坊っちゃん (岩波文庫 緑10-3)

  • 岩波書店 (1929年7月5日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (160ページ) / ISBN・EAN: 9784003101032

みんなの感想まとめ

正直者が馬鹿を見て、ずるい者がのさばる世の中を描いたこの作品は、坊っちゃんの快活さと義理堅さが際立つ魅力的な物語です。再読することで、主人公と彼を支える清との関係に心を打たれる読者も多く、時代を超えて...

感想・レビュー・書評

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  •  この世の中、正直者が馬鹿を見て、方便ばかり上手なずるいやつがのさばってやがる!!…と、読んでいると、私の心のうちに住む不器用快男児が共鳴して叫びだす。
     四国に行くまでの部分が長かったように感じたが、十一章のうちの一章だけだったので錯覚だった。四国での話が波乱(?)に富んで面白いから短く感じたためもあるかもしれないが、あのはじめの一章に坊っちゃんとキヨの結びつきの強さが込められているから、東京編を色濃く感じたのかもしれない。キヨがいてくれて、本当に良かったね。

  • 小学生の時に、かなり大ざっぱな児童むけリライト版『坊っちゃん』を読んだことはあるが、オリジナルの通読は今回が初めて。読後の感想を一言で述べると「面白い。が、いいのか、これ?」。

    あらすじ紹介には「正義感に燃える若い教師の奮闘の日々」と書いてある。『金八先生』みたいな熱血教師ものかと早合点しそうになるが、だまされてはいけない。『坊っちゃん』は語り口こそ軽妙だが、のちに『こころ』という作品で人間の孤独についてげんなりするほど粘着質に書いた、あの夏目漱石の作品である。ハートフルストーリーを求めて読むと肩すかしをくらう。

    第一に、主人公の〈おれ〉は理想に燃えて教師になったのではなく、たまたま恩師に教職を斡旋されて、ほかに就職先がなかったから引き受けたという、典型的なデモシカ教師である。それでも普通の小説なら、生徒との交流を通して使命感に目覚め、「生徒から色々なことを教えられ、人間として成長できました」ときれいにまとめるところだろうが、『坊っちゃん』は違う。〈おれ〉はあんまり成長しないし、生徒との間には連帯感のカケラも生まれない。そして赴任後1ヶ月で勝手に辞職してしまう(しかも辞表は郵送で提出)。

    さらに「文豪作品=美しい日本語のお手本」という先入観もぶち壊してくれる。計算されつくした巧みな文章には違いないのだが、語り手の〈おれ〉が短気な江戸っ子という設定なので、悪口雑言のオン・パレードでなのである。〈おれ〉の悪態のうち2割くらいは正当な批判であり、そこを掘り下げればいくらでも深読みできると思うが、残りの8割はどう考えても単なる言いがかりだ。ポンポンと歯切れがよくユーモラスなのでついクスッと笑ってしまうが、松山を「不浄な地」呼ばわりは、漱石先生といえどもいかがなものかと思う。『坊っちゃん』を松山の観光資源として活用してもらうことで、罪ほろぼしになっているとは思うけれど。

    とりあえず「明治時代から学級崩壊ってあったんだな」ということや、「3年以内に職場を辞める若者って昔からいたんだな」ということがわかった。ある意味、漱石ってやっぱすげぇ、と思わざるをえない。

    • hei5さん
      私も遠い昔ジュニア版を読んだことがあり、「今さら坊っちゃんなんて」と思ってましたが、あなた樣の感想文をひょんなキッカケで拝見致し、
      近日中に...
      私も遠い昔ジュニア版を読んだことがあり、「今さら坊っちゃんなんて」と思ってましたが、あなた樣の感想文をひょんなキッカケで拝見致し、
      近日中に再讀しやうと決意しました。ありがとうございます。
      2023/12/11
  • 学生の時にやっつけ仕事的に読んだっきり。久しぶりに再読。
    坊っちゃんのチャキチャキ、威勢の良くて自分の中で筋が通ってて無鉄砲でいて義理堅いところが改めて魅力的に感じた。今の時代なかなか居ないタイプだものね。
    田舎の閉鎖的な様子が描かれているけど、昔はそんなに都会と田舎とでは違ったのかしらん。
    でも、小狡い人間がやっつけられる様は気分スッキリ。
    事実をぽーんと書いただけのあっさりしたラストも何か好き。

