を積読状態にしていた(ブクログには登録していない)。今年、敬愛する作家の斎日レビューをすることを決めた(目標を作った)ので、生来の願いを果たして読み通したのではある。ところが、やはりこれが傑作とも思えない。私はもっと渋江抽斎について、きちんとした評価をしているのかと思っていた。または、妻の五百(いお)の数々の武勇伝が有名なので、半分は五百の評伝なのかと思っていた。しかし、本の半分以上は、細かい祖先子孫、師弟、親戚、友人の来歴の確定である。勿論、それを書くことで、抽斎の人生を立体化させる意図があったことは疑い入れない。けれどもである。この一見無名の官僚の人生に、我々はいったいなにを読み解けばいいのだろう。

    ひとつに気になるのは、終わり近く抽斎の継嗣七男保(たもつ)の半生を綴ったあと(本書の元ネタは半分近くは保の覚書なので、彼について紙幅を費やすのはある意味当然)、最終編十数頁に渡り、抽斎の4女で長唄の師匠杵屋勝久・本名 陸(くが)の一生を滔々と述べて長い評伝を終わっている事である。その最後に再び五百(いお)が出てくる。陸は五百の愛された娘ではなかったが、やはり母親から厳しく教育された。その薫陶が師匠勝久をつくったかのように描いている。もはやここまで来ると、「渋江抽斎」は、森鴎外のやがて遺すべき妻と愛児たる二男二女へのメッセージとも取れなくはない(鴎外は2番目の妻から移されたかもしれない結核を長いこと患っていて、それを決して愛児には知らせなかった。鴎外はこのあと、6年も生きられるとは思っていなかったのかもしれない。勿論これは私の想像の外無い)。五百は「お前が男だったらなあ」と嘆息されるほど知勇優れた女性だった。その許で幕末から明治前期を生ききる渋江一族の「学問で身を立てる」姿勢を、鴎外は自分の家族に伝えたかったのかもしれない。

    ひとつ確かなのは、鴎外が抽斎の人生を自分に重ねているということである。三万五千冊以上に及んだという本の蒐集癖、庭いじりの趣味、考証家、書誌学者としての面。そして本業は漢方医として人生を全うし、尚且つ少し幕政へのまともな意見も書いた。未完だが小説も書いていた。
    それら全てが、マルチ人間たる鴎外自身が自分を顧みるために必要なことだったようにも感じる。

    しかし、読めば読むほど、
    鴎外と抽斎では
    「格」が違うのである。

    抽斎評伝を読んでも、我々は鴎外の何者たるかを知ることはできない。ということだけがわかるのである。

    永井荷風は、随筆「隠居のこごと」で、『渋江抽斎』の優れている点として、第1に考証としての価値、第2にさながら生きているような人物描写、第3にフローベールの小説よりはるかに優れている「人生悲哀の感銘の深刻」、第4に「漢文古典の品致と余韻とを具備せしめ、(中略)鋭敏なる感覺と生彩とに富」む文体を挙げた。らしい(wikiより)。荷風は『渋江抽斎』を最後の読書にする事を選び絶命した。わたしは荷風の評価を否定できない。されどまた納得もできない。

    • おびのりさん
      kumaさん、森鷗外文学忌ですね
      渋江抽斎読了お疲れ様でした
      私は、きちんと読めなかったので、感想を言える権利はないかと思うのですが、
      やっ...
      kumaさん、森鷗外文学忌ですね
      渋江抽斎読了お疲れ様でした
      私は、きちんと読めなかったので、感想を言える権利はないかと思うのですが、
      やっぱりこの作品は面白くないのではと思うのですm(_ _)m

      先週熊本に行きました際、念願の長崎次郎書店跡(6月30日閉店でした)になってしまいましたが、2階の喫茶室でゆったりとコーヒーをいただいてきました
      明治32年9月28日 森鷗外小倉日記に長崎次郎訪問の記録が残っているそうです
      そんな事は、kumaさんご存知ですね
      そんな事で楽しい推しカツでした



