- Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003102275
作品紹介・あらすじ
生きることの哀しさ、愛欲の切なさを、流麗な日本語で描き続けた徳田秋声(1871-1943)。男と女の微妙な葛藤を見詰めて、自然主義文学の擡頭を告げた「新世帯」。物怖じせずに一途に生きていく、一人の女性の半生が瑞々しく辿られる「あらくれ」。今なお新しさに満ちた日本近代文学の高峰・秋声文学の代表作2篇。(解説=佐伯一麦)
感想・レビュー・書評
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自律心の強い主人公は男にも振り回されながらその時その時で境遇に反発しながら自ら弾みをつけて生きてゆく。
あらくれとはよくタイトルにしたと思う。
でも主人公は粗雑というよりはバイタリティを持って生きようとする生き様は痛快。
男の遍歴のどれか一つをとってもお芝居になりそう。
解説によると大正元年ごろのいわゆる自然主義文学の傑作だという。
前半にしっかり人格を描写しつつ、成長とともにその人間の地金が出てくるあたりから俄然面白くなってくる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
淡々と描写する文章は非常に読みやすいが、時として時間を少し遡ったり、ストーリーが実は重かったりで、思ったより密度の高い作品群の2点。
美しい日本語が読みたいなあと、初めて手に取った作家だが、とても好きな作家の一人となりました。
古き良き時代の濃厚な作品を読みたい方は、是非。 -
小説巻末の解説がこれほどまでに理解の役に立ったことはなかった。読者を納得させるために用いられる小説技法の一つである筋書き(プロット)。『あらくれ』のお島はこの筋書きに縛られず、現実そのままの書き写しのような人物で、読んでいて「なんだこいつ」と思ってしまうその理解不能な性格と挙動はまさしく現実の人間と同じ。それに対して筋書きに沿って書かれる人物は読者の理解を得られこそすれ、では現実にそのような人がいるかというと、実際はいない。
正直、『あらくれ』を読んでの一番の感想がまさに「なんだこいつ」だったので(特に後半に突入してから)、解説を読んで初めて自分が筋書きに縛られていたのかと気づいた。
『新世帯』は、前半まで新吉と妻の作との気の詰まる日常が描かれ、後半になり突然お国の登場でガラッとかわる。何かもっとこう、男女の機微な心の通じ合いで、新吉とお国が禁断の恋にでも落ちるのかとおもいきや、次の瞬間にはお国が主婦気取りしていて、新吉が図々しいやつだと小僧と一緒になって苦い顔をしていて、内心「えええ…」と漏らしつつ笑ってしまった。
解説によると、このお国があるいはお島のプロトタイプだったのかもしれない、とのこと……。たしかに、「お国」を「お島」に書き換えると、『新世帯』が『あらくれ』の番外編みたいにも思える。 -
令和に出る徳田秋声の新刊。表紙が初版の野いちごデザインと嬉しい限り。
あらくれは初めて読んだ秋声の作品。尾崎門下、泉鏡花の弟弟子というイメージと全く違い、主人公のお島が力強く、明治にこんな風に女性が描かれたのかと驚いた。自然主義作品好きだなと思った作品。 -
(読書会課題本につき再読)幼少期に里子に出されたお島は、あらゆる苦難に立ち向かい一途に生きていく。跳ねっ返りで勝気な印象を受けるがその背中にやるせなさを感じた。映像化、舞台化に適した作品だな、と思ったら、高峰秀子で映画化されていた。
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徳田秋聲は読みづらいと言われるがそれでも魅力的だ お島の始終いらいらしながらも動いていなくてはいられないところ つまらない男でも関わらずにはおんなの暮らしのたたないこと 風景描写の良いところなどやはり秋聲の小説は好きだ 文体も漱石のは苦手だけども秋聲のはやはり好みだ
秋聲の女主人公はどうしても樋口一葉のもの思うヒロインたちが行動に出てきた気がしてならない -
1915(大正4)年作の「あらくれ」と1908(明治41)年の「新世帯」を収録。
日本の自然主義文学の代表作とみられているらしい「あらくれ」は、たしか古書店で買った新潮文庫のをかなり昔読んでいて、再読になる。
確かに味わい深い文章ではあり、何故か読みにくいような面もあって浸りながら読むほかない小説だ。2ページちょっとくらいのごく短い章で区切られているからそのように少しずつ読むのに適しているが、これは新聞に連載された長編だからだろう。
「荒っぽい」性格の主人公の女性「お島」が、貧しくあちこちを遍歴し、いろんな男性とくっついたり離れたりしながら商売に励んでいくというストーリーで、その点は起伏に富んでいるはずなのに、実に淡々と語られていき、おおがかりな山場などは一切無い。序破急も何も無く、延々と「序」のテンポで続いていく。それはまるで退屈な日常が続いていくような寂しさだ。私小説にも近い日本自然主義文学が「大きな物語」を拒絶するのだというなら、こういう語り口になるのかも知れない。やたら遅いテンポで延々と続いていくモートン・フェルドマンのような音楽は私は苦手なので、こういう小説は得意でないかもしれない。
確かにリアルな感じはするが、川端康成が絶賛するほどの傑作なのだろうか? 延々と淡々とほそい流れが流れてゆくような、静かな小川のようなこの小説光景は、確かに川端文学に共通点がありそうだ。が、小川は良いけれども、あんまりにも延々と続けられて、しかも終わり方も締まりがない(ある意味では普通の人生に似ているのだろうが)この感じを、私は好きになれないように感じる。
一方、これよりも古い中編くらいの長さの作品「新世帯」の方が、短い中にまとまりを感じ、幾らか起伏もあるようだったのが、私には好ましい。文体の面では「あらくれ」の方が優れているかもしれないけれども。 -
「あらくれ」は去年感想をここに書いたので省略します。
なんだかやはり徳田先生の作品は同時代の作家と少し違うところがあると思います。当時定番だった「書生」が出てこないからでしょうか。 -
「人生」つながり