三四郎 (岩波文庫)

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  • 岩波書店 (1990年4月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (336ページ) / ISBN・EAN: 9784003101063

感想・レビュー・書評

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  • 《特別展》『三四郎』の正体 夏目漱石と小宮豊隆-新宿区立漱石山房記念館(開催期間2024年10月12日~12月15日)
    https://soseki-museum.jp/tenji/11019/

    夏目漱石が「三四郎」と交わした言葉が手紙に 「魔性の女」のモデルになった歴史上の人物とは?:東京新聞 TOKYO Web
    https://www.tokyo-np.co.jp/article/362036?rct=book

    三四郎 - 岩波書店
    https://www.iwanami.co.jp/book/b248810.html

  • NHKラジオの「朗読」で取り上げられていたのをきっかけに再読。田舎から東京に出てきた三四郎に新たな経験が怒涛のように押し寄せる。戸惑いながらも受け止めていく姿に、これからも社会に揉まれて成長していくことを予感させる。2020.6.24

  • 読了。

    意図してはいなかったが、小説の中の季節と、実際の季節とがほぼ重なるような中で、読み進めていた。
    これによって、より一層味わい深い読書となった。
    実に、半年近くに渡る読書だったのではなかろうか。
    遅読の極みだ。

    ただこれもまた一興といえる。

    日本文学にも疎く、銀の匙、坊っちゃん、くらいしか読んだことがないが、やはりこの『三四郎』も不朽の名作なのだろうと思う。

    迷える羊。
    自分も小川三四郎の様なところが少なからずある。
    美禰子は、三四郎を恋愛対象として見てなかったのか。
    だとしたら切ない。
    往々にして女性は一枚上手で、大分大人。男というのは、不器用で自分勝手で、子どもなのかもしれない。思わせ振りを見抜いていたら、その関係はどうなったのか。

    美禰子は、なぜ三四郎にヘリオトロープを嗅がせたのか。ヘリオトロープの香りと、その意味とは。

    末尾の解説には、大いに理解を助けられたが、それにしてもわからないことが多い(これほどの文学作品に対する解説は、やはり素晴らしいものである。答え合わせといえば安い表現だが、最後に解説を読むためにここまで読みきったのだと思うほど、読みごたえがあり、良い解説だった)。

    やはり、自分には夏目漱石の世界は荷が重いのかもしれない。

    不器用でいると、不器用な自分を許していると、するすると、さも素手でつかんだ魚が逃げるかのように、望んだ運命は手の届かぬところへ行ってしまう。そんなことを意識させる、三四郎の美禰子をめぐる人間劇。

    どうすれば、一度はつかんだ運命を逃がさずに獲得できるか。

    三四郎は、つかむことさえできていなかったのかもしれない。

    あなたもきっと、三四郎であり、美禰子である。

  • てっきり姿三四郎の話だと思っていたのですが、全く違ったんですね。恥ずかしい。

    物語は純粋な三四郎の心の動き襞を克明に描写しながら進む。現代では、こんな恋愛あり得るのかと思うところは多々あるが、案外変わってないかなと思うところもある。なんだか愛おしく見守ってあげたい気持ちになりました。

  • 上京したての大学生が悩むことなんて、百年前でも今もさして変わらない。
    大学一回生の頃を思い出してとても懐かしい気持ちになった。時間をおいて再読したい。

  • 迷える仔羊。ストレイシープ。
    何度も繰り返されるこの言葉が頭の中で、点滅を繰り返している。登場人物にご親切に心中を語らせるのではなく、その些細な行動で心を描き出す手腕に、この作品の魅力があると思う。
    あとは、ロマンという言葉じゃ物足りない、この時代の艶かしさ!
    文豪はやはり文豪。平伏しきり。

  • 水村美苗の「日本語が亡びるとき」でしきりに取り上げられていたので読んでみた。
    今の小説との決定的な違いを言葉にすることはできないが、独特の雰囲気や良さがあると思う。重さも軽さも混在している。

    三四郎の若い時代に何もできなかった苦い恋愛経験が描かれているので、なるべくなら若いときに読んでおきたい作品かな。

  • 夏目漱石の前期三部作と呼ばれる3作(三四郎・それから・門)の一作目。
    この3作は独立していて主人公も別、世界観に繋がりもないのですが、なんとなく前の物語から次の物語に続くようになっていて、前作の主人公が成長すると次の作品の主人公のようになり得る、次の物語のようになっています。

