新生 後編 (岩波文庫 緑 23-9)

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  • Amazon.co.jp ・本 (303ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003102398

感想・レビュー・書評

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  • 前編よりも後編の方が、ドラマチックなストーリーである。
    節子の好きな人を思う強い気持ちと、岸本の捨てられない気持ちを知ることができる1冊であった。

    許されない恋って、燃えるところがある。当事者は、皆言うよねという言葉も見受けられる。2人は、この恋を清算したかったのだ…と、後編のストーリーから読み取ることができる。

    人のうわさも七十五日と言うけれど、『新生』は絶版や重版未定になりながらも令和の時代で生き続ける名作である。彼らは、知る由もなかっただろう。

  •  後編はドラマティック。フランスから帰国して、一度心が離れた姪っこさんと心を通じ合わせて、姪っこさんとの関係を告白する小説を書いて公表し、姪っこさんが台湾に行くところまでを描いた。

     この小説の前評判や内容は、読む前からだいたいは知っており、読む前に一番不思議に感じており、知りたいと思っていたのは、主人公が、醜聞であるはずの姪っこさんとの関係を告白する小説を書いて、それを世に公表した動機だった。
     近親相姦にあたる関係を持ってしまったことは、世の中の大多数の感性なら隠し通したいもののはず。それをあえて、小説にした。
     しかも、まったくのフィクションとして書くのではなく、筆者がほぼ作中の主人公と分かる書き方で、である。
     作中での告白小説を書いた理由は、罪を清算したいが故に見えた。自分が楽になりたかったから、と言えばいいのか。ただ、主人公自身も秘密にしておけばよい話ではある、と何度も語る。その末に、書いて公表することを選んだ。
      作中からではなく、後書きその他から、この話を書いて公表したと思われる動機は二つあげられる。一つは、姪との関係の清算のため、自分の兄、つまり姪の父親からの金銭的な請求の清算のため、だという。
     何が本当だったのかは、一読した後でもよく分かっていない。本人が語る理由らしきものに納得も共感もしがたいせいか。

  • 周囲に対する節子の反発心・反骨心が、節子自身を不幸にしている
    その原因を作ったのはもちろん岸本なのである
    それに責任を感じた
    …という言い訳を額面どおり受け取っていいのかどうかわからないが
    帰国からいくらもたたないうちにまたしても情がわき
    関係を持ってしまう岸本と節子なのであった
    世間には認められない関係だが、今度は避妊に気をつけたのだろう
    しばらくのあいだ幸せな時間が続いた
    しかし「懺悔」ということにこだわる岸本は
    全てを小説(新生・前編)に書いて発表してしまい
    いよいよ兄貴の逆鱗に触れることとなる
    節子も同意したとはいうが、実際どんな風に説き伏せられたのか
    わかったものではない
    しかしそれでまあその結果、岸本(島崎藤村)は一躍時の人になるわけだ

    近親姦とはいえ、罪に問われるものでない以上
    書いて発表することに問題はないはずで
    それに異議を唱えるというなら世間のしきたりこそが異常なのだ
    と、そこまでは言ってないものの
    このアイロニーに満ちた「懺悔」が
    世間一般に向けられたものであることだけは間違いないだろう
    しかし、なんだかんだで岸本も依存している「家」というものが
    なにによって維持されているかといえば
    結局は世間的な暗黙のしきたり、空気なのである
    それなくして、岸本は節子を支配できただろうか
    正直言って疑問だ
    晩年の藤村は、東条英機の依頼で「戦陣訓」の作成にかかわったが
    そのことについては懺悔する前に死んだ

  • 「破戒」と同様、評価がわかれる作品。「私」の魂の救済は決してウソではないと思う一方、自己満足の犠牲に不快感を覚える。

    この作品を評する適確な言葉がみつからない。

  • 芥川さんの有名な、「彼は『新生』の主人公ほど老獪な偽善者に出会ったことはなかった」なんて言葉は、確かにそんな気もしますけれど、単なる偽善者のようにも思えます。よく分からないけれど、ユーズド価格が結構高いです。

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著者プロフィール

1872年3月25日、筑摩県馬籠村(現岐阜県中津川市馬籠)に生まれる。本名島崎春樹(しまざきはるき)。生家は江戸時代、本陣、庄屋、問屋をかねた旧家。明治学院普通科卒業。卒業後「女学雑誌」に翻訳・エッセイを寄稿しはじめ、明治25年、北村透谷の評論「厭世詩家と女性」に感動し、翌年1月、雑誌「文学界」の創刊に参加。明治女学校、東北学院で教鞭をとるかたわら「文学界」で北村透谷らとともに浪漫派詩人として活躍。明治30年には第一詩集『若菜集』を刊行し、近代日本浪漫主義の代表詩人としてその文学的第一歩を踏み出した。『一葉舟』『夏草』と続刊。第四詩集『落梅集』を刊行。『千曲川旅情のうた』『椰子の実』『惜別のうた』などは一世紀を越えた今も歌い継がれている。詩人として出発した藤村は、徐々に散文に移行。明治38年に上京、翌年『破戒』を自費出版、筆一本の小説家に転身した。日本の自然主義文学を代表する作家となる。

「2023年 『女声合唱とピアノのための 銀の笛 みどりの月影』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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