- Amazon.co.jp ・本 (130ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003101575
感想・レビュー・書評
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ワンコイン以下で買える(税抜420円)「教養」という意味で、お勧めです。
「諸君、幸徳君らは時の政府に謀叛人と見做されて殺された。諸君、謀叛を恐れてはならぬ。謀叛人を恐れてはならぬ。自ら謀叛人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀叛である。」(23p)
蘆花徳冨健次郎の、この有名な社会的発言には、押さえておかなければならない事実が、4点ある。一つは、大逆事件大量処刑のわずか、8日後の一高講演だったこと。一つは、これは草稿であり実際の発言速記録などは一切残っていないこと。一つは、当時公開の場で叛徒弁護の発言をしたのは、蘆花ひとりだったこと。一つは、それにも関わらず、蘆花は警察の取り調べさえも受けていないこと。
私は、異論があるのを承知で書くと、蘆花の意見は、現代ワイドショーにおけるリベラルと言われる評者の意見に似ていると思う。
社会主義の台頭を恐れた政府は、まともな審議もしないで、見せしめの為の大量処刑をしたのは、現代日本史の定説である。そこには、日本における社会主義とはなんだったのか、をきちんと踏まえた上での評価になっている。
蘆花には無い。むしろ、社会主義がどんなものであれ、天皇を殺そうとしたのがたとえ事実であれ、社会のために良かれという動機さえあれば、「死刑はしてはいけない」という一点のみがあるだけである。
その過程で、西郷も吉田松陰も、謀叛の罪で処刑されたが40年30年経った今は名誉回復されているのを見ても「新しいものは常に謀叛である」という名言が飛び出てくるのではあるが、「新しいもの」への真の理解は無いように思える。
バリバリ右翼の徳富蘇峰を兄に持ち、政府要人に知り合いも多い、有名人の蘆花を弾圧するよりも、「ガス抜き」として利用する方が利用価値がある。政府がそう考えたとしてもなんら不思議はないだろう。
ワイドショーで、多くの評論家が、政府に批判的なことを言っている。蘆花の文章は美文である。惚れ惚れする。評論家の意見は玉石混交で、多すぎてわけがわからなくなる。
誰が、本質的なことを突いているのか。
歴史は、それは目に見えやすいところにはない。ということを伝えている。
2017年9月6日読了詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
次に何を再読しようかなと幕末関連本の背表紙眺めてたらもう手元にないと思ってたこれが出てきたので薄いからさくっと再読。先に宣言するのもあれですが、私は徳富蘆花(健次郎)があまり好きではありません。むしろ積極的に嫌いかもしれない。なぜならこやつの書いた『不如帰』という小説のせいで私の偏愛する会津藩、山川さんちの捨松ちゃんがとっても辛い目に合わされたから!
2013年の大河ドラマ『八重の桜』では後半で新島襄の同志社だの熊本バンドだのの繋がりで徳富兄弟ともに登場して、蘆花(太賀)と、八重の姪にあたる久栄(門脇麦)との初恋エピソードなどがドラマで描かれていたけど、正直、そういう形で会津藩の人間と係わりがありながらよくも捨松のことを捏造小説にして死ぬ間際まで謝罪しないなんて極悪なことができたもんだと思う。100年経っても赤の他人の私が勝手に今も激しく怒っている(苦笑)
まあその恨みつらみはいったん置いといて。本書は明治43年、幸徳秋水を中心とした社会主義者、無政府主義者らが明治天皇の暗殺を計画したとして一斉に検挙、逮捕され翌年には計12人が処刑された大逆事件について、助命嘆願および死刑廃止を訴えるいくつかの文章と晩年の日記の一部が収録されている。
死刑廃止についての意見はまあそう思う人もいるだろうし、幸徳秋水らは謀反人とはいえ一種の志士で、西郷がかつて逆賊となるも現在(明治終盤)ではすでに忠臣としての名誉を回復されているように幸徳らも単なる逆賊ではない、死刑にまでしなくてもいいんじゃないかという言い分もまあわかる。だがしかし。
日記など読むにつけても兄の蘇峰とは不仲で悪口ばかり書いているくせに、謀反論はその嫌いな兄の権威を頼って発表、内容の過激さのわりに本人は兄の庇護下で保護されているからいくらでも吠えられるだけ、命がけの直訴というのは程遠い。安全圏から何言ってんだという感じ。
死刑廃止についても、冤罪の多さを例にあげ「もし悪意があって、少し想像を加えれば、人を罪に落すなんか造作もないことだ」と被害者側の立場で発言しているが、そういう自分は「悪意をもって、勝手な想像を加えて、元勲の後妻(大山捨松)といえどもゴシップの餌食にするなんか造作もないことだ」というわけですね?(書いているうちに怒りが増幅されてきた)
そんなわけで、兄と不仲で父親の葬儀にも呼ばれなかった等の愚痴日記を読んでも、あんたが偏屈で性格悪いからでしょ、と蘇峰の肩を持ってしまう。どんなに立派で良さげなこと書いてても、本人を信用できないので全く響かない。ふざけんなこの偽善野郎みたいな気持ちにしかならないので、むしろよくこの本買って今まで残してたなと自分にビックリした(苦笑)
※収録
天皇陛下に願ひ奉る/謀反論(草稿)/眼を開け(要旨速記)/勝利の悲哀/死刑廃すべし/難波大助の処分について/死刑廃止/日記(大正三年五月~六月)-
こんばんは(^^)
>なぜならこやつの書いた『不如帰』という小説のせいで私の偏愛する会津藩、山川さんちの捨松ちゃんがとっても辛い目に合...こんばんは(^^)
>なぜならこやつの書いた『不如帰』という小説のせいで私の偏愛する会津藩、山川さんちの捨松ちゃんがとっても辛い目に合わされたから!
