病牀六尺 (岩波文庫)

著者 :
  • 岩波書店
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レビュー : 44
  • Amazon.co.jp ・本 (193ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003101322

作品紹介・あらすじ

『墨汁一滴』に続き、新聞『日本』に連載(明35.5.5‐9.17)し、死の2日前まで書き続けた随筆集。不治の病にたおれた「病牀六尺」の世界で、果物や草花の写生を楽しむ一方、シッポク談議、子どもの教育論と話題は多岐にわたる。旺盛な好奇心が尽きることのない子規(1867‐1902)の姿には目をみはらされるばかりだ。

感想・レビュー・書評

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  • 正岡子規が死の直前、明治35(1902)年5月~9月に新聞に連載した随筆。
    冒頭に「病床六尺、これが我世界である。」とある。床を離れない病人なので見聞の範囲はおのずと狭くなるはずだが、文学や世事の批判、見舞客の持ってくる世間話、書画鑑賞など、話題は多岐にわたる。
    その基になっているのは旺盛な好奇心。
    「余に珍しき話とは必ずしも俳句談にあらず、文学談にあらず、宗教、美術、理化、農芸、百般の話は知識なき余に取つて悉く興味を感ぜぬものはない。(四〇)」「話の種は雅俗を問はず何にても話されたし。学術と実際とにかかはらず各種専門上の談話など最も聴きたしと思ふ所なり(七十七)」等。人に会い、話を聞くことを楽しみとしていた様子が窺える。
    子規は病を得てからも好きなものや旨いものに執着し、時に体が受け付けなくても食べたという。それだけが楽しみだったという理由もあろうが、食への執着と、知識への執着と、どこか通じるものがある。
    また子規と言えば手厳しい批評の人という印象であったけれども、自分の考えと異なっていても理屈に納得すれば認める素直さ(七十一等)が意外であった。かと思えば、色恋沙汰と思わせて種明かしをするユーモア(百四)もある。一方では惨憺たる病苦を訴えながら、こうした柔軟さを持ち続けたことは確かに偉い。
    ただ、看病している家族への視線はずいぶん思いやりに欠けた冷たいものに感じた。明治の男の視点ゆえなのか、病人としては日常生活に関わる部分にはやはり不満を持たずにいられないのか。

  • ここで子規は、自分の好きな絵は「略画中」の「略画」と言ってるハズなのに、子規の画は漱石曰く「文章は巧みな彼なのに、画と言うと何時間もかけて書いた塗沫主義な拙い画である」というのが、なんかすごく好きです。

  • この人凄すぎる。
    不治の病に侵されていながら、何なのこのバイタリティ。
    俳句、短歌、絵画の趣味をいきいきと語るかと思えば、次の瞬間世相を鋭く斬ってみせる。
    死の二日前まで書き続ける執念、凄まじいというほかない。
    子規の号は、血を吐きながら鳴き続けるホトトギスとの意味を込めて付けられたそうだ。その真骨頂ここに体現せりといったところ。恐れ入る。

    折節自分も手術後で床に臥せっているときに読んだので、病人の心境を吐露した箇所は感情移入して読めた。

  • 『子規歌集』を読んで、正岡子規に興味を持ち、こちらの本を手に取りました。

    ほぼ全日、床に臥せる日々にあっても、俳句を作り、評論し、来客との談笑、画集などを観て楽しむ様子が垣間見られました。

    当然のこととして、不自由な身の苦しみを吐露する日記もありましたが、印象として残るのは、文化的に日々を送ろうと工夫している場面の多さです。

    制限のある環境に置いても、暮らしを有意義なものにしようとする姿勢に学ぶべきところがあると感じました。

  • 『病牀六尺、これがわが世界である。』から始まるこの作品、死の2日前まで書き続けた壮絶な随筆集です。

  • 死ぬ直前まで書いていた随筆で、病気への苦しみが痛々しく伝わってくる内容もある一方、当時の流行や思想なども鮮やかに描かれている作品だった。
    個人的には子規の日本画や俳句への批評が面白く、勉強になったと思えた。特に、俳句などはこれまで読んでも何が良いのか、どう作るのか、どんな句が評価されるのかなどさっぱり分からなかったけれど、子規がこれはこういう理由で良い、趣がある、厭味があると評していくのを読むうちに、少しだけ分かった気がした。

  • 解説:上田三四二

  • 死を目前にして、生命の輝くのが読み取れます。
    2019/08/16追記 改めて読み直すと、100回目の文章、127回目の文章に深く感銘を受ける。このようなにか、103、104回目のユーモアに心の温まりを覚えました。

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    病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅わずかに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団ふとんの外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚はなはだしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。
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    という、あまりにも小さな空間と苦痛に満ちた肉体に閉じ込められ、それでも好奇心は世界中へ広がり、思いははるかに漂い、庭の草花をも愛で時に筆をとる。
    なんというせつない魂かと胸をしめつけられる一方で、その魂の自由な羽ばたきに希望のようなものをも感じる。
    といったら馬鹿にするなとお怒りの向きもあるかもしれません。

    でも私自身の身にも覚えのあることだから、他人事に勝手な空想をしているのではないのです。

    結核という、当時社会全体から忌まれた伝染病に冒されながら、母親や妹、漱石や虚子など友人たちの献身がとても印象的です。

    ところでなんということのない四方山話のひとつ。
    甲州の小村で、結婚したい相手の家族が了承しない場合に仲間同士でかどわかしてしまう、というエピソードにキルギスの誘拐婚を思い出しました。
    どこでも、文化や人権意識の未熟な社会では起こる(起こっていた)ことなのだな…。

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