草枕 (岩波文庫 緑10-4)

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  • 岩波書店 (1990年4月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (240ページ) / ISBN・EAN: 9784003101049

みんなの感想まとめ

自由な生き方や非人情の境地を探求する本書は、著者の独特な芸術論が主なテーマとなっています。冒頭の印象的な一文から始まり、登場人物の矛盾を通じて、孤高を目指すことの難しさが描かれています。主人公の言動に...

感想・レビュー・書評

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  • 草枕
    著:夏目 漱石
    解説:重松 泰雄
    出版社:岩波書店
    岩波文庫 緑10-4

    智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

    で始まる有名な小説というか、その冒頭の一言以外は、あまり内容を知らない

    山本七平氏曰く、日本教のテキストにて、日本教を知りたいならば、草枕を読めと、勧めているので、手にとりました

    まず題名がいい、草枕、旅のまくらことばであり、そのおももちは、万葉の昔を彷彿とさせる
    いくらなんでも、すぐに、これは紀行文だということがわかる

    だが、近代小説としては、三十一文字ではなく、十七文字を主にしている
    それに、漢詩あり、Poemあり、ただのくたびれた画家の物語なのであるが、英文学者のただならぬ、ギャップにたちまち違和感をおぼえる。解説にもあったが、主人公の画家とは、夏目漱石そのものなのである

    明治の世では、この草枕がバカ売れして、夏目漱石は作家の道に進むことに自信をもったとある
    が、内容を一読したが、どこがおもしろいのかは、よくわからなった。美人の女将でもいなければ、こんな退屈なところに何泊もできないよなあ、が、感じたことです

    日本教の教徒としては、失格です

    都会の喧騒を抜けて、寒村に足を踏み込んだ画家の物語、登場人物もそう多くない
    画家=画工なのにあまり絵をかいていないような

    主人公 画家
    茶屋の婆
    馬子の源さん、那古井の源兵衛
    宿の小女
    宿の出戻りの若女将 那美
    宿の旦那、老人
    観海寺の和尚、大徹
    身投げをした先代の女将(故人)
    小坊主 了念
    久一 那美の兄 赤紙で出征

    目次

    草枕










    10
    11
    12
    13

    注・解説(重松 泰雄)

    ISBN:9784003101049
    判型:文庫
    ページ数:240ページ
    定価:650円(本体)
    1929年07月05日 第1刷発行
    1990年04月16日 第76刷改版発行
    2017年06月05日 第112刷発行

    • k.m.さん
      鎌倉の円覚寺に行き、奥へ奥へと入る漱石に僧侶が「その先は、何もありませんよ」とだけ言って、去っていくところが哲学的で惹かれます。円覚寺の僧侶...
      鎌倉の円覚寺に行き、奥へ奥へと入る漱石に僧侶が「その先は、何もありませんよ」とだけ言って、去っていくところが哲学的で惹かれます。円覚寺の僧侶とも、この話をしたことがあります。
      2026/02/20
    • 横さん
      ありがとうございます。北鎌倉は、落ち着いた名刹があって風情ありますよね。自然が残っているところもいいです。
      ありがとうございます。北鎌倉は、落ち着いた名刹があって風情ありますよね。自然が残っているところもいいです。
      2026/02/20
  •  山道を登りながら、こう考えた。 知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

     そんな書き出しで始まる、「非人情」をモットーに絵の題材を求めて春真っ盛りの美しい山里を訪れた青年画家の視点を通じて描く、芸術および時代模索小説です。

     西洋文学の世界に描かれるような重苦しい人情に煩わされることから遠ざかり、王維や淵明の漢詩の世界のように美しく心楽しませる景色を純粋に写実的に描く目的で、花が咲き乱れ鳥が囀る春の山里を訪れた三十歳の青年画工。東京での人的関係に疲れていた彼は、旅先で会う人々は感情を排して美しい風景の添え物として描くつもりでしたが、逗留先として選んだ温泉宿の出戻り娘・那美に会ったことで、その計画は狂っていきます。

