行人 (岩波文庫)

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レビュー : 45
  • Amazon.co.jp ・本 (431ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003101100

感想・レビュー・書評

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  • 漱石の手に心臓を掴まれた気がした。
    第四章『塵労』は読んでいて苦しい。

    「ああおれはどうしても信じられない。どうしても信じられない。ただ考えて、考えて、考えるだけだ。二郎、どうかおれを信じられるようにしてくれ」
    「僕は死んだ神より生きた人間の方が好きだ」
    「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」
    「僕は迂濶なのだ。僕は矛盾なのだ。しかし迂濶と知り矛盾と知りながら、依然としてもがいている。僕は馬鹿だ。人間としての君は遥に僕よりも偉大だ」
    「どうかして香厳になりたい」

    ああ、苦しい。
    駄目だ。
    泣く。

  • 本当は裏でこう思っているのではないか。そう疑い始めたら、人付き合いは苦しくて仕方ない。普段そういうことを考えない習慣を自然と身に付けているんだろう。一郎のように突き詰めたいという衝動とそれに向かって行けば行くほど幸福から遠ざかる。ではどこまで妥協すればいいのか。どこまで見て見ぬ振り、意識的な「思い込み」をすればいいのかー。そういう煩悶を共感してくれる者もいない。ただ、三沢という受け止めてくれる人がいてくれたことが、ものすごく救いになってるように思えた。

  • 弟の二郎と妻お直との仲を疑う、学者である兄の一郎の苦悩を綴った作品。

    高校時代の国語教師は「漱石は女を不可解な存在と感じていた」と論じたのを覚えている。
    本作や「彼岸過迄」を読むと、漱石が「不可解」だったのはおそらく、女のみならず全ての他者、特に、最も近しいはずの身内ですら、その「不可解」の対象だったのではないかとすら感じる。

    他の方のレビューに目を通すと、その感想には、概して一郎へ共感したかどうかの分かれ目があるように思える。
    だがそれは、他の方々が一郎へ共感したかどうかを重要視したのではなく、個人的には、はたして他人は一郎のような苦悩を抱えたことがあるのかどうか、が気にかかったのだ。

    正直に記せば、子どものころからぼんやりと、大人となったいまではより明確に、本作の一郎や「彼岸過迄」の須永のような苦悩を感じることがたびたびある。
    ただ、その苦悩の原因はおそらく、他人に受け入れてもらえないということではなく、他人を受け入れない性質のせいか、どこか他人も自らを受け入れないのではないかという懐疑を基にしているではないかと、最近つくづく思う。

    本作や他の漱石作品から感じられるのは、自らと同様に、彼自身もそのような苦痛を抱えていたんだろうということ。
    そしてそれは、「近代人の苦悩」と簡単な言葉で片付けられるほどではなく、彼自身とともに自らもいまだ苛まれている重要な命題なのだと思う。
    また、自分自身にとっては、明治の世から自らと同じ悩みにとらわれている人間がいたことを慰みとするわけでもなく、結局、これから先も、この苦悩を抱えていくしかないことに気づかされたに過ぎないのかもしれない。

    10年以上前、学生のころ読んだのだが、最近、青空文庫のものを再読した。
    なので本来は再読かもしれないが、以前読破してからだいぶ月日が経つので、改めてこちらに感想を記した。

  • 後期三部作の2冊目。修禅寺の大患を挟んで書かれたもの。構成上の問題もあるが、とても難解な印象。とくに嫂の心情が明確に描かれていないことが難解さに拍車をかける。とはいえ止まらない面白さは相変わらず。

  • 資料ID:C0030596
    配架場所:2F文庫書架

  •  前半、物語の舞台は大阪、和歌山。漱石~文京・本郷界隈というイメージがあったため、新鮮に感じる。

    気難しい長兄と、腫れ物に触る如く彼に接する次兄ら家族。自分もそうした向きが無くは無い長兄であるため、身につまされる思いを抱きつつ読み進めた。

    とはいえ、長兄長野一郎の抱える懊悩、悩み苦しみの深さは、想像するに容易でない。後半、一郎の親友H氏の手紙報告を通じて、一郎の苦悩がさらに詳らかにされる。なのだが、それでも、一郎の悩み苦しみは輪郭がはっきりしなかった。

    「肥大した近代知識人の我(自我)」(解説)だという。また、一郎自身の言葉によれば、
    「人間の不安は科学の発展から来る。僕は人間全体の不安を、自分1人に集めて、そのまた不安を、一刻一分の短時間に煮詰めた恐ろしさを経験している。」という。
    また、兄さんは「全く多知多解が煩をなしたのだ」、ともある。
    長兄、一郎は、自分の智慧に苦しみ抜いているのだ。
    苦しみの外皮、現れ方はわかるのだが、懊悩の核心はいまひとつ不明瞭のまま読了した。

    後半部はH氏の手紙を通して、一郎の悩み苦しみについて、綿々と書き連ねられる。心理の叙述、論理的対話の応酬が、濃密に積み重ねられ、息が詰まるような思いがした。

    以下余談。
    和歌山の嵐の夜、嫂と2人きりで宿を共にする二郎。
    停電で真暗闇の部屋、衣ずれの音だけが間近から届き、
    嫂が着物を着替えていることを察する。
    独特のエロチシズムが立ち上がる場面であった。

