硝子戸の中(うち) (岩波文庫)

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レビュー : 30
  • Amazon.co.jp ・本 (138ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003101124

感想・レビュー・書評

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  • 表題のエッセイは、作家の内省的な思考の結露だが、明治150年経た今でもうなってしまうほどの読みごたえはある。当時からめんどうくさい読者はいたのだな。

  • 夏目漱石が好きな方から、よく勧められるのが『硝子戸の中』だった。

    当初、私は漱石は読まない。という変な意地を持っていて、随筆なんてとてもと思っていた。

    そんな私を変えたのは『それから』との出会いである。なので、この機会に数冊読んでみることにする。

    読み終わった感想として、今の私にはまだここに至らないな、が一番である。
    私には、ふとした死を受け取る機会が全然ない上に自分を省察する時間もない。

    ただ、漱石が死を尊びながらも生を説き、そんな自分の心中を半信半疑で見つめている。
    この文が、ひたすらに残った。

    自分を振り返る機会に恵まれたとき。
    私も漱石のように、明るい部分を照らし出せたら良いと思う。
    確かに人は苦労を重ねて、そんな話に共感や同情がゆきがちだけれど。

    暖かい光で春を感じられるような心が残っていれば、それが幸せであるように思う。

    ちなみに私は若冲の鶏は大好きである(笑)

  • まだ鶯が庭で時々鳴く。春風が折々思い出したように九花蘭の葉を揺かしに来る。猫が何処かで痛く噛まれた米噛を日に曝してあたたかそうに眠っている。先刻まで庭で護謨風船を揚げて騒いでいた小供達は、みんな連れ立って活動写真へ行ってしまった。家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸を開け放って、静かな春の光に包まれながら、恍惚とこの稿を書き終るのである。そうした後で私は一寸肱を曲げて、この縁側に一眠り眠る積である。

    無事冬休み突入です。連日徹夜して無事ファイナルを終え、飽和した眠気のあまりに天地万物に祝福されているような気分になり、もう意地でも起きないぞと安心して眠りにつく時、私は「硝子戸の中」最後の文章を思い出します。

    今学期はファイナル直前でも淡々と作業することができました。いつもこんな風に提出日に怯えず、心乱すもの無く、現時点で自分にできることを思いっきり楽しめれば良いのですが、どうしても不安で手が止まる時もあります。過去に味わった素晴しい睡眠はそんな時、何の助けにもなりません。前の時も乗り越えられた。足さえ止めなければ突破できる。そう言い聞かせてコツコツと片付けていくしかない。そうやって自分を信用できるのは心強いものです。

  • 漱石の私生活にスポットを当てた作品。
    随筆も素敵。品のあるおかしみがあってよい。
    作者漱石は詰らないとことわっているが、面白く読めた。

  • 「覚えているのはただその人の親切だけである。」というのが如何にも漱石らしい。

  •  初出は『東京朝日』『大阪朝日』(1915.1.1-2.23、全39回)。タイミング的には『こゝろ』の後、『道草』の前に入る。持続する状態となってしまった病に苦しみながらも、自分の過去と現在を「微笑」とともに想起していく様子が、ゆとりある筆致で綴られる。正月元日から始まるエッセイという意味では、「点頭録」の先蹤ということになろうか。
     とくに「問題」が提出されているわけでもないし、時事的な話柄が出てくるわけでもない。作家生活10年を過ぎた漱石の自己認識・自己分析も重要だが、むしろ入社からしばらく経ったこの当時の朝日新聞にとって、漱石とはいったいどんな存在だったのかを考えたくなってしまうような、そんな気分にさせられてしまった。

  • つまり、エッセイ集だと思えば良いのではないでしょうか。
    夏目漱石というと、なんだか恐れ多いんですけれど。
    僕はこの人の文章は、そこはかとなく乾いたユーモア、好きなんです。
    面倒くさい人だなあ、とは思います。面倒くさいインテリのオッサン。

    内容は、作家の日常ってやつですかね。

    「こんな変な客が来たんだよね」
    「実は僕の幼少時代にこんなことがあって」
    「私の母親っていうのはこういう女性でして」
    「俺、ちょっと変わってて。こんなことしちゃうんだよね」

    というようなことを書き綴っているわけです。

    僕は、なるほどナルホドと、肩もこらず読みやすく面白かったです。
    時代風俗固有名詞、無論こと明治時代のことどものなんです。なんですけど、読みやすい。
    それは、結局はヒトのお話だからでしょうね。

    「こんな人のこんな無礼に怒った」
    「こんな可哀想な人がいた」
    「母って自分を愛していたんだろうか」
    「友達と再会、いやあ、互いにオッサンになったもんだ」
    「こんな犬、こんな猫を飼っていてね」

