鏡花短篇集 (岩波文庫 緑 27-6)

著者 :
制作 : 川村 二郎 
  • 岩波書店
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感想 : 37
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003102763

作品紹介・あらすじ

現実界を超え、非在と実在が交錯しあう幻視の空間を現出させる鏡花の文学。その文章にひそむ魔力は、短篇においてこそ、凝集したきらめきを放ってあざやかに顕現する。そうした作品群から、定評ある『竜潭譚』『国貞えがく』をはじめ、絶品というべき『二、三羽-十二、三羽』など9篇を選び収める。

感想・レビュー・書評

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  • 鏡花の文章の美しさの秘密を知りたいー
    そう思っているうちにもストーリーは煌めいて、
    気づけば終わっている。
    決して手の届かない宝石のようで、ため息が出るばかり。

    この遠さは近代化される以前の世界を結晶化しているためか、
    この近さは自分が同じ日本の風土に育ったからか。

    そんなことを思っても、やっぱり届かない。

  • 初めて鏡花の作品に触れた。難読。だけど鏡花の表現する女性、花、鳥の美しさは素晴らしかった。特に、必ず登場する女性のその妖艶なこと。

    どの程度の言葉を知っていれば、一つ一つのことを丁寧に奥行きを持って表現できるのだろう。到底、凡人の頭では想像さえできない。

    一度目を通しただけでは理解しがたい表現や内容が盛り沢山なので、長編ものへの挑戦は気合いが必要だな、と思いながらも、鏡花が長編ものでどんな女性を描いているのか、気にせずにはいられない自分もいる。

  • 「竜潭譚」のおっぱい対決、「貝の穴にいる河童の事」は舌足らずの河童がいいね。

  •  鏡花の本を読んでいると、この世とあの世の境目の「美しくも妖しい幻覚」のようなものを見ているような気がする。
     幻想的なだけではない。気を許すと異世界に引きずりこまれてしまうような、そういう空恐ろしいほどの美がある。
     
     この短編集の白眉は「雛語り」である。
    きらびやかで華やかな雛たちが、鏡花の魔法の掌から流れ出でる。鏡花は言葉の贅をつくし、読み手を幻惑させる。
     
     雛 夫婦雛は言うもさらなり。桜雛、柳雛、花菜の雛、桃の花雛、白と緋と、紫の色の菫雛・・・。

     鏡花の文章は、桜や紅葉を混ぜた美しい錦絵や繊細優美な螺鈿細工を思わせる。

     また、この短編の「貝の穴に河童のいる事」も面白い。
     なんともけったいな河童が主人公である。鏡花は妖怪というか「人にあらざる」異界の住人を好んで描く。時として、生身の人間より生き生きとして魅力的である。
     また、登場する姫神も物語全編を照らし尽くすかのように艶やかでコケティシュな魅力に富んでいる。
     (夜叉が池、天守物語、多神教などの作品を鑑みても、美の化身としての姫神たちの存在は突出している。)
     非現実という異界のベールを纏う時、登場人物たちは底知れぬ魔力を発揮する。その妖しい世界に翻弄されるのも心地の良いものである。
     
     

  • 時は明治。文明開化はしたものの欧化したのはまだ一部。自然は多く残り夜の闇は深い。現世と異界は黄昏時になると溶け合い混ざり合って此方の人間が彼方に引き込まれ、彼方のモノが此方に這い出てくる。句読点はあるのにつらつらと続いてるかのような文体は読んでるうちに自分まで彼方へと拐かされるかのよう。妖しくも美しい女性が出て来る「竜潭譚」「国貞えがく」が良かった。言葉自体も美しい。日本語の美しさを再発見した。

  • 文句のつけようのない短篇集。
    この作品は現在読んだって一切
    目劣りしないのです。
    神秘的さも長編と変わらず健在です。

    お勧めは雀のお話の
    「二、三羽…」や河童が出てくる「貝の穴に…」
    あたり。
    空想生物が出てきても違和感がないのは
    不思議なものです。