    本作の主人公「小川三四郎」は九州の田舎から上京してきた大学生で、純朴さの残る素直で真っ直ぐな青年です。
    三四郎が東京でいろいろな人や考えに触れ、体験し学ぶ話なのですが、どのような物語であるかを説明しようとするとどうも難儀します。
    何を書き出そうとしても言葉にした途端に違うものになるというか、日本語って存外不自由なんだなと思いました。

    大学構内の池の畔で出会った女性「里見 美穪子」と友人の「佐々木 与次郎」、三四郎の同郷で理学教師の「野々宮 宗八」宗八の妹「よし子」、そして上京時の列車で偶然乗り合わせた、与次郎が慕う英語教師「広田 萇」が中心人物。
    三四郎は美穪子を気にしていて、三四郎と美穪子の関係が本作で重要な要素なのですが、三四郎が美穪子に恋をしていたのかというと、それについて作中具体的な記述はありません。
    また、宗八が用品店でリボンを購入し、そのリボンを後日美穪子が身につけていたことを三四郎が気にする描写があるのですが、やはり宗八と美穪子の関係性についても説明はなく、また、三四郎がそれを見たことで感じた思いについても直接の記述はなく、状況や行動から、読者はそれを察するしかないです。
    結局の所、三四郎は美穪子に恋をしていたのかというと、それは読者自身が判づるところであり、そして実際のところそこは本作においては重要な部分ではないです。

    物語は基本的に三四郎の主観で、三四郎が語り部となり進むのですが、三四郎の知らぬところで進行する話があり、三四郎の目線から、登場人物の思い、行動について察して読み進めるような部分があります。
    夏目漱石は"I love you."を「月が綺麗ですね」と訳したという有名な逸話がありますが、本作を読むと強ち嘘ではないと思えます。
    読むのが難しそうに感じますがストーリーがわかりやすいためか結構読みやすく、楽しく読むことができました。

    本作は読む人によって捉え方が異なるような気がします。
    実直な三四郎を、振り回そうとして振り回せなかった美穪子が、その想いに気づかないまま選んでしまった過ちに至るまでの物語、と、私は解釈しました。つまり、悲劇であると思いました。
    ただ、もう一度読むと、別の感想を持ちそうな気がします。どういった感想を持ったか共有したくなる、そんな一冊でした。

  • 三四郎が上京してから青春を謳歌しつつ、若き男性の心の揺れ動きを克明に描いている。
    だんだんわかってくる美禰子との関係にもやもやしつつ、はっきりしてくる心のさまを夏目漱石なりの婉曲の表現に共感を覚えた。
    正直もっとストレートに書いてほしいなと思いつつ、この時代の書き方なのかなと思った。
    最後のシーンは煮え切らない描き方であったが、これも漱石流なんだろうなと思った。

  • 解説などには、この小説が、『坊ちゃん』と並んで親しみやすい作品と長年思われてきたが……とあるが、個人的には全く親しみやすいとは感じなかった。恐らく親しみやすいと思われて来たのは、解説 (p.314) に

    「新聞小説の利点を上手に活用しているといえば、新聞に掲載される日付と小説のなかの話の時期をほぼ重ねあわせた構成に、その一端をうかがうことができる。連載がはじまったのは9/1だが、三四郎の上京の車中風景を話の冒頭にもってきたのは偶然ではなく (……当時、大学の新学期は秋……)、紙面に出る時期を意識したからである……。……団子坂の菊人形の場面を織りこんでいるのも……同じような配慮から来ている。三四郎が新しい知見を次第に加え、世界と人生について認識を深めてゆく過程を追うためには、いうまでもなく話の運びを時間の経過のなかに置かなければならないが、ここではそれを季節の歩みと縫いあわせて、読者を飽きさせない工夫がこらされている。」

    などとあるように、読者の生きる時間と物語の時間の流れが一致していたり、登場する土地の情景描写が東京に暮らす人にとって馴染み深かったり、そういうレベルのものだと思う。

