吾輩は猫である (岩波文庫 緑10-1)

  • 岩波書店 (1990年4月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (576ページ) / ISBN・EAN: 9784003101018

感想・レビュー・書評

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  • 奥泉光の「『吾輩は猫である』殺人事件」(https://booklog.jp/users/yamaitsu/archives/1/4309414478)を読んだ際に、再読しておけばよかったと後悔したので、今更ながら手に取ったのだけれど、てっきり再読のつもりが、あれ?こんなに分厚かったっけ?(500頁)もしかして私が小学生か中学生の頃に読んだつもりでいたのは、子供むけにものすごく端折ってあったバージョン?と今頃気づく。翻訳ものならまだしも、まさか日本の作品だからそのままだろうと思い込んでいましたが、どうやらこれ、この年にして全文読むのは初めてということになりました。

    語り手はご存知名無しの猫「吾輩」、登場人物はお馴染み彼の飼い主で英語教師の苦沙弥先生、その細君と三人の娘たち、下女のおさん、そして四六時中先生宅にやってくる先生の学生時代の同級生で美学者の迷亭、同じく友人の哲学者・八木独仙、先生の教え子で理学士の水島寒月、この寒月の友人で詩人の越智東風など。最初に読んだ頃は自分が子供だから、ものすごくおじさんのように思っていた苦沙弥先生、実際には30代前半くらいのようです。今の私より全然若い。「吾輩」も語り口からずいぶん老成した猫のように思っていたけれど、1~2歳くらいのとても若い猫でした。

    改めて読んでとても面白かったのだけど、むしろこれ、子供が読んで果たして面白かったのかな?と不思議な気持ち。なんとなく、猫が語り手、というのと、漱石は「坊ちゃん」など子供にも読みやすいというイメージがあったのだけど、実際には本作は、世相への皮肉、シニカルな視点、難解な引用など、かなり大人むけの内容じゃなかろうか。時代背景的にも明治38年~39年(1905~1906)の連載なので、時々日露戦争の話題が出たり、現代とはかなり習慣が違い、大人でも訳注が必要な部分も多々あり。なぜ子供むけなどと思い込んでいたのか自分。

    全11話、1話完結のホームドラマ風で、ちょっとした事件が起こることもありますが、ほぼ先生と訪問者たちの理屈っぽい会話や吾輩による人物や世相の分析など、日常の一コマ的なとりとめない内容。時代的に若干、男尊女卑的な発言もありつつ、苦沙弥先生の奥さんは大人しく引っ込んでるわけではないし、11話の、迷亭の、いずれ人間は結婚しなくなるという未来予想図はかなり面白かったです。迷亭は基本的にホラばかりふいているけれど、2020年現在、まさに彼の言ったようなことが現実になっていることを思うと、あながち彼の言葉はホラばかりでもない。

    登場人物では、この迷亭が一番好きでした。現代でいうなら森見登美彦の小説に出てきそうな人物。時代は違えど、政権批判や男女の問題など、現代人が読んでも思い当たる、はっとするような意見もたくさんあり、日本人って実は良くも悪くも全然変わっていないのでは…と複雑な気持ちに。総じて、大人こそ読むべき本だと思いました。名作はやっぱり面白いですね。

  • 過去に何度か投げ出したが、今回は何とか通読できた。

    別に大文豪の作品にケチをつける気はないが、最後まで読み通すのにかなり苦労した。さして意味のあるとは思えぬ饒舌、皮肉。ユーモアがあるという人もいるが、今の時代ではいかんせん古臭い。時代で仕方ないのだろうが、女性蔑視的な箇所が間々出てくるのも気になる。