    長編よりも短い分
    まとまっていて面白かったです。

  • 外科室が読みたくて借りたやつ。

  • 時折突飛ない展開があるものの、やはり美しい。

  • 目次
    ・竜潭譚
    ・薬草取
    ・二、三羽――十二、三羽
    ・雛がたり
    ・七宝の柱
    ・若菜のうち
    ・栃の実
    ・貝の穴に河童のいる事
    ・国貞えがく

    小説と短い紀行文が収められている。
    やはり鏡花といえば、この世ならざる物の気配を感じさせる小説を期待してしまうので、正直紀行文か…と思わないでもなかったけれど、意外やこれが興深く読めた。

    『七宝の柱』は、毛越寺(もうつじ)から中尊寺を見てまわるのだけれど、ちょうど数年前に行ったことがあるので、当時気づけなかった事柄の描写を読むにつれ、自身の浅学を残念に思う。
    ガイド付きの団体旅行ではなかったのでしょうがないのだけれど。

    鏡花は何処かの寺でいやな思いをしたのか、この旅で出会うつつましやかな寺の若僧(にゃくそう)を見てこう書いている。

    ”世に、緋、紫、緞子を装うて、伽藍に処すること、高家諸侯(こうけだいみょう)の如く、あるいは仏菩薩の玄関番として、衆俗(しゅぞく)を、受附で威張って追払うようなのが少なくない。
     そんなのは、僧侶なんど、われらと、仏神の中を妨ぐる、姑だ、小姑だ、受附だ、三太夫だ、邪魔ものである。
     衆生は、きゃつばらを追払って、仏にも、祖師にも、天女にも、直接(じか)にお目にかかって話すがいい。”

    絶対何か嫌な思いしてるね。笑

    『薬草取』の女が好きだな。
    幼い頃に母と死に別れた鏡花は、多分にマザコン。
    男の大切な女性の命を救うために手助けしてくれる女って、しかも見返りを求めないって、それは理想の母だよ。
    でも、そこがいいんだなあ。
    山賊が死美女を担いで逃げるっていうのは、坂口安吾を思い出してしまうけれど、昔は割とよくあることだったのでしょうか。

    『貝の穴に河童のいる事』は、人間に大けがさせられた河童が地元の姫神様に復讐してくれと頼むのだけど、さすが神様は河童の気持を汲みつつ無血解決。
    熟年の夫婦と姪でしょうか、3人の、今でいうところの観光客に、ついとひょうきんな舞を舞わせるのである。
    人間たちはなぜそんなことをしたのかわからない。
    そもそも河童を怪我させたことにも気づいていない。
    自然に対して鈍いのである。
    けれど動物たちや、河童までもその踊りがあまりに愉快で、隠れて一緒に踊ってしまう。
    姫神に「三人を堪忍してやりや」と言われた河童は笑いながら「踊って喧嘩はなりませぬ」と言う。
    帰途につく河童に姫神は鴉を見送りにつけるのである。
    この辺も母性を感じるね。

    『二、三羽――十二、三羽』の雀たちの様子や、『若菜のうち』の、香樹にかぶりつく幼子の姿など、小さきものへのまなざしの優しさや描写の繊細さに、なんだかホロリとしてしまった。

  • ときに、雅文調の形容と、唐突にも思える句読点は、それが何を表現しているのかも判然としない箇所がいくつかあった。それも含めて、面妖な、官能的な得も言われぬ世界を醸し出している小品集である。

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著者プロフィール

1873(明治6)年〜1939(昭和14)年)、小説家。石川県金沢市下新町出身。
15歳のとき、尾崎紅葉『二人比丘尼色懺悔』に衝撃を受け、17歳で師事。
1893年、京都日出新聞にてデビュー作『冠弥左衛門』を連載。
1894年、父が逝去したことで経済的援助がなくなり、文筆一本で生計を立てる決意をし、『予備兵』『義血侠血』などを執筆。1895年に『夜行巡査』と『外科室』を発表。
脚気を患いながらも精力的に執筆を続け、小説『高野聖』(1900年)、『草迷宮』(1908年)、『由縁の女』(1919年)や戯曲『夜叉ヶ池』(1913年)、『天守物語』(1917年)など、数々の名作を残す。1939年9月、癌性肺腫瘍のため逝去。

「2023年 『処方秘箋  泉 鏡花 幻妖美譚傑作集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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