- 岩波書店 (1984年7月16日発売)
本棚登録 : 562人
感想 : 57件
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (220ページ) / ISBN・EAN: 9784003101322
みんなの感想まとめ
病床に身を置きながらも、限りない思索と創作を続けた著者の姿が描かれています。晩年の苦しみや孤独の中で、日々の出来事や思いを赤裸々に綴ることで、彼の内面的な世界は広がりを見せます。訪れる人々との関わりや...
感想・レビュー・書評
-
正岡子規の死の2日前まで毎日病床で記載していたもの。毎日書いては新聞社に送り、それが毎日紙面にあるのを楽しみに生きる糧にしていたと思われる。最期の方は1日に書く量も減っていって切ない。
晩年は寝たきりになり、和室とそこから見えるお庭だけの世界だったようだが、常にお客さん(お弟子さん等々)が見舞いに訪問されていたようでそういった観点では世間との繋がりを保ちつつ暮らされていたようだ。
しかし痛みに苦しまれており、今の世ならとっくに鎮静依頼をしてもおかしくないような状況でも毎日筆をもち、書を書き、絵をたしなみ、俳句を添削し、世の中の状況についてあれこれと考えたり。最期の最期までやれることをやる、ノボさんご立派でした。
享年34歳。なんと若いことよ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
凄く面白い。
寝て過ごさないといけないようになってからやりたいことのリストとか、辛さの表現とか。こんなに赤裸々に書けるのがすごい。
「飯炊会社」を作ればいいとか、「食べ物がどんどん柔らかくなってきている」とか、こんな頃から言っていたのかと思うと面白い。 -
死の2日前まで様々なヒト、モノ、コトに関心を持って生きた子規。そのしなやかな強さに感じ入る。
-
病床六尺という、とても狭き空間の中に身を置きながらも、子規の世界は限りなく広い。
外の世界に思いを飛ばしても、病の壮絶な痛みで身悶え、病床に心が引き戻されている。
激しさ、伸びやかさ、関心と造詣の広さ・深さを感じ、所々クスリと笑える。
長命であったならば、どのような作品を残していただろうかと、むなしい想像をせざるを得ない。 -
病床六尺、狭いけれど大きな世界に身を置いていた子規。
いつか自分も病に伏せったら読みたい本。 -
正岡子規が死の直前、明治35(1902)年5月~9月に新聞に連載した随筆。
冒頭に「病床六尺、これが我世界である。」とある。床を離れない病人なので見聞の範囲はおのずと狭くなるはずだが、文学や世事の批判、見舞客の持ってくる世間話、書画鑑賞など、話題は多岐にわたる。
その基になっているのは旺盛な好奇心。
「余に珍しき話とは必ずしも俳句談にあらず、文学談にあらず、宗教、美術、理化、農芸、百般の話は知識なき余に取つて悉く興味を感ぜぬものはない。(四〇)」「話の種は雅俗を問はず何にても話されたし。学術と実際とにかかはらず各種専門上の談話など最も聴きたしと思ふ所なり(七十七)」等。人に会い、話を聞くことを楽しみとしていた様子が窺える。
子規は病を得てからも好きなものや旨いものに執着し、時に体が受け付けなくても食べたという。それだけが楽しみだったという理由もあろうが、食への執着と、知識への執着と、どこか通じるものがある。
また子規と言えば手厳しい批評の人という印象であったけれども、自分の考えと異なっていても理屈に納得すれば認める素直さ(七十一等)が意外であった。かと思えば、色恋沙汰と思わせて種明かしをするユーモア(百四)もある。一方では惨憺たる病苦を訴えながら、こうした柔軟さを持ち続けたことは確かに偉い。
ただ、看病している家族への視線はずいぶん思いやりに欠けた冷たいものに感じた。明治の男の視点ゆえなのか、病人としては日常生活に関わる部分にはやはり不満を持たずにいられないのか。 -
ここで子規は、自分の好きな絵は「略画中」の「略画」と言ってるハズなのに、子規の画は漱石曰く「文章は巧みな彼なのに、画と言うと何時間もかけて書いた塗沫主義な拙い画である」というのが、なんかすごく好きです。
-
この人凄すぎる。
不治の病に侵されていながら、何なのこのバイタリティ。
俳句、短歌、絵画の趣味をいきいきと語るかと思えば、次の瞬間世相を鋭く斬ってみせる。
死の二日前まで書き続ける執念、凄まじいというほかない。
子規の号は、血を吐きながら鳴き続けるホトトギスとの意味を込めて付けられたそうだ。その真骨頂ここに体現せりといったところ。恐れ入る。
折節自分も手術後で床に臥せっているときに読んだので、病人の心境を吐露した箇所は感情移入して読めた。 -
絵画評論は勉強になるのでもう一度読みたい
正岡子規は素直で格好つけない人なんだな -
再読
1927年出版
持っている本が2005年58刷発行
読んだきっかけ
EテレのJブンガク(2011年)で杏さんが朗読していた
《感想》
何度も読み返せる良書
好きな本の1つだ
読みやすく現代仮名づかいに改めているとはいえ、少々難しく感じたが、慣れると面白さにはまる
俳人の文章は音読すると心地よい
ユーモラスで性格の細かさが伝わって非常に楽しい
著者の心境が読み取れた -
-
死ぬ直前まで書いていた随筆で、病気への苦しみが痛々しく伝わってくる内容もある一方、当時の流行や思想なども鮮やかに描かれている作品だった。
個人的には子規の日本画や俳句への批評が面白く、勉強になったと思えた。特に、俳句などはこれまで読んでも何が良いのか、どう作るのか、どんな句が評価されるのかなどさっぱり分からなかったけれど、子規がこれはこういう理由で良い、趣がある、厭味があると評していくのを読むうちに、少しだけ分かった気がした。 -
解説:上田三四二
-
死を目前にして、生命の輝くのが読み取れます。
2019/08/16追記 改めて読み直すと、100回目の文章、127回目の文章に深く感銘を受ける。このようなにか、103、104回目のユーモアに心の温まりを覚えました。 -
-------------------------------------------
病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅わずかに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団ふとんの外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚はなはだしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。
-------------------------------------------
という、あまりにも小さな空間と苦痛に満ちた肉体に閉じ込められ、それでも好奇心は世界中へ広がり、思いははるかに漂い、庭の草花をも愛で時に筆をとる。
なんというせつない魂かと胸をしめつけられる一方で、その魂の自由な羽ばたきに希望のようなものをも感じる。
といったら馬鹿にするなとお怒りの向きもあるかもしれません。
でも私自身の身にも覚えのあることだから、他人事に勝手な空想をしているのではないのです。
結核という、当時社会全体から忌まれた伝染病に冒されながら、母親や妹、漱石や虚子など友人たちの献身がとても印象的です。
ところでなんということのない四方山話のひとつ。
甲州の小村で、結婚したい相手の家族が了承しない場合に仲間同士でかどわかしてしまう、というエピソードにキルギスの誘拐婚を思い出しました。
どこでも、文化や人権意識の未熟な社会では起こる(起こっていた)ことなのだな…。 -
2015年4月7日読了。
書くことへの執着よ!!
冒頭はまさしく名文。 -
そんなにも苦痛なのに休まず精力的に文章を書き続けている。
六尺の空間から世界とつながり続けていたのだと思う。 -
子規の好奇心に驚く。
この本が好きな人におすすめの本
正岡子規の作品