    みたいなことなんです。
    だから、一見、とりとめもない。
    とりとめもないようでいて、実はちゃんと計算して書かれている。
    タレントさんの「今日はこんなカレー食べた!うまかった!テレビ局なう」みたいなブログではないですから。
    ちゃんと読み物になっている。
    ただ、話題が自分のことである。自分のことだから事実である。ジジツであるからには、そんなに大したことはない。大したことはないから、気軽に読める。

    具体的には。

    ●雑誌の記者なんかに写真を撮られる時に、笑ってくれって言われるのがどうにもイヤなんだよなあ。

    という冒頭編から、漱石さんらしさ炸裂。
    つまりは面倒くさいインテリなんです(笑)。
    面倒くさいインテリが、なるたけ誠実に、なるたけ褒められて生きていきたいなあ、という。

    ●講演をしたけど、出席した人が「さっぱり面白くなかった」と言っていた。と、聞いて落ち込んだ。と、どこかに書いたら、別の人から「面白かったですよ」と慰めてもらった。

    この講演話なんか、なんだか面倒な人柄が彷彿として、ほとんど落語のマクラ話みたいな爆笑モノ。

    一方で、夏目漱石さんは結構、不幸な生まれ育ちなんですね。
    養子に出されたり、両親のことを祖父母と言われて育ったり。
    そんな生い立ちや、生家のこと。
    まだまだ江戸時代の香りが残る江戸の暮らし。
    そして複雑で面倒な家族に育ったんだから、まあ、面倒な男になってもしょうがないか…という若干の重さ。
    ただ、それをまったくもって「俺ってかわいそうでしょ」という臭みを抜いて語り切る筆力技術は、やっぱりすごいなあ、と。

    そして、僕にとっては白眉は
    「他人に対する自分の態度について」みたいな内容の一章。
    これはもう、とにかく人間関係っていうやつの泥沼の深み、他人と自分との距離感、さみしさ、救い、面倒さみたいなものを、
    これまた実に淡々と語りつくしています。
    夏目漱石さんの後期の小説を読んだことがある人なら、
    「ああ、この人こんなこと考えてるから、あんな小説かけるんだよなあ」という。

    でもそれも、実に面白い。
    僕はどこかしらか、ユーモアを感じます。

    好きなんですよねえ。漱石さん。

    「極めてあやふやな自分の直覚というものを主位において、他人を判断したくなる。そうして私の直覚が当たったか当たらないか、要するに客観的事実によって、それを確かめる機会をもたない事が多い」

    「私は凡ての人間を、毎日毎日、恥をかくために生まれてきたものだとさえ考える」

    「今の私は馬鹿で人に騙されるか、あるいは疑い深くて人を容れることが出来ないか、この両方だけしかないような気がする。不安で、不透明で、不愉快に充ちている」

    いやあ、面倒くさいオッサンですね。
    これがユーモアがなかったら、読まないだろうなあ…僕も。

  • 自己を語ることに寡黙であったという漱石が朝日新聞に掲載したエッセー。
    当時漱石は胃潰瘍をわずらっていたため、全体的に陰鬱なトーンに仕上がっている。
    正岡子規の『病牀六尺』を思い出した。
    大正の頃の文章の割にはさらっと読めるので、時代の色を感じるのにはとても良い。
    富久町、喜久井町あたりの地名が頻出するのも個人的に馴染みがあったなw

  • 1915年に東京朝日新聞と大阪朝日新聞に、全39回連載されたもののようだ。
    随筆とでもいうべきものであろうか。
    漱石の文章はたいへん読み易い。であるからこそ、頭の中にすらすらと文章だけが入り込んでしまい、その文章のもつ意味をりかいすることが疎かになってしまう。
    私は漱石の文章を読むときにいつも感じることだ。

  • 高校時代に祖母(故人)から貰った本
    もともとは祖母の友人から祖母へ読んでみろ
    と送られた本だったらしいのだか興味がなかった
    らしく私に回ってきた
    祖母が昔勤めていた地方の名前が出てくるらしいが私にはさっぱりわからなかった。
    唯一現国の授業の時、夏目漱石の作品をいってみろと
    先生に言われ、思いだしていったところが役にたったところ。
    作品の中身の話で覚えているのは余所で死んだ猫を引き取りに来いと使いをやった家の主人は偉いと思う。

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プロフィール

明治、大正時代の小説家、英文学者。1867年、江戸(東京都)に生まれる。愛媛県松山で教師をしたのち、イギリスに留学。帰国後、執筆活動を始める。『吾輩は猫である』『三四郎』『こころ』など作品多数。

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