春昼(しゅんちゅう) 春昼後刻(しゅんちゅうごこく) (岩波文庫)

  • 岩波書店 (1987年4月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (130ページ) / ISBN・EAN: 9784003102756

感想・レビュー・書評

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  • 春の昼中のうとうとするような、夢見ごごちというか不思議な気持ちになる。

    散策士を通じて「春昼」と「春昼後刻」の2つの物語が結びつく。
    ○△×の意味を探るために、再び読み返してしまう。

    2021年8月18日

  • 1906年(明治39年)。
    春の日中にふと語られる、白昼夢のような幻想譚。目が覚めるから、夢だけれど、いつまでも覚めなけりゃ、夢じゃあるまい――正と狂のはざまに迷い込む。

  • 『春昼後刻』長閑で麗で美しいのにどことなくザワザワして落ち着かない、厭な気持ちのする春の描写がすごくいいです。
    『春昼』情の露は男の骨を溶解かさずと言ふことなし、をよく表しているかのような、作者特有の暗く煽情的な表現が楽しめます。

  • 美しい情景は浮かんでくるものの、私にはちと難解でした。。
    レベルを上げて再読したい作品です。

  • 「もしか、死んでそれっきりになっては情けないんですもの。そのくらいなら、生きていて思い悩んで、煩らって、だんだん消えて行きます方が、いくらかましだと思います。忘れないで、何時までも、何時までも、」

    美にして艶なる魂の彷徨の物語。

  • 静かで美しい一冊。主な登場人物は四人だが、その周りには祭りがあり、子どもがあり、賑やかなのに、四人だけの世界が低いトーンで淡々と描かれている。結末は急な感じがするものの、短い文章の行間にそれぞれの気持ちが描かれているようで、短編ながら奥の深さを感じる。
    久しぶりに美しい一冊を読了。

  • 題名だけで読み始めたら、春の霞の向こうにゆるゆる展開する怪談だった。この結ばれない恋の禍々しさ! 魔に魅入られて連れていかれてしまったようなものだ。

    背中に△□○を書くシーンがとても官能的でした。

  • 泉鏡花の力はひとえにその独特の文章にあると思う。言葉は交わさなくても、両者に何かしらの感応があってこういう筋立てになるところは、『外科室』にちょっと似てるかも。今まで読んだ鏡花作品の中でもかなり好きな方です。素晴らしい。

  • この人の作品は、どうしても「美しい」と形容したくなる。

    でもここで言う「美しい」は、僕が現代の言葉で美しいというときの、純粋で華やかな視覚美という程度の意味合いとは全く違う。泉鏡花の「美しい」は、もっと生々しく具体的な、存在美とでも言うのだろうか。作品世界の中での相対性が調えられて、同じ色一つ、形一つ、動き一つが全く違う、絶対的な鮮やかさを備えている。これぞまさに、正当な芸術性だと思う。すっかりこの「存在美」に魅せられてしまって次々作品を読むことになりそうだ。

  • 春になると毎年読んでいる。

  • せっかく読むなら春がいい。
    春の昼に「春昼」を、午後から「春昼後刻」を読むのがいい。

    「春昼」
    次のような歌が御堂の柱に記されていた。

    うたゝ寐に恋しき人を見てしより
    夢てふものはたのみそめてき-

    この歌を詠んだのは、一目見た男を魅する女だった。
    彼女には亭主がいたが、客人の男は想いをつのらせた。

    “濃い睫毛から瞳を涼しく睜いたのが、雪舟の筆を、紫式部の硯に染めて、濃淡のぼかしをしたようだった。
    何とも言えない、美しさでした”

    ある月の夜の山路。客人は、祭りのような囃子の音におびき寄せられた。幻想的な風景の中に、女の姿があった。


    「春昼後刻」
    その話を御堂で聞いた散策子の男は、噂の美女を見かける。

    “一目見たのは、頭禿に歯なるものではなく、日の光射す紫のかげを籠めた俤は、几帳に宿る月の影、雲の鬢、簪の星、丹花の唇、芙蓉の眦、柳の腰を草に縋って、鼓草の花に浮かべる状、虚空にかかった装いである”

    散策子はそれよりも前に、美女に見られていた。あなたを見たら気分が悪くなったので寝ていたのだ、と打ち明けられる。
    その理由を尋ねると・・・


    泉鏡花の、うっとりするほど雅な文体に惚れた。
    そのうつくしさは、筆舌に尽くしがたい。

    毎年、この時期になったら読み返したい一冊。

    p68
    一面の日当たりながら、蝶の羽の動くほど、山の草に薄雲が軽く靡いて、檐から透すと、峰の方は暗かった、余り暖さが過ぎたから。

    p89
    夢になる恋人に逢えると極れば、こりゃ一層夢にしてしまって、世間で、誰某は?と尋ねた時、はい、とか何んとか言って、蝶々二つで、ひらひらなんぞは悟ったものだ。