      2024/07/09
    • kuma0504さん
      おびのりさん、
      20年来の課題図書読めてとても嬉しいです♪

      小倉日記の長崎次郎書店、全然知りませんでした( °‪ᗝ° ).ᐟ‪‪‪.ᐟ‪‪...
      おびのりさん、
      20年来の課題図書読めてとても嬉しいです♪

      小倉日記の長崎次郎書店、全然知りませんでした( °‪ᗝ° ).ᐟ‪‪‪.ᐟ‪‪‪
      我が熊本日記を読むと、なんと長崎書店に行ってるんですよね。
      でもよく調べると長崎次郎書店ではなく、おそらく支店で中央町の長崎書店でした。ちょっとこだわりある書店だとは感じてはいました。そんな由緒ある書店が新町の方にあると知っていたら、必ず行ったものを。観光地図にはなかったような気がする。

      森鴎外は、これから知っていきたい作家で、まだまだ全然知らないんですよ。
      2024/07/09
  • 東京文京区森鷗外旧居「観潮楼」跡地に森鴎外記念館があります。谷根千と呼ばれる地域です。近隣には、吾輩は猫であるを執筆した夏目漱石旧居跡地があり、猫のオブジェがあります。漱石が住んでいた3年間程は、本当にご近所さんだったのですね。
    さて、記念館には、貴重な鴎外遺産もさることながら、大銀杏や三人冗語の石等も保存されています。
    数ヶ月前に、記念展に行き、何か一冊と思い、完全未読の渋江抽斎を。小説と言っても、江戸の教養人、渋谷の伝記となります。
    森鷗外が「武鑑(江戸期の紳士録)」収集の途中で、抽斎の蔵書印からその存在を知ります。抽斎が弘前の官医で考証学者であり、自分と重なる人生を感じたのでしょうか。ブグログで自分と同じような本が登録されている本棚を見つけた感じ?
    執着と思える程の熱量で、抽斎の仕事から交友、家族。亡き後の子孫や親戚の行く末までを克明に書き続けます。
    鷗外には興味あるけど抽斎には別段……むむ、読むのに数ヶ月を費やし、今日の鷗外の誕生日に読了とします。
    抽斎はどのような人だったか、という印象よりも、
    明治維新を挟んだ時代背景や、当時の交通状況や給料、家族の在り方(特に女性)のような社会風景が、抽斎の周囲から見えてくるという史伝そのものなのかと思います。その百十八でふっと終わるのですが、初出はおよそ100年前東京日日新聞。一日一話だったのでしょう。私も一日一話でした。あまり汚れる前に本棚に並べます。

    • kuma0504さん
      おびのりさん、おはよう御座います。
      大丈夫です。私なんか、20年近く少しずつ読んでいますが、未だ1/4も読めていません(^ ^;)。
      おびのりさん、おはよう御座います。
      大丈夫です。私なんか、20年近く少しずつ読んでいますが、未だ1/4も読めていません(^ ^;)。
      2023/01/20
    • おびのりさん
      kuma0504さん、おはようございます。
      Kumaさんが、そのペースならちょっと安心しました。( ´∀`)
      文章は、平易で読みにくい事はな...
      kuma0504さん、おはようございます。
      Kumaさんが、そのペースならちょっと安心しました。( ´∀`)
      文章は、平易で読みにくい事はないのですが、まあ、読めない。あまりに子孫親戚丁寧に拾い上げるので、この時間があったら、もう何作か小説を書いていただきたかったー。などと、思ってしまいました。
      私は、森鷗外の知恵袋が、20年以上読み終わりません。
      2023/01/20
  • 森鷗外「渋江抽斎」の自筆原稿、発見 担当した印刷工のサインも | 毎日新聞
    https://mainichi.jp/articles/20220714/k00/00m/040/325000c

    森鷗外の自筆原稿発見 伝記「渋江抽斎」を推敲: 日本経済新聞
    https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF150G70V10C22A7000000/

