草枕 (岩波文庫 緑 10-4)

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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003101049

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  •  山道を登りながら、こう考えた。 知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

     そんな書き出しで始まる、「非人情」をモットーに絵の題材を求めて春真っ盛りの美しい山里を訪れた青年画家の視点を通じて描く、芸術および時代模索小説です。

     西洋文学の世界に描かれるような重苦しい人情に煩わされることから遠ざかり、王維や淵明の漢詩の世界のように美しく心楽しませる景色を純粋に写実的に描く目的で、花が咲き乱れ鳥が囀る春の山里を訪れた三十歳の青年画工。東京での人的関係に疲れていた彼は、旅先で会う人々は感情を排して美しい風景の添え物として描くつもりでしたが、逗留先として選んだ温泉宿の出戻り娘・那美に会ったことで、その計画は狂っていきます。

    「美しいが、悟りと迷いが一軒の家に喧嘩をしながらも同居をしている」ほど矛盾に満ちた、どことなく驕慢でつかみ所のない那美に振り回される中で村人たちから聞いた、那美の先祖にあたる女性の悲しい末路と、不幸なだけでなく異常さへも伴い、気狂と囁かれる那美の過去。
     彼は、悲劇と狂気の果てに美しい花々と共に湖に浮かんで死んでいく「ミレーのオフェリア」のイメージを那美に重ね、描きたいという思いに激しく駆られますが、どうしても描けません。彼にとって、那美の表情には「ある感情」が欠けていたのです。そしてそれは、千年の昔から日本古典史上、最も重要視されると同時に最も多用されて多くの要素がない交ぜになった日本独特の感情でした・・・。

     西洋芸術的な感情表現を排除し、純然たる東洋芸術的「非人情」と視覚的美しさを追求するはずだったのに、人情の最も端的な発露とも言える表情に心捕らわれて作品の構想を繰り返すことになる矛盾に満ちた青年画家の姿(しかもその感情は実は日本的という二重の矛盾がある)は、個人的・芸術論的命題を越え、西洋文化の無条件の摂取という時代を終えて東洋文化とアイデンティティーを見直しながら両文化からの取捨選択という矛盾に悩んだであろう作者以下、明治後期の知識人の心そのもののような気がしました。
     ・・・と書いてしまうと、いかにも思想的で読みづらい作品かと思うかもしれませんが、意外とそうでもありません。春の山里の鮮やかな美しさ、那美の独特な美、春特有の柔らかなお湯の描写、果ては湯煙のむこうの女の裸体まで、たわみや遊びがないかくしゃくとした音律が特徴的な漢文風文体で語られる実に多種多様な描写は、豊富な語彙と色彩感覚に裏打ちされていることもあって、実に見事です。文体と描写を楽しむだけでも充分一読の価値ある作品だと思いました。

  • 智に働けば角が立つ。情に竿させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

    昔も今も俗世間は変わらない。つくづく感じた文章だ。

    あらすじには、「いやな奴」で埋っている俗界を脱して非人情の世界に遊ぼうとする画工の物語。とある。
    ここでいう非人情とは、薄情とか情が無いという事では無い。ザックリ言えば、他者に煩わされないという事。

    湯泉(ゆ)のなかで、湯泉(ゆ)と同化してしまう。流れるものほど生きるに苦は入(い)らぬ。
    主人公が湯槽に浸かっているシーンだが、この文章は「本当にそうだなぁ。」と、深くうなづいた。
    抗おうとすればする程、ストレスは溜まり苦しくなる。
    湯水に流されるままに生きられたら、どんなに気楽か…。
    本書は生き辛い世の中を如何に気楽に渡って行くか、その勉強になる事ばかりで、いつもは本に付箋を貼ることが無い私も貼りまくった(笑)
    気になったフレーズも過去一だ。
    漱石の作品の中でも、二番目に好きな作品で、唯一難点なのが読み難さ。特に漢詩の部分。
    今度は、漢詩の部分に焦点を当てて、漱石の心中にお邪魔できたら…と、思う。

  • 「非人情」とは「超俗」或いは「解脱」の露悪的表現か。智に働かず、情に棹ささず、意地を通さず。何物にも捉われない、自由な生き方ができたら…。でもそんな世界では、たぶん文学も芸術も、大したものは生まれない。「草枕」の境地に憧れる者ほど、その手の無為には耐えられまい。やっぱり人の世は難しい。

  • 読む絵画

  • あまりに冒頭の一文が見事。
    お話そのものは陳腐な気もする。

    私も高等遊民になりたい。

  • 草枕は眺めるように読む小説である。

    主人公は日常の生活圏から逃げ、自己に沈静しながら、現れてくる世界をただ眺めようとする。それは「おのれの感じから一歩退く」ためである。漱石自身が苦しみに対処するためにそれが必要だった。

    草枕は漱石が「自分の屍骸を、自分で解剖して、その病状を天下に発表」した小説である。余と那美さんは二人とも漱石の分身だ。漱石は自分の屍骸を美しい言葉で綴る。それが彼が苦しみから逃れるための方法だった。

    読者はそれを眺める。しかし、漱石の言葉が美しすぎるがために、読者は自分が読んでいるものが彼の死骸だとは思わないのである。

    漱石の病跡には諸説あるようだが、この小説に現れた病状は分裂病的だと思った。探偵に付け狙われ、屁をひったと言われ続けるという描写は、まるで精神医学の教科書に載っても遜色がない。

  • 他の作品と同様、リズミカルな日本語が読んでいてとても小気味好い。凄すぎますね、一つ一つの言葉選び。正に文豪。
    自分という人間を、芸術家という存在を、こうも深遠に描くことができるのは本当に圧倒されるし引き込まれる。分かりたい、と思いながら読むことができる。

    私の未熟な読む力ゆえ分量の割に時間がかかったが、時間をかけるべき作品だった。それは間違いなくそう思う。

  • いつにもまして美文。
    いつにもまして何も起こらない。
    そんな小説。
    非人情な読み方を求めているのかしら。
    春のうららかな陽の下で読みたい。
    漱石の物の見方が地の文にありありと表れていて興味深かった。

    読後感を一言で表すと、
    「ああ、とても美しかった。」

  • 難しくて理解できなかった本は久しぶりである。

    非人情の旅を目指し放浪する画工の話。
    旅先で出会うミステリアスな女性那美さん。彼女がこの物語のトリックスターであるのは間違いないが、あまりにミステリアスすぎる。

    ラストの爽やかさは名状しがたい、二三度読むか、あるいはもう少し成長してから読むべき作品だったかもしれない。

  • 夏目漱石という人は常に厭世観に苛まれていた人ではないか。

    冒頭の一節で全てが語られており、残りはAppendixに過ぎないとさえ言えるだろう。

    芸術は人生を救えるか。飢えた子の空腹を満たすことはできないとしても、幸福感を与えることはできるのではないかと今は思っている(それが文学であるかは別にして)。

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著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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