五重塔 (岩波文庫 緑 12-1)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (128ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003101216

作品紹介・あらすじ

技量はありながらも小才の利かぬ性格ゆえに、「のっそり」とあだ名で呼ばれる大工十兵衛。その十兵衛が、義理も人情も捨てて、谷中感応寺の五重塔建立に一身を捧げる。エゴイズムや作為を越えた魔性のものに憑かれ、翻弄される職人の姿を、求心的な文体で浮き彫りにする文豪露伴(1867‐1947)の傑作。

感想・レビュー・書評

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  •  今月の千年読書会・課題図書、ちょいとタイムオーバーになってしまいました。

     ざっというと、谷中感応寺への「五重塔」の建立を司る大工の匠頭候補となった二名の腕利きの大工の、ちょっとしたボタンのかけ違いからくる群像劇、といった感じでしょうか。

     一人は十兵衛、大工としての卓越した腕を持っていますが、気難しさ(不器用さ)ゆえに、社会的には不遇で、奥さんにも迷惑をかけているとの自覚もあります。

     もう一人は、源太。大工の腕で十兵衛に劣るわけでもなく、人柄もよく、周囲を動かして大規模な建築もこなします。いわゆるマネジメント力も十二分に兼ね備えつつ、イマイチ社会になじめない十兵衛の面倒も見ている、親分肌ないい男。

     元々は、感応寺を建立した源太に依頼があった「五重塔」の追加案件、普通であれば源太の差配の元で建立が進められるはずでしたが、、そこに十兵衛が自分の腕を不器用ながらに売り込んでくるところから、物語が動き始めます。

     塔の発注者となる上人の慈愛、「二人で納得するように話しあいなさい」との気持ちはよくわかります。恐らくは、不遇をかこっている十兵衛に花道をつけてやってくれとの、源太への期待もあったのでしょう。そんな上人の優しさを両名ともにどことなく感じとっているだけに、二人ともが懊悩します。

     十兵衛は、日頃世話になっている源太の顔を立てたいと考えながらも、技術的には己の方が!との矜持から逃れられず。源太も、腕では負けているつもりもなく、感応寺本体を建てたとの矜持も持っています。それでも男気から、最終的には十兵衛に全てを譲ります。

     その源太、時に譲られた十兵衛のあまりの融通のきかなさに対し底知れぬ怒りを覚えながらも、それを押し隠し、職人としての自信も棟梁しての矜持も捨てることなく、十兵衛の仕事を見守ります。それが発露するのはクライマックスの、街が大嵐に襲われた日の、二人のふるまいでしょうか。

     どちらもが職人としての矜持を持っているのは同じ、その発露の仕方がちょっと違うのかなと。それを知ってか知らずか上人がうまく大団円にするのは、なるほどなぁ、、とも思いました。

     なんて思いながら、自分の周辺を眺めてみると、、“技術”さえあれば何をしてもいいとの風潮は、現代でも確かにあるな、と。今仕事をしている業界ならではってのもあるかも知れませんが(ICT業界)、時に結構なクレームにつながることもあります。そういった意味では共感を覚えるのは源太の方だったりも。

     ん、技術は大事ですが、技術だけではやっていけないと、そんな風にあらためて感じた一冊でした。

  • 読みにくいったらありゃしない
    内容は面白い!面白いんだけど、、、本当に文語体苦手すぎて(舞姫とかも読めない笑)
    主人公のエゴは何かに取り憑かれた感じがあり、狂気を感じた。

  • 長年積読になっていたがやっと読了。
    ドキドキする。

  • 読んでシマッタと思ったのは、これは文語文? 読みにくい。というより、ワカラン。

    出だしはこんな文章です。

    「木理美しき槻胴、縁にはわざと赤樫を用いたる岩畳作りの長火鉢に対いて話し敵もなくただ一人、少しは淋しそうに坐り居る三十前後の女、男のように立派な眉をいつ掃いしか剃ったる痕の青々と、見る眼も覚むべき雨後の山の色をとどめて翠の匂いひとしお床しく……引っ掛けたねんねこばかりは往時何なりしやら疎い縞の糸織なれど、これとて幾たびか水を潜って来た奴なるべし。」(p3)

    ふりがなを省いたので、さらに分かりくいですが、ふりがながあっても一度読んだだけではなんのことかワカラン。
    繰り返し読むと、どうやら女性の描写であるらしい。
    先が思いやられるなあ。