    「美しいが、悟りと迷いが一軒の家に喧嘩をしながらも同居をしている」ほど矛盾に満ちた、どことなく驕慢でつかみ所のない那美に振り回される中で村人たちから聞いた、那美の先祖にあたる女性の悲しい末路と、不幸なだけでなく異常さへも伴い、気狂と囁かれる那美の過去。
     彼は、悲劇と狂気の果てに美しい花々と共に湖に浮かんで死んでいく「ミレーのオフェリア」のイメージを那美に重ね、描きたいという思いに激しく駆られますが、どうしても描けません。彼にとって、那美の表情には「ある感情」が欠けていたのです。そしてそれは、千年の昔から日本古典史上、最も重要視されると同時に最も多用されて多くの要素がない交ぜになった日本独特の感情でした・・・。

     西洋芸術的な感情表現を排除し、純然たる東洋芸術的「非人情」と視覚的美しさを追求するはずだったのに、人情の最も端的な発露とも言える表情に心捕らわれて作品の構想を繰り返すことになる矛盾に満ちた青年画家の姿(しかもその感情は実は日本的という二重の矛盾がある)は、個人的・芸術論的命題を越え、西洋文化の無条件の摂取という時代を終えて東洋文化とアイデンティティーを見直しながら両文化からの取捨選択という矛盾に悩んだであろう作者以下、明治後期の知識人の心そのもののような気がしました。
     ・・・と書いてしまうと、いかにも思想的で読みづらい作品かと思うかもしれませんが、意外とそうでもありません。春の山里の鮮やかな美しさ、那美の独特な美、春特有の柔らかなお湯の描写、果ては湯煙のむこうの女の裸体まで、たわみや遊びがないかくしゃくとした音律が特徴的な漢文風文体で語られる実に多種多様な描写は、豊富な語彙と色彩感覚に裏打ちされていることもあって、実に見事です。文体と描写を楽しむだけでも充分一読の価値ある作品だと思いました。

  • 昭和38年発行のものを読んだ。
    難しかった。読みにくいし、何を書いているのか分からない箇所もかなり多かった。漢文や旧仮名遣いも含めて、内容以前に読むこと自体が大変だった。
    それでも残ったのは、悲しい感情は、ただ悲しいだけではないのかもしれないということだった。
    離別、ふと感じる寂しさ、社会に取り残されるような孤独感。そういうものは「悲しい」「寂しい」と一言で言ってしまうと、何かが抜け落ちる。
    最後の那美さんの表情を読んだとき、映画『PERFECT DAYS』のラストの主人公の顔を思い出した。過去や孤独や喜びや諦めのようなものが一気に降りかかってきて、なんとも言えないあの言語化できない表情。
    『草枕』も、そういう一言では名付けられない人間の感情を、少し離れたところから眺めて、美しいものとして捉えようとした小説なのかもしれない。
    最初の有名な「智に働けば角が立つ〜」を自分で読めたからよかったとしましょう。

  • 「非人情」とは「超俗」或いは「解脱」の露悪的表現か。智に働かず、情に棹ささず、意地を通さず。何物にも捉われない、自由な生き方ができたら…。でもそんな世界では、たぶん文学も芸術も、大したものは生まれない。「草枕」の境地に憧れる者ほど、その手の無為には耐えられまい。やっぱり人の世は難しい。

  • あまりに冒頭の一文が見事。
    お話そのものは陳腐な気もする。

    私も高等遊民になりたい。

  • 「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」

    上記の有名な冒頭で始まる本書は、夏目漱石自身の体験をもとに、二週間ほどで執筆されたものだという。

    物語はあってないようなもので、著者の「非人情」的芸術論が主な内容になっている。
    この「非人情」の意味が明確に示されることはなく、主人公は非人情、非人情と言いながらも、当人にもその意味ははっきりとわかっていない様子。

    著者もその主人公の矛盾を意識しているようで、自虐的に描かれている。
    『吾輩は猫である』『坊ちゃん』『野分・二百十日』に続いて本作を読んだが、改めて夏目漱石は愛嬌のある人だと思った。