  • ▼トシを重ねて読み返すたびに、本筋の事件のオモシロさよりも「坊っちゃん」と、坊っちゃんの疑似母的な「清」とのラブストーリーに、ココロ打たれます。泣ける。涙が止まりません。そうか、これは「赤毛のアン」だったのか。アンの物語に見えて、アンを巣立たせるマリラとマシューの物語でもある。さすが、漱石。

    ▼「坊ちゃん」夏目漱石。1906年初出。どうでもいいですが「赤毛のアン」が1908年。岩波文庫。2019年8月に、何度目かの再読。短い。あっという間に読めます。

    ▼大人になって読めば読むほど、哀しい話だなあ、と思ってしまいます。坊ちゃんの勤務先で起こった事件については、勧善懲悪は全く成されないまま。赤シャツ、狸、野だいこの思惑のままに終わってしまいます。生卵をぶつけて、ぶんなぐる、というテロリストな行為で束の間の溜飲を下げただけ。

    ▼ある種、極めて深い、世間様一般への絶望感みたいなものを、諦めた前提でのストレス発散みたいな小説ですね。しかしこの小編と、豊穣だけどストーリーのカタルシスとしてはかなり弱い「我が輩は猫である」が、一貫して漱石のベストセラーであるというのが、一種、不可思議でなりません。

    ▼でも。不可思議でも無いかな、とも思うのは、どちらの小説も、割と「世間は嫌なヤツらがはびこっている。腹が立つ!」という一貫性がある。そして、一方で素敵に浅い。気楽なところがある。深刻すぎない。

    ▼「世間を、世俗を批判する我が身、私も世間の一部である」という視座とか、「そういう俗な世界をもっともっと圧縮して、我が身と家族、夫婦との図式をどう感じるか」みたいな「内省の深み」までは、潜って行きません。そこの「ぞっとするダークサイド」は見ないようにしているンですね。そういう意味では、読みやすい。後年の、「行人」とか「道草」とか「明暗」なんて、読みようによっては、「ホラーかっ!」て言いたくなるくらい、そのあたりが、深い。息詰まるオモシロさ。でも気楽には読めない…。

    ▼しかし、「坊っちゃん」も、「猫」も、一方で言葉のリズムとか、文章の流れなんかは、上手いなあと改めて。そして、にやにやくすくすしていると、清の存在が、駆け抜ける終盤、そして最後の数行が涙腺を直撃…。

    ▼これ、今風に言えば、「現役バリバリの東大文学部の教授が、文芸誌に発表した小説」なんです。すごいなあ。


  • 無鉄砲で無愛想で癇癪もちだけれど、正直で純粋な坊っちゃんが好きになった。

    子どもの頃からやんちゃばかりしていて、褒められることより怒られることのほうがよっぽど多かった坊っちゃん。
    下女の婆さんである清だけが「あなたは真っ直ぐでよい御気性だ」と坊っちゃんを褒め、可愛がってくれた。
    しかし東京にいた頃は、その意味がわからなかった。

    学校を卒業した坊っちゃんは、清と離れて田舎の学校に赴任することに決まった。清は、坊っちゃんがいつか家を買ったら世話をさせてくれという。困ったものだと思った。

    だが、田舎へ行くと、清の存在は坊っちゃんにとって心の支えになる。

    悪知恵の働く赤シャツ、赤シャツにこびへつらう野だ、正義感の強い山嵐、権威だけある狸、自己主張のないうらなり、噂好きな宿の御婆さん、やっかいな生徒たち。

    田舎の人々の卑劣な根性に自分も染まってしまうではないか、と恐れ、そのたびに清が心の中に浮かんできては、清を「美しい心をもった」「自分の片割れ」のように思う。

    このふたりの清らかな関係が、一本の川となって物語の中を貫いている。

    新潮文庫版を読んでいないのでわからないけれど、岩波文庫版は松山の方言、語尾に「〜なもし」がつくのが、なかなか味があって良かった。読みづらい漢字も多いけど、やはり古典を読むなら岩波が良い。

