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Amazon.co.jp ・本 (336ページ) / ISBN・EAN: 9784003101063
感想・レビュー・書評
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NHKラジオの「朗読」で取り上げられていたのをきっかけに再読。田舎から東京に出てきた三四郎に新たな経験が怒涛のように押し寄せる。戸惑いながらも受け止めていく姿に、これからも社会に揉まれて成長していくことを予感させる。2020.6.24
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てっきり姿三四郎の話だと思っていたのですが、全く違ったんですね。恥ずかしい。
物語は純粋な三四郎の心の動き襞を克明に描写しながら進む。現代では、こんな恋愛あり得るのかと思うところは多々あるが、案外変わってないかなと思うところもある。なんだか愛おしく見守ってあげたい気持ちになりました。 -
上京したての大学生が悩むことなんて、百年前でも今もさして変わらない。
大学一回生の頃を思い出してとても懐かしい気持ちになった。時間をおいて再読したい。 -
迷える仔羊。ストレイシープ。
何度も繰り返されるこの言葉が頭の中で、点滅を繰り返している。登場人物にご親切に心中を語らせるのではなく、その些細な行動で心を描き出す手腕に、この作品の魅力があると思う。
あとは、ロマンという言葉じゃ物足りない、この時代の艶かしさ!
文豪はやはり文豪。平伏しきり。 -
水村美苗の「日本語が亡びるとき」でしきりに取り上げられていたので読んでみた。
今の小説との決定的な違いを言葉にすることはできないが、独特の雰囲気や良さがあると思う。重さも軽さも混在している。
三四郎の若い時代に何もできなかった苦い恋愛経験が描かれているので、なるべくなら若いときに読んでおきたい作品かな。 -
夏目漱石の前期三部作と呼ばれる3作(三四郎・それから・門)の一作目。
この3作は独立していて主人公も別、世界観に繋がりもないのですが、なんとなく前の物語から次の物語に続くようになっていて、前作の主人公が成長すると次の作品の主人公のようになり得る、次の物語のようになっています。
本作の主人公「小川三四郎」は九州の田舎から上京してきた大学生で、純朴さの残る素直で真っ直ぐな青年です。
三四郎が東京でいろいろな人や考えに触れ、体験し学ぶ話なのですが、どのような物語であるかを説明しようとするとどうも難儀します。
何を書き出そうとしても言葉にした途端に違うものになるというか、日本語って存外不自由なんだなと思いました。
大学構内の池の畔で出会った女性「里見 美穪子」と友人の「佐々木 与次郎」、三四郎の同郷で理学教師の「野々宮 宗八」宗八の妹「よし子」、そして上京時の列車で偶然乗り合わせた、与次郎が慕う英語教師「広田 萇」が中心人物。
三四郎は美穪子を気にしていて、三四郎と美穪子の関係が本作で重要な要素なのですが、三四郎が美穪子に恋をしていたのかというと、それについて作中具体的な記述はありません。
また、宗八が用品店でリボンを購入し、そのリボンを後日美穪子が身につけていたことを三四郎が気にする描写があるのですが、やはり宗八と美穪子の関係性についても説明はなく、また、三四郎がそれを見たことで感じた思いについても直接の記述はなく、状況や行動から、読者はそれを察するしかないです。
結局の所、三四郎は美穪子に恋をしていたのかというと、それは読者自身が判づるところであり、そして実際のところそこは本作においては重要な部分ではないです。
物語は基本的に三四郎の主観で、三四郎が語り部となり進むのですが、三四郎の知らぬところで進行する話があり、三四郎の目線から、登場人物の思い、行動について察して読み進めるような部分があります。
夏目漱石は"I love you."を「月が綺麗ですね」と訳したという有名な逸話がありますが、本作を読むと強ち嘘ではないと思えます。
読むのが難しそうに感じますがストーリーがわかりやすいためか結構読みやすく、楽しく読むことができました。
本作は読む人によって捉え方が異なるような気がします。
実直な三四郎を、振り回そうとして振り回せなかった美穪子が、その想いに気づかないまま選んでしまった過ちに至るまでの物語、と、私は解釈しました。つまり、悲劇であると思いました。
ただ、もう一度読むと、別の感想を持ちそうな気がします。どういった感想を持ったか共有したくなる、そんな一冊でした。 -
三四郎が上京してから青春を謳歌しつつ、若き男性の心の揺れ動きを克明に描いている。
だんだんわかってくる美禰子との関係にもやもやしつつ、はっきりしてくる心のさまを夏目漱石なりの婉曲の表現に共感を覚えた。
正直もっとストレートに書いてほしいなと思いつつ、この時代の書き方なのかなと思った。
最後のシーンは煮え切らない描き方であったが、これも漱石流なんだろうなと思った。 -
解説などには、この小説が、『坊ちゃん』と並んで親しみやすい作品と長年思われてきたが……とあるが、個人的には全く親しみやすいとは感じなかった。恐らく親しみやすいと思われて来たのは、解説 (p.314) に