    渋江抽斎 -森鴎外 著|文庫|中央公論新社
    https://www.chuko.co.jp/bunko/1988/11/201563.html

    渋江抽斎 - 岩波書店
    https://www.iwanami.co.jp/book/b249228.html

  • 退屈で中盤まで読むのに数週間を費やした。後半、抽齋の死から幕末~大正の現在までが糸結ばれるに従って、鮮やかな興奮が起こり、結局二日で読了した。歴史というもの、現在というもの、生というもの死というもの、それらのありのままの重さを感得できる。
    前半部はかすかに揺れ動く草むらを見ているようなものであった。後半、突如、その草むらから猛獣が出てきた、おれに向かって突進してきた。
    おれにとって遠い過去であり、縁のない人物が、人格性を強く帯び、やがてそれは分裂するかのごとく周囲の人間に及び、ついに幾多の死を超えて現在の生に結びつく。
    小説―史実 過去―現在 死―生という対立項が止揚され、読後にはある心地よい重さだけが残る。
    この極度に抑制された文体でなくてはならぬ偉業だったろう。
    もう一度最初から読みたくなる。今度は草むらに隠れる獣を直視しながら。

  • 悠に4.50人を超える登場人物たちの実生活と、繰り返される「生まれた」「沒した」… 人間の営みのリフレインが事実に即して紡がれる。このテクストは、しかしながら、滔々とした単調な時間の流れの模写ではあり得ず、鴎外の思い入れや、そもそもの登場人物の人生の濃淡によって自在に収縮、膨張を繰り返す。そんな時間の起伏の文様に魅了された読書だった。連載自体は「その百十九」で終わっているが、次の日に「その百二十」がふと続いていたっておかしくないような、「その百十九」のぷつんとした終わり方。まさに時間の物語と呼びたい。

  • 須賀敦子の愛読書と知って読んだ。一読してその面白さにはまり、直ぐに再読した。幕末江戸の直参医師を中心に、今はなき江戸の心情と文化を淡々と描きながら、その美学を蘇らせ、愛惜する。主人公は狂言回しで、その周りの人々が生き生きと描かれる。中でも、後妻の五百が、秀逸。龍馬のお龍さんに匹敵する。鴎外の史伝の筆法を現代に蘇らせたのが須賀敦子だと言える。

  • まず漢語を中心とした圧倒的な語彙力に憧れる。伝記としては訥々と事実を述べていて劇的な展開はないが、その分幕末の武家、明治の士族華族の暮らしぶりや考え方がリアルに伝わりとても良かった。つい100年程前なんだなと思うと胸いっぱい。

  • 最初はじっくり読もうと思ってはいたが、次第に走り読みになり、抽斎が亡くなってからは、もう速読のフェイク動画のような状態だった。難しすぎる。しかし、抽斎の4番目の妻、イオさんだけはすごい人物だったということは分かった。抽斎が暴漢に襲われそうになった時、お風呂に入っていたイオさんは裸に近い状態で飛び出してきて、暴漢にお湯をぶっかけ刀を抜いて立ち向かったって!イオさんの映画観たい!

  • 鴎外の作品でも特異な作品、柚斎の一生、彼の死後の一族、知古、友人等の多数のメンバーの生涯を細かく綴る。特に、三人目の妻(五百)、保、陸、悠等。医者・考証学者・英語教師等の一族の歴史を通して幕末、維新そして明治の沢山の人々の生活を語る

  • 学問と仕事、宮仕えの心構え。芯のある夫人。時代を生きる人々。家族のヒストリーを語りながら、文武両道とユーモアと暖かみにあふれ、誠実にして緻密な史料調査を厭わない森鴎外の視線、筆致に触れられ、憧れるような文化水準の高みを気持ちよく感じさせてくれます。

全28件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

森鷗外(1862~1922)
小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医。本名は森林太郎。明治中期から大正期にかけて活躍し、近代日本文学において、夏目漱石とともに双璧を成す。代表作は『舞姫』『雁』『阿部一族』など。『高瀬舟』は今も教科書で親しまれている後期の傑作で、そのテーマ性は現在に通じている。『最後の一句』『山椒大夫』も歴史に取材しながら、近代小説の相貌を持つ。

「2022年 『大活字本 高瀬舟』 で使われていた紹介文から引用しています。」

森鴎外の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×