仰臥漫録 (岩波文庫)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (195ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003101353

作品紹介・あらすじ

子規が死の前年の明治34年9月から死の直前まで、俳句・水彩画等を交えて赤裸々に語った稀有な病牀日録。現世への野心と快楽の逞しい夢から失意失望の呻吟、絶叫、号泣に至る人間性情のあらゆる振幅を畳み込んだエッセイであり、命旦夕に迫る子規(1867‐1902)の心境が何の誇張も虚飾もなくうかがわれて、深い感動に誘われる。

感想・レビュー・書評

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  • よく食べるなあすごいなあと読み進めていくうちに、だんだんかなしくなってきた。強い人だ。記録の影にちらちら見え隠れしていた激情が、一旦堰を切って、それからひどく静かになってゆく。

  • 9月19日糸瓜忌に開催のBBで紹介するか悩んだ。自分もこの4半世紀、使ったお金や食べたものをほぼ毎日記録してる。病気療養の思いにもシンクロする。膿を出すときの絶叫と号泣、わかる!沢山の句があったりサラっと終わったり日によって分量が違うし誕生日の9月17日が少し長いのは当然だが、その2日後の9月19日即ち亡くなる丁度1年前の記録が重い。夜になって呼吸が苦しくなりそれが寒さのせいならこの冬は持たないとある。今ほどじゃないけど残暑でしょ。辛かったろうね。この後10日ほど日記が途絶える。死神がすぐそこに居たな。

  • 坂の上の雲を読んでから、より、正岡子規が知りたくなって購入しました。

    これ読んで、本当にこの人が好きになった。ファンになった。
    「俳句書いてる人」くらいの認識しかなかったのですが、、、、、
    病床で、亡くなる前までつけていた日記です。
    なんと人間味のあふれた、強い、そして弱い、皆に愛されていた子規。読んでるだけで、いとおしくなってくる。
    食べ物もたくさん出てきますが、それもまた笑えてしまう。そんなに具合悪いのに、まんじゅう10個とか、食べちゃう。
    よめばファンになると思います。

  •  正岡子規が、死の直前まで書き綴った日記。

     元来、人の日記を読むのがすきなせいもあり、夏目漱石(の日記)つながりで手にとったものなのだけど、ここまで気に入りの一冊となったのは、やはり生きること=食べること、への執着が赤裸々に綴られているからなのだと思う。
     もちろん、綴られている俳句や、日々の徒然にも生への執着、もっと言えばゴールの見えてきた人生ゲーム(しかも一発逆転ホームランの存在しない)で、一体なにをし、なにが出来るのかということを考えさせられるのだけど―――。
     けれどやはり、その人間の本質がもっともよく現れるのは、食欲・性欲・睡眠欲であると思っている次第なので。
     自分は死の直前にあっても、これだけ「おいしいものを食べる」ことに執着し続けることができるかどうか、というのは人生の課題のひとつでもある。

     そして生徒達(小学生)にも、
    「テレビの「坂の上の雲」のハゲのおっさん」
    「野球という言葉を発明したひと」
    「たる柿26個を胃弱の「我輩は猫である」の人(夏目漱石)の前でたいらげて、漱石をへきえきさせたひと」
    「法隆寺のひと」
    で、いいから、どうか覚えていて、いつかこの本を手にとってくれるといいなあ、と!

  •  最晩年の正岡子規の日記、というか日々の記録に近い。
     「一」は、食事の報告が大半を占めていて、欲求を食で補う無茶食いの典型的な状態。もう長くないから食いたいものを食おうという意思も有ったかもしれない。
     逆に「一」の最後から「二」については、かなりの病状の進行により、苦しむ姿が多く見られる。「癇癪を起こす」なんてさらって書いてあるけど、その行間には病に苦しむ、「どうにも出来ない」「どうにもならない」ことへの怒りがあるんだろうなと。

  • 言ってしまえば他人の日記をのぞき見をしているのだか、絶句としか表現できない。読み進めるほどに、他人の日記をのぞき見しているだけの行為を読者はしている状況ではなくなる。10月12日の日記にはギラギラとした目つきの筆者が思い浮かぶ。彼は生きたいのだ。

  • 「文人御馳走帖」での正岡子規の食べ物に対する描写やそのコダワリが楽しかったので、これもついでに読もうかなと手に取ってみたんだけど、とんでもない。最初の1日目の日記だけですっかり心を鷲掴みされてしまった。
    この言葉の美しさ、心の壮大さ、目線の素朴さ、生活の瑞瑞しさ、生への執着と諦念、そして食への拘泥。

    1日目の記録でまず、お粥と白米を合わせて12杯も食べてその後菓子パンを10個も食べながら「最近食べ過ぎてよく吐きかへす」なんて書いてるかと思ったら、急に人様の家の家賃比べしたり、夕食に食べたものの俳句を2ページ分つくったり、絵を描いたり詩を書いたり、とにかく毎日いろんな突拍子もない事をするもんだから読んでてクスクス笑ってしまう。しかしその分、段々病魔に冒され衰弱していよいよページも飛び飛びになってしまうとその空白や言葉の少なさが辛くて、ページが進むにつれて文字数は少なくっていくのに反比例して読み進める速度はどんどん遅くなった。

    頑固な人柄と柔軟な思考が、品のよい巧みな文章にのせられてするすると流れてくるもんだから、本をひらいてただぼうっとしているだけでいつの間にか骨抜きにされてしまう。

  • どんだけ喰うのだこの病人。カルマを感じる。もう餓鬼!喰いに喰って今度は腹が膨れて苦しくて、こっちが涙出てくるよ。便通だの精神錯乱だの、子規がこんなにあらぶっていたとは知らず。これっぽっちと言えど読んでるこっちが苦しくて読むのに2ヶ月。

  • 強靭な生命力。

  • 嵐山光三郎『文人悪食』がきっかけで購入、読了。
    原作・壬生篤/作画・本庄敬『文豪の食彩』に触発されて再読。

    上記2冊とも、文豪達の食生活にまつわるもの。『仰臥漫録』は脊椎カリエスに侵され、自力では寝返りを打つこともままならなくなった晩年の子規の、鬼気迫る「食欲」の記録として取り上げられておりました。

    歯茎や身体に開いた穴からは絶えず膿が流れ出ているような状態なので、食う飯が美味いわけがない。でも食う。猛烈に食う。食ったら食っただけ出すがほとんど未消化で全く身になっていない。でも食う。生きている以上は食う。

    動けぬ子規にとってはまさに「病牀六尺」が全世界。
    三度の食事の内容から、便通の時間帯・回数、泣き喚かずにいられない程の激痛を和らげるための麻痺剤の服用記録、黒めがねをかけながらやっとの事で読む新聞の内容、来客、その際もらった見舞いの品、そして、頭をもたげて眺める庭の景色。およそ病床にあって感受できる全ての事を、書いた、というより刻み込んだ印象です。

    明治34年10月13日の記述と、伯父宛にしたためた手紙の内容は忘れられません。

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