    人間と社会の洞察に深みを感じるところもあるが、やはり、この小説、猫の視点から人間を見たおかしさ、バカバカしさに尽きる。

    この作品、中高生に勧める教師も多いのかもしれないが無理がある。それなりの人生経験を積んでからの方が、挫折しないし味わえる。

  • めちゃくちゃ長い。読むのにすごく時間がかかった。だけど一度は読んでおきたかったので、読み切れてよかった。

    こんなに言葉や書くことが溢れ出てくるような文章、初めてだった。
    Aについて会話してたらいつのまにかBについて話していて、そこに新しい人物が現れてCについて語っている…みたいな会話描写や猫視点の人間観察の描写の多さに圧倒された。
    猫視点の人間の様子は、物事を客観的に見たら滑稽に映る、それが面白い、という感じ方は、読む前から予想できる。
    しかし実際に読んでみると、想像以上に鋭い言葉で描写しているというか、漱石は本当にこの人間の様子を馬鹿馬鹿しく思っているんだな、じゃないと書けないな、というレベルで辛辣だった。

    あと解説にあった、漱石が晩年まで書いてきた「エゴへの執着の醜さ」はたしかに『こころ』に通ずるところがあるなあと思ったし、この解説の言葉を読んで、本編の以下の文章を思い出した。

    今の人の自覚心というのは自己と他人の間に截然たる利害の鴻溝があるという事を知り過ぎているという事だ。そうしてこの自覚心なるものは文明が進むに従って一日々々と鋭敏になって行くから、しまいには一挙手一投足も自然天然とは出来ないようになる。ヘンレーという人がスチーヴンソンを評して彼は鏡のかかった部屋に入って、鏡の前を通るごとに自己の影を写して見なければ気が済まぬほど瞬時も自己を忘るる事の出来ない人だと評したのは、よく今日の趨勢を言いあらわしている。寝てもおれ、覚めてもおれ、このおれが至る所につけまわっているから、人間の行為言動が人工的にコセつくばかり、自分で窮屈になるばかり、世の中が苦しくなるばかり、丁度見合をする若い男女の心持ちで朝から晩までくらさなければならない。

    この文章を読んで、たしかにわたしは自分が他人にどう見られるかをすごく気にしているし、SNSやインターネットも自分のために、自分をどう見られたいか、という情報で溢れているし、自分をよりよく見せることにすごく肯定的だし積極的だと感じた。
    そして前の時代の人たちは、おそらく自分と世間の境界が曖昧、またはほとんどなくて、自意識が世の中に溶け込んでいたんだろうか、となんとなく思った。
    今の自分と他人の境界が明確に存在する価値観が、少し前の時代だと違っていたのかと驚いたし、興味深く感じた。
    昔の小説は今の時代に通ずることもあり、今の時代の当たり前がそうでないことを知ることができて本当に面白いなと思った。

  • 毎晩スタバで少しずつ、3ヶ月以上かかってやっと読み終えました。

    (私にとっては2021年の読書10冊目)
    (読もうと思ったキッカケは、内田百閒先生が心酔していたから)
    (夏目漱石の作品なので、岩波を選んだ)

    全体の印象としては、登場人物ご一同さ、皆さん饒舌というか、多弁で、まぁよく語ること語ること。
    そのおかげで、だいぶ語彙が増えた気がします。

    明治38年(1905年)から翌年にかけて書かれた作品だから、勝ったばかりの日露戦争に関連して色々な単語が出てきます。
    (旅順が落ちたので市中は大変な景気だとか、征露2年目とか、乃木希典、バルチック艦隊、東郷平八郎とか)

    特に印象に残ったのは、禅語とか仏教用語が、登場人物の口からいっぱい出てくること。
    そして、ネコの飼い主、苦沙弥(クシャミ)先生の口からは、古代ギリシャの哲人とか学者さん達の名前やエピソードが、次々と出てくる。
    漢籍(中国から入ってきた古典作品)の数々からの引用も多くて、夏目漱石の博学さに驚きました。

    ゲーテのファウストやウェルテル、熊坂長範、楠木正成、ナポレオン、アレクサンドロス大王、その辺は大丈夫。
    だけど、ニーチェとか漢籍とか、さらには落語からも引用してるみたいで、その辺は本当にいちいち1つ1つググっていったので、ものすごく時間がかかった。
    ただただひたすら、Wikipediaと日本国語大辞典で調べまくりの3ヶ月間だった気がする。