    p56
    考えて見ると世間の大部分の人はわるくなる事を奨励しているように思う。わるくならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。たまに正直な純粋な人を見ると、坊っちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。それじゃ小学校や中学校で嘘をつくな、正直にしろと倫理の先生が教えない方がいい。いっそ思い切って学校で嘘をつくとか、人を信じない術とから人を乗せる策を教授する方が、世のためにも当人のためにもなるだろう。赤シャツがホホホホと笑ったのは、おれの単純なのを笑ったのだ。単純や真率が失われる世の中じゃ仕様ない。清はこんな時に決して笑った事はない。大いに感心して聞いたもんだ。清の方が赤シャツよりよっぽど上等だ。
    「無論悪るい事をしなければ好いんですが、自分だけ悪るい事をしなくっても、人の悪るいのが分からなくっちゃ、やっぱりひどい目に逢うでしょう。世の中には磊落なように見えても、淡泊なように見えても、親切に下宿の世話なんかしてくれても、滅多に油断の出来ないのがありますから......。(後略)」

    p81
    すると初秋の風が芭蕉の葉を動かして、素肌に吹きつけた帰りに、読みかけた手紙を庭の方へなびかしたから、しまいぎやには四尺あまりの半切れがさらりさらりと鳴って、手を離すと、向うの生垣まで飛んで行そうだ。

    p100
    人間は好き嫌いで働らくものだ。論法で働らくものじゃない。

  • 今からおよそ百年前の小説。
    でもこの瑞々しさ。感性も分かるし、共感も出来る。

    ゆえに、名作なんでしょう。

  • 離れてみて初めて清からの慈しみを理解できて、東京に戻ったその足で清に会いに行く。二人での生活は短かったかもしれないけれど、坊ちゃんにも清にとっても愛しい時間であってほしいな。
    ぼこぼん先生、響きが好きだ。

  • 中学生になったばかりの頃に読みました。
    教科書に,一章だけが紹介されており,思わず惹かれてしまったのです。それは,主人公の正義漢ぶりが,直情さが,不作法だが無造作で飄々としたところが,
    人物として当時の私がとても憧れたからだと思います.

    夏目漱石のコミカルで軽快な書き口に,勧善懲悪の爽快感が加わり,文学作品のなかでもとても読みやすい作品の一つです.

    多くの版がありますし,また多くの映像や絵や漫画も生まれています.学生の皆様には一読を勧めたい一冊です.

    中学生の時と,今とでは,この作品に対してどの様な感想の変化があるだろうか,一度試して見ようと思います.

  • 声に出して笑った日本文学、面白い!

  • さすがに読んでおかないとと思って手に取りました。時代劇のように勧善懲悪っぽい。だけど主人公にも落ち度がある点もあり、そこがむしろ親しみ深くなるところ。無駄がなく倦怠感を感じずにスラスラ読めました。

  • 清に赤シャツ、マドンナ、うらなり、狸、山嵐、野だ

  • とても面白い。今の人でも理解できる作品。古典として分類される作品だと思うが、読み継がれてきただけのことはあるなと思った。

  • 仕事をやめた直後の身であった自分には、辞表を突きつけた主人公と自分が重なって見えた。
    私も同じように、こんな不純な場所にいたら腐ってしまうと思って辞めたからである。

    彼は23歳4ヶ月だという。私が入社したのは22歳の年で、当時は、そしてそれ以前の学生時代には、誠実と実直こそが真であり、それを貫かずして人間を名乗れるものかと思い、事実そのように行動していた。

    それによって良い評価も受けていたとは思うものの、今に思えば当然のことで、随分と嫌われたり敵愾心を向けられたり、嘲笑われた事もあった。しかし、当時はそんな他人の嘲笑は私の敵にもなることはなく、己を貫いていたように思う。

    私が辞職するこの数年を振り返って見て、私はすっかりその実直さを失ったと思う。
    私に決定権はなく、かといって上に事業を推し進める力はなく、腹を決めて責任を取る覚悟もなく、ただただ保身と停滞ばかりが優先されていた。
    まったく空洞化したおままごとのような社内政治と外見の取り繕いに奔走させられ、それで金をもらっていた。
    全く、本書の主人公の赴任した中学校の狸校長と赤シャツ教頭の振る舞いそのものである。
    主人公はそんな校長について、「煮えきらない愚図の異名」と評する。
    まこと痛快である。