    息苦しいような叙述が続く長編のなかで、この嵐の夜は、ドラマチックな場面として、際立っている。

  • 病院で一目惚れする二郎⇔女の容貌に満足する人を見ると羨ましいという一郎

    夫婦仲はよいが子宝に恵まれない岡田夫婦⇔子供はいるが夫婦仲が良くない一郎夫婦

    家庭の空気を良くしようと努める父・母・二郎⇔家庭の空気のために進んで何かしようとはしない一郎・直

    ふと思い出すだけでも色んな対比がでてきた。
    色んな人、色んな生活、色んな環境。



    父・母・二郎そしてHさんは、周りの人間に合わせて自己を抑えられる。世話好きでもあり、集団行動が上手なタイプ。周りに振り回され、文句や気苦労は尽きない。平凡に平均的に無難に生きていけそう。
    一方、一郎と直は、自己の意志がしっかりとあり、容易にはそれを曲げないし、周りの人間に合わせるようなことはしない。仕事や学問で他の人にはできない大きな成果を発揮できる可能性を秘めているが、周りを疲弊させてしまう。それでいて一人では生きていけない。天才の孤独スパイラル。

  • 「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」

    漱石の作品にはありがちだが、これも前半はなかなか話が先に進まず、引っ張って引っ張って後半に続いていくタイプの小説。「結論を先延ばしにして読者の興味を引き付ける手法」とも評されるが、せっかちな人は途中で嫌になるかも知れない。けれど、話の全体像がぼんやり見え始めてからはどんどん引き込まれるはず。

    自分が初めてこの作品を読んだのは高校の時だった。今もそうだけれど、当時は本当に主人公の一郎(兄)に共感したものだ。 自分の日頃考えているようなことを的確に代弁してくれていたから。

    こんなことを言うと、「中二病」とか「思春期」なんていう言葉であっさり片付けられてしまいそうだが、その頃は冒頭にかかげた一郎のセリフのような考えを本気でもっていた。だから、同じ意味での孤独に苦しむ一郎には、生まれて初めて自分と同じ生き物を見つけたような親しさを感じられた。その親しさはとりもなおさず作者・漱石に対する親近感でもある。一郎の苦しみは作者自身の苦しみだったのだから。

    最近この作品についていくつかの評論を読んでみたが、そのどれもが作品の主題を「妻を信じられない夫・一郎の苦しみ」としていることに驚いた。自分自身、上記のような共感もあって「知の苦しみ」こそが主題に他ならないと思っていた。『行人』は、途中でいったん執筆を中止して、最終章「塵労」を後から付け加えた作品。だから、途中で主題が変わってしまっている失敗作と言われることもある。けれど、本当にそうなのだろうか。最終章で一気に語られる一郎の「知の苦しみ」が根幹にあって、作品の最初から最後までを一貫してつらぬいているのではないか。妻を信じられないという問題はそこから派生する枝葉にすぎないのでは。

    同じ作者の『彼岸過迄』のようにいくつかの短編をまとめて一つの作品にしている、とも言われるが、それも疑問だ。むしろ各章の話が一直線に「塵労」での一郎の告白へと流れ込んでいるように思われる。

    一番不思議に思うのは、たくさんある批評文の中で最終章「塵労」について詳しく語っているものがあまり見られないこと。この「塵労」こそ漱石の思想が最も現れている部分で、重視しなければいけない部分ではないだろうか。むしろこの部分は、作者の思いを入れすぎてしまったと言える位かもしれない。『行人』という作品を読みとくに、この章を無視しては全く軽いものになってしまうだろう。この章があってこそ、『行人』は、何年たっても頭の中にこびりついてことあるごとに思い出される作品となりうるのだから。

    いろいろと議論の多い作品だけれども、対象としては大学生が読むと思う所の多い作品だと思う。あるいは彼氏・夫が自分にかまってくれないという女性が読んでもいいかもしれない。

  • 「こころ」と同様、最後は不自然なくらい厚い手紙を主人公が受け取り、
    その中身を長々と綴って物語は終わる。
    「行人」は「こころ」の前作であるから、同じ手法を連続で用いて
    幕引きを行ったことになる。漱石にマンネリがあったとは考えにくい。
    一体、そこにはどのような理由があったのだろうか。

    また、登場人物が精神異常になる展開は漱石にとって珍しい。
    ある意味、自殺よりも衝撃的な顛末である。

  • 「死ぬか気違うか、そうでなければ宗教に入るか」

    学問をやりすぎたために、人を信じられず、妻さえも自分を愛していないのでは無いかと疑い出した一郎。
    その弟の二郎は兄や友人、下女など様々な人の使いとして結婚とは何か、愛とは何かの現実を見る。そんななか、どうしようもないほどに精神衰弱な兄の影響を受け、二郎も結婚について疑問を抱き始める。

    この作品の底にあるテーマは結婚に関すること、人を信じること。明治以前の家が関わる旧式の結婚制度、恋愛結婚などなど様々な形で夫婦になり、こどもが生まれ、年をとる。
    そうした、夫婦間の関係について、疑問を投げかける作品です。

    漱石作品として相変わらず、登場人物に起こる出来事に方を付けないで終わりますが、ストーリーとしてもなかなか面白い。一郎の精神衰弱ぶりには辟易する人もいるかも知れませんが、頭の良い人特有の悩みに共感を覚える人も少なくないはずです。


    胃を痛め精神を病みながら漱石が書いただけあり、彼の作品の中でもなかなかの読み応えでした。

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プロフィール

明治、大正時代の小説家、英文学者。1867年、江戸(東京都)に生まれる。愛媛県松山で教師をしたのち、イギリスに留学。帰国後、執筆活動を始める。『吾輩は猫である』『三四郎』『こころ』など作品多数。

「2017年 『坊っちゃん』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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