    10代の多感な思春期にこの作品を読んで衝撃を受けたという、内田百閒先生や芥川龍之介。
    彼らの頭脳と感受性、どちらもマジですげぇわ。

    次に何を読むか、なんだけど……
    漢籍の数々をこの年齢から次々と読破して行くのはハードルが高い一方で、禅語はちょっとかじってみたいなぁと。
    でも、友達がいない私には、禅語とか仏教に詳しい知り合いもいない。

    漢籍と禅語をある程度おさえておくと、小津映画も理解が速くなりそうな気がする。
    色々な本を読めば読むほど、あちこちで引用されてますよね。
    本来なら、古事記や日本書記、イリアスやオデュッセイアや、旧約聖書や新約聖書と同じレベルで、まず最初にそっちを読んでおくべきなんだろうな。

    今までろくすっぽ読書してこなかった人生を反省させられた1冊となりました。

  • 意外と面白かった。
    まさに明治のサザエさん一家っていう感じだった。
    短調でそんなに長く引っ張る必要あるのかなぁっていう場面も所々あったが全体的に苦沙弥先生や迷亭、寒月、細君らのやり取りがおかしかった。
    特に泥棒に入られた時のエピソードはコントを観ているようだった。
    ただ最後はちょっと残念だった。せめてもっと苦しそうじゃない死に方でも良かったんじゃないかと思った。

  • 猫の本屋:元学芸員、猫本専門の古書店をネットで開業- 毎日jp
    http://mainichi.jp/select/news/20130820k0000e040163000c.html

    岩波書店のPR
    「猫を語り手として苦沙弥・迷亭ら太平の逸民たちに滑稽と諷刺を存分に演じさせ語らせたこの小説は『坊っちゃん』とあい通ずる特徴をもっている。それは溢れるような言語の湧出と歯切れのいい文体である。この豊かな小説言語の水脈を発見することで英文学者・漱石は小説家漱石となった。(解説 高橋英夫・注 斎藤恵子)」

    猫本専門書店 書肆 吾輩堂 | 猫の本、その他古書買い取りいたします!
    http://wagahaido.com/

  • 22歳にしてようやく「吾輩は猫である」を読んでみる。
    漱石の本は「こころ」についで2作目。

    レビューなんてのは全く自分の無知蒙昧を広めるだけのものであると思うけれども、せっかく読んでみていろいろ思うところがあるので書くことにする。


    やはりまず第一に感じたのは、猫に語らせることの妙である。
    人間ではなく、猫自身が語ることで、社会科学的に言えば、漱石自身の鋭い観察眼及び人間のバイアスをより鮮明に対象化することに成功していると思う。皮肉も人間が語るよりもずっと効いてくる。正直、ギャグ漫画を読んでいるような心持であった。

    クライマックスで、人間どもに一種の漱石的講義(?)を語らせ始めたかに見えた時は、漱石の社会に対する鋭い指摘・観察眼に大いに感心しながらも、興ざめしながら読んでいたが、最後にやはり「人間同士の嘲笑を猫が嘲笑する」という本書の面白さをしっかり押さえて終わっていた。


    また、明治初期の日本は封建社会から資本主義社会への大転換を迎えていた。物語のクライマックスで語られていたような諸個人の自由・不自由の新たな発現から、多数の人々と同様、彼自身も逃れることができないことを感じていたに違いない。そして、自身をも一人の登場人物として対象化し、当時の日本社会における人間的状況をより一層浮き彫りにすることを猫に託したのではないだろうか。


    と、無知をさらけだすことの恐怖。。。
    だがそう思ったのでそう書いておくことにする。

    とりあえず面白かったが、500ページを超えてて非常に長い。つかれた。

  • 主人と迷亭君のやり取りが特に読んでいて楽しかった。

  • めちゃめちゃ楽しい。1ページごとに笑える。

  • 腹を抱えて笑ってしまいます。とても鋭い視点で描かれた傑作です。

  • 迷亭先生に惚れました。

  • 漱石のユーモアのセンスに脱帽

  • 日本語の渦にのまれるなら漱石以外に本はない

  •  吾輩は猫である。名前はまだない。

     この有名な書き出しは知っていても、読んだことはなかった。伊集院静さんの『ミチクサ先生』を読んで、この小説をどうしても読みたくなった。
     思ったよりもずっと分厚かったけれど(岩波文庫515ページ)、漱石のユーモア、風刺を交えた文章に引き込まれた。電車で読んでいる最中に、面白くて思わず吹き出してしまうことも。例えば、「ダムダム弾」をめぐる攻防。
     あくびを「鯨の遠吠のよう」と書いているのも面白い。