    でもまあ100ページ足らずだし、英語で読むわけでもないんだし、なんとか意味は通じるからと思って少しずつ先に進むと、あらら不思議、そのうち慣れて読みやすくなってきた。
    話の展開もかなり面白い。

    作者25-26歳の頃の作品ということで、露伴はデビュー当時から天才といわれたらしいけど、それはそうでしょうねえ。
    坪内逍遙が「文章として絶観なり」と讃えた其三十二の嵐の夜の描写は、それはもう、なんなんだこれはというぐらいに凄い。
    また結構笑えるところもあって、なかなか楽しい。

    これは新聞小説ということだけど、毎日この濃度というのは、読む方も書く方も凄い。
    明治24年(1891年)の作品だから、テレビもラジオもなく、活字だけが娯楽であり情報伝達の手段だったろうから、ある意味当然なんでしょう。何度も何度も読み返され、それに耐えられる文章でなければならなかったはずだ。
    いまは新聞小説を読む人なんて少ないだろう。そのうち新聞もなくなるのかもしれない。少なくとも私は家では読まなくなった。職場では情報収集用に読むけど。

    ということで、文学史に必ず出てくる有名な作品「五重塔」を読むことができて、よかったと思いました。

  •  坪内逍遥や二葉亭四迷を日本近代文学の嚆矢とするならば、次に来るのは明治20年代、紅露時代とも称された尾崎紅葉及び幸田露伴の名前が挙がる。私も近代文学に漠然とした興味があり、坪内逍遥やら二葉亭四迷の小説を読んではいたが、尾崎紅葉も幸田露伴も読んでいなかった。明治時代の小説は読み辛いからだ。大正時代というと谷崎潤一郎や武者小路実篤など、比較的読みやすいイメージがあるのだが、まだまだ文語の抜けきらない明治期の文体は、近代文学の奥深く、容易に立ち入らせてはくれない魔窟の様相を呈する。まして『金色夜叉』『五重塔』という表題からは、四角四面な印象を受け、難しいだろうと避けていた。
     それでも何とか読むぞと謎の意気込みで、とりあえず薄いし読めるだろうと買ったのが、この『五重塔』。

     読み始めるとストーリーも明快だし登場人物も分かりやすく、文章はもちろん読み辛いが勢いもあり、結構楽しめた。
     技術には長けているけど愚鈍に見える大工の十兵衛が、既に能力実績人望アリの完璧人間である源太が建立することが決まっていた五重塔を、自分に造らせてほしいと懇願する。ドラえもんの、のび太と出木杉みたいな感じ。源太(出木杉)は十兵衛(のび太)の熱意もあり、一緒に造ろうというのだが、十兵衛はこれに否という。それならお譲りしますと。十兵衛を主担当とするといっても、それも否。源太は大人の対応で十兵衛一人で造ることを容認し、今まで集めた図面やら何やらを提供してやるという親切心を見せるが、十兵衛はそれすら拒んでしまう。

     譲ってもらったくせにその後の善意まで蔑ろにするさまは、私が源太の立場だったら(そもそも自分に十兵衛に譲るだけの心の広さがあるか疑問だが)確実にブチギレだろうと思う。それくらい、まるで何かに取り憑かれているかのような、五重塔に対する十兵衛の執念。職人気質ともちょっと違う。まるで人智を超越した何かに操られるかのようだ。
     何をも顧みず一つのものに打ち込む様は、サン=テグジュペリ『夜間飛行』やジブリ映画『風立ちぬ』などで触れた。格好いいと思う気持ち、非情な様に対する複雑な気持ち、自分がそもそもそういった葛藤を抱くことがないという安心あるいは空虚な気持ちを味わった。
     だが、この小説を読んで感じたのは、激しい熱意の根源が、自分の外側にあるのではという違和感。何だか霊的なものがどうといったオカルトな話をしたいわけではないのだが。職人として生まれた自分の、世界に対する責務とでも言ったらいいだろうか?

