舞姫・うたかたの記―他3篇 (岩波文庫 緑 6-0)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003100608

感想・レビュー・書評

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  • ドイツ三部作がよい。やはり舞姫が一番。

  • 将来有望な青年がドイツに転勤し、そこで知り合った異国の女性と深い関係になった。そのことを同僚に告げ口されて、会社を首になったが、昔の友人のツテで日本に帰ることを条件に再就職が決まった。ショックのあまりその女性は発狂した。お腹には青年の子供がいた。

    時代背景が良く分からないが、一緒に日本に連れて帰るという選択肢は無かったのだろうか?発狂するぐらいだったら、異国の地で頑張ったほうがまだ良かったかも。

    一時間ぐらいでサックリ読めたが、古文を読んでいるが如く読み難かった。

  • 詩人でないから形容すべき言葉がない
    ただ雪が降り積もる

  • 最近漢詩に興味を持って散々書き下し文を読んでいるせいか、口語文がすんなりと読めて、しかもこの方がテンポよく読めて気持ちがいいです。

  • 『舞姫』

    『うたかたの記』

    『文づかい』

    『そめちがへ』

    『ふた夜』

  • 舞姫は、やはり名作だと思う。
    豊太郎のどうしようもない心境も手に取るように伝わってきて、読んでいるこちらとしても、かなり心苦しい感情になった。
    とても心に残る物語の一つである。

  •  森鴎外の小説『舞姫』は、明治23年(1890年)1月、「国民之友」に発表された。鴎外はこのとき28歳で、陸軍軍医としてドイツに長く留学していたが、帰国の翌年に執筆されたのである。『舞姫』は、鴎外が留学中に体験した恋愛談を漢文調の文体で綴った、伝統的な才子佳人の悲恋を描いた小説であるが、主人公の性格が新しく、明治の社会をいかに生きるべきかという問題に触れているため、新文学の代表作たる地位を得るようになった。この漢文調の文体は、古いといえば古い訳だが、『浮雲』などの言文一致の試みに対する反動と言っても過言ではなく、鴎外の教養から来た沈痛な漢文調の表現が、異国の風物とよく調和しているのも、『舞姫』の成功を確実にするものであっただろう。
     『舞姫』は、主人公の大田豊太郎による回想体の手記として書かれている。事件が進行した過去の時間と、それを回想する現在の時間。小説には二つの時間が存在し、語り手の現在は絶えず過去の時間に干渉し、交叉しながら物語は進行する。物語が回想形式をとっていることは、この作品を成功させる効果的な手法であっただろう。意識と無意識を鮮やかに想起しながら手記を書く豊太郎の現在において、過去は「嗚呼」という表現が何度も繰り返されるように悔恨や痛恨の深いものであったことがより強調されるのである。
     このような豊太郎の気持ちが非常に複雑であることは、この小説の特徴だろう。例えば、最後の二行に、「嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡に一点の彼を憎むこころ今日までも残れりけり」とある。豊太郎は理性においては自分の行動や相沢の計らいを認める訳だが、自分の本当の心の動きというのはそれをどうも納得しきれていない。ここには、一種の内面の分裂が窺える。また、エリスとの間に子どもが出来たのにも拘らず、日本に帰国することを非決断の内に半ば無意識的に選んでしまった豊太郎の苦悩を強調したこの回想は、結局自分の惰性を言い訳しているに過ぎないかのように感じられるのだが、ふと立ち止まって近代の抱える問題を考えるとき、やはり避けられない決断であったのだという思いも生じる。
     豊太郎は国家と故郷の母のため学問に励み、日本の近代化を推し進める重要な役目を担ってドイツに留学する。秀才の常として、社会の約束事よりも学校で学んだ学問を上に置くことに躊躇せず、西洋風の近代人の思考をそのまま実生活で貫こうとする。そして、闘いの場になるのが恋愛である。恋愛は二つの自由な個性の間の平等な結びつきであり、因襲的な社会の利害との衝突ももとよりそれを妨害するものではない。少なくともそれが彼の理想とする近代人の恋愛である筈だが、この理想は結局、利害との衝突で脆くも崩れてしまうのである。そして、この思いがけない脆さが、豊太郎の自信の喪失に通じている。豊太郎は相沢の勧めに従いエリスを捨てて帰国することによって出世の階段を確実に上り始め、やがて望みのままに富と名誉を手にするであろうが、自らの良心に意識して背いてしまった以上、自分にとって最も大切な誇りを失ってしまうのである。この誇りは、富や地位以上の重みを彼の幸福に対して持つ筈であった。しかも、豊太郎があえてそれを選ぶことができなかったのは、彼自身が自分で考えているよりもずっと弱気な俗物であるということを意識させられたことで、その内面に深く突き刺さるものであったと言えるだろうし、自分で自分を誉められないという気持ちは、一生付きまとってしまうものだろう。
     このように、出世主義が支配する明治の時代に、自己の良心に従って生きることの難しさはこの物語のテーマの一つだろう。明治20年代の社会は、『舞姫』が問題を提出しているように、聡明な青年に、自己の良心に従って生きるか、それとも社会の因襲に従うか、という究極の選択を迫る社会であったのだと考えられる。彼らは良心を貫くことで文明の進歩に貢献するという使命感に燃えていただけに、その選択は苦しいものであっただろう。良心に従う時には、人間は社会的失敗者になってしまい、社会の因襲に従う時は、自分の良心、つまり自分の最も大切な内面的誇りのようなものを失わなければならない、自分で自分自身を是認できないような生活を送らなければならないということになるのである。
     近代化とは、全ての人々を自由、平等にする理念であったはずなのに、ここで実現している近代社会は理念とは全く逆の、国家が個人を犠牲にし、束縛するというものでしかなく、それぞれの個人がどのように生きるかということを模索すること自体を許さない強引さを孕んでいたのである。近代化を担う役目を持った豊太郎のような人物にまでその近代化の犠牲は及んでおり、国家の政策の前では挫折せざるを得なかったのだ。近代は、狂人を生み出すほどの過酷な一面を持っていながら、そういう表出された悲劇を真剣に受け止めることなく、うやむやのままに葬り去ってしまったのではないかと思えてならない。

  • 視線、時間、舞台が空間的、建築的に構成されていて本当に面白い。軽快なリズムを刻む文体が音楽的とも言える。計算し尽くされた作品だと思う。

  • 高校の原告の授業で浜じい先生が使ってました。 友人のKちゃんが授業が始まる前に文庫を買ってきて読んでいて自分も注目したのを覚えている。

  • 文体に面食らい、『舞姫』を読破しつつもあやふや。
    再読。

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著者プロフィール

森鷗外(1862~1922)
小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医。本名は森林太郎。明治中期から大正期にかけて活躍し、近代日本文学において、夏目漱石とともに双璧を成す。代表作は『舞姫』『雁』『阿部一族』など。『高瀬舟』は今も教科書で親しまれている後期の傑作で、そのテーマ性は現在に通じている。『最後の一句』『山椒大夫』も歴史に取材しながら、近代小説の相貌を持つ。

「2022年 『大活字本 高瀬舟』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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