読んで笑ってしまいました(^▽^)
もちろん笑いごとじゃないんだけどさ。
不如帰は読んだことないのですが、
この本のために鬼婆扱いされた捨松さんの事を徳富蘆花に聞いたら
「お気の毒なことになりましたねえ」くらい他人事だったとか…?
まあ若い娘さんの最後の言葉が「二度と女に生まれたくありません」では勝手に妄想したくなってしまうのか。
まあ今の方がでっち上げはダメ!みたいな道徳ができてきたんでしょうかね。
2018/04/11 -
淳水堂さん、こんにちは(^^)/
そうなんです、大人げなくもこの件に関しては頭に血が上ってしまうのです(苦笑)
過去に小説のモデ...淳水堂さん、こんにちは(^^)/
そうなんです、大人げなくもこの件に関しては頭に血が上ってしまうのです(苦笑)
過去に小説のモデルにされた側が作家を訴えた例も多々ありますし(三島の「宴のあと」とか)現代なら間違いなく名誉棄損で訴えてられますが、当時はそういう考えはまだ日本にはなかったんですかねえ…。裁判までいかなくても今ならツイッターやブログで反論できるけど当時はそれもできないし(苦笑)
実際は結核で離縁した夫のほうが酷いやつなのに、実家に戻ってさらに継母に苛められたほうが読者が泣くから(喜ぶから)という理由だけで捨松を意地悪継母に仕立て上げた蘆花の罪は重い…蘆花ゆるすまじムキーッ<`ヘ´>2018/04/12
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「新しいものは謀叛である」
この言葉ほど力強く若者の背を押す言葉はそうそうないだろう。
この言葉に背を押される若者は肉体的若者に限らず、精神的若者も当然含む。
裏を返せばこの言葉に背を押されない肉体的若者は精神的老人である。 -
天皇陛下に願ひ奉る◆謀叛論(草稿)◆眼を開け(要旨速記)◆勝利の悲哀◆死刑廃すべし◆難波大助の処分について◆死刑廃止◆日記 大正三年五月―六月
著者:徳冨健次郎(徳冨蘆花)、1868熊本県-1927、小説家、同志社英学校中退
編者:中野好夫、1903松山市-1985、英文学者・評論家、東京帝国大学文学部英文学科卒、元東京大学教授 -
陛下を持ち上げつつ時の政府を批判する。
大逆の罪に関することゆえに、
自由と謀反について意のまま勢い良く論じているようにみえるものの、
天皇と政府との区別を慎重に図っている。
謀反人たれという叫びも、あくまで勤皇の範囲内での留保つきだ。
冒頭の松蔭と直弼のたとえ、最後の西郷のたとえ、
それぞれ的を得たものだったのだろうか。
当時の人の腑に落ちたのか気になる。 -
言論統制がされていた最中、徳富蘆花が東大で講演した時の演説。
大学受験後に読み、非常に感銘を受け、今の自分にも影響
を少なからず影響を与えていると思う。
『新しいことは常に謀反である』
この一言に尽きる。 -
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/400310157X
── 徳冨 健次郎/中野 好夫・編《謀叛論(他6篇)日記 19760716 岩波文庫》
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19歳のときに読んで以来、
あらためて目を通してみたが、
徳冨蘆花の時代の叫びは色褪せていないと再確認。
どんな時代でも、
人間のもつ「信念」の強さだけが、
未来を変え得る力になるんだよ、きっと。
強い信念を心の奥底から吐き出したい!
と思える1冊です。
〝眼を開け〟
これは特に気がみなぎってくる。 -
人は生きるために謀反し続けなければならない。