    彼は、孤高であろうとするものの、秀でたところのない、熱くなりやすいだけの頑固者をよく描く。そこには、自身の人付き合いの悪さ(実際には多くの門下生に慕われていたようだが)や、孤独を孤高と取り違えてしまう男性的気質への、痛烈でありながら温かな皮肉が滲んでいるように思う。

    こうした部分が野郎の私にはグサグサ刺さり、頭を掻きながら、自分の短所も受け入れて愛してあげたくなる気持ちにさせられた。

    『草枕』でも、こうした自虐の文調は健在で、出戻り娘の那美とのやり取りの中には、なかなか思い切ったジョークも多数あり、何度もクスッと笑いながら読み通した。

    それにしても、彼の膨大な語彙と知識量には毎度驚かされる。
    漢籍の引用に英詩、古典の比喩が自在に飛び交う。明治維新からまだ半世紀も経たない時代にあって、翻訳の基盤も十分に整っていなかったであろうなか、英文学を原文で吸収し、それを即座に日本語へと移し替えるという、その知的水準の高さは我々の想像をはるかに超えている。

    比肩する者のない勉強熱心さと、妙に人間臭い素直さ。
    この両義性が、国境や時代を軽々と越えて読まれ続ける古典を量産させたのだと思う。

    なんだか『草枕』の感想というよりは、漱石作品への懸想文になってしまった。

    とにかく彼の作品は好き。

  • 読む絵画

  • 大学時代に受講した哲学の授業で本作が紹介されたことがきっかけで学生時代に一度読んだものをだいぶ時間が経ってから再読。

    当時は全く意識しなかったが、改めて読み返してみると、難しい言葉遣いを多用していることに驚かされる。一方で、こうした言葉遣いを多用しているからこそ、リズム感のある文章で、すらすらと読み進めることができる。

    いろいろな人物が登場するが、基本的には主人公と那美のやり取りであり、その過程での両者の心の中を読むという構成であるので、文体は古いが比較的読みやすいだろう。

  • 絶対に手元に置きたいと思いながら買っていなかったので、岩波文庫版を購入。この表紙が良かった。久しぶりに読み返したけれど、つくづく、冒頭のことばの綺麗さとリズムが群を抜いていると感じる。読んでいる途中は迷子になりかけることもあるけど、非人情の読書ならまあいいか。そして後味も明快。
    浮き世を忘れさせる役割を担う詩人、または画家という職につき田舎へ滞在している主人公だが、草木や鳥に惹きつけられたかと思えば、次の瞬間には人の世の様々なしがらみや感情に惹きつけられている。結局浮き世から逃れることはできないが、だからこそ思考が生まれる。

  • これまでに2度チャレンジしたことはあったが、「智に働けば角が立つ」で始まるひとり語りにあえなく挫折。以来うん十年、積読。今回、ぱっと開けたページの会話から読み始めたら、そのおもしろさに憑りつかれてしまった。そうか、こう読むのか。
    会話文の巧いことといったら。ストーリーの展開も、無駄なく、自然。ずっと『草枕』がヘンなタイトルだと思ってきたが、読了後はこれしかないと納得してしまった。
    主人公を写生旅行の画家にした時点でほぼ決まり。ミレーの『オフィーリア』と那美を重ねるあたりがすばらしい(しかも、藤村操の入水事件も入れ込むとは!)。漱石好みの若冲や芦雪やターナーもスパイスのように効いている。
    そしてエンディング。久一の出征を見送るためにゆるりと舟で着いた先は現実世界。停車場の雑踏と喧騒、煙を吐く機関車。プラットホームの場面では、じゃらんじゃらん、どんどどん、ぴしゃりぴしゃり、ごっとりごっとりといった擬音語が多用され、映像的かつ音響的に情景は展開する。そして最後はすぱりと切ったように終わる。巧いとしか言いようがない。
    『草枕』の発表は、『吾輩は猫である』『坊ちゃん』とほぼ同年。なんと、漱石はタイプの異なる3つの名作を同時期に書き上げているのだ。これも驚きしかない。
    (p.s. 『草枕』はピアニストのグレン・グールドの愛読書だった。なるほど、グールドもはまったのか。)