    さて、最後に備忘を兼ねて、忘れまいと思う部分を2箇所引用しておくことにする。

    「考えてみると、世間の大部分の人はわるくなることを奨励しているように思う。わるくなければ社会には成功しないものと信じているらしい。たまに正直な純粋な人を見ると、坊っちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する」

    「議論のいい人が善人とはきまらない。遣り込められる方が悪人とは限らない。表向がいくら立派だって腹の中まで惚れさせる訳には行かない。金や威力や理屈で人間の心が買える者なら、高利貸しでも巡査でも大学教授でも、一番人に好かれなくてはならない。中学の教頭位な論法でおれの心がどう動くものか。人間は好き嫌で働らくものだ。論法で働らくものじゃない。」


    話は逸れるが、現代語の父である漱石だが、現代の日本語では誤用とされる日本語がいくつも見られる。
    誤用などというものは、てんでくだらないものだ。
    日本語とは、真に自由な言語である。
    誤用かどうかより、どう書きたいか、どう伝わるかの二軸で言葉を選びたいと思った。

  • 松山旅行記念
    マドンナは、坊っちゃんはじめみんなのアイドルなのかと思ってたら全然そんなことなかったな
    これ、当時の漱石の同僚だった人たちはどんな気持ちで読んだんだろか笑

  • 歯切れのいい文章で、どんどん読める。
    松山が思ったより悪く書かれていて面白かった。

  • 友達に夏目漱石を読んでると話したら、是非坊ちゃんを読むべき!とのことで読み始めたよ。
    いや〜面白い。
    坊ちゃんのストレートなとこが良いね。
    坊ちゃんになったような気がする。

  • なんで今更「坊っちゃん」であるか?

    私は通勤の際、iPod でPODCASTを聞いている。
    その番組の中に「ラジオ版 学問のすすめ」ってのがあって、先日のゲストは作家・評論家の関川夏央であった。
    正岡子規の話が中心だったけど、同時期を生きた作家の中に夏目漱石も居る。
    明治時代、文学で生計をたてられる人なんてそう多くはないので、作家連中は自然と集まり交流があったんだそうだ。

    今、壊滅的な状況にある政局の中で必要なのはリーダーであり、エリートが育たない時代だ。
    現総理の次は誰がよいかなんて、誰がなっても大同小異であろう事は誰もがそう思ってるだろう。

    しかし、正岡子規達が生きた時代、帝国大学(現東京大学)を卒業するような人間は日本を代表するリーダーでエリートである。
    夏目漱石もその一人。
    そんな作家が書く、「坊っちゃん」とは如何なものか。
    ゲストの話の中で、
    「坊っちゃんが四国の学校に赴任した期間は、どのくらいか解る?」
    とか
    「宿屋の女中に5円をやってるけど、今だとどのくらいの価値か解る?」
    とかの話があった。

    期間はたかだか、1ヶ月ちょっとである。
    5円は1ヶ月の給料分である。
    坊っちゃんは世間知らずの負け組なのだ。
    そんな負け組の(勝ち組は赤シャツか)坊っちゃんを書く夏目漱石とはどのような人物であったのか。
    まあ、そういう話。

    私は、「坊っちゃん」なんて読んだ気になっているだけで、実は読んでいないかもしれない。
    だから、上記のような問いには答えられないし、例え読んだとしても、その時代背景も解っていない子供の時分であれば文脈が理解が出来ていないだろうと思って、今頃、「坊っちゃん」なんて読んでみたわけである。

    今、政局に「坊っちゃん」のような事が書ける赤シャツが必要だなと思った次第。

    さて、この手の文学作品は既に著作権が切れていて、色んなメーカーから文庫が売られている。
    さらに、インターネットであれば、全文無料で読むことができる。
    私は、「青空文庫」で読んだ。
    暇なお昼休みは、ここがイイかもね。
    昼休みと言えども、そんな時間はあまりないんだけどさ。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/701227

  • 面白いが難しさを感じてしまった。私にはまだ早かったのかもしれない…

  • 著者:夏目漱石(1867-1916、新宿区、小説家)
    解説:平岡敏夫(1930-、丸亀市、国文学者)

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著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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