     日常を「猫」の目から見た物語ですが、人と人とのやりとりが面白かった。しかし、あのような結末になるとは思いもしませんでした。そういうことになるとの予想はつくものの、まさか本当にそうなるとは思わず、でも、その結末もユーモアがありました。

  • ピア・サポーターズNさんのおすすめ本です。
    「『サザエさん』のような日常のわちゃわちゃ感。猫視点という斬新なアイデア。
    落語のようなテンポの良い会話。
    「こころ」=夏目だと思っている人に読んでほしい!
    明るくくだらない夏目のデビュー作!!」

    最新の所在はOPACを確認してください。
    TEA-OPACへのリンクはこちら↓
    https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/opac_details/?bibid=BB00041512

  • 請求記号 913.6-NAT(上野文庫)
    https://opac.iuhw.ac.jp/Otawara/opac/Holding_list/detail?rgtn=096019
    「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」という冒頭部分はあまりにも有名ですが、実際に読みだしてみると洒脱な落語気分が漂う前半に比べて、後半は相当にマニアック。苦沙弥先生の書斎に集まった面々がとにかく好き勝手な人生論を延々と述べ合う展開になります。個性を優先する社会の行きつく先は、自分に共感できるのは自分一人になってしまい愛も芸術も存在し得ない。稲作社会の伝統が受け継がれ空気を読み合う日本の人間関係の在り方も、悪い面ばかりではないのかもしれません。「呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする。」

  • ラストにやられました。
    波があるようで波がない。猫視点の日常です。
    どう終わるのだろうと思って読んでいたら、驚きました。

    猫が可愛いです。猫が悟りを開いている感じです。

    少し分厚いので、薄い本が好きな人は少し読むのが大変かもしれません。

    ちなみに、私が初めて読んだ文学作品でもあります。

  • 言わずと知れた名著。読んでみたかった作品。
    思いの外コメディ寄りというか、登場人物のやり取りに結構くすりと笑えた。
    個人主義に関する件などは、どことなく今と通ずるところを感じた。
    ただ、主人の女性観など、時代を感じる部分は当然あった。

    個人的には「こころ」の方が好み。

  • 誰もが知る超名作。人間の営みや世の真理に隠された明暗を純然たる猫の視点から解き明かすという甚だ興味深い作風。諧謔性の暴力ともいえるほどの極めてユーモラスな文体にはついつい笑みがこぼれてしまう。圧倒的会話量を以ってして迫真性を突きつけ、凄まじい熱量を感じた。細部に渡るディティールで稀代の滑稽味とリアリティを紡ぎ出す漱石のメソッドには感服の念が絶えない。日本随一の文豪の源流を肌で感じ、ますます敬愛が深まった。

  • 若い時に何度か読んだのでエピソードそのものはだいたい覚えているのだが、言い回しとか例えとか、文のスピード感などといったディテールが面白く、味わい深い。
    また、この最近の岩波文庫版はとても読みやすい。漢字の開きも、雰囲気を壊さない程度にとどめてあるし、読みの難しいものにはほぼ必ずルビがふってある。注も多めかつ簡潔で気になったものだけちょっと見て理解して先に進める。
    昔、新潮文庫で読んでいて億劫になって挫折してしまったことがあったのだが、問題はこの読みやすさ、だったと思う。新潮文庫の、漢字はほぼ開かず原文どおりという方針はとてもいいのだが、字が小さく行間がつまっていて圧迫感があって読んで入り込むまでに時間がかかるのと、注がちょっと少な目で気になった言葉がわからないとそこでつっかえてしまって途中で止めがち、ということが問題だったのではないかと今にして思う。新潮文庫さん、ぜひ漢字はそのままにして、読みやすいスタイルと注の充実した新版へのリニューアルをお願いします!

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著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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