    作品の主題は、全部読みきってみて思うのは、恐らく恋愛、というか、新しい時代の女性像と、その新しい時代の女性との恋愛。こういう作品の場合、対比されるべき旧い時代の女性が出てくるものだと思うが、この作品にはみあたらない気がする。三四郎と同じく熊本から上京した野々宮さんの妹よし子が旧い女性かと言われると、そんな感じはしない。その点で、対比になっているのは三四郎自身なのかなと思う。

    その主題の周りにちょいちょい、漱石が他の作品でもとりあげる当時の日本のエセ西洋化などについての話がでてくるが、他の作品と比べると影は薄いかと思う。そのほか当時の時代を象徴するものとして、p.115の「空中飛行器」は、『三四郎』の発表 (1908年) の五年前 (1903年) にライト兄弟が初めて動力飛行を成功させたということに因み、p.232の「自分の取る新聞などは……泥棒早見といふ欄があつて、どこへどんな泥棒がはいつたか、一目に分るやうに泥棒がかたまつてゐる。」という一文は、それだけ当時は泥棒天国だったのか……などと想像して面白かった。

    この作品が読んでいてよくわからないのは、美禰子が宇宙人すぎるところにあるのかと思う。「迷える子 (stray sheep)」といったよく解らない発言がちょくちょく出てくる。三四郎にも謎ながら、読む人も霧に包まれた心持ち。解説に拠れば、美禰子は野々宮さんが好きだったものの、野々宮さんが研究に没頭して振り向いてくれないものだから、三四郎に気があるようなそぶりを見せて野々宮さんの気を惹こうとしていたらしい。でもそれなら美禰子が三四郎に言った「馬券で中るのは、人の心を中るより六づかしいぢやありませんか。あなたは索引の附いてゐる人の心さえ中て見やうとなさらない呑気な方だのに」(p.193) は誰の心を指しているのか。まさかこれも、三四郎を騙すための言葉?だとしたら新時代の女性は怖すぎる。

    さらにもっと言えば、当時の東京の読者には親しみやすかったかも知れない土地に紐づいた描写が、現代時にには全く解らない。漱石時代の面影が現代でも遺っているところなどもはやないだろうが、東京に住んでいるうちに巡ってみたい気もする。

    ---
    p.196の「小口當座預金(あづかりきん)通帳(かよいちやう)」とゆうルビがおもしろい。
    ---
    p.202の「晩餐(ジンナー)」は元々「ヂンナー」のはず。旧仮名の現代化を図ったって書いてある。ただ、ヂは人によってはディの音として使っている場合もあるから、これをジになおすのは不適切では。

  • 2024.11.7読了。

    三四郎かわいい。
    与次郎面白い。憎めない。
    美禰子さんには私も惚れるわ。

    青春だね。
    とにかく読みやすい(「草枕」のあとだし…)。
    「こころ」は、名前のわかる主人公の友人は出てこなかった(手紙は手紙でフィルター通してるし)けど、本作は他にも野々宮さん、よし子、広田先生、原口さんなど個性的な人物が登場する。
    そういった人たちと関わっていく三四郎を通じて、当時の学生生活を少し味わわせてもらった気分。

    解説にあった、日露戦争後に急速に近代化する時代を生きる若者の課題(故郷と学問と愉楽と三つの世界でどう生きるか/新しい時代の恋愛は、自我の強すぎる新しい女との恋愛はどうなるか)が、三四郎に課せられている、という見解はなるほど納得。
    そういう現実世界において迷える美禰子は、三四郎も同じく「迷える子」とみなしていたことが、美禰子からの葉書でわかり、三四郎は嬉しがった。というようなことも解説にあり、そのへんがよくわからなかったのでありがたい。