  • 教科書にも載っている文豪による代表作。文語体で記されているが、文庫本で100ページあまりしかないので読みやすい。一読してまず感じたのは、まるで紙芝居のような作品であるということ。起承転結がハッキリした展開といい、個性的なセリフの掛け合いといい、「読む」というよりは「語る」といったほうがしっくりくる文章だし、名高い暴風雨のシーンも、まるで情景が眼に浮かぶようである。内容は、「のつそり」こと大工・十兵衞が、谷中・感應寺に五重塔が建立されると聞き、師・源太と激論の末にその仕事を勝ち取り、その後紆余曲折ありつつも、一心不乱につくりつづけて完成させるという話である。十兵衞の愚直に仕事に取り組む姿勢が、ただただ美しい。いろいろと衝突してしまうのも、すべては仕事に真剣すぎるゆえ。「のつそり」と呼ばれているほどなので、十兵衞はけっして立派な技術をもった職人でもないし、どちらかといえば醜い存在として書かれている。それでもやはり美しい。「美しい」という言葉がもつ真の意味を、十兵衛はただひたすら大工仕事だけをもって示しているのである。

  • 幸田露伴の本は初めて読んだ。
    明治に書かれた小説なので、始めは読むのにやや苦労したが、すぐに引き込まれた。
    なんて美しい文体なんだろう。これがわずか24歳で書かれたものとは驚愕だ。
    ストーリーはwikiればすぐに出てくるので割愛する。
    私には、これが主人公のエゴイズムによる執念とは思えない、一種の魔性だ。

  • 何度読んでも完璧な幸田露伴の五重塔書き出し。日本語の結晶。

    “木理美しき槻胴、縁にはわざと赤樫を用いたる岩畳作りの長火鉢に対いて話し敵もなくただ一人、少しは淋しそうに坐り居る三十前後の女、男のように立派な眉をいつ掃いしか剃ったる痕の青々と、見る眼も覚むべき雨後の山の色をとどめて翠の匂いひとしお床しく、鼻筋つんと通り眼尻キリリと上り、洗い髪をぐるぐると酷く丸めて引裂紙をあしらいに一本簪でぐいと留めを刺した色気なしの様はつくれど、憎いほど烏黒にて艶ある髪の毛の一ト綜二綜後れ乱れて、浅黒いながら渋気の抜けたる顔にかかれる趣きは、年増嫌いでも褒めずにはおかれまじき風体、わがものならば着せてやりたい好みのあるにと好色漢が随分頼まれもせぬ詮議を蔭ではすべきに、さりとは外見を捨てて堅義を自慢にした身の装り方、柄の選択こそ野暮ならね高が二子の綿入れに繻子襟かけたを着てどこに紅くさいところもなく、引っ掛けたねんねこばかりは往時何なりしやら疎い縞の糸織なれど、これとて幾たびか水を潜って来た奴なるべし。”

  • のっそり十兵衛の天才っぷり・プロ意識に学ぶところがあり、かれこれ5回ほど再読している。

    十兵衛は、狷介で頑固、世渡り下手の貧乏大工。谷中感応寺の五重塔建立を聞きつけ、世話になった親方をさしおいて、寺の上人に直談判をして哀訴・懇願する。「恩知らずめ!」とやきもきする者たちの姿や、空気を読めない十兵衛を支える妻(お浪)の心の声が、とてもリアルに感じられ面白い。

    私も一匹狼的なところがあるので、源太の申し出を頑なに断る十兵衛の気持ちがよく分かる。
    解説にもあったが、その後の十兵衛の姿を想像するのも面白いかもしれない。

  • 筋はあっさり、五重塔を源太が建てるかのっそり十兵衛が建てるか、に半分以上ページを費やす。文体が素晴らしくテンポよく読める。はじめの1ページお吉の描写があまりにも色っぽくて買った。なれないうちは読みにくいが、テンポをつかめば読みやすい。暴風雨を夜叉に例えた描写はしょうしょうやりすぎではないか。浮いている気がする。
    とにかく文章がキレイで読んでいて心地よい。

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著者プロフィール

1867年(慶応3年)~1947年(昭和22年)。小説家。江戸下谷生まれ。別号に蝸牛庵ほかがある。東京府立第一中学校(現・日比谷高校)、東京英学校(現・青山学院大学)を中途退学。のちに逓信省の電信修義学校を卒業し、電信技手として北海道へ赴任するが、文学に目覚めて帰京、文筆を始める。1889年、「露団々」が山田美妙に評価され、「風流仏」「五重塔」などで小説家としての地位を確立、尾崎紅葉とともに「紅露時代」を築く。漢文学、日本古典に通じ、多くの随筆や史伝、古典研究を残す。京都帝国大学で国文学を講じ、のちに文学博士号を授与される。37年、第一回文化勲章を受章。

「2019年 『珍饌会 露伴の食』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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