    と考えが道草の蝶に誘われて、ふわふわと玉の緒が菜の花ぞいに伸びた処を、風もないのに、颯とばかり、横合から雪の腕、緋の襟で、つと爪尖を反らして足を踏伸ばした姿が、真っ黒な馬に乗って、青空を飜然と飛び、帽子の廂を掠めるばかり、大波を乗って、一跨ぎに紅の虹を踊り越えたものがある。

    p109
    「この春の日の日中の心持を申しますのは、夢を話しするようで、何んとも口へ出しては言えませんのね。どうでしょう、このしんとして寂しいことは。やっぱり、夢に賑やかな処を見るようではござんすまいか。(中略)何為か、秋の暮より今、この方が心細いんですもの。それでいて汗が出ます、汗じゃなくってこう、あの、暖かさで、心を絞り出されるようですわ。苦しくもなく、切なくもなく、血を絞られるようですわ。柔かな木の葉の尖で、骨を抜かれますようではございませんか。こんな時には、肌が蕩けるのだって言いますが、私は何んだか、水になって、その溶けるのが消えて行きそうで涙が出ます、涙だって、悲しいんじゃありません、そうかといって嬉しいんでもありません。
    あの貴下、叱られて出る涙と慰められて出る涙とござんすのね。この春の日に出ますのは、その慰められて泣くんです。やっぱり悲しいんでしょうかねえ。同じ寂しさでも、秋の暮のは自然が寂しいので、春の日の寂しいのは、人が寂しいのではありませんか。

  • 春も暖かくなってくると読み返したくなる。自分も菜の花、土の中にいるような、ほかほかと眠くなるような。
    そしていつか逗子~秋谷に行ってみたい、と毎回思いますが、あの辺り聖地すぎるので、軽々しくは行けないのです。

  • 眠い。春だなあ。いいなあ。買う。毎春これを読みながら午睡に耽ろう。

  • 鏡花再読キャンペーン中。この連作は鏡花作品の中でもちょっと特異なポジションな気がする。お馴染みの妖怪変化が出てくるわけではないのに幻想的。

    導入はいつもの鏡花。旅の散策士がふとたちよったお寺のお坊さんから、かつて人妻に焦がれて自殺した書生の話を聞く。思わせぶりにやたらと蛇の類は出てくるけれど、今回は直接関係なし。死の前日に青年が山中で見たという夢のような幻覚のような謎の芝居の幻想性が圧巻。狐狸に化かされたような印象は受けるけれど、焦がれた人妻の夢と感応している。

    後刻のほうでは、当の人妻がやっと登場。自殺した青年の片思いではなく、時間差の心中のような展開に。とりあえず当人はともかく巻き込まれた獅子舞の子供が可哀想・・・。

    解説は川村二郎。

  • 初読時には深い霧の中にいるかの如く全体像を把握し切れなかったが、何度か道を辿り直すことでその景色の美しさに触れることができた。読点を多用し、韻を踏むかの様に句点前の母音を畳み掛けて揃える文体と、聞き馴染みが無くも趣深く色彩鮮やかな語彙によって現実とは切り離された鏡花独自の世界が形成されていく。本書では「春昼」と「春昼後刻」、うららかな日差しの中で微睡みながら散歩を進めてゆく二作の作品が合わせ鏡となることで幻想の世界は乱反射し、彼岸の世界は現実を侵食し始める。日本語の美は彼岸の世界の入口であったのかと感嘆。

  • 金沢に行ったので、読んでみた。美しくも怪しい鏡花の世界。

  • 頭が弱いのでストーリーが何となくしか分からないけど、ふわふわと、この文章と空気感を感じるだけで幸せ、癒される。何度も読み返すと思う。

  • 小池博史ブックフェア選書より
    「春昼・春昼後刻」
    泉鏡花の小説からは二作品制作している。特にこの二篇の小説は異界がスッと入り込んで来る生ぬるい不気味さがあって、1990年代の後半に大きな相似点を感じ、不気味だった。あの生ぬるさはなんだったのか……今の日本の姿の起点だったように思う。(小池博史)

  • 「春昼」とはよく付けた題である。全体を通して、春の昼のうたた寝に見る夢のような、甘やかな風景、それでいて退屈をするようなせぬような不思議な世界である。

    鏡花好きでも評価の分かれる一作である。紀行文としての評価を求めるものも居れば、その唐突な終わり方を批判するものもいる。私個人としては、最後にあるネタバラシのような部分がなくては読解が適わぬような気がしてもどかしい。しかし、文章家としての好適な面を評価するものである。

  • 140ページ弱の薄さだというのに、2回も挫折した本書。
    が、今回は久々に観た映画『陽炎座』の読み解きをしたくてめでたく読了。まあ、結局、読み解けなかったんだが(笑
    麗々しい美文は、慣れてくると(わからん名詞や形容詞は多いが)イメージが脳裏に展開する。日常のなかにふと展開する残酷かつ幽玄なストーリーは『高野聖』でおなじみで。
    美文&幻想の組み合わせはなかなかよいではないか。
    慣れているところで『高野聖』『歌行灯』を読み直してみようと思う。

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著者プロフィール

(いずみ・きょうか)
1873年金沢市生まれ。1893年、「京都日出新聞」の「冠弥左衛門」連載でデビュー。主要な作品に、「義血侠血」(1894)、「夜行巡査」(1895)、「外科室」(1895)、「照葉狂言」(1896)、「高野聖」(1900)、「婦系図」(1907)、「歌行燈」(1910)、「天守物語」(1917)などがある。1939年没。近年の選集に、『泉鏡花集成』(ちくま文庫、全14巻、1995-1997)、『鏡花幻想譚』(河出書房新社、全4巻、1995)、『新編 泉鏡花集』(岩波書店、全10巻+別巻2、2003-2005)、『泉鏡花セレクション』(国書刊行会、全4巻、2019-2020)など、文庫に『外科室・天守物語』(新潮文庫、2023)、『高野聖・眉かくしの霊』、『日本橋』(ともに岩波文庫、2023)、『龍潭譚/白鬼女物語 鏡花怪異小品集』(平凡社ライブラリー、2023)などがある。

「2024年 『泉鏡花きのこ文学集成』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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