  • 「『三四郎』は教養小説である」という観念が強く、夏目漱石といえば教科書でお馴染みの作家である手前、どうも退屈なイメージがあった。さらに加えて文学を読み始めて間もない頃に『坊ちゃん』を読んであまり馴染めなかったことも重なって、この作品は二年間箪笥の上で寝かせていた。三四郎を読むくらいなら三四郎の漫才をみる方が明らかに有意義で愉快だくらいに考えていたが、今回読了してそのイメージは払拭された。話の内容がこれほどまでとっつきやすい小説も逆に珍しいかもしれない。田舎出身の青年が大学の為に上京し、東京の風に吹かれ刺激と共に生活するという何処にでもありそうな内容である。彼の生活に活動家の友人や学問の秀才や魅惑的な女性が絡みながら彼は自己を形成していく。その成長していく描写というのも巧みで、読者は主人公の三四郎になったように心を共有して成長が描かれている。故に主人公が他人事ではないように感じ、読者と距離がとても近いのもこの本の特徴だと感じる。例えばそれは主人公が母から手紙を貰った時の反応の仕方であったり、東京の人間の接し方であったりで、今までの田舎生活の当たり前が東京では異なり、母の手紙が郷愁的になるところなんかは上京したことのない東京住みの身ですらなぜか共感する。また当時の時代背景がよく描かれている。「西洋で何百年かかってできた歴史を日本は数十年でやってしまっている」みたいな表現が確かあったが、この問題は今の日本にも全然当てはまることである。主人公の境遇も、時代の移り変わりのはやさに戸惑うことも古臭さを全く感じない。時代は目に見える所では変わっていても人々の内奥はたいして変わっていないことがこの小説を読めば分かる。

    内容の具体的な部分については、主人公の三四郎は三人の女性との出会いがある。一人目は東京に来たその日に一夜を共にし(営みは皆無)、別れ際に「度胸のない方」と言って別れた女性である。個人的解釈として、彼女との出会いが後に出会う二人目の女性、美禰子への恋に関係しているのではと感じる。初めて触れた魅惑のようなものを忘れることができなかったのかもしれない。本来であれば、三四郎は三人目の女性であるよし子の様な女性を好むタチであると読んでて感じた。初めてよし子を見た時の三四郎の心の描写を読んで私は彼女がメインヒロインではと感じたほどである。終盤でよし子に看病してもらう描写でもどことなく三四郎が心を浄化している様に感じる。美禰子に惚れたのは東京という町の渦中でそれこそ迷える羊になったからではないだろうか。畢竟、美禰子との恋は実らなかったが、その経験を踏まえて広田の言うような東京よりも広い己の頭が形成されるのかもしれない。序盤のこの広田の言葉は最後まで生きてきていると私は感じた。
    三四郎がこんなに東京での暮らしに悩むのは周りに生き方の異なる人間が多かったからだろう。与次郎の様な活動家で時代を先立つと言わんばかりの生き方や、世俗との関係を極力無くして学問に専念する野々宮や、賢者の様に時代を眺める広田。彼らの生き方はどれも三四郎にとっては魅力だったのであろう。そのどれにも触れた三四郎はどういう自己になるのか、それは想像の話であるが非常に興味深い。

  • 文体に中々慣れず、読み終えるのにえらく時間がかかってしまった。夏目漱石難しくて、これを機に難しい小説家の本を読むための解説本を予約してしまったくらい。笑
    正直、最後の方はやっつけになってしまった。

    美禰子と三四郎が一緒にはならないラストがとてもお洒落。個人的にハッピーエンドじゃない恋愛映画などがかなり好きで、ラスト数ページが胸に残った。

    それでも二人の想いが通じ合いそうになる瞬間もあったりして。こういう実らなかった恋の方が、その時見た風景や匂いを生涯忘れないんだよなと思った。

  • https://www4.nhk.or.jp/roudoku/315/

    漱石前期三部作
    三四郎

    それから

  • 個人恋愛黎明期に於ける煩悶

  • 読みながら思わず「それな」「わろた」って突っ込んでた。100年も前の一大学生の話なのに、今の大学生がここまで自然に共感できるその普遍性はさすがだなぁとおもった。
    文体は少し硬いけれど、その文体から醸し出される雰囲気は好きでした。

  • 著者:夏目漱石(1867-1916、新宿区、小説家)

  • 三読目
    読むたびごとに面白い
    題材の解釈とか小説意図を読み解こうと思っているかたがたは
    国語のテストでも作っているのだろうか
    ただこの文の芸を楽しむのみ
    また5年後くらいに読もう
    それにしてもこれが\420に対し本の値段と中身が比例するとしたら恐ろしいことに

  • 純文学って難しいって言う印象だか、普通の小説みたいにスラスラ読めた!

  • 高校生当時は何が面白いのかわからなかったが、それも無理はない。低回家という言葉が気に入った。

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著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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