  • 椿の書き方がどことなく色っぽくて好きでした。少しゾクッとするような不吉な美しさがあります。

  • 【本の内容】
    山路を登りながら、こう考えた。

    智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。

    ―美しい春の情景が美しい那美さんをめぐって展開され、非人情の世界より帰るのを忘れさせる。

    「唯一種の感じ美しい感じが読者の頭に残ればよい」という意図で書かれた漱石のロマンティシズムの極致を示す名篇。

    明治39年作。

    [ 目次 ]


    [ POP ]
    『国家の品格』いわく文学・哲学・歴史・芸術・科学といった、何の役にも立たないような教養をたっぷりと身につけていることが真のエリートの条件の一つという。

    ならば、役に立たない教養を身につけているだけではなく、役に立つことはしない百けんは超エリートではないだろうか。

    その師にあたるのが、漢文に詳しく英国留学の経験がある明治のインテリで、日本を代表する文豪・夏目漱石。

    『草枕』は、その文章芸を堪能できる1冊だ。

    山路を登りながら、こう考えた。

    智に働けば角が立つ。

    情に棹させば流される。

    意地を通せば窮屈だ

    。とかくに人の世は住みにくい。

    という冒頭が有名だが、遠くに見える山桜、雲雀の声、雨の糸など、自然描写が印象に残る。

    日常会話では役に立たないけれども、美しい言葉がたくさん出てきて、読んでいるだけで楽しい。

    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 草枕は眺めるように読む小説である。

    主人公は日常の生活圏から逃げ、自己に沈静しながら、現れてくる世界をただ眺めようとする。それは「おのれの感じから一歩退く」ためである。漱石自身が苦しみに対処するためにそれが必要だった。

    草枕は漱石が「自分の屍骸を、自分で解剖して、その病状を天下に発表」した小説である。余と那美さんは二人とも漱石の分身だ。漱石は自分の屍骸を美しい言葉で綴る。それが彼が苦しみから逃れるための方法だった。

    読者はそれを眺める。しかし、漱石の言葉が美しすぎるがために、読者は自分が読んでいるものが彼の死骸だとは思わないのである。

    漱石の病跡には諸説あるようだが、この小説に現れた病状は分裂病的だと思った。探偵に付け狙われ、屁をひったと言われ続けるという描写は、まるで精神医学の教科書に載っても遜色がない。

  • 他の作品と同様、リズミカルな日本語が読んでいてとても小気味好い。凄すぎますね、一つ一つの言葉選び。正に文豪。
    自分という人間を、芸術家という存在を、こうも深遠に描くことができるのは本当に圧倒されるし引き込まれる。分かりたい、と思いながら読むことができる。

    私の未熟な読む力ゆえ分量の割に時間がかかったが、時間をかけるべき作品だった。それは間違いなくそう思う。

  • いつにもまして美文。
    いつにもまして何も起こらない。
    そんな小説。
    非人情な読み方を求めているのかしら。
    春のうららかな陽の下で読みたい。
    漱石の物の見方が地の文にありありと表れていて興味深かった。

    読後感を一言で表すと、
    「ああ、とても美しかった。」

  • 難しくて理解できなかった本は久しぶりである。

    非人情の旅を目指し放浪する画工の話。
    旅先で出会うミステリアスな女性那美さん。彼女がこの物語のトリックスターであるのは間違いないが、あまりにミステリアスすぎる。

    ラストの爽やかさは名状しがたい、二三度読むか、あるいはもう少し成長してから読むべき作品だったかもしれない。

  • 夏目漱石という人は常に厭世観に苛まれていた人ではないか。

    冒頭の一節で全てが語られており、残りはAppendixに過ぎないとさえ言えるだろう。

    芸術は人生を救えるか。飢えた子の空腹を満たすことはできないとしても、幸福感を与えることはできるのではないかと今は思っている(それが文学であるかは別にして)。

  • 住みにくくてもいいの。詩が生まれ、画が生まれるから。と背中を押してもらえている気がします。

  • ゆっくりと噛み締めたい美文のオンパレード。
    日本的な静けさを感じられる傑作。

  • ひたすら客観的に物事を観ようとする画家が主人公の話。

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著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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