「新聞小説の利点を上手に活用しているといえば、新聞に掲載される日付と小説のなかの話の時期をほぼ重ねあわせた構成に、その一端をうかがうことができる。連載がはじまったのは9/1だが、三四郎の上京の車中風景を話の冒頭にもってきたのは偶然ではなく (……当時、大学の新学期は秋……)、紙面に出る時期を意識したからである……。……団子坂の菊人形の場面を織りこんでいるのも……同じような配慮から来ている。三四郎が新しい知見を次第に加え、世界と人生について認識を深めてゆく過程を追うためには、いうまでもなく話の運びを時間の経過のなかに置かなければならないが、ここではそれを季節の歩みと縫いあわせて、読者を飽きさせない工夫がこらされている。」
などとあるように、読者の生きる時間と物語の時間の流れが一致していたり、登場する土地の情景描写が東京に暮らす人にとって馴染み深かったり、そういうレベルのものだと思う。
作品の主題は、全部読みきってみて思うのは、恐らく恋愛、というか、新しい時代の女性像と、その新しい時代の女性との恋愛。こういう作品の場合、対比されるべき旧い時代の女性が出てくるものだと思うが、この作品にはみあたらない気がする。三四郎と同じく熊本から上京した野々宮さんの妹よし子が旧い女性かと言われると、そんな感じはしない。その点で、対比になっているのは三四郎自身なのかなと思う。
その主題の周りにちょいちょい、漱石が他の作品でもとりあげる当時の日本のエセ西洋化などについての話がでてくるが、他の作品と比べると影は薄いかと思う。そのほか当時の時代を象徴するものとして、p.115の「空中飛行器」は、『三四郎』の発表 (1908年) の五年前 (1903年) にライト兄弟が初めて動力飛行を成功させたということに因み、p.232の「自分の取る新聞などは……泥棒早見といふ欄があつて、どこへどんな泥棒がはいつたか、一目に分るやうに泥棒がかたまつてゐる。」という一文は、それだけ当時は泥棒天国だったのか……などと想像して面白かった。
この作品が読んでいてよくわからないのは、美禰子が宇宙人すぎるところにあるのかと思う。「迷える子 (stray sheep)」といったよく解らない発言がちょくちょく出てくる。三四郎にも謎ながら、読む人も霧に包まれた心持ち。解説に拠れば、美禰子は野々宮さんが好きだったものの、野々宮さんが研究に没頭して振り向いてくれないものだから、三四郎に気があるようなそぶりを見せて野々宮さんの気を惹こうとしていたらしい。でもそれなら美禰子が三四郎に言った「馬券で中るのは、人の心を中るより六づかしいぢやありませんか。あなたは索引の附いてゐる人の心さえ中て見やうとなさらない呑気な方だのに」(p.193) は誰の心を指しているのか。まさかこれも、三四郎を騙すための言葉?だとしたら新時代の女性は怖すぎる。
さらにもっと言えば、当時の東京の読者には親しみやすかったかも知れない土地に紐づいた描写が、現代時にには全く解らない。漱石時代の面影が現代でも遺っているところなどもはやないだろうが、東京に住んでいるうちに巡ってみたい気もする。
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p.196の「小口當座預金(あづかりきん)通帳(かよいちやう)」とゆうルビがおもしろい。
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p.202の「晩餐(ジンナー)」は元々「ヂンナー」のはず。旧仮名の現代化を図ったって書いてある。ただ、ヂは人によってはディの音として使っている場合もあるから、これをジになおすのは不適切では。 -
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https://www4.nhk.or.jp/roudoku/315/
漱石前期三部作
三四郎
門
それから -
個人恋愛黎明期に於ける煩悶
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読みながら思わず「それな」「わろた」って突っ込んでた。100年も前の一大学生の話なのに、今の大学生がここまで自然に共感できるその普遍性はさすがだなぁとおもった。
文体は少し硬いけれど、その文体から醸し出される雰囲気は好きでした。 -
著者:夏目漱石(1867-1916、新宿区、小説家)
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三読目
読むたびごとに面白い
題材の解釈とか小説意図を読み解こうと思っているかたがたは
国語のテストでも作っているのだろうか
ただこの文の芸を楽しむのみ
また5年後くらいに読もう
それにしてもこれが\420に対し本の値段と中身が比例するとしたら恐ろしいことに -
純文学って難しいって言う印象だか、普通の小説みたいにスラスラ読めた!
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高校生当時は何が面白いのかわからなかったが、それも無理はない。低回家という言